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図書館のはなし。





………何か、いい匂いがする。
香ばしいような、それでいて甘いような。えも言われぬ不思議な匂いだが、同時に無性に空腹を促している。

「ん…みゅ……」

隣で小さなうめき声が聞こえて来て、マスターが声のした方を振り向くと、襟ぐりの広い白いネグリジェを着たエクストラがむずがるように片手で目を擦っていた。
その姿を見て、マスターはそういえば彼女はバスローブを着て寝ていた筈だが、と首を傾げる。
そして自分の姿を見下ろすと、黒い滑らかな生地のパジャマを纏い、令呪が刻まれている首は包帯によって隠されている。
はて、自分はこのようなもの、昨日までは着ていなかった筈なのだが。
寝ぼけた頭で不思議がっていると、ふと、ぱたぱたと誰かの足音が聞こえてきた。
反射的にまだ半分寝ているエクストラの手を握るマスターだったが、部屋の扉から姿を現したのは、ピンク色のエプロンを着たアーチャーだった。

「…………え?」
「ああ、起きたのか、マスター。丁度良い、そろそろ米も炊けるだろう。エクストラを起こして、2人で顔を洗ってきたまえ」
「あ、あーちゃー、ここどこ」
「? 君は何を言って……ああ」

微かに焦ったように尋ねるマスターに不思議そうな顔をして、やがてアーチャーは合点がいったというように、優しげに眼を細めた。

「寝惚けているんだな、マスター。ここは私達の家だよ。昨日ここに越して来たんだ」
「ぼ、く……たち、の?」
「そうだ。君と、私と、エクストラの、3人の家、だ」

たどたどしく複唱するマスターに、アーチャーは安心させるように1語1語区切って、それを肯定する。
それでもまだぼんやりとしている彼に苦笑して、アーチャーは「少ししたらまた来る。それまでにエクストラと顔を洗っているように」と言い残し、またぱたぱたと音を鳴らして引っ込んで行った。
よくよく思えば、彼が履いていた白い犬を模したスリッパも、今までは履いていなかったものだ。
マスターは、もう一度部屋をぐるりと見回し、エクストラの顔を見て、ようやく、ここがどこなのかを思い出した。

「…………そ、っか。ここ、僕達の家なんだった」

声に出すと、いよいよそれが実感できて、マスターは嬉しそうに頬を緩めて、隣で寝ているエクストラを起こしにかかった。







「図書館に行きたい?」

朝食を食べ終えてすぐにそう言ったマスターに怪訝そうに聞き返したアーチャーに、彼はこくんと頷いた。
昨日の夜、マスターは、アーチャーとエクストラに彼等の真名を尋ねた。
サーヴァントという存在が元は霊体であり、彼等の本当の名前が別にあるというのは、初めの夜にアーチャーから説明を受けていた。
だからこそ、マスターは2人の真名を訊いた。彼等の事を、もっと知りたいと思ったから。

しかし、そんなマスターに対するアーチャー達の返答は「答えられない」だった。
どうしてだと悲しそうに言い募ったマスターに、むしろそっちが先に泣きそうな顔をしたエクストラが、聖杯戦争が始まれば彼が敵に魔術的干渉を受ける恐れがある事、そうなってしまえばマスターに抗える程の抗魔力はない為、エクストラ達の真名を露呈させてしまうかもしれなく、そうなってしまっては2人の弱点が敵に知られてしまい、マスターを守りきれないかもしれないという事を説明されれば、マスターには何も言う事は出来なかった。

しかし、それで彼が納得をしたかというと、決してそのような事はなくて。
マスターは、2人がそれ以外の理由で、自分達の真名を知られたくないのだと、何となくではあるが感じ取っていた。
けれど、彼等がそれを知られたくないのと同じように、マスターだって知りたいのだ。
聞いても教えてくれないのなら、自分の力で調べるまで。
ほんわりとした外見とは裏腹に、彼がとんでもなく頑固なのだと彼のサーヴァント達が知るのは、まだ当分先の話である。





マスターの要望により、朝一番で図書館に赴いたエクストラ陣営であったが、マスターについてくる気満々だったサーヴァント達に、マスターは1人で調べたいから他の所で時間を潰してほしいとお願いした。
最初はもちろん渋ったエクストラ達だったが、マスターがどうしてもと頼み込んだ為、仕方なく、本当に仕方なく決して図書館から出ない事を条件に、その要求を飲み込んだ。

「よいか奏者よ、図書コーナーの1階からも出てはならんぞ。そなたはすぐ迷子になる。それと、変な輩に出くわしたら、すぐに令呪を使うように!」
「うん、うん。わかったよ、エクストラ」

過保護なエクストラ達に苦笑して、2人をも来ると、マスターはよし、と気合を入れた。
ここへ来る道すがらアーチャーから図書館のシステムを教わったマスターは、まずは歴史関係の本棚を探そうと足を踏み出して、ふと大事な事に思い至った。

「………本って、どうやって探すんだろう」

そう、マスターは事前に図書館の本はそれぞれのカテゴリーごとの本棚に仕舞われているというのは教わったが、肝心のその探し方については聞いていなかったのである。
探しに歩きまわるのもいいが、正直、迷わずにそこへ辿り着ける自信がない。流石にマスターとて自分が道に迷いやすい事くらいは理解している。もしかしたらだが、うっかり一階から、悪ければ図書館からさえ出てしまいかねない。
うん、流石にそれはダメだ。2人と再会できなくなるのは怖いし、何よりエクストラに心配をかけてしまう。と、マスターは先程のエクストラの顔を思い出してぶんぶんと首を振る。

となれば、あとは人に聞くしかない。
そう思い、周囲を見回し図書館に勤めている司書なる存在を探すと、受付らしき所でパソコンに向かい何事か仕事をしているそれらしき気だるそうな黒髪の青年を見つけた。
やった、と思わず破顔して青年に向かって歩きかけて、マスターはふと、自分がアーチャーとエクストラ以外と話した事がない事に気付いた。
マスターは初めて会った時から2人と話す事に抵抗もなく、むしろ大好きなので、話すのは好きなのだと思ってい入るが、何となく緊張する。
マスターは止めようか、いやでも時間もあまりないし、と受付付近と本棚の間を右往左往していたが、やはりどうしても自分が目的の本に辿り着ける想像が出来ず、かつそもそも探したい本すら漠然としたものであって明確にどれと決めていた訳ではない。
なれば、と覚悟を決めて、青年の前に立つと、マスターは深く深呼吸をして、思い切って口を開いた。

「あっ、あの、えっと、女の子の王様の本ってどれですかっ?」
「は?」

意を決して問いかけたマスターだったが、肝心の質問が抽象的過ぎた為、パソコンに向かって何事かを作業していた青年は、訝しげに眉値を寄せてマスターを見上げた。

「何、なんかの絵本とかの話?」
「あ、う、その。そうじゃなくて、歴史とか、神話とかで。…………わかる、かな」

無愛想な口調の青年に虚をつかれ、どもりながら上目使いで自信なさげにちらりと様子を窺うと、青年はますます不可解そうに口元に手を当てて考え込むようにして俯いた。

「うーん………俺はそこまでそういうのに詳しくはないけど、とりあえず女の歴史の偉人って事でいいのかな」
「そ、そう……だと、思う。多分」
「? いまいちはっきりしないな。まあいいや。じゃあ、とりあえず、俺の知ってる奴の話だけでも聞いとくか?」
「教えてくれるの?」

予想外だった青年の言葉に、マスターは思わず目を輝かせて彼に向けて身を乗り出した。
純粋な期待だけを乗せたキラキラとした星空を思わせる瞳に思わず目を見張って、青年は半分気圧されたように頷いた。
途端、マスターの顔に咲き誇らんばかりの笑顔が浮かぶ。

「本当!? ありがとう、えっと……司書くん!」
「司書くん!?」

図書館の司書をしているから司書くん。
その何とも安直なネーミングセンスにぎょっとしながらも、あまりにも嬉しそうにこちらに笑いかけて来る初対面の筈の男に、司書たる年若い青年は、絆されるように小さく苦笑した。


詳しくないと言いながら、青年は歴史に関してかなり博識だった。
神話系には確かにあまり明るくなかったが、それを補って余りある豊富な歴史の偉人の英談に、マスターは時間を忘れて聴き惚れた。
しかしその反面、女性の英雄として司書が話したジャンヌ・ダルクなどの悲劇を辿った者の逸話には、その様を見たかのように悲しげに眉を下げた。

「じゃあ…結局王様はジャンヌ・ダルクを助けなかったの?」
「まあなあ。で、最終的に魔女だって烙印押されて、火炙りに掛けられた。本人は何も悪くないのにっていうのは、歴史的によくある事だよ」
「でも……それでも精一杯頑張った人が、報われないなんて嫌だよ」

そんなものどこにでもある悲劇だと流す司書に、マスターは悲しげに眉をひそめて膝に乗せていた両手を握りしめる。
人事とは思えなかった。だって、今彼と共に過ごしている彼らこそが、この歴史上に確かに存在した筈の人なのだ。2人がその悲劇中の1人でないという保障などどこにもない。
もしも彼らがその一生を投じた人生が報われないもので。そしてその最後が、後悔や悲しみに濡れたものだとしたら。
そう考えれば、マスターは、とても平常ではいられなかった。

そんなどこか悔しそうに歯噛みしているマスターをしばらく眺めて、頬杖をついていた司書は、苦笑して唐突にマスターの頭を撫でた。
わしわしと手加減の下手な撫で方の所為で、マスターの頭はぐわんぐわんと揺れてしまう。
突然の事にぐるぐると目を回すマスターを面白そうに眺めて、司書は小さく声を出して笑った。

「変わってるね、あんた」
「う、え?」
「まあこういうのも一つの味なのかもだけど」

突然の行動にマスターが目を白黒させていると、司書は視線をパソコンに映し、何か操作をしながらマスターに声を掛ける。

「ところであんたさ、時間良いの? 話した俺が言うのもなんだけど、もうとっくに1時間は経ってるよ」
「え……? えっ、わっ、それはだめ! えっと、友達が待ってるから!」
「おいおい、図書館では静かにしろよ」

慌ててガタンと椅子から立ち上がったマスターに煩わしそうな視線が集まるのを見て、司書は小さく笑いながら形だけ注意をして、暫くしてピーという電子音と共にまた別の機会から出てきた紙を机の引き出しから出したカードに張り付けて、マスターに差し出した。

「俺さ、平日のこの時間には毎日いるから、よかったらまた来なよ。もしまたあんたが俺の話聞きたくなったらだけど」
「来て良いのっ!?」
「そりゃもちろん。図書館はその為にあるんだからさ。そんでこれ、ここの図書カード。ほんとは身分証明書とか必要なんだけど、あんた人良さそうだから必要ないだろ。今適当にあんたが欲しそうなの見つけたらから、せっかくだし借りてきな」
「あ……ありがとう………っ!」

たまたま返却用の袋に入ってたんだ、と2冊の分厚いハードカバーの本をカウンターに置いた司書に、マスターは感極まり思わずその本を抱きしめた。
人ってあったかい。じーんと感じ入りながらしみじみと思っていると、司書はそのカードにペンを添えて、それで? という目でマスターに何かを促してきた。
それにマスターが首を傾げていると、司書は少し呆れたように肩を落とした。

「で、あんたの名前は? このカードの後ろに名前書かないと、あんたのモノにならないだろうが」
「え? あ、僕はマス…あ、ちがっ。えっと、そ、そうし……こっ、これも違うっ」
「は?」

名前を聞かれ、咄嗟にマスターと口走りそうになったマスターは慌てて口を噤んだ。
アーチャーからこれは人の氏名ではないと教わった為、それ以外の名前を、と今度はエクストラに呼ばれている奏者と言いそうになり、それも慌てて否定する。
怪訝そうに眉をひそめる司書に更に慌てていると、向かいに座った彼は仕方なさそうに溜息をついた。

「よくわかんないけど、鱒田奏士で良い?」
「あ……はい……」

マスターが中途半端に告げた彼のサーヴァント達から呼ばれている呼称を奏取ったのかそう聞き返してきた司書に、マスターはもう他にどう言ったらいいのか解らず、仕方なくしょんぼりと肩を落としながらこくりと頷いた。

はい、と図書カードを渡されて、マスターは腕に付けた時計を見て、あわあわと入口に身体を向けて、しかし身体を捻って顔を司書に向けた。

「あのっ、ありがとう司書くん。僕、また来るからっ」
「おお。それと、俺の名前は奈須川きのな。じゃ、また来いよ、マスダさん」

そう言って小さく微笑んで手を振った司書――きのにマスターもぶんぶんと大きく手を振って、走りにならない程度の競歩で入口に掛けて行った。
入口に見慣れた白と金の髪色の組み合わせを見て、マスターの組に自然と笑みが浮かぶ。
あんなにもアーチャーとエクストラ以外の人と話したのは、彼の記憶にある限り初めてだった。友達、というわけではないが、それでも知人レベルにはなった筈である。
にまにまとにやけてしまう顔のまま抱えた2冊の本に目を落として、ふと、マスターは首を傾げた。
先程きのに渡された本のタイトルは、『世界の偉人』と『神話全集』。それを見て、マスターは、小さくあれ、と呟いた。

「せ、かい、の……何て読むんだろう?」

時折彼自身も忘れそうになるが、マスターは今まで20年近く得体の知れない魔術師集団に軟禁されており、アーチャー達によって救い出されたのもつい最近なのだ。
そんな彼が、まともに読み書きが出来る学力があるという方が、まあ、無理な話なのであった。





あー、やっと1話進められましたよー。ある意味はなしに一区切りついたので、そこから次の一歩となる話を、と思い、思った以上に難産になってしまいましたι
ただせっかくなのでFateの醍醐味たるご飯の描写は入れたいと思い、冒頭にぐりぐりとねじ込んでやりました。だってせっかくアーチャーがいるのにご飯食べるとこ省くとか、アーチャーの存在意義を8割方毟り取ってるようなもんじゃないですか!!(オイ
まあ冗談はさておき。図書館の司書くんは絶対に入れたいと思っていたので、ちゃんと書けて良かったです。
本当は名前ない予定だったんですけど、そうなると地の文で呼び辛いので、急きょつける事にしました。
初めはstaynight の中の人にしたいと思ったんですけど、なかなかそれっぽい人が見つからなかったのと、もう司書くんのキャラが私の頭に固定されてしまったので、そのままオリキャラにしました。まあ、名前の由来は型月好きなら押して測るべし、という事で(笑)
それでは、今回はこのへんで。ありがとうございました。





2013.7.7 更新