小説 のコピー | ナノ

過去を見るはなし。





悲鳴が、聞こえる。
手術用の台に乗った子供が、悲痛な叫びを上げてもがいている。
手と足はベルトで固定されていて、小さな手足で必死に逃げ打とうとも、ベルトがぎしぎしと鈍い音を上げるだけで微動だにしない。
台の周りには白衣の男たちがおり、皆手にはメスなどの手術道具や分厚い古びた本を開いて持っている。
1人、男が近づき、子供の胸下から腹にかけてメスを入れる。麻酔すらかけられていないのだろう。子どもは痛みから涙を流し、苦しみ、叫びながらもがく。
それを周囲の男たちは顔色1つ変えることなく、また他の男が試験管の中の液体を、子供の肌の開かれた箇所に垂らす。
傍らの男が何ごろか古びた本の中身を唱えると、垂らした液体が緑に光りを発し、子供の身体に、ビキビキと血管が浮き出てくる。

―――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛………!!!

子供の身体が引きつり、苦痛から喉からしぼり出たような絶叫が、薄暗い部屋に響く。
しかしやはり男たちはそれを気に止めることはせず、むしろその子供の身体の反応に歓喜からのどよめきを上げ、手にした記録用の紙に何事かを書き込ませながら、口々に囁き合う。

“素晴らしい。ここまでしてまだ息絶えない。むしろ成果は上がる一方だ”
“ああ。全く、我々に都合の良い起源もあったものだな”
“おい、無駄口を叩くな、続けるぞ。この分ではノルマは容易に達成できそうだ”

高揚した声で言いあって、男たちは再び子供に呪術を施していく。
止めろ、とアーチャーは叫びたかった。
子供の周りにいつ男たちを、手当たり次第に殺しつくしたい衝動に駆られた。
実際彼は叫んだし、子供を囲む男達に掴みかかった。けれど、いくら試みようとも、彼の叫びは男たちの気を引くころもなければ、拳が男たちを阻むこともない。
当然だ。これはもうすでに過ぎた事。戻ることのない、記録の反芻でしかない。
それでも、アーチャーは叫ばずにはいられなかった。発したはずの声は、ほんのわずかでも空気を震わせることはなかったが、それでも。
止めろ、止めてくれ、頼むから。その人は、その人は俺の―――
結局、男たちは絶叫する子供に最後まで構う事なく、ただ彼らの探究心のままに子供の身体に呪術を施し、それが満足いったのかデータの検証をするために部屋を出て行った。
残された子供は、叫び疲れ、体のあらゆる箇所を作り変えられた体の四肢を力なく投げ出して、虚ろな目で虚空を見つめている。
やがて同じ所に頭を固定するのも疲れたのか、こてりと顔を横に倒す。
その表情と言うものが欠落した顔を見て、アーチャーは顔を歪める。
不意に、子供の口がわずかに開いた。

“たすけて……おとおさん…おとお、さん………”

ぽろりと、子供の瞳から一滴の涙が落ち、表情が微かに動き、何か酷く愛おしいものを呼ぶような顔で、また子供の口が開いた。
4回。音にならずとも、4つの違う形に動いた唇の動きを辿って、アーチャーは大きく目を見開いた。

“き り つ ぐ”

それは、初めて会った日に彼が口にした、自分の名前だと語った単語だった。




「マスター…………!」

声を上げ、彼に向かって手を伸ばしたところで、目に映ったのが簡素な見慣れた天井なのに気が付いた。
飛び起きて横を見ると、穏やかな顔で寝入っている己のマスターがいるのを確認して、ほっと、安堵から息を吐く。

「(夢か………いや、違うな)」

サーヴァントは夢を見ない。あるのは記憶の反芻のみ。マスターとサーヴァントの心のつながりが強くなると、まれに互いの過去を見ることがあるという。
おそらくは、あれは、かつてマスターが実際に体験したことなのだろう。あそこにいた哀れな子供と、今隣で眠る青年が、違う人間ではないことくらい、アーチャーにも解っていた。

「ん……あー…ちゃぁ………?」

アーチャーが下ろしていた髪をかき上げて深く息を吐いていると、もぞもぞと隣で身じろぎをし、枕に顔を押し付けるようにうつぶせになっていたマスターが薄く目を開けた。

「すまない……起こしてしまったか」

苦笑してアーチャーが言うと、マスターは小さく笑って首を横に振り、細い指の甲をアーチャーの額に当てた。

「どうしたの? アーチャー、何か怖い夢でも見た?」

不思議そうな顔をして問うマスターに、アーチャーは胸に苦いものを感じる。
自分よりもずっと、彼の方が、きっと辛かった。
助けなんて来てくれるはずもなくて、叫んでも泣いても周りの人間は自分を痛めつけるのを止めてくれない。そんな中で、抵抗などできる筈がなかった。
抵抗したとしても、事態は何も変わらない。むしろもっと辛くなる。だから、これが自分にとって当たり前の日常だと、受け入れるしかなかった。それしか、彼が生きるすべはなかったから。
そんな中、彼がまだ幸福だったであろう幼い日々を記憶の奥底に封じて、自らの名前すらもあやふやにしてしまったのは、むしろ必然だったのだろう。
なのに。何でもない風に笑い、こうして自分の心配をするマスターに、アーチャーは何を言うべきなのか解らず、また何も言うべきではないと感じて、曖昧に笑ってマスターの頭を撫でた。

「何でもない。平気だよ、マスター」
「そう………?」
「ああ」

頷いて、猫のように目を細めてアーチャーの手を受け入れているマスターに微笑んでから、布団を彼の肩にかけ直してやる。

「まだ夜明け前だ、目を覚ますのにはまだ早い。もう一眠りすると良い」
「うん。…………あれ、エクストラは……………?」

大人しく頷き、言われた通りに目を閉じかけたところで、マスターが小さく声を上げた。
見ると、マスターの隣、いつもぴったりとくっついて眠っているエクストラの姿が無かった。その訳が何となく察しがついて、アーチャーは安心させるようにまたマスターの頭を撫でる。

「なに、心配などいらないよ。家の中に気配がある、風にでも当たっているのだろう」
「でも………」
「彼女は私が探しておく。日が上ったらきちんと起こすから、君はまだ寝ていなさい」
「ん…………」

アーチャーがそう言って、目を手で覆ってやると、もともとまだ眠気が大分残っていたこともあってか、そしてアーチャーの手が温かかったこともあり、マスターはうとうとと目を閉じて、ほどなくしてまた穏やかな寝息が聞こえてきて、アーチャーは安心してふっと息をこぼした。

「さて……。では、あれを探しに行かねばな」

アーチャーはやれやれと首ふると、ベッドから抜け出し、ベランダにいるであろう自身の同僚を探しに行った。

アーチャーがベランダへ行くと、案の定エクストラはそこにおり、柵にもたれかかって月を見ていた。
アーチャーの気配を感じたのか、エクストラはちらりとだけ彼を見て、すぐにまた視線を夜空の方へと戻した。それにアーチャーは構わず、無言のままエクストラの隣に並ぶ。

「ここにいたのか」

小さく聞いたアーチャーに、エクストラは頷く。

「どうせ、君も見たのだろう」
「うむ。貴様のように無様に叫び声など上げなかったがな」
「っ………」

ふふん、と得意げに笑ったエクストラは、しかしややあって自嘲するように口元を歪めた。

「いや……本当は、ただ声も上げられなかっただけだ。余は、あの奏者を見るまで、あ奴が肉体を魔力路に作り変えられていたことをとんと忘れていたのだ。我らのマスター愛い。ひたすら純朴で、拒絶をするという事を知らぬ。しかしそれが、一度そのすべてを壊されたから故だという事を、忘れていた」

エクストラは、いつもなら起きてすぐ結い上げる金の髪を下ろしたまま風に遊ばせている。
その目がはるか遠くを見つめているようで、アーチャーはわざと大きく溜息をついた。それを、エクストラは横目でじろりと睨みつける。

「………なんだ」
「いや、君にも人並みに反省することがあるのかと思ってね。しかしその反省の内容は何とも下らない」
「なっ……何だと貴様! 余はな、こう見えても必死にっ………」

目くじらを立てて噛みつくエクストラのつむじにずぶ、と指を突き刺して、アーチャーは笑う。

「そんな事は、どうでもいい。昔はどうであれ、私たちのマスターは今、こうして穏やかに生きている。それ以外に何の意味がある。君のマスターに対する想いが変わるとでもいうのかね?」

いつも通りの、それは皮肉気な笑みだった。だが、それ故に、エクストラは安心した。それはつまり、この男のマスターに対する気持ちも、何一つ変わることがないという事なのだから。

「………余は、奏者が大好きだ」

1つ、小さくそう呟いて、エクストラはアーチャーの手をつかんで頭から離させ、晴れやかに笑った。

「この想いが、これから変わろうはずがない!」

そうきっぱりと言い切るエクストラに、アーチャーもふっと笑う。

「当然だ」

そう言ったアーチャーに頷き、エクストラはふと思い出したように手に持っていたビニール袋をあさり、中から1本のカンを取り出した。

「何だねそれは」
「チューハイというらしい。よくたいていのことは酒を飲めば何とかなると言うであろう? 余は全くそうは思えぬが、まあ気休めにはなるだろうと思ってな。ま、そなたのせいでその必要もなくなってしまったのだが」

言いながらぐいぐい突チューハイのカンを押し付けて来るエクストラにアーチャーが渋々ながらそれを受け取ると、エクストラはエクストラでさっさと自分の分を袋から取り出して、プルタブを開けて飲みだしていた。

「うむ! なかなか新鮮で面白いな、このチューハイというものは」
「………まったく、君はやはり君という事か」

ぱやぱやとカンを掲げて笑うエクストラを見て、アーチャーは肩をすくめて呆れると、自分もプルタブを開けて中身を飲み始める。

「今度、奏者にも飲ませてみよう。酔っぱらった姿を見てみたい」
「あれにはまだ早い。胃を壊したらどうするんだね」
「………そなたは本当に世話好きだな」

真面目に反論するアーチャーにエクストラはげんなりとして顔をしかめたが、それもそうかと思い直し、小さく肩をすくめて、アーチャーの方にカンを傾ける。
それに倣って、アーチャーも無言で彼女の方にカンを向ける。

「我らの愛しい奏者に」
「…………私達の小さなマスターに」

乾杯。かん、と小さくアルミとぶつけ合って、2人はまた静かに酒を飲んでいく。
甘いジュースのようなそれを飲みながら、アーチャーは静かに考える。
今まで見たことのなかったマスターの過去が覗き見れたという事は、マスターも、自分たちの過去を見てしまっている可能性がある。
マスターはあの迷子になった一件以来、明らかに急激に成長している。勉強も新たに加えた化学も積極的に取り組んでいるし、エクストラの話によると、世界史のことに対して特に意欲的になっているという。
マスターは、今まで以上に真剣に、自分たちのことを理解しようとしている。そして、そのための知識と材料が、彼は揃えかけている。

「…………エクストラ」
「何だ?」

不思議そうに自分の方を見るエクストラに、アーチャーは少しの心細さを感じながら、彼女に告げる。

「もう、逃げられるのも、ここまでかも知れないな」
「…………………」

その言葉に、エクストラは飲み干してもまだかしかしと噛んでいたカンの口から顔を離して、その言葉をゆっくりと咀嚼するように沈黙を保ってから、やがて、その意味を噛み締めるように小さく唇を噛んだ。

「………解っている。そんな事、初めから解っていた」
「はあ………唇を噛むな。マスターが気にするぞ」
「…………うむ。そうよな」

痛みを堪えるように目を細めて短く肯定したエクストラに、そのことには触れず歯を立てる唇を注意すると、ふっと悲しげに微笑して頷く。
もう、逃げることは出来ないかもしれない。いや、かもではなく、事実出来ないだろう。マスターはじき知ってしまう。少なくともエクストラは、それから逃げきれない。
知識を蓄え歴史を学んだマスターは、彼女の過去を知って、どうするだろう。そのことを思うとエクストラは怖くて仕方がない。そして、アーチャーも同様だ。だって、知られてたくないような事をたくさんやってきたのは、アーチャーもエクストラも一緒なのだ。
季節は巡り、マスターと出会った春の終わりから、夏が来て、もうじき秋が訪れる。――――時間は、待ってはくれない。
空が赤らんで、夜と朝の境界線がおぼろげになっていく空を見上げながら、2人は只静かにそれを見つめていた。
……………もうじき、夜が明ける。








2014.9.8 更新