しとしとと、深々と。 音も聞こえないほど静かに振る雨を見つめながら、彼―――とあるイレギュラーな2人のサーヴァントを従えているマスターは、はあ、と小さく溜め息をついた。 「どうしようかなぁ……」 困り切った声色の呟きに、返事を返してくれる彼等は今ここにいない。昼間に昼食を食べに新都のショッピングモールに行った帰り、うっかり見かけた子猫をつい追いかけているうちに、つい離れてしまったのだ。 結局彼がその事に気が付いたのは、その子猫に逃げられてしまった後。 寂れた軒並みばかりの風景にしばし愕然としつつ、それでも気を取り直して何とか自分たちのクラスアパートに帰ろうとして、結果余計に迷ってしまった。 ちなみに、ふらふらと猫を追いかけているうちに冬木大橋を渡り新都どころか深山町のかなり奥の方まで来てしまっている事を、彼は知らない。 そうこうしているうちに雨まで降りだしてしまって、濡れ鼠になりながら屋根を見つけて雨宿りをし、今に至っている。 「はっくち」 彼これ雨宿りをしてから20分近くが経っているのだが、薄いジャケットからしたたる水滴を絞ったとはいえ、段々と体が冷えてきた。 小さくくしゃみをすると、マスターはふるりと体を震わせて自分の体をさする。 あいにくと念話の心得など当然の如くない…というか存在すら知らない為、アーチャーとエクストラとコンタクトを取るのはほぼ絶望的である。 どうしたものかなあといよいよ本格的に途方に暮れていると、不意に俯いていた視界に、一足の靴が映った。 「………?」 鮮やかな赤い、子供用の小さい長靴だ。マスターが顔を上げると、そこには小さな女の子が、同じく真紅の赤い傘を差して立っていた。 勝ちきそうな眉、意志の強そうな淡い蒼の瞳をして、艶のある黒髪を左右手高い位置にくくっているその少女は、この場に酷く似つかわしくない、いかにも高級そうな、上品な身なりをしていた。 「お兄さん、このへんじゃ見ない顔ね。外国から来たの?」 「…………どうして?」 見た目を裏切らない芯の通った少し舌っ足らずな愛らしい声で尋ねる少女に、マスターは思わずそう聞き返していた。 自分の顔は、どこからどう見ても日本人のそれだ。20年近く光を浴びていない為いっそ冗談見たく生白い肌をしているが、それでも同じアジア圏の国だとしても外人に見える事はないだろう。彼の髪も眼も、今時珍しいくらい烏のように真っ黒である。 先祖にヨーロッパやアングロサクソンの人間を持っているのだと容易く連想させる宝石のような蒼い目の少女は、しかし当然だろうというように胸を張って口を開いた。 「ここ、けっこう田舎だもの。新しい人なんてすぐにわかるわ。それに今のところ特に観光に適した場所でもないけど、何でか外国の人が良く来るから。お兄さんもそうかなって」 「そっかぁ……すごいや、君ははくしきだね」 「こんなのカンタンな推理よ」 どこか嬉しそうに頬を染めてはきはきとそう答えた少女に、マスターは微笑んで彼女の頭を撫でる。 ませた感じがする少女だったが、褒められたのが嬉しかったのかまろい頬を緩めてふにゃりと笑うと、年相応の愛らしい幼さが顔を覗かせた。 「その推理はほとんど正解かな。僕は今僕の友達と一緒に来てるんだ。ずっといるかはまだ分からないけど、しばらくはここにいるつもり」 「ふうん、そうなの」 マスターがしゃがんで少女と目線を合わせて話していると、パシャパシャと水の跳ねる音が聞こえてきた。 「凛っ!」 「ぁ………っ。お母様!」 見ると、前髪を綺麗に切りそろえた長髪の女性がこちらに向かって駆けており、その姿を見た少女は弾かれたように顔を上げて、途端にばつが悪そうな顔をした。 恐らくこの女性は彼女の母親で、この子の名前は凛というのだろうとぼんやりとマスターが推測していると、少女の母親と思しき女性がこちらまで走ってくると、もう、と少女に向けて小さく溜め息をついた。 「勝手に走って行っては駄目でしょう。心配するわ」 「はい……。ごめんなさい、お母様」 眉を下げて叱る母親にしょんぼりとうなだれる娘の姿が、妙に今の自分とシンクロしてしまい、マスターは知らず知らずのうちに眉を下げていた。 今の自分は、数秒前の彼女だ。ふらふらといなくなってしまったから、過保護な彼のサーヴァント達も、今頃必死になってマスターを探しているのだと想像がつく。 段々と罪悪感が芽生えて悲しくなっていると、マスターは少女の母親が不思議そうに自分を見つめているのに気が付いた。 確かに、ずぶ濡れの男が自分の娘と共にいては奇妙だろう。この数週間でしっかりとアーチャーにとって一般常識を詰め込まれたマスターは、はっとして慌てて手を横に振って弁解を試みた。 「ああ、えっと、僕はその、怪しい者じゃなくってっ。だたの迷子っていうか、全然、この子とは関係ないからっ」 「…………迷子?」 なんとなく居た堪れなくなって、そそくさとこの場を離れようとすると、凛と呼ばれていた少女が小さく反応した。 「お兄さん、迷子なの?」 「えっと、……うん。そうなる、かな」 「さっき言ってたお友達は?」 「はぐれちゃって………」 困ったように眉を下げて笑う彼は、どこか幼い子供のような拙さを思わせて、見る者をどことなく放っておけない気持ちにさせる。 こう、何というか、このまま放置していたら、生まれたての子猫みたく死んでしまいそうだ。 「お母様………」 まるで雨の中ずぶ濡れの子犬を見つけたような気持ちになり、凛が頼み込むようにじっと母を見ると、彼女も彼女で放っておけないと思ったようで、しょうがないわねというように頷いた。 どうしようもなく、この仔犬のような青年は母性本能をくすぐるのだ。 「貴方、最近余所からきた子?」 「へっ?」 不意に少女の母に尋ねられ、マスターが驚きながら頷くと、彼女はそう、と言ってから微笑んだ。 「こんな雨だもの。お友達を探すのも大変でしょう? 雨が上がるまで、家で休んでいかない?」 「え? ………でも、そんなの悪いし」 「あら、けどそんな恰好じゃ風を引いてしまうわよ?」 彼女の言う通り、頭の先からつま先までずぶ濡れの状態でいたら、いずれ風を引いてしまう事必至だ。 しかしそれでもとすまなそうに眉を下げて渋るマスターに、少女がとててっと近付いて、自分の傘をマスターに差し出した。 首を傾げる彼に、そのままにっこりと笑う。 「わたしが傘を差していってあげる! 家には冬木市全体の地図もあるし、客間もいっぱいあるから、お兄さん1人ぐらいいたって何にも変わらないわ。だから全然大丈夫よ!」 「…………じゃあ、お世話になろうかな」 無邪気にそう言われてしまうと、これ以上断る方が逆に申し訳なくなってしまう。 結局彼女に押し負ける形で、マスターがへにゃりと拙い笑顔で笑ってぺこりと頭を下げると、赤い傘を差した親子は、満足そうに笑った。 「それじゃあ、よろしくね」 「ええ、まかせてっ」 笑顔のままマスターが差し出した手に、少女も嬉しそうに意気揚々と小さな手で握りしめた。 「そういえば、僕2人の名前知らないよ」 「たしかにそうね。わたし、遠坂凛!」 「私は遠坂葵。よろしくね」 「りんちゃん、と、あおいさん。……ふふっ、きれいな名前」 結局身長の問題でマスターが傘を持ちながら、少女と手をつないで歩いていく。 いましがた聞いた2人の名前を噛みしめるように呟いたマスターに、親子は顔を見合わせて照れ笑いをした。 「お兄さんは? お兄さんの名前はなんていうの?」 「えっ、僕? 僕は……うーん、説明しにくいなあ」 無邪気な凛の質問に、マスターは困ったように苦笑する。 マスターには、今だあの集団に監禁される以前の記憶がない。一応名前は、図書カードに書かれたものがある。 けれどそれは所謂偽名というもので、見ず知らずの自分を助けてくれた彼女に言うのは無責任だと思うのだ。 それかもしれないという名前を初めて会った時にアーチャー達に告げたが、アーチャーに自分でもあやふやなものを名乗るものではないとたしなめられたのもあって、それも名乗りにくい。 「ややこしい変な名前なの?」 「いや、えっと……凛ちゃんが好きなように呼んでいいよ」 迷った末、曖昧にマスターがそういうと、凛は一瞬不満そうに顔をしかめたが、すぐに楽しそうに目を輝かせた。 「うんと……じゃあね、烏のお兄さん!」 「カラス?」 首を傾げるマスターに、凛は満足げに頷く。 「お兄さんの髪、黒くてとってもきれいだし、ちょうど雨で濡れてるでしょ? そういうのを「烏の濡れ羽色」っていうんだって、この前学校で習ったの」 「おお、なるほど」 自信満々に言う凛の言葉に妙に納得して、マスターは楽しそうにくすくすと笑った。 「いいね。素敵な名前だ」 「でしょう?」 ますます得意げに胸を張る凛をかわいいなあと思いながらその頭を撫でて、マスターはふと己のサーヴァントに想いを馳せる。 彼らはまだ自分を探しているのだろうかと思うと少し申し訳なくなったが、しかしすぐに彼等は自分の気配をさくれるのだたと思い出して、安心して遠坂親子の好意に甘えることにした。 おまけ 久々にアーチャーとエクストラ以外のFateキャラ書けたので、正直楽しくしゃーないです(笑) 2013.8.3 更新 ← |