小説 のコピー | ナノ

動物園のはなし。





マスター達が冬木大橋近くの深山町のアパートに越してから数週間が経ち、3人が皆一様に少しずつそこに慣れてきて、マスターも今では半人前の食事は摂れるようになった。
アーチャーがそのチラシを持ってきたのは、そんな頃だった。

「『わくわくふれあいワールド』?」

昼食の買い出しに行っていたアーチャーが帰宅と当時に差し出したチラシを、マスターは目の高さまで持ち上げてそのまま読み上げる。
その幼い仕草を微笑ましく思いながら、アーチャーは上着を脱いで共用のエプロンへ着替えながら答えた。

「ああ。丁度商店街で配っていたからな。いかにも君が興味を持ちそうだと思い、1枚貰って来た」
「ありがとう、アーチャー。へええーっ。こういうのがあるんだあ」

言いながら手早く勝ってきた材料をキッチンに並べるアーチャーに笑顔で礼を言って、マスターはしげしげと物珍しそうにチラシの内容を読み込んでいる。
その様子を見ながら、アーチャーは水を入れた鍋を乗せコンロに火をつけ、もう1つフライパンを取り出しながら片手で卵をボールに割り入れる。少々季節には早いが、マスターにリクエストされたため、今日の昼食は冷やし中華である。

「そう言えば、エクストラはどうした?」
「熱いからってシャワー浴びに行ったよ。僕も誘われたんだけど、さすがに断っちゃった」

えへへ、と少し困ったようにマスターが笑うのに、アーチャーは重く溜め息をついてから、当然だ馬鹿者、と渋面を作ってぴしゃりと言い切った。
マスターが今手にしているのは、近所にある動物園の期間限定イベントの情報チラシだ。そこは普段はあまり動物に触れ合えるようなものはやっていないのだが、今回期間限定で動物たちと触れ合えるコーナーを設置し、客の感触を確かめたいのだろう。
それの意外な所は、ウサギやモルモットのような小動物だけでなく、梟、リスザル、カピバラなどマイナーな動物にも幅広く触れる事が出来る点だ。中にはウリボウや子供のライオンなどとも触れ合える、などという触れ込みが書いてあり、アーチャーはそれは子供が怪我をするのではないか、と少し苦笑いをした。

「アーチャー、アーチャーっ」
「なんだね」
「これっ、らいおん、ライオンが触れるんだって!」
「ああ、君はテレビか図鑑でしか見ていないからな。実物は初めてか」
「うんっ」

沸騰した湯に人数分の麺を入れながらアーチャーが答えると、マスターは勢い良く首を縦に振って頷いた。
そして、その勢いのままぐりっとアーチャーの方を向き、キラキラと夜空に似た目を輝かせながら、期待を込めるように自身の保護者の目をじっと見つめた。
その無垢が故に誤魔化しの効かない期待の眼差しを一身に受け、アーチャーは苦笑して小さく息を吐いた。

「…………明日、3人で行くかね」
「!!! うん、行くっ!」

仕方ないというように肩をすくめるアーチャーに、マスターはぱああっと目を輝かせて嬉しげに顔を綻ばせる。
アーチャーとしても、そこまで喜ばれて悪い気はしない。これは気合を入れて弁当を拵えなければと、早くも明日の昼食の内容を頭に思い浮かべた。
すぐに動き回れるように軽めのサンドウィッチでも良いし、逆にどっしりとした重箱に和食を詰めても良い。どちらにしろ、見た目によらず食い意地の張ったマスターと同僚がいるのだ。質の良い食事を出してもろ手を上げて喜びこそすれ、機嫌が悪くなる事などあり得ないだろう。
そう言えば、マスターはまだフルーツサンドを食べた事がなかった。意表をついてそれも良いかもしれない。
自身も気づかないうちに明日の献立に夢中になっていたアーチャーだったが、ふとマスターがしきりにライオンライオンと繰り返すのを不思議に思い、顔を上げて尋ねる事にした。

「そう言えば、マスター。君は先程からやけにライオンにこだわっているが、そんなにも思いいれのあるものなのかね」

もしからしたら無意識下の忘れている記憶の手がかりになるかも知れないと思い問い掛けたアーチャーに、マスターはううん、と梟のように首を傾げてから、やがて思い至ったようにパッと顔を上げた。

「あのね、この前アーチャーが見回りに行ってる間にエクストラが話してくれたんだけど、昔エクストラは『ライオン裸締め殺し』っていうのをやった事があるんだって」
「ライ………何だって?」

いきなり何を言い出すのかこの主人はと片眉を上げて聞き返すアーチャーに、マスターは笑顔のまま繰り返す。

「ライオン、裸締め、殺し、だって。こう、ライオンの首に腕を回して、ごきって首の骨を………」
「……折ったのか!? 彼女があの細腕で!?」
「ううん。流石にけーついは固かったーって言ってた。でもちゃんと気絶はさせたから、勝負はエクストラの勝ちだったんだって」

えっへん、と胸を張るマスターは、まるで自身の憧れるヒーローを語るように誇らしげだ。
実際彼にとっても彼等サーヴァントはヒーローに等しい存在なのだが、今はそれより、アーチャーはげんなりとして片手で顔をおおった。何をしているのか、あの唯我独尊皇帝様は。

「それで、君はその技を生で見たいと?」
「それはライオンが可哀想だからしないけど、でもその後でエクストラが獅子は良いぞーって言ってたから、1度近くで見てみたかったんだ」

アーチャーの質問に、マスターはにっこりと笑って応える。
その笑顔で何もかも赦してしまいそうになっている自分に気づいて、アーチャーは自分に向けて小さく苦笑いをこぼした。
と、そこでタイミング良く、話題に挙がっていた件の赤い皇帝がリビングに入ってきた。

赤いタンクトップにジーンズ生地のショートパンツを穿き、濡れた金糸の髪をタオルで拭いているエクストラにマスターは笑いかけ、当たり前のように膝の上に乗るように促す。
それをこちらも当然のように受け取ってちょこんとマスターの立てた膝の間に収まったエクストラの髪を、マスターは丁寧な手つきで拭いていく。

「エクストラ、明日ね、みんなで動物園に行こうって話してたんだ。いろんな動物が触れるんだって」
「ほう、それは良いな、奏者よ。どんな動物がいるのだ?」
「えっとね、ウサギとー、リスとー、梟とー……あ、あとね、ライオン!」

楽しげに話す2人を横目に目を細めながら、アーチャーは艶やかな麺の上に瑞々しいトマトやキュウリ、そして甘めに焼いた卵焼きなどを乗せていく。

――――ああ、確かに、私も楽しみだ。

密かに浮き足立っている自分に気付いて、アーチャーは自然と、小さく笑いをこぼしていた。











空は晴天。空気はからっとしていて、風は優しく頬を撫でる。
つまりは、ピクニックに出掛けるにはもってこいの天候だった。
気温は少し高めだが、それも心地よく吹く風によって帳消しだ。アーチャーは黒い4段重ねの重箱を持ちつつ、きゃっきゃとはしゃぎ回るマスターとエクストラがうっかり迷子ないならないように目を光らせていた。鷹の目は伊達ではないのである。

「こら、2人共。はしゃぐのは結構だが、勢い余って車道に出ないように。うっかりでは済まんぞ」
「はーいっ」
「うむっ!」

声を掛けるアーチャーに元気良く返事をして、マスターとエクストラは手をつないだままぶんぶんと手を振って、動物園までの道のりを満喫していた。
それにやれやれと溜息をつきつつ、アーチャーも後れを取らないよう早足で2人を追い掛ける。結局、朝食でフルーツサンドを食べた一行は、色とりどりのおかずの入った和食弁当を持って出発した。
少し遠め道のりも、マスターの好奇心によって話は尽きない。
あれは何? これは何? と無邪気に尋ねるマスターに、アーチャー達も笑顔で答えていった。
初めて乗るバスに大いにはしゃぎ、動物園についた時、既に一行は若干の疲れを感じていた。

「よし、では私が券を買ってくるから………」
「では行くぞ奏者よ! 愛くるしい動物達が待っている!」
「おーっ」
「待 ち た ま えこのバカ者! !」

アーチャーが振り向いたその先には、既にエクストラに手を引かれたマスターがだーっと入口に向かって掛けており、慌ててアーチャーは渾身の力で声を飛ばした。

「券を購入しなければ入れないと言っただろう! 人の話はちゃんと聞きたまえ! !」
「むう」
「不満そうな顔をするな! いいかね、私はそこで券を買ってくる。君達はここで大人しく待っているように」

言うやいなや肩を生かさせてさっさと行ってしまったアーチャーに不満げな視線を投げかけたエクストラだったが、側にマスターがいた事もあってすぐに機嫌を取り戻し、後に剣を手に戻ってきたアーチャーと3人で動物園へと足を踏み入れた。

「うわあ……すごい、本当にたくさんの動物がいるんだね」

園内を少し進むと見えてきたたくさんの檻や柵の中にいる動物たちに、マスターは目を見開いてきょろきょろとあたりを見回す。
猿山のサルや、南国にいそうな大きな鳥、興味深そうに此方を見るコアラなどに興奮気味に見つけた端から近寄っていくマスターに、遅れないようについて行きながら、アーチャーとエクストラはこっそり顔を見合せて笑い合った。

「気に入ったか、奏者よ」
「うんっ。連れて来てくれてありがとう、2人共」

そう言って浮かべられたマスターの笑顔に、エクストラたちは照れ臭くなって赤くなった頬をかいた。
彼らとて、心底うれしそうな眩い笑顔を向けられて悪い気はしない。いつもよりも楽しそうなマスターを見る事が出来るだけで、アーチャーとエクストラ的には既に大満足だった。

「ねえねえ、もっと色んなところ回ろうよ」
「それも良いがね、まずはチラシに書いてあった触れ合いコーナーに行った方が良いと思うぞ。今は早い時間だから良いが、昼ごろになると混んでくるだろう」
「あ、そっか」

成る程、と納得してこくこくと頷くマスターの頭を撫で、アーチャーが背中を押すのに従って、一行はふれあいコーナーへと向かった。

園内の真ん中付近に設置されていた『わくわくふれあいワールド』は、後付けとは思えない程しっかりとした設備になっていた。
チラシに書いてあった通り一般的な小動物はもちろんの事、ウリ坊やリスザルなどのマイナーな動物の子供もきちんと触れ合える仕様となっていた。

「うーん……ライオンはどこにいるんだろう」

ふれあいワールドの室内に入るやいなや早速小さなリスザルに懐かれたマスターが、肩にサルを乗せたままきょろきょろとあたりを見回すのに合わせて、アーチャーが中に入る前の受け取ったパンフレットを広げる。

「ふむ。どうやらライオンは一番奥にいるようだ。流石に肉食だからか、他の動物達と一緒にはできなかったんだろう」
「うっ、ぐっ、アーチャー、もっと腕を下ろせ! 余も地図が見たい」
「はいはい」

そう言ってぴょんぴょんと背伸びをしながらアーチャーの腕を引くエクストラに地図を見せてやってアーチャーは、ふとパンフレットの端に書かれた項目に目を向けた。

「マスター。どうやらここでは動物たちにえさをやる事が出来るようだぞ。試してみるかね?」
「そうなの? やりたいやりたい!」

子供のような笑みを浮かべて頷くマスターに、アーチャーもつられるようにして笑って了解する。

「餌の販売はあそこの売店でやっているようだな。私が何個か買ってこよう。エクストラ、マスターを頼むぞ」
「うむ、任せるがよい!」

そう言って早足で売店に行ったアーチャーを自信満々に見送ったエクストラだったが、しばらくしてはっとしたように顔を輝かせて、ずびし、と遠くの物影を指差した。

「むっ、あそこにロップイヤーの仔ウサギが! 奏者よ、連れてくるのでそなたはここで待っておれ!」
「え? あ、うん」

言うやいなや楽しそうに駆けだしたエクストラをぽかんとしたまま見送るマスターだったが、肩のリスザルと顔を見合わせると、迷子にならないようにとアーチャーから渡されたパンフレット広げた。

「ええっと……あ、ライオンの場所ってあっちかな」

まあ、どっちにしろ間近に迫っているライオンで頭がいっぱいだったマスターに、待つという選択肢は瞬く間に頭からすっぽ抜けてしまっていたのだが。
数分後、それぞれ餌と仔ウサギを手に戻ってきたサーヴァント2人は、忽然とマスターが姿を消していた事にぎゃんぎゃんと文句を言いながらもマスター探しに奔走する事になった。
そうしてアーチャーの眼によってやっとライオンの柵の中に見慣れた黒を見つけ、慌てて中に入ると、2人は目の前に広がった風景に思わず絶句した。

そこには、大きなメスライオンの腹に頭を乗せ、恐らくそのライオンの子であろう仔ライオンと共に健やかに眠っているマスターがいた。
ちなみに、ちゃっかり初めにマスターの肩に乗って懐いていたリスザルも一緒である。

「子がいる時の母ライオンは気が立っているというのに……」
「なんという無害オーラか」

マスターは敵意を向けられる事も捕食対象とライオンたちにみなされる事もなく、完全に体を許しきって子供のライオンと同じように一緒に、それもすぐ近くに餌となるサルもいるというのにまるで同じ種族のように堂々と共に昼寝を楽しんでいる。
ライオンの体が温かいのか、気持ち良さそうにその腹に頬をすりよせむにゃむにゃと口をもごつかせるマスターに、アーチャー達はここまで走ってきたのが一気に馬鹿らしくなってしまった。

「まったく、君というやつは……」
「そおしゃあ………」

すよすよとライオンの腹の上で心地よさそうに眠るマスターにがっくりと脱力したサーヴァント達だったが、しかしそれも彼らしいと思い、脱力した体勢のまま、顔を見合わせて小さく笑ったのだった。









2013.7.31 更新