小説 のコピー | ナノ

自己を語るはなし。





「どうぞ」
「え、えと………ありがとう、綺礼くん」

客間に通され、マスターが机を挟んで向かい合ったふかふかのソファーの片方に座るのを促されて座ると、綺礼が目の前に置いた紅茶の入ったカップに、つい数分前とは打って変わった厳粛な空気に気圧されて、マスターは少し緊張気味にお礼を言った。
それに無言で返し、時臣の前にもそれを置き、そのまま時臣の座るソファーの後ろに控えたところで、時臣は先の台詞の言葉通りに切り出した。

「すまないが、カラス。単刀直入に訊こう」

そう言われたマスターはというと、何を訊かれるのかという不安もあったが、それ以上につい数分前までとはガラリと変わった時臣の雰囲気に、殆ど萎縮されてしまっていた。
肩を竦ませておろおろと時臣を見上げるマスターに、しかし時臣は一切の遠慮なく、彼にとっての唯一にして最大の疑問を投げかけた。
見かけこそ、何処にでもいるような凡夫。その見かけに反して、信じられない魔力を内包している男。
この男は、一体

「君は、一体何なのかな」

そう。お前は一体、何なのかと。
その問いに、マスターは一瞬息をのんだ。
そしてその言葉の意味を咀嚼するようにゆっくりと呼吸を繰り返して。
少しだけ、困ったような、どう言えばいいのかな、というように少しだけ小首を傾げて。

「……………僕は、歯車です」

そんな、一風変わった答えを返した。
それに、時臣も綺礼も、そろって怪訝そうに眉を顰めて首をひねる。

「…………歯車? 何が言いたいのか解らないな。悪いが、言葉遊びで誤魔化そうとしているのなら」
「違います。僕は、ほんのちょっと前まで、人間じゃなかった。………本当に。代えの利く、ただの道具だった、ってだけで」

やはり始末をとすぐさま飛び出さんとする綺礼を手で制しつつ呆れた口調の時臣の言葉を遮って、男は、マスターは、酷く重そうに、喘ぐようにそう言った。
そして、自分で言った言葉の重みに圧されるように、着ている服の胸の辺りの布を握り締める。
その言葉を言うだけで相当の体力を要したのか、額には脂汗が浮かび、ぜえはあと呼吸が落ち着かない。それでも、無言で続きを待つ時臣と綺礼に、マスターは大きく深呼吸をして、言葉を続けた。

「ほんの少し前まで、僕は、誰かの目的のために使われて、すり減って消費される、ただの歯車だった。歯車は、自分の力だけで歩く事は出来ない。何かを思う事も、考える事も。歯車だった僕は、ただ僕を使う人達の為だけにいて、壊れてもいくらでも代用品がいるような、多分そんな、どうだって良いモノだった」

ふうふうと、小刻みに呼吸を繰り返しながら、マスターは一見淡々と自分について語る。
それでもその数節の言葉を言うだけで余程体力を使ったのか、マスターは目の横に垂れてきた汗を、そっと自分の指で拭った。

「それが悲しい事だとか、可哀そうな事だとかは解らない。そもそも、僕はその言葉がどういう意味のものかなんて知らなかった。僕はそうあるのが当たり前だったから。これから先も、ずっとそうだろうって。それ以外なんて、思いもつかなかった」

何か、自分の中の深いところをえぐるように語っていたマスターの顔色が、そこでふと元に戻る。
怖い夢を見た後に、楽しい夢を見たような。そんな子供のような顔をして、嬉しそうに、誇らしそうに頬を緩めた。

「だけど………だけどね。ただの歯車だった僕に、手を差し伸べてくれる人がいたんだ」

ほにゃ、と母を見つけた子供のような無防備な顔で、マスターは笑う。
くるくると自身の指を弄びながら、マスターは今度は壊れやすい宝物を土から掘り起こすかのように、ゆったりとした口調で続けた。

「その人達は、当たり前のように僕を選んでくれて、あの場所から出してくれた。僕を歯車じゃなくて、人間にしてくれた。何でも自由に動けて、考えられて、笑って良いんだって教えてくれた。僕に、好きって気持ちを教えてくれたんだ」

そうして、大切に大切に温かな優しい記憶を掘り起こして、マスターは今の自分を見据えるように、今まで逸らしていた対峙する時臣の目を、覚悟を決めてしっかりと見つめた。

「それ以前の記憶は、僕にはない。だから、何者かって訊かれたら、人間ですとしか答えられない。ごめんなさい。時臣さんが、こんな得体の知れない奴が葵さんと凛ちゃんの傍にいて、不安に思わないわけないって、解ってる。だけど、どうか放っておいてください。僕の事、これ以上、訊かないで下さい。訊かれたって解らない事は答える事が出来ないし、それに何より、僕は今、その友達と一緒にいられて、すごくすごく楽しい。だから、どうかその邪魔をしないでほしい。僕を、人間のままでいさせて。……………もう、歯車には戻りたくない。それに、今の僕はきっと、歯車である事に耐えられない。だからお願いです。もう、何も訊かないで。僕を、今の僕のままでいさせてください」

それは、懇願するようにも、喧嘩を売りつけるようにも聞こえた。
言い終わると同時に、膝に手をついて深く頭を下げたマスターに、時臣も綺礼も無言のままだ。
そのまま数時間にも感じられた数秒の沈黙が流れ、時臣が無造作に自分の紅茶に口をつけた事で、それは破られた。

「………全く、何を言い出すかと思えば」

その先程までのマスターの台詞を丸ごと聞いていないかのような行動にマスターが顔を上げかけると、それを先読みするかのように時臣が口を開き、マスターはそれにびくっと肩を揺らして反射的に上げかけた頭をまた下げた。
だらだらと緊張から汗を大量に流しながら続きを待つマスターに、時臣は遠慮なく溜息を投げつける。

「私は君が何者なのかを訊いただけで、君の出生にも薄暗い過去にも微塵も興味はない」
「えっ。あ、はい、えっと」
「それに肝心の質問にも抽象的な答えで全く的を射ていない。つまり何が言いたいのか簡潔に言うべきだろう。私は興味もない事にあまり時間を費やすつもりはないのだよ」
「ぁう……その、ごめんなさい」

嘘だ。彼の言った言葉に、少しも興味を引かれないと言えば、嘘になる。
頭を下げながらも、おろおろとテンパって百面相をしながら視線を泳がせているであろう青年を見下ろして、時臣は考える。
彼の発言から察するに、彼が人体実験を受けていたのであろうことは容易に想像がつく。首に巻いてある包帯も、恐らくその手術跡を隠す為のものだろう。
そこから彼の異常な体質の説明の推測はつくが、すると今度はそんな彼を何も言わず何も知らせず共に生活をしているその“友達”とやらに疑問が湧いてくる。
匿っているのかただ単に世話をしているだけなのかは解りかねるが、この男といて平素を保っているのであれば、今度はそちらが異状だ。
いずれにせよ、このままで返すには、あまりにも時臣には情報が無さ過ぎた。
本来ならこのまま返すなどありえず、何かしらの方法でもっと深い所まで自白させ、その“友達”ともども手を下すのが、この先の戦争に向けては当然の事。
………そう、それが当然で、遠坂時臣のやるべき事だった。しかし。

「………だからといって、君のような人畜無害が服を着ているような男に言っても、無意味だろうね」
「へ?」
「だから、これ以上何を訊いても仕方がないと言っているんだよ」
「……………えっ?」

飲み干したカップをソーサーに置き、優雅に背凭れに身を預けた時臣に、マスターはぱかんと目と口を開けっ広げて、ついとばかりに反射的に顔を上げた。
その顔があまりに間抜けで無防備で、時臣は耐えきれずぷっと噴き出す。
そのままくつくつと笑い出した時臣に、マスターはどうしたら良いのか解らずおろおろと両手をさまよわせた。

それもそうだろう。
彼とて、それで時臣たちが納得してくれるなどとは流石に思っていなかった。
なにしろ自分ですら自分の事がよく解っていないのだ。それであんなふわふわとした内容で、先程まで絶壁のようにマスターの前に対峙していた2人が納得してくれるとは思えず、いわばダメで元々の賭けのようなものだったのに。
それなのに、ついさっきまでマスターにかけていた有無を言わさない圧をあっさりと解き、興味が失せたように振る舞う時臣に、戸惑うなという方が無理がある。

「……………師よ」
「綺礼、良いんだよ。もうすっかり興味が失せた」

渋るように弟子が師に声をかけてもなんのその。
時臣はまた綺礼を手で制して、後ろにかけていた重心を起こして、膝の上に腕を乗せて手を組み、じっとマスターを見据える。
澄んだサファイアのような目に見つめられて、おっかなびっくりながらも一生懸命その目を見つめ返すマスターにまた笑って、時臣をそこで初めて、自然な柔らかい表情をした。

時臣にとって、男の反応も言葉も何処までも真っ直ぐで、だからこそ、彼自身自分の説明に不十分さを感じている事も、この状況に怯えている事も解っていた。
有り体に言ってしまえば、時臣は彼のそのあまりにも何も考えていない、その純朴さに毒気を抜かれたのだ。
それはもう、自分がこうしてうだうだ画策しているのが馬鹿らしくなるくらいに。

「安心しなさい。わたしは何も、君から何かを奪おうとしている訳じゃない。ただ単に、私の物を奪われないようにしているだけだ」

この男が自分を何かに嵌めようとしているなどと、もうどうしても思えなくなってしまったのだから仕方ない。
もしそうなったとしても、それは彼自身が行った事ではなく、きっと結果的にそうなっただけで、彼がいなくてもいずれなっていた事なのだろうと。
時臣は男の言葉に胸を打たれたわけでも、まして言い知れぬ何かおそれのようなものを感じ取ったのでも何でもなく、ただ。
ただ、彼は何も考えずに、思った事だけを口にしているのだろうと、思っただけの事だった。
ならばもう、無暗に警戒する事すら阿呆らしい。

「さて、時にカラス。君は魔術というものを習った事があるかい」
「え? いや、ないです……」
「そうか。それはあまり良くないな。君は自分がどういうものを内に抱えているのか、せめてそれだけでも知っておくべきだ」
「?」
「時臣師っ」
「綺礼」
「……………はい」

不思議そうに小首を傾げるマスターに、いよいよもって真剣に師に訴えかける綺礼を、時臣はまたしても制した。
これでもし何かあっても、これは自分だけの責任で、きちんと責は負うからと。

「今日のうちに、せめて魔術の基礎の基礎だけでも知っておきなさい」
「………え、教えてくれるのっ?」

時臣の言葉に、マスターがここに来て初めて興奮気味に腰を半分浮かせて身を乗り出した。

「ああ。但し、それは少しでも気を抜けば死ぬ事になる。その事についても、きちんと理解しないといけないがね」
「うん……あじゃなくて、はい! 僕、少しでも魔術の事は知っておきたいんだ。お願いしますっ」

肯定する時臣に、マスターも勢いをつけて拳を握って大きく頷く。
そうして綺礼そっちのけで何やら変な方向に向かい始めた事態に、妙に楽しそうな2人を見下ろして、この場の唯一の第三者である綺礼は、その光景に声に出さずに溜息をついた。






「おやすみなさい、凛ちゃん」
「はい。おやすみなさい、烏のお兄さんっ」

数時間後。時臣に魔術の基礎を享受されたマスターは、それにより火照った体をもう一度風呂に入って洗い流し、貸しだされたパジャマに身を包んで凛と夜寝る前の挨拶を交わしていた。
ちなみに今度はゴムの入ったズボンだったので、ずり落ちてくることは辛うじてなかった。
時臣と話した結果、取り敢えず今日の所は、遠坂邸に泊まり、明日の朝になってからまた改めてマスターの住んでいるアパートを探しに行く事になったので、マスターはこの屋敷の客室を借りる事になっていた。

「それではカラス、何かあったら綺礼を頼ると良い。彼の部屋は君と扉を二つ隔てたところにある」
「ありがとう、時臣さん」

時臣とも和やかに挨拶を交わして、マスターは与えられた客室に引っ込み、そのままベッドに直行する事にした。

「―――――ふぅ」

ベッドに潜り込み、ふかふかの羽毛布団を体に掛けると、今まで無意識化に溜まっていた緊張とそこからくるストレスが一気に身に押し寄せ、マスターはずしんと体が重くなったかのように感じる。
そのうちの疲れはその気疲れ、もう半分は先程まで行っていた魔術の影響だと分析して、マスターは改めて生きている心地を実感していた。
初めての魔術の訓練は、時臣は筋が良いと言ってくれたが、正直マスターはその間ずっと生きた心地がしなかった。
魔術というのが、あんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
一歩どころか、半歩何かしらを間違えれば即死だ。凛程の小さな子さえあれを毎日やっているというのだから、魔術師という生き物は凄まじい。
もぞもぞと寝やすい位置を探しながら、マスターは布団の温かさにほっこりしつつ、そのつい先ほど習ったばかりの魔術を、1つ使ってみる事にした。
それは自分の魔力を辿るというごく初歩なものだったが、恐らくこれを応用すれば、今自身の魔力を供給している、つまり自分の魔力とつながっているアーチャー達と、コンタクトが取れるはずだ。

すぅ、と軽く息を吸い込んで、自分の神経に集中する。
自分の身体から、見えない2本の糸が出ているイメージ。それをそうっと辿って辿って。
着いた、と思うと同時に、マスターは逸る気持ちを押さえて、ごくごく小さな声で、しかし少しだけ早口で繋いだ相手に語りかけた。

【…………アーチャー、エクストラ、聞こえる?】
【【マスター/奏者か!?】】

掛けると同時に、今日ほぼ半日聞いていなかった2人のサーヴァントの声に、マスターは思わず安堵の息を漏らした。
迷子になって1日も経っていないのに、この声が酷く懐かしい。
会いたかった、と思わず漏らしたマスターに、またも同時にまだ会ってないだろうとつっこんだ2人に、小さく笑う。
それから少しの間情報を交換して、マスターがちゃんと濡れた体を何とかして、親切な人に寝床を与えてもらったと言うとあからさまにほっとしたような声が聞こえたが、そこが遠坂邸だと言うと当然の如く猛烈な勢いで怒られた。

【…………と、とにかく、2人に心配かけて、本当に申し訳なく思ってるよ。お説教はちゃんと後で聞くから、明日9時ごろに冬樹大橋で良いよね?】
【ああ。まだまだ言い足りないが、ここで言っても仕方ない。明日、君の目の前でみっちりと説教だ。もう迷子になんてさせなくしてやる】
【全くだ。今回ばかりは余もアーチャーも本気で怒っているからな!】
【はは……っ。うん、わかった、楽しみにしてるね】

マスターがもぞもぞ枕に頬を押し付けながらそう言うと、楽しみにするなとまたも同時に突っ込まれたが、それでも今日1日2人と離ればなれでずっと心の奥底では不安だったマスターにとっては、それすらも得難い大事なものに違いはなかった。

【それじゃあ、また明日ね。おやすみなさい、アーチャー、エクストラ】
【………ああ、おやすみ、マスター】
【うむ。奏者よ、良い夢を】
【うん、ありがとう2人とも】

そう、微睡みながらほわほわと挨拶を交わして、念話を切る。
そうしてマスターが本格的に眠りに落ちようとしていると、それを遮るように、彼の寝ていた客室の扉が開く音がした。
それに少しばかり驚いて、マスターが体を起こして側のランプに明かりをつけると、入り口に立っていた人物に、目を丸くして声を思わず声を上げた。

「…………え、綺礼…くん?」

そう。扉の前でまるで幽鬼のように立っている綺礼に、マスターはそう、掠れた声で声を掛けた。






今までにない、ちゃんとした続編っぽい終わりになりました。
作中でマスターが自分の事を言っていた口調。あれが多分彼本来の話し方です。別にアーチャー達の前で猫をかぶっているんではなく、ただ単に彼らと入る時は楽しくてテンションが上がっているから常時あのほんわり口調というだけで。だから強制的に冷静にならざるを得ない状況に持って行けばあんな感じで喋ります。それと念話もようやく使えるようになってほっとしてます。話進めやすい。
次はいよいよ恐持て能面綺礼くんと一対一でなんかやります。多分死の危険にはさらされない。はず。






2014.3.13 更新