小説 のコピー | ナノ

過保護なはなし。





がさがさと大きなエコ袋を揺らしながら、マスターとアーチャーは、2人で新都から深山町へ続く冬樹大橋を渡っていた。

「いっぱい買ったねぇ」
「そうだな。これで1週間分の食費分だ」

隣のアーチャーを見上げながらほくほく顔で笑うマスターに、アーチャーもゆるく微笑んで返す。
今日は、深山町の商店街全体で大きなセールが開催されていた。いつもどんなに値切ってもびた一文負けない八百屋も魚屋も、マスターの学習教材を買うためによく寄っている本屋も全て等しく30〜60%オフという大特価を、今は最早生粋の主夫と化しているアーチャーが見逃すはずもなく。
中にはお1人様2つ限りのトイレットペーパーなどもあるので、こうしてアーチャーと共に人手としてマスターも駆り出されて、今に至る。

因みに、エクストラは夏の暑さにやられたため家に引きこもっている。
全くあいつよりうんと体の弱いマスターがしゃんとしているのに情けないとむっつり顔を顰めたアーチャーだったが、マスターとしてはアーチャーのさっぱりとした夏野菜料理のお陰で着々と体調を改善していっているので、むしろ少しでも体を鍛えるいい機会だと力ずくででもエクストラを引っ張っていくつもりだったアーチャーに、2人だけで行こうと提案したのだった。
そう言うと今度はエクストラはエクストラで不満に思ってまた一悶着あったのだが、結局彼女がには干した洗濯物を取り込んでたたむ任務を与えて、マスターとアーチャーだけで出かけたのだった。

「福引もやってたねぇ」
「ああ。…………しかし、5回中私が4回も振って全て残念賞のポケットティッシュだったのは……本当になんなんだろうな…」
「僕だって3等のお米20kg券だったよ?」
「いや、3等は十分にすごいだろう」

特に私としては1番ナイスな引きだったな、と真顔で頷くアーチャーに、ありがとうとマスターはふにゃりと笑う。
アーチャーは基本的にマスターに甘いが、だからといってめちゃくちゃに甘やかすという事もしないので、彼に褒められることが、マスターは純粋に嬉しい。それも、マスターが勉強を頑張るよう要因になっている。もちろん、エクストラの過剰なスキンシップと共にされる「褒める」コマンドも、マスターは好きだった。

「しばらくはお米に不自由しないもんね。せっかくだから僕、イカ焼きっていうのも食べてみたいな。アーチャー作れる?」
「無論だマスター。私に作れない庶民料理などないさ」
「へえーっ」

流石はアーチャー、と目を輝かせるマスターにつられるようにしてアーチャーは破顔して、自身の主人の手に握られふわふわと揺れる青い球体に目を向けた。

「それにしても、風船とは……また随分子供らしいものをもらったな」
「えへへ。でも、なんだか可愛いでしょう?」

マスターの手に握られてふわふわと揺れるヘリウムガス入りのゴム風船を見て言うアーチャーに、マスターはぽんぽんと手を引っ張って跳ねる風船を見ながら、嬉しそうににっこりする。
当然、彼はその手に盛った風船を可愛いと言ったのだが、解っていてもいやどちらかというとそれを持ってふにゃふにゃ笑っている君の方が世間一般的に可愛いだろう、とアーチャーは親馬鹿ならぬマスター馬鹿全開で心の中で惚気る。
ペットだろうと子供だろうとマスターだろうと、何と比べても「うちの子が一番かわいい」のである。

「面白いよね。空気を入れると、ものって浮かぶんだ」
「いや、何でもかんでも浮かぶわけではないぞ? 例えば君が空気を抜いた風船に息を吹き込んでも浮かぶわけではない。その中に入っているのは、この大気に満ちている空気よりも軽いヘリウムガスだ。その空気よりも軽いガスを詰めているからこそ、この風船は宙に浮く」
「ふうん?」
「…………今度、科学の授業も勉強内容に追加するか」
「かがく?」

よく解っていなさそうな顔で梟のように首を傾げるマスターに、苦笑してアーチャーは言う。
生きていくのには必要ないと思って今までの勉強内容には含めていなかったが、一般常識として要求される範囲は念頭に置いていなかった。そうでなくても、自分がただうっかり教えるのを忘れていただけで、マスターが彼の事を何も知らない人間に無知認定されるなど耐えられない。
マスターは物覚えが良い。一度教えた事はしっかり飲み込んで吸収するし、仮に解らなくてもその時の内にはっきり口にする素直さもある。勉学を教える立場の者なら、きっと可愛がらずにはいられない。普通に生活できていたのなら、間違いなく秀才や優等生の名を欲しいままにしていただろう。

「…………いや、そもそも、マスターの年齢は外見と仕草からの推測でしかなかったか」

普段のしぐさや表情があどけなく子供のようであるからつい学生程度の年齢のように見えてしまうが、童顔の日本人の外見年齢などあてにならない。自分より年下だと思うと、5歳も6歳も高かったりすることも良くあることだ。
それに、マスターの背丈はそれなりに高い。
高校生程度の年代と仮定すると、なかなか高い部類に入る。………自分がそのくらいの年代の時より、10cm近く高い。

「…………………っ」
「アーチャー? どうしたの、お腹痛い?」
「いいや………」

迂闊に昔のコンプレックスまで思い出してしまって軽くへこんだアーチャーの顔を不思議そうに覗き込むマスターに、項垂れて顔を俯けたままひらひらと手を振ってあしらった。
それにまたきょとんとして、マスターが手からずり落ちそうになった大量のトイレットペーパーを抱え直そうと、一旦手から力を抜いた時。
ゴウッ、と、いきなり力強く突風が吹いた。

「む………っ」
「ひゃぁっ…………あ、風船!」

とっさに巻き上がった砂埃から顔を庇いつつさっとマスターの身の安全を確認するために目を走らせると、飛ばされて冬樹大橋の外、視界いっぱいに広がる海へと風に流された風船を掴もうと身を乗り出して手を伸ばす、マスターの姿があった。

「マス…………!」

手すりに手を掛け跳んだところを強い風が後押ししたのだろうその体は、もう腰のあたりまで柵を越えていて。
手放してしまった風船の紐に手が届く寸前で空を切り、体がゆっくりと落ちていく。
その光景を見て、アーチャーの目の前が一瞬暗くなる。
このままでは、マスターが死んでしまう。
死ぬのか。私のマスターが、こんな事で。私の主が、今、こんな、私の目の前で、死ぬ…………?
その瞬間、アーチャーの腹の底がぞっとする程に底冷えた。

「マスター!!!!」
「わっ」

手に持ったものなどかなぐり捨てて、宙に跳んだマスターの腰を加減なしに掴む。ひょうしに手に持っていたエコ袋が地面に落ちて、中の品物がぶち負けられた。何割かの中身が転がって柵の隙間から海に落ちた。
知るか。そんなもの、知った事か。そんなもの、マスターの命に比べたら塵芥よりも価値が劣る。
乱暴に掴んだ腰を起点に、さらにマスターへ手を伸ばす。彼の空に伸ばされた腕を力ずく手掴んで、なりふり構わず地面に引き摺り下ろした。
急にガクンと降ろされた体にマスターは少し驚いた声を出して、無理な体勢から無理矢理マスターを掴んだためにレンガ造りの地面に尻餅をつくことになったアーチャーの上にとすんと乗っかり、いきなりの事にぽかんとして目を瞬かせた。

「アーチャー、いきなりなに」
「いい加減にしろよこの馬鹿が!!!」

自分があと一歩のところでどうなるところだったか、事態を上手く把握できていないマスターが呑気に自身のサーヴァントを振り返ろうとすると、それより早くアーチャーがマスターの胸ぐらを掴み上げて柵にその体を押し付けた。
今までの何よりもびりびりと体中に響くアーチャーの怒気に、マスターは驚いて声も上げられずに目を見張る。

「どれだけ俺を心配させれば気が済む、どうしてそう考えなしなんだお前は!!」
「………ぁ、ぁーちゃ」
「何であんなものに手を伸ばした! あんな数百円ぽっちの価値しかないものが、お前の、オレの主の命と等価だとでも思っているのか! ふざけるな、ふざけるなよ!!」
「あーちゃあ……」
「オレはお前のその結果を考えない行動が大嫌いだ!! いいか、次にオレの目の前でそんな事をしてみろよ、二度と勝手が出来ないように、聖杯戦争が終わるまで簀巻きにして寝室に放り込んでやる!!」
「ひ…………っ」

ひう、と掠れるような嗚咽を漏らしたマスターに、アーチャーは漸くはっとして真っ赤になった目の前から、元の景色に目を移した。

「…………マ、マス……」
「アーチャーが……アーチャーが、怒った。嫌いって言った……」
「え」
「ぼくのアーチャーが、おまえなんかきらいって、いった…………っ」
「………マス、ター?」
「あーちゃーあに、きらわれたぁ…………っ」
「ま、マスター?」

あらためて、視界を冷静に保って見れば、そこにはアーチャーに胸倉を掴まれて強く柵に押し付けられた、怯えた目で大粒の涙を浮かべた、マスターがいて。
あ、ヤバ。
と思った時には、既にマスターの涙腺は決壊していた。

「ふうぅううぅぅううううううーっ」

ぼろぼろと目尻からとめどなく涙を流しながら、マスターは握った拳を目に当てて赤子のように泣いていた。
泣き慣れていないからだろう、笑い顔だけでなく泣き方まで拙い。
ひっくひっくと苦しそうにしゃくり上げながら、マスターはふうふうとひきつれたような声で泣き喚く。
そのうちぶええだかびええだかに泣き声は変わっていって、うぐひぐと鼻をすすって、またすぐに喉の奥から声を出して泣く。

「………マ、マスター。私が悪かった、もう泣くな。泣き止んでくれ。そんな声の出し方は、のどに悪い」

その声がだみ声になっているのに気付いて、ぶえええと子供みたいに泣くマスターの涙をぬぐう。
けれどマスターはそれを嫌がるように顔を背けて、ひっきりなしにしゃくり上げながらわんわんと泣き続けた。

「あーちゃあが、おこ、おこって、だ、だい、きらっ、て……っ」
「マスター、聞いてくれ」
「やだぁっ。あーちゃー、ひっく、き、きらいって……言ったんだもんっ」
「マスター」
「やだって、ば、うっ…げほ、ひう、う、げほっ、ふえ、うぐ、ひっ」
「マスター、聞け、私は君が嫌いじゃない!!」

苦しそうに咳をしながら錯乱したように耳に手を当てて必死に首を振るマスターに、ごうを煮やして、アーチャーは力ずくでマスターの手を耳から離して、先程の怒号と同じくらい大声でマスターに告げた。
途端、ぴたりとマスターの動きが止まり、目から下を涙でびっしょり濡らして、マスターは呆然としたように目を開いてアーチャーを見つめた。
それをチャンスとばかりに、アーチャーは先程カッと頭に血を登らせたことを悔やみながら、じっとマスターの目を見て訴えた。

「……私は、マスター。君が好きで、とても大切なんだ。君は私のたった1人の主人だ。君に傷一つついてほしくない。辛い思いなんてしてほしくないし、今までの分、ずっと幸せに笑っていてほしい。私は君を守りたい。例えそれが、自分を按じない君自身からでも」
「……………え?」

ぱちりと、マスターの瞼が瞬く。
この短時間でも、よっぽど泣いたからだろう、目が腫れてしまっている。
その痛々しい目をそっと細心の注意を払って指で触れて、アーチャーはマスターの目をそらさず続ける。

「君は今、突風にあおられて離してしまった風船を追って、柵を飛び越えようとした。その下が、君が泳いだこともない広く深い海だという事も考えずに」
「うみ………」
「君は記憶がないのだろう。なら、私達に会ってから行った事もない海の泳ぎ方など知らないだろう。だというのに、君は何の考えもなく跳んだ。私があそこで止めていなければ、君は今頃海の中だ。大量に水を飲んでしまえば助かる見込みは薄い。それはな、私の目の前で、君が自分の命をないがしろにした事に他ならない」

マスターの腕をつかんがまま、言い聞かせるように、気をつけなければまた強い声で押し付けるように言ってしまうのを押さえるように、声を震えさせて言う。

「私は、君を傷つける者は、例え君自身であれ赦さない。もっと自分を大事にしてくれ。私もエクストラも、君に何かあったら、自分の身を裂かれるよりも痛いんだ。…………心が、痛くなるんだ」
「…………ここ、ろ」
「そうだよ。私達は、君が傷ついたら、それだけで心が、胸が痛くなる。君が悲しい顔をしていても、辛い顔をしていても、それは同じだ。前に君は、エクストラが嬉しそうにしていると自分も嬉しいと言ったな。それはな、相手がつらい気持ちの時も同じなんだ。解ってくれ。頼むからもう、自分の体を粗末にするような事はしないでくれ。君に悪気がないのは解っている。だけどこれだけは、私は赦すわけにはいかない。約束してくれ。もう、こんな事はしないと」
「………………。じゃあ」
「ん?」

すい、と差し出された小指にアーチャーが首を傾げると、赤く腫れた泣きはらした目を細めて、マスターは拙く微笑んだ。

「アーチャーも自分の体だいじにしてくれるって約束してくれたら、僕も二度と、僕をないがしろになんてしないよ」
「そ…………」

それは、ずるいだろう。
とっさに口をついて出そうになった言葉も、言い訳は聞かんとばかりに隋と顔の前に出された小指に圧されて、口を噤む。
マスターは、そのやわそうな見かけと違って酷く頑固だ。こうと決めたら、絶対曲げない。それは、この数カ月で実感した、マスターの心の一欠片。
敵わないな、と苦笑して、アーチャーはしぶしぶ差し出された小指に指を絡めた。

「了解だ」
「うん。ゆびきり」
「嘘をついたら針千本でも棘千本でも呑み込もう」
「だめだよ、嘘つくのも破るのも絶対禁止っ。アーチャーは、これから僕に体を大事にしろって言いたかったら、先ず自分を大事にしてからじゃないと、僕だって僕を大事にしないよ。破って針千本も棘千本も呑んじゃうよ」
「……………それは、困るな」
「でしょう?」

ふにゃふにゃと、このズルいマスターは屈託なく笑う。
先ほどもアーチャー自身が言ったように、彼の行動に悪意など微塵もない。ただ子供のように、後先考えずに行動するだけだ。
だからこそ、今このアーチャーを戒める約束も、マスターには打算も計算も一切ない。
あるのはただ、自分と同じ、大切な人を想う心だけ。
だからズルいのだ、この無垢な子供は。

「承知した、マスター」
「僕も。しょうちしたよ、アーチャー」

お互いに、今度こそしっかりと指を絡めて。マスターとアーチャーは、令呪よりも深い約束をした。
そして、その時彼らはつい忘れていたのだ。今マスターの目は、泣き腫らしてはれぼったく膨れているのだと。
そしてそれを忘れたまま帰宅した結果、アーチャーは奏者に何をしたと烈火の如く怒ったエクストラに、首を締め上げられることになるのだった。









キリ番リクエストして下さったアスマさまに捧げます!
遅くなってしまい申し訳ありません。私は普段思うがままに話を進めていると何故だかいっつもアーチャーとマスターの場面ばかりになってしまうので、意識的にそこにエクストラを絡めているんですけども、確かに意識しすぎてエクストラとばかりマスターを絡めている気がします。以後また気をつけねば。
そしてアーチャーに意識を置いた結果………エクストラ消えました。すみません。
内容も若干シリアスよりなんですが、相手が大切だからこそ本気で怒る人って魅力的だと思うんですよ。
エクストラの場合、マスターにでろでろに甘いのとちょっと仔犬気質なところがあるので、マスターに向かって本気で怒鳴ったりとかはしないと思います。良くて笑顔で圧力をかけるとかそんなん。
しかしマスターとエクストラ両方の保護者であると自他ともに認めているアーチャーは加減とかしません。普段は冷静沈着でも、カッと腹に火が付いたらマスターだろうとエクストラだろうと本気で怒って怒鳴ります。2人が大事だから故に。愛の鞭ってやつです。
そうやって大事だからこそ感情を抑えきれず爆発させてしまうほど思ってくれる人がいるって、けっこう素敵ですよね。怒られた方は怖くてしゃーないと思いますけど。
因みにエクストラはアーチャーには加減は一切しません。怒ったら過剰だろうと問答無用で締め上げます。まだまだひ弱なマスターと違って、アーチャーはちょっとやそっとじゃ死なないと解っているので。これも一種の信頼関係ですね(笑)
長々と続けてしまいましたが、気に入っていただければ幸いです。それでは、これからもうちの子たちをどうぞ良しなに。







2014.8.7 更新