夢を見る。 彼にとって一番大切な存在の片割れである、1人の少女の、夢を見る。 ぱちりと目を開けると、そこは見慣れたサーヴァント達と住むマンションの一室ではなく、壁が固いレンガに覆われた、けれど趣向を凝らされていると一目で解るほどの上質な部屋だった。 この光景に、マスターはもう驚くことはない。 この装いの部屋は、エクストラが生きていた時代のものだ。 見るたびに風景の傾向や建物の趣きが変わるアーチャーの夢とは違って、エクストラの夢はいつも同じ赴きの建物、同じ国での出来事だ。 とても苛烈で、とても優美で、とても哀しい。エクストラの夢を見るたびに、マスターはそんな感慨を抱いた。 部屋の奥に、1人の男性が壁にもたれかかるようにして蹲っていた。 彼は初めて見る人だ。マスターは、思わず観察に力を込める。 もっとよく見たいのだが、ここからでは少し遠くて、あまりその細部は見て取れない。部屋に、エクストラが入ってきた。 男を見て取って、目を見開く。 その表情も始めてみるもので、あれ、と、マスターは妙な悪寒を感じて自身の体を抱いた。 「は………」 ぐしゃりと、彼女の顔が崩れる。 怒っているのに、泣いているみたいだ。 どうしてだろう。その理由は解らにのに、エクストラの表情につられるようにして、マスターまで哀しい、泣きたいような気持になってくる。 エクストラが呟く。 「……お前まで、余を信じないのか。どうして、お前まで、余を置いていく。私は………っ」 こぶしを握り締めて、エクストラは、震える唇を噛んで引き結び、男の前にしゃがみ込んだ。 そっと、壊れ物を、もう壊れてしまった脆い宝物を触れるように、恐る恐る白く細い指が、男の頬に触れた。 「置いていくな、セネカ。余を、おいて……待って………」 エクストラの眉が、切なげにひそめられる。瞳がうるんで、心許なく揺れた。 そんな顔は、止めてほしいと思った。そんな、壊れてしまいそうな顔を、声を、しないでほしいと。 どうして彼女がそんな顔をするのか、マスターは解らない。彼女がここに至る過程を、すべて見てきたわけではないから。アーチャーの夢も並行するように見るからか、彼女の夢も、彼の夢も、過ぎる時間は飛び飛びだ。 だからマスターは解らない。解らないけれど、だからって、自分にとって大切な少女のそんな顔を許容できるわけがない。 どうすればいいのだろう。できるわけがないと解っていても、今ここで泣いてしまいそうな彼女を、笑顔にさせたいと思った。 もしエクストラにいじわるする人がいたら、僕がちゃんと怒るからね。任せてっ ただただ彼女の楽しそうな笑顔を守りたいと思って、あの日マスターはそう言ったのだ。 彼らと初めて外へ出たときに彼女に告げた言葉は、決して嘘じゃない。 エクストラには、いつでも笑っていてほしくて、その笑顔を守りたいのは、あの時からずっと思っていることなのだから。 ぱち。と暗闇の中で目を開く。 体を動かさず目だけで左右で眠っているサーヴァント達を確認する。2人とも自分の手を握ったまましっかりと傍にいることを確かめて、マスターはほっと息を吐き出した。 今回の夢で、初めてエクストラの夢で具体的な人の名前が出た。今までは母上とか、陛下とか、そんなふうに通称で呼ばれてばかりだったから。 きっとこの名前は、彼女の真名を探す上で大きな手掛かりとなる。 マスターはそう確信し、彼女が愛おしさと怒りをないまぜにして口にした名前を口の中で転がした。えっと、確か………。 「…………せねか?」 せなかみたいな名前な人だと思った。 翌日、マスターは起きて早々アーチャーたちに図書館に行きたいと強請り、ちょっと早すぎるんじゃないかと渋る2人をなんとか諭して開館と同時に冬木市立図書館に駆け込んだ。 もちろん、目的はここ数カ月ですっかり気心知れた仲となった、マスターにとっての過去の偉人博士である奈須川きのこと司書くんである。 「司書くん司書くん司書くん!!」 「うおわっ!?」 ダッシュでカウンターへ駆けてどんと机に手をついてきのへと身を乗り出したマスターに、いきなりの強襲にきのの方もぎょっとして目をむいて声を上げた。 ひっくり返って思いの外大きな声となってしまったそれに慌てて口を手で押さえて、幸いまだ開館直後という事で客がマスター以外いなく他の利用者の視線がないことにほっとしつつ、マスターの肩を掴んで乗り出した体を元に戻した。 「ねえ、「せなか」っていう昔の偉い人って誰だか知ってる!?」 「は? 背中?」 「あ、間違えたせねか!」 明らかにひらがなの発音で発せられた偉人の名前に、きのは怪訝そうに首を傾げる。 「せねかって、哲学者のセネカ?」 「う……解んないけど、多分そう」 「俺が知ってるセネカはそのセネカだけだから、とりあえずそれって仮定してなら説明してやれるけど……」 「お願いしますっ」 いつになく勢いのあるマスターに気圧されるように引き気味に言ったきのに、間髪入れずに頭を下げる。 その様子に目を白黒させながら、わ、わかった、と頷き、居住まいを正す。 それに合わせてようやく自分も椅子に腰かけたマスターに、きのは淡々と語って見せた。 「俺の知ってる「セネカ」は……フルネームはルキウス・アンナエウス・セネカ、ユリウス・クラウディウス朝時代…つまり紀元前27年〜紀元後68年までを生きた人間だ。ローマ抵抗の政治家であり、哲学者、詩人でもあった」 「ふうん」 「偉人なんだから当たり前だけど、現代で考えてみると腹立つハイスペックさだよな」 こくりと1つ頷くマスターに、おどけるようにそう付け足してきのはくすりと笑って見せる。 その意味がマスターにはよく解らなかったが、きのが何だか楽しそうに見えるのでよしとする。 「そんで、皇帝ネロのバックボーンみたいなのについてて、彼の「5年の良き時代」の立役者とも言われてる」 「……ねろ?」 気の口から出たその言葉に、マスターはほぼ反射的に聞き返していた。 どうしてか、その名前が気になる。初めて聞いたはずなのに、ずっと前から知っている気さえしてくるのだ。 「ねえ、そのネロって人の事、司書くん解る?」 「そりゃ、学校の世界史で習う程度には有名な人だからな」 「その人のこと、教えて欲しいんだ」 「え、ネロを?」 再び身を乗り出しかけたマスターに、きのはきょとんとして首を傾げた。 ネロといえば、「暴君ネロ」と言われるくらいのその名の通り暴君だ。いろいろと血生臭い歴史を背負っているしで、きのにはマスターが興味をひくような英雄には見えない。 「セネカは、もういいの?」 「うん。いい、その人の事、詳しく教えて」 「お、おお………」 いつになく勢いづいているマスターにぱちくりとまた瞬きをして、解ったから落ち着けとまたマスターをイスに座らせて、自分も居住まいを正し、コホンと咳払いを1つして、また口を開いた。 「皇帝ネロ、フルネームネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。ローマ帝国5代目皇帝で、初めは後継者といえる立ち位置ではなかったんだけど―――」 解りやすく言葉をかみ砕いて説明をしてくれるきのの言葉を、マスターは一言も聞きもらさないようにじっと耳を傾ける。 そしてその話が佳境に入っていくごとに、マスターは確信と当時に、どうしようもない悲しみが胸を締め付けた。 「―――ああ、この子だ」 「は?」 この子が、エクストラだ。 呆然とつぶやいたマスターに、きのが訝しげに首を傾げる。けれど、それに応える余裕は、今の彼にはなかった。 だって解ってしまった。今まで見てきた彼女の夢と、きのの語ってくれたネロの経緯、それとエクストラから時々こぼれ出た王……いや、皇帝としての彼女の側面。全てではないけれど、けれどそのどれもがぴたりとハマった。 直観だった。この皇帝こそが、エクストラの真名だ。 「司書くん、ありがとう」 そうと決まれば話は早い。 お礼もそこそこに椅子から立ち上がったマスターに、きのは困惑して目を白黒させている。 「おいおい、どうしたあんた、今日は随分と急だなぁ。もう行くのか?」 「うん。ちょっと行かなくちゃいけないところがあるんだ、だから僕…………っ」 バサッ。 「へ?」 不意に背後から聞こえた何かが落ちる音にマスターが振り返ったのは、ある種の予感があったからだ。 いくら静寂がルールの図書館とはいえ、今しがたマスターときのが話していたように最低限の会話くらいはある。それにここは図書館であるのだから、図書の本を落とすことくらいいくらでもある。 だから普通なら聞き流すその音も、何故か気になった。 嫌な予感が、こらえきれない悪寒が、マスターの背筋を駆け抜けたから。 だから、振り向いた先にあった存在に、想像よりも驚きはなかった。 「…………エクストラ」 数冊の分厚いハードカバーの本を足元に散らばらせ、元から白い顔を陶器よりも青白くしたエクストラが、そこに立っていた。 一歩、怯えたようにエクストラが後ずさる。同時に足元の本がぶつかり、バサバサとかすかな音を立てて本の山が崩れた。 「ぁ………余は、ただ、走者が、何を話しているのか、気になって」 いつも、図書館に行くたびに、マスターが嬉しそうな顔で本を抱えて出てくるから。彼おいう「司書君」との談笑がそんなに楽しいのかと妬ける気持ちもあったが、マスターがそんなにも興味惹かれる話題を話す男がどのようなものなのか。エクストラは、それが気になっただけなのだ。 たまたま、今日はマスターが早く図書館に行きたいと強請ったから。そのせいで、アーチャーがいつも買出しに行く時間よりも早く外に出て、そのためアーチャーが30分ほどで戻ると言って図書館の入り口を離れ、目付け役がいなくなったから、これ幸いにとエクストラはこの冬木図書館に足を踏み入れたのだ。 途中で気になった本をいくつか見つくろいながら、中央のカウンターに見慣れた黒い癖っ毛を見つけて、うれしくなって駆け足でそこへ駆け寄った。 ただ、エクストラはこっそりマスターの後をつけて会話を探りがてら驚かそうとしただけだったのに。 「………あの、エク」 「!!」 酷く狼狽している様子だったエクストラを不思議に思って声をかけると、途端にびくりと肩をはねさせてまた数歩後ずさった。 そのただなさぬ様子に、ぎょっとしてマスターはエクストラに駆け寄った。………いや、駆け寄ろう、とした。 「エクストラ、そんなにびっくりしてどうし……ってぇえ!?」 その瞬間、エクストラが回れ右をして脱兎のごとく駆け出した。 と思ったらすぐ後ろの本棚にガンと頭をしたたかにぶつけて蹲った。それにますます度肝を抜かれながらも、今ここでエクストラを逃がしてしまっては何か取り返しのつかないことになりそうで、慌ててその小さな背中に手を伸ばした。 2014.11.27 更新 ← |