すう、すう、と規則正しい穏やかな寝息が、月明かりに照らされた明かりの消えた部屋の中に静かに響いていた。 その音の主であるエクストラ、アーチャーの2人のマスターである彼は、心から安心したような顔をしており、うっすらと口元は弧を描いている。 その寝顔をよく見えるように前髪をかきあげ、優しく目を細めるエクストラを、アーチャーは寝転がったまま横目で見上げていた。 「随分と、君はマスターを気に入っているんだな」 「む? ……何というかだな。初めはただ単に興味深いだけだったが、このように無垢な雛鳥のように甘えられたのは初めてなのだ。今のこやつは、生まれたばかりの雛同然。だというのに、何も解らぬというのに、奏者は懸命に明日に手を伸ばしていた。だから、……うむ。良くは解らぬが、今日、余は奏者が少し好きになった! ……感じだ」 「…………感じ、か」 自ら聞いたのにかかわらず興味なさそうにそう言って頷くアーチャーに、エクストラは不満そうにむう、と頬を膨らませる。 「何だ、では貴様どうだというのだ? あれだけ甲斐甲斐しく奏者の世話を焼いておいて、まさか気に入らぬとほざくのか」 枕に肘をついて頬杖をつきつつ訊くエクストラに、アーチャーは少し考えるように黙ってから、ややあって口を開いた。 「さあな」 「は?」 ぶっきら棒に答えられたアーチャーの言葉にエクストラがぽかんとするなか、アーチャーは渋面を作って、もう一度それを繰り返した。 「私にもマスターの事はよく解らないし、私自身がマスターをどう思っているのかもよく解らない。……ただ、放っておけないと思うだけだ」 「…………うむ。あれだ、貴様は馬鹿か?」 眉をしかめてそういったアーチャーに、エクストラはきょとんとした顔をしてから、至極不思議そうな顔をしていった。 それに一瞬呆気にとられ反応が遅れたアーチャーに、彼女はにっこりと人好きのする笑顔を1つ浮かべて、あっさりと断言してみせた。 「それだけ解っておれば、もう十分ではないか。ようは、貴様も奏者が大事なのだろう? ならば、後は守るだけではないか」 おかしなことを言う奴だな、などと言って結論付けるエクストラに、アーチャーは予想の斜め上をいかれ更に反応を鈍くさせたまましばらく呆然として、ああ、と呟いた。 「そう、……なのかも、しれないな」 「うむ、そうであるに違いない。余が言うのだから間違いはないぞ」 ふふん、と得意顔で胸を張るエクストラに、アーチャーはどこからそんな自信が来るんだと呆れながら、しかしその無邪気な様子に絆されて、少しだけ笑顔を浮かべた。 「………ああ、違い無い」 「であろう? 元より、我らは奏者のサーヴァント。他でもない、我らが自ら選んだマスターなのだから、守り通すのが道理というものだ」 にっこりと、愛らしいご満悦顔で笑って見せるエクストラに、アーチャーも小さく笑って肩をすくませた。 どうにも、この王と名乗る少女にも、つい数時間前に己のマスターとなった彼にも、アーチャーは調子を崩されてならない。 いつも口をついて出る皮肉が僅かばかりになりをひそめ、代わりに滅多に出る事のなくなっていた素直な言葉が、何の抵抗もなくするりと口から話される。 それは彼の生前、心の最も中枢に…いや、今も変わらず居座っている彼らに、この2人があまりに似すぎているからか、否か。 いずれにせよ、アーチャーがこの天真爛漫な同僚とマスターを、憎からず思っている事には違いない。 アーチャーははあ、と小さく息をついて、これからの事を考えた。 このままいけば、まず間違いなく自分達は聖杯戦争に参戦する事となるのだろう。そうしなければマスターを護れないのだから、それは当然だ。それに、マスター自身に願いがある可能性もある。 しかし、アーチャーは1つだけその事で懸念する事があった。……いや、厳密には2つ、か。 もし、彼の記憶が間違いではないのなら、この戦争にはあの男が参戦している筈なのだ。 自分の理想の始まりとなった正義の味方と、そして、おおよそ英霊ならば、敵う事がないであろう、最古の王が。 そして何より、アーチャーがマスターの声に応じたのは、彼の声に惹かれたからだけではない。 たった1つ。世界と契約し守護者となり、望まない殺戮を繰り返させられている彼にとっての、最後の希望でもある一縷の望みの為に、アーチャーは召喚に応じ、マスターのサーヴァントとなっているのだ。………だから、本来なら、アーチャーにとって、マスターの安全は、二の次である筈の事柄。……………で、ある、筈なのに。 だというのに、アーチャーは未だその目的を果たすために動けずにいる。 本来なら、自身の真の目的の為に、こんな所にいるよりも、外へ出て目的を達成するために、その標的を探すべきなのに。 マスターが抜け出したら令呪を使うと脅していたけれど、それならば今晩中に見つけ出せばいいだけの話だ。 だというのに、アーチャーの身体はベッドから動かない。 いざとなれば、エクストラの制止など、口八丁手八丁でかわせないことも、無いというのに。 理由は、アーチャーも、薄々は解っているのだ。 彼の、自身のマスターである彼の側は、酷く心地が良い。 たった数時間しか共にしていないというのに、アーチャーは恐ろしい程あっさりと、彼に絆されている。 まるで母親か何かのように、言葉にしたもの全てを受け入れて、肯定して、受け止めてくれるのではないかと、そんな無茶な事を思う程に、安心できてしまう、不思議な雰囲気を持っている。 それに何より、放っておけない。 エクストラに任せるのではなくて、他でもない自分自身が、彼を護らなければと思っている。 やはり、元来の性分は治らないらしい。 恐らくアーチャーは、この現世で死ぬとき、マスターのために死ぬのだろう。 仕方がない。やはりこの身は、自分本位に生きる事は出来ないらしい。 ほぼ限りなくゼロに近く、天文学的確率でこの時代に呼び出された、もう2度と叶う事はないであろう可能性をふいにしたとしても、それでもやはりアーチャーは、マスターを犠牲にしてまで己の望みをかなえたいとは思えないのだ。 性分だ、仕方がない。 それに、きっと自分は、彼の事を知っている。 アーチャーはもうほとんどがかすれておぼろげになってしまっている生前の記憶の中で、ある瓜二つであった2人の家族の事を考えて、そう思う。 ………それにそもそも、アーチャーはすでに自身のマスターを、エクストラ曰くとても大事に思ってしまったのだから、土台、そんな事は無理になってしまったのだが。 だからこそ。 「…………1つ、良いか。エクストラ」 「ん?」 彼女だけには、言っておかなければならない事があった。 「何だ? 改まって。変に恐い顔をしているぞ」 怪訝そうな顔をするエクストラに、アーチャーは心の中で深呼吸をして、心の準備を整えてから口を開いた。 「………ないとは思うが、万が一、私達の手に負えないほどの難敵に出くわしたなら。エクストラ、君がマスターを連れて逃げろ。 わたしが、君達の行く道を作る」 「………………貴様、正気か?」 驚いたように目を丸くしてからわずかに目付きを鋭くして聞くエクストラに、アーチャーは迷い無く頷く。 もしそうなったとしても、マスターをまもれるのだとしたら必要な選択だと。 しかし、それを聞いたエクストラは、むしろもっと不機嫌そうに眉をしかめ、違う、と一言言った。 「そうではない。そなたは今、奏者にとってどれほど残酷なことを言ったのか、その自覚はあるのかと聞いておるのだ」 「………………?」 エクストラの言う言葉の意味が良く解らず、こちらも不可解そうに眉をしかめるアーチャーに、暴君であり王である少女は呆れたようにはあと溜息をついて、よいか、と前置きをして彼女達のマスターの深層について話し始めた。 → ← |