きらめくネオンの光の中、1人の英霊が、男を抱えて歩いていく。 紅い外套を脱ぎ、いくつもの装飾を取り外した彼は思いの外周囲になじみ、そのマスターは夢うつつながらもおおー、と感心していた。 ちなみに、マスターはその外套にくるまってさながら団子のような状態で彼に抱えられており、その間アーチャーは、彼の為に下着やひげそりや髪を切る為の鋏を周りのとげとげしい視線に耐えながら購入していた。通報されなかったのは奇跡に等しい。何せ外国でも珍しい白い髪の美丈夫に、浮浪者にほど近い見掛けをした年齢不詳の男のコンビなのだ。いくら周りに溶け込んでいるように見えても、それで目立たない方がおかしい。 早くホテルに入りたい。 今もチクチクと刺さってくるレジの店員の嫌な視線に若干泣きそうになりながら思うアーチャーだったが、抱きかかえられているマスターはそんなことはお構いなしに、数十年ぶりの外界に目を輝かせていた。 道中でアーチャーがマスターに聞きだした所、彼の口ぶりではあの場所に連れてこられたのは、まだ10にも満たない頃だったらしい。そして今のマスターの外見は、大体17から20後半。それを考えると、アーチャーはますますやるせない気持ちになった。 ついでとばかりにその後の経緯を聞いたが、マスターは、それ以前の記憶が全て曖昧なのだと話した。 「解らない? 記憶に齟齬があるという事か」 「そ……?」 「………あっと、食い違いという事だ」 「ううん。そういうのじゃなくて、こう、もやがかかるっているか、ぼんやりしてて、うまく思い出せないんだ」 「……………ふむ」 【まあ、そう難しい顔をせずとも良いではないかアーチャーその話の続きは、腰を落ち着けてからでも遅くはなかろう】 「まあ…一理あるな」 というやり取りがあった結果、続きはとりあえず宿を確保してからという事になった。 捕われてから数十年間。当然一般的な教育など受けていないマスターの知識は、10にも満たない頃で止まっている。 今度辞書と漢字ドリルを買ってこようと、アーチャーは密かに思った。なんせ資金はたっぷりある。 そんな事を考えているうちに、新都のこじんまりとしたビジネスホテルに辿り着いた。外装からして、手頃な所だろうと辺りをつける。 「……………さて、着いたぞマスター。宿はここで構わないか? しばらく滞在する事になるわけだが」 「ええと、いいんじゃないかな。エクストラはどう?」 【ふむ……まあギリギリ良しとしよう。奏者の身なりを早々になんとかせねばならんからな】 何処にもいないようでいてすぐ傍から聞こえたエクストラの声にマスターがほっとした顔をすると、小さく笑ってここが良いと告げた。 アーチャーはそれに頷くと、大型の鞄を持ち直して、冬木ビジネスホテルに足を踏み入れた。 エントランスの受け付けにいた女性はマスターたちを見止めると、一瞬死ぬほど奇妙なものを見たという顔をしてから、すぐにインスタントな笑顔を浮かべた。この数時間ですっかり見慣れてしまったそれをあえてスルーし、アーチャーは何食わぬ顔で受け付けへと近寄る。 「すまない、部屋を1つ取れるだろうか。これと2人なのだが」 「え? でもアーチャー」 「君は黙っていたまえ」 寝たふりをさせていたマスターが顔を上げようとするのを外套に顔を埋めさせる事で止め、アーチャーはそのまま続ける。 「急で悪いのだが」 「あっ、はい。部屋は空いておりますので、問題はありません。お2人様でよろしいんですね?」 「ああ」 手前のパソコンで予約の確認をする受付嬢に、アーチャーはにこりと爽やかな笑顔で頷いた。隣でぎゃんぎゃんと怒っているエクストラはもちろん無視だ。 「部屋はどのようなものがよろしいですか?」 「1番手頃な…これがいいな」 「かしこまりました。609号室になります」 「ありがとう」 受付嬢から鍵を受け取ると、アーチャーは颯爽とエレベーターへと向かった。 背中に感じる彼女のさっきと違う熱い視線も、もちろん無視したのであった。 † 「良い度胸だなアーチャー。余の存在をガン無視か!」 「そうだよアーチャー。エクストラ合わせて3人でしょう?」 部屋に入り閉めるなり実体化してエクストラがぷりぷり怒りながら怒鳴ると、マスターも便乗するように抗議の視線を向けてくる。 生前のアレコレでアーチャーのただぎゃんぎゃんと怒鳴る相手に対してのスルースキルはA+といったところなのだが、彼のマスターのようにただじっと見つめられて言葉を促されるのには慣れていないというか、いまいち苦手なのだ。 はあ、と溜息をつくと、アーチャーはマスターをベッドに下ろし、いいかね、と説明する為に口を開いた。 「もしあの時もう1人、それも女性がいると言ったら、部屋を1つ増やさなければならなくなる。そして、エクストラは十中八九それを了承しなかっただろう」 「当り前であろう。余1人が仲間外れではさみしいではないか!」 「そうだよ、僕もやだ。どうして? 一緒の部屋でいいじゃない」 何処までも純粋に尋ねてくるマスターにこめかみを押さえながら、アーチャーは溜息をつきたいのを我慢して、とりあえず倫理について一から説明する事にした。 「いいかマスター。一般に女性と同室に泊まっていいのは恋人である者のみなんだ」 「どうして?」 「どうしてもだ。これが一般常識なんだよ。それに私達2人とエクストラが1人。もし先程の係員に無理やり連れ込んだなどと思われて警察を呼ばれたらとてもマズい」 「無罪なのだから堂々としておればよいではないか。余がきちんと説明してやるぞ?」 「馬鹿か君は。その事自体は無罪でも、私達がここにいる事は有罪だろう。我々はパスポートもなければこの国の戸籍すらないんだぞ」 眉をしかめて言うアーチャーの言葉にうぐっと言葉につまるエクストラを、アーチャーがそら見た事かという顔をして畳み掛けるように言い募る。 「それが無ければ、私達はただの不法入国及び滞在者だ。マスターも生まれは外見からして恐らくこちらだろうが、今までいた場所を考えるとここに国籍があるのかどうかも怪しい。君も、そこの所は知らないのだろう」 「うん。わかんない」 こっくりと素直に頷くマスターに、アーチャーはそういう事だと言って締めくくった。 「つまり、だ。世間から見て複数の男女が同じ部屋で寝泊まりするというのは非常にマズい。そして、万が一警察に捕まった場合、当然捕まったままでいるわけにもいかない為脱獄し、私達は指名手配犯になってしまう。理解したかマスター?」 「……………うん、なんとなく」 あまり良く解っている顔ではなかったが、一応納得はしたらしいマスターが頷くと、アーチャーはよし、と薄く笑って頷いた。 「納得したならいい。ではエクストラ、私はこれからマスターを風呂場に連れて行って彼の身なりを整えてくるが、いいかね」 「………良い、許す。余とて我がマスターがそのような井出達をしているのは、少々いかがなものかと思うからな」 「?」 首を傾げるマスターに、エクストラは優しく笑った。 「湯を浴びるのは気持ちが良いぞ、奏者。さっぱりしてくるがいい」 「……うん。ありがとう、エクストラ」 マスターはエクストラのその笑顔に安心したように笑うと、再び自分を抱き上げて運ぼうとするアーチャーに首を振り、その腕に掴まって半ば自力で立ち上がる。 ゆっくりと、僅かに足を震えさせながらも懸命に足を進めようとするマスターに、アーチャーは慌てて手助けをするように背中に手を添えて歩みを合わせる。 結局ほとんどアーチャーに支えられながらも、マスターは何とか自分の力で歩こうと足を動かす。 その様を意外そうに見てから、エクストラは感心するように目を細めていた。 2012.6.23 更新 ← |