小説 のコピー | ナノ

海へ行くはなし。





最近、マスターはいつも夢を見る。
それはそらく彼の記憶とは別の、『正義の味方』として戦場を駆ける青年と、哀しい肉親よりも身分の低い市民を愛した、赤い薔薇のような皇帝の夢。
それは日に日に増えていき、少しずつだが彼女たちの生きた道を知っているのだと思う。アーチャーとエクストラには、その事は一言も話していないが。
それと同時に、恐らく自分についての過去らしい記憶も、まれに夢に見ることがある。それはテレビ画面を見ているように、それは決まって幼い自分らしき少年がこちらに楽しそうに話しかけてくるもので。
徐々に、彼は自分の周りが動き始めているのに気づいていた。そして少し恐ろしくもあるそれから、いい加減逃げることなど、出来なのだろうという事にも。

「海に行きたいなぁ」

朝、アーチャーの作ったふのみそ汁を飲みつつ唐突にそういったマスターに、2人のサーヴァントは当然不思議そうに首を傾げた。

「随分と急だな奏者よ。何か海に見たいものでもあるのか?」

同じサバのみそ焼きに舌鼓を打っていたエクストラがそう尋ねると、マスターはううんと首を横に振る。

「そういうわけじゃないんだけど。ただ、冬木の海って、ちゃんと見たことないなぁって」

ほわほわと幼く笑うマスターに、アーチャーが作った出汁巻き卵をまな板に移しながら、フライパンと菜箸を持ったままその言葉に妙に納得しきれずに片眉を器用に持ち上げた。

「だからといって、冬木の海などとりわけ美しいというわけでもなかろう。別にあえて赴く必要もないと思うが」
「むー。でも見たいの。いいからさ、ご飯食べて、支度できたらみんなで行こうよ、ね?」

つれないアーチャーにむくれつつもにっこりと笑って誘うマスターに、アーチャーとエクストラは顔を見合わせる。
頑固なマスターのことだ。穏やかな物腰とは裏腹に、きっといつまでも粘ること必至だ。
仕方がない。アーチャーはエクストラと軽くアイコンタクトを交わすと、解ったと了承の言葉を告げながら、切り分けた出汁巻きの一切れを彼の口に放り込んでやった。


マスターの要望通り、一行は朝食を済ませると、支度をして冬樹の海へと馳せ参じた。
浜辺についた途端、ぶわりとマスターたちの顔を潮の香りのする風が撫でる。ごうごうと潮風に煽られながらもマスターは楽しそうだ。
その様子を見て、アーチャーは肩を竦めてからかうように己のマスターに声をかける。

「それにしても、こんな所へ来てどうするんだね? 残念ながら海のシーズンはもう過ぎたぞ」
「別に、海で泳ぎたくて来たわけじゃないよー」
「では、そなたは何故ここに来たがったのだ?」

怪訝そうな顔をするエクストラに、マスターは無垢な顔でにこりと笑う。

「ちょっと、“海”がどういう色なのか、思い出したくて」

静かにそう言ったマスターに、サーヴァント達は虚を突かれたように一瞬目を見開き、次いで唇を噛む。
未だに記憶が曖昧なマスターには、「海」を幼い頃見たかどうかも定かではない。名前すらも、まだ思い出せていないのだ。
今の質問は失言だったと顔を曇らせる彼らに、マスターは困ったように苦笑して、手を前に突き出してぶんぶんと振る。

「いいんだよ2人とも、気にしないでっ。僕はただ、これを見たかっただけなんだ」

言って、マスターは潮風を体いっぱいに浴びせるように両腕を広げ、気持ちよさそうに目を細める。

「僕にも、自分が昔海を見たことがあるのかは、よく解らない。けど、解らないなら、知っていけば良いじゃない。今の僕には何も解らないけど、だからこそ、これからたくさん、色んなことを知っていこうって思うんだ」

振り返って、マスターは晴れやかに笑う。その柔らかな表情に、やはりいつもの自分たちのマスターだと感じてサーヴァント達は小さく安堵し、そんなマスターの思いがいじらしくおもって、良い子良い子とアーチャーはくしゃりとその頭を撫で、エクストラはぎゅっと彼に抱き付いて甘やかした。
その2人の反応に、マスターは恥ずかしそうに頬を赤らめて身をよじる。

「も、もう止めてったら2人とも、くすぐったいよ。子供扱いしないでって言ってるのに」

うりうりとエクストラに頬ずりをされながら、マスターはぐしぐしと自分の髪をかき混ぜるアーチャーと彼女とを見て、ちょっと拗ねたように唇を尖らせた。
けれどその仕草もやっぱり子供っぽくて、アーチャーは無意識のうちに笑みを浮かべて、いつものように皮肉を舌に乗せる。

「元より君は子供のようなものだろう? なに、心配せずとも君を主君に選んだのは私だ。君が記憶を思い出すのを、じっくり焦らず待っているさ」

いつも通りの皮肉交じりの励ましに、マスターは素直じゃないなぁ思う。そういう態度をとってばかりのアーチャーを傷害内やつめという風に見ながらも、マスターはそんなアーチャーの言葉が嬉しくて、マスターはへらりと笑った。
するとくいくいと下の方から服を引っ張られて、それに応じてすぐ下にあるエクストラの顔を見下ろすと、彼女は酷く優しい表情をして、マスターの頬を撫でて微笑む。

「うむ。いい心がけだぞ、奏者よ。何も覚えておらぬことを悲観する必要はないのだ。知らぬという事は、逆を言えば知っていたことも、また新たな知識として吸収する喜びを味わえるという事なのだからなっ! それに、そなたには余も、アーチャーも傍にいる。不安に思うことなど何一つないぞ、マスター」

毅然としてきっぱりとそう力強く言い切ったエクストラに、マスターは少し目をぱちくりさせてから、ややあって嬉しそうに彼女を抱きしめ返す。
ついでとばかりにアーチャーを屈ませるように手招いて、アーチャーが首を傾げて近づいてきたところで、その首にエクストラごと抱き付いた。
なっ!? と戸惑ったように声を上げるアーチャーに笑って、マスターは2人の大好きなサーヴァント達を抱きしめる腕に力を入れる。

「―――うん。2人がいれば、何にも心配いらないや」

その言葉は、特に強い口調でも、決然とした口ぶりで言ったわけではない。あくまで自然に、彼の心の奥底の声が、彼らに漏れ聞こえた言葉だった。
だからこそ、それが彼にとって、本当に真実なのだろうという事が手に取るように解って。安心し切った顔で呟いたマスターに、エクストラとアーチャーはなんだか無性に気恥ずかしくなって、お互いマスターから顔を反らした。今彼の顔を面と向かってみるのは、少々恥ずかしすぎる。だって、絶対に顔がだらしなく緩んでしまっている。

「………うむ。やはり、余は奏者には敵わぬ」
「え?」

赤くなった顔をマスターに見られないように肩に乗せ、ぼそりと言ったエクストラにマスターが聞き返すものの、何でもないと打ち切った。
アーチャーの方は何も言うことはなかったが、その顔から首までその褐色の肌でも解るくらいに赤くなっているのに気づいて、マスターは思わずくすりと笑った。
この2人のサーヴァントが、本当に可愛くて、愛しくて仕方がなかった。

「2人とも、だーいすき」

当然のように幸せそうな顔でそう言ったマスターに、2人のサーヴァントは、たまらずほぼ同時のその頭を軽くはたいてしまった。
そんな恥ずかしいことを今更さらっと言うなという無言の抗議に、マスターは痛いよ2人とも、と文句を口にしたものの、その顔はやはり、楽しそうに緩みきっていた。








ちょっと長くなってしまいそうなので、一旦ここで海に行っちゃうぜ編は切ります。
後半はがっつりシリアスかつ伏線回収に向かう予定。よし、聖杯戦争に向けてラントスパートかけるぜ!







2014.9.12 更新