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令呪のはなし。





プラスチックの器に入った重湯をレンゲですくい、雛鳥よろしく口を開けているマスターに食べさせてやる。
立つ事もままならなかった彼が、当然何かを掴む腕力も握力も持っているわけがなく、こうしてアーチャーに口に運んでもらって食事をしていた。

「どうだ、マスター。旨いか?」

尋ねるアーチャーに、マスターは少し眉を下げ、首を傾げる。

「んー………わかんない」

無感動に言うマスターに、そうか、とアーチャーは苦笑する。

「まあ…長年食事を摂っていないんだ。味覚が衰えるのも当然だろう」

それどころか、甘いからいなどの、味覚と呼べるものの概念すら、もう解らなくなってしまっているのかもしれない。
大人しくもぐもぐと口を動かすマスターを見ながら、アーチャーは思う。
ルームサービスの水と重湯が届き、こうして食べさせてはいるが、マスターはその間何を言うでもなく、ひたすらに口に運ばれてきた重湯を咀嚼するのみで、アーチャーはが話を振るまでずっとそのままだった。
このたった数時間の間で、彼は打てば返ってくるどころかあっちこっちに反響する性質だと解っただけに、記憶としては初めての重湯に何かしらコメントするだろうと思っていたアーチャーは、そのマスターの様子に少し違和感を感じていた。
しかしそれをあえて言及するでもなく、またレンゲで重湯を一さじ掬い、熱を冷ますように息を吹きかけていたところで、浴室のドアが開いた。

「何だ、案外早かっ、………………!?」

レンゲを持ったままアーチャーが何気なくエクストラの方を向いて声をかけ……かけて、絶句し、バッと勢いよく顔をそむけた。
当のエクストラはぼとりと床にレンゲ(重湯入り)を取り落としたアーチャーを怪訝そうに見て、不可解そうな顔をしながらも彼が言いかけた問いに答える。

「うむ。余としてはもっと入っていたかったところなのだが、奏者が食事をしている姿が見たくてな。こうして早々に上がることにしたのだ」
「……僕の食べてる所なんて、面白くも何ともないよ?」
「良い。何と無くそういう気分だったのだ」

不思議そうな顔をするマスターに、エクストラは髪から滴る水をバスタオルで拭き取りながら朗らかに笑う。――――全裸で。

「……………………」

最早頭痛と胃痛しかないアーチャーだったが、流石にこの状況を放っておくわけにもいかず、とりあえず素っ裸にエクストラとのんきに話しているマスターの目をおおった。

「??」
「見るなマスター、目に悪い」
「なっ、言うにことかいてっ、余の姿がめっ、目に悪いだと!?」
「うるさい! 大体何故君は身体にタオルも巻かず平然としているんだね!?」

なるべくエクストラの体を見ないように目線を逸らしつつアーチャーが怒鳴ると、彼女は何を言っているんだこいつと言わんばかりの顔をして、それから自信満々に胸を張り、そこに手を添えた。

「タオルを巻いては髪が拭けぬではないか。そして何より。この余の肉体に、恥じるべき個所など一つもない!!」
「誰がそんな事を聞いたこの露出狂!! いいから早く服を着ろ、マスターの情操教育上悪い!」

そして、自分の精神衛生上にすごく悪い。心労でHPが物凄い勢いでガリガリ削られている。
色々な固定概念がごっそり抜けおちているマスターはわけも解らず?を飛ばしているが、そこは申し訳ないが一旦置いておいて。
顔が熱いのを感じながららしくもなくまたも怒鳴るアーチャーを、エクストラは本当に不思議そうに小首を傾げて見ていた。

「そうはいってもな、余には奏者と違って着替えがない。また武装してもよいのだが、湯上りにそれは少々無粋というもの」
「……そこのクローゼットにバスローブが入っていた。頼むから早く着てくれ………」

げんなりと疲れ切った顔のアーチャーに首を傾げて、エクストラはてこてこと素っ裸のままクローゼットへと向かう。
やっと遠ざかった彼女の気配にアーチャーが安堵のため息をついていると、ふとある事に気付き、マスターの目から手を離して彼に尋ねた。

「そういえばマスター、令呪はまだ出ていないのか?」
「れいじゅ?」
「初めに話しただろう。サーヴァントを従えている証であり、3度だけ使える絶対命令権だ」
「へえっ。すごいんだね」

そうアーチャーの説明に感心したように頷いていたマスターだったが、しかしすぐに不思議そうに首を傾げた。

「でも、そんな事までしてサーヴァントに命令する必要ってあるの? サーヴァントって、マスターがいなくちゃここにいられないんでしょ? なら、立場的にも、サーヴァントはあんまりマスターに強く出れないんじゃ……」
「では、その問いには余が答えよう」

不可解そうな顔をするマスターに、いつの間にか着替えを終えていたエクストラがバスタオルで髪を拭きながら戻ってき、説明を始めた。

「令呪とは、つまりサーヴァントの体を強制的に縛るものだ。そして、それと同時に使い方によれば、サーヴァントの実力以上を発揮させる事も可能な、大魔術の結晶だ」
「………………? ええっと、つまり?」

あまり良く意味が理解できずに首を傾げるマスターに、エクストラはさらにかみ砕いて説明を続けた。

「例えばだ、余はこの地点から遠く離れた場所へ瞬時に赴く事は出来ない。しかし奏者が“そこへ行け”と令呪を以ってして命じたのなら、余は通常のスペックを無視し、文字通り一瞬でそなたの命じた地点へ行ける。このように一点に集中した命令は、サーヴァントの肉体の限界を超えた運動を可能にするのだ。しかし、逆に「己の命令を全て聞け」などの大雑把かつ広範囲な命令は、サーヴァントにとってそれほど大きな効力は持たぬ。霊格や抗魔力が次第で、抗える者も少なくないだろう」
「……なるほど」

ふむふむと頷くマスターに、最後にエクストラとアーチャーが気だるげに締めくくる。

「そして、曲がりなりにも召喚されるのは英霊だ。一癖も二癖もある者なのが常であるし、短期間で信頼を築く事が望めないと解れば、気に入らないなどという理由でマスターを殺害してしまう事も可能だ。
そういった事の危惧も兼ねて、マスターは最低でも令呪を1画は残しておかねばならぬ。まあ、そなたの場合、その心配は杞憂でしかないがな」
「要するにだ、君が私達にあまり命令を下したくないというのなら、君が絶体絶命の事態に陥った時に私達を呼ぶ為にでも使えばいい。いずれにせよ、3回しか使えない、ある意味君にとっての唯一の切り札だ。使い所は、よく考える事だな」
「はあい。よくわかり……………っ」

ほわりと笑って返事をしかけたマスターだったが、不意に言葉を途切れさせ首筋を手で抑え、怪訝そうに眉をひそめた。

「っ奏者よ、どうかしたのか?」
「いや……なんか……」
「首がどうかしたのか? 見せてみろ、マスター」

各々心配そうな顔をしているエクストラとアーチャーに少し歯切れの悪い返事を返しつつ、カーペットに膝をついて下から顔を覗き込むアーチャーに、マスターは素直に首筋をおさえていた手をどけた。

「………これは」

マスターの手が度蹴られた事によって露わになったそれに、アーチャーが無意識のうちに呟く。
彼の病的なまでに生白い首にくっきりと浮かぶ、紅い赤い刺青。
まるで古代の壁画に描かれるような、鳥が翼を広げる様をモチーフにしたそれに、サーヴァント2人は顔を見合わせる。

「……成る程。私達2人で一組の令呪なのか」
「そのようだな。これもイレギュラーな召喚のツケかもしれぬ。奏者よ、痛みはもうないか?」
「? うん、別に何ともないよ。それで、これが令呪っていうの? ただの落書きみたいだけど」
「君にはそう見えるかもしれんが、こう見えてこれは膨大な魔力の塊だ。……まあ、そうそう使う機会もないだろうし、君にとってはあまり関心のないものだろうが」
「―――ううん、そんなことないよ」
「「?」」

首を振るマスターに不思議そうな顔をするエクストラとアーチャーに、マスターは浮かんだ令呪をそっと手でなぞり、照れ臭そうにかすかに頬を染めてふわりと微笑んだ。

「だってこれは、僕が本当に2人と一緒にいられるって証しだから。大切だよ。ずっと使わないでいたいくらい、すごく」

目を細め、本当に心の底から大切そうな顔をして令呪を撫でるマスターに、彼のサーヴァントである2人はしばし呆気にとられたように自身のマスターを見つめ、ややって彼から顔を逸らし、真っ赤になった顔を隠すように顔面を手で覆った。




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2012.8.28 更新