エクストラの服を買いそろえた3人は、今度はマスターの服を買うために4階の紳士服売り場へと向かう事にした。 ちなみに先にマスターが見立てた服を着込んだエクストラは、至極ご満悦顔でマスターにひっついている。お陰で道行く人々(特に男)の視線を独り占めしている訳だが、メンツがメンツなのでほとんどの通行人が彼等を2度見している。 3人の中ではわりと常識人であるアーチャーはその間物凄く居た堪れない気持ちになっていたのだが、その2度見をさせている1番の原因であるマスターとエクストラは気付かず楽しそうに腕を組んで歩いていたのは、ある意味不幸中の幸いだった。 「奏者は何色が似合うだろうか」 「僕、エクストラとお揃いで赤い色の服着たいなあ」 ぽあぽあとのんびりとした調子でそんな事を言ったマスターに、奏者ぁー! と嬉しそうにはしゃいでマスターに飛びつくエクストラを生温かい眼差しで見つめながら、アーチャーは平和だなあ、と1人保護者の目線でいた。 紳士服売り場に辿り着くと、マスターの希望で、まず首が隠れる服を探す事になった。 その理由が先程すれ違った名も知らぬ少女が原因と思うと遺憾極まりないエクストラとアーチャーだったが、実際マスターが気にしているのだし、それを無理矢理捻じ曲げるなんてマスターが傷付く事を彼等がする筈もなく、胸中穏やかではなかったものの、各自マスターに似合いそうなものを真剣に探していた。 「うむ。これはどうだ、奏者よ!」 アーチャーがインナーを探しているうちに、エクストラは上着の方に興味が向いたらしい。 深紅のジャケットを誇らしげに見せるエクストラに、マスターはそれを受け取って微笑む。 「ありがとう、エクストラ。アーチャー、僕この服が良いな」 一も二もなく頷いたマスターに、アーチャーは小さく苦笑する。 「解った解った。なら後はインナーだが、君はどの色が良い?」 「え? うーんと、じゃあ、最初に会った時にアーチャーが着てたから、黒が良いなあ」 ほわっと笑いながら、そんな事を至極当たり前のように言ってしまうのが小憎らしい。 マスターの希望によって、黒いハイネックインナーに次いで黒地のスラックスを選び、次はアーチャーの服を選ぶ事になった。 「アーチャーはこれ!」 「これはどうだ?」 「何故私の服だけ即決なのかね」 マスターは黒のラフなワイシャツを、エクストラは真っ赤でパンクなレザージャケットと首輪を。 エクストラが決定した適当な大人向けの紳士服の店に入って数分の即決だった。 わくわくという風に目を輝かせて各々が選んだ服を自慢げに差し出している上司と同僚に、アーチャーは額に手を当てて大きく溜め息をつく。 「君達がそれを着ろというのなら、それでもいいがね。だが取りえずこれだけは言わせてもらおう。エクストラ、言いたくはないが、もしやそれは首輪かね?」 「うん? 響きが気に入らぬというならチョーカーでよいぞ」 「そういう問題ではない」 きょとん、とさらりと金髪を揺らして首を傾げるエクストラに、アーチャーはさらに溜息が出る。 「嫌ならボールギャグもつけるが」 「違うわ!」 反射的に叫んだアーチャーにエクストラはにやにやと笑うと、マスターの肩を抱いてアーチャーの顔を覗き込む。 「うむ。何というかだな、余が思うに、そなたはあえてインナーを着ず裸ジャケットというクール&ワイルドな路線を」 「止めろ、本当に止めろ。理由は解らんが悪寒が止まらん」 愉しそうににやつきながら握りこぶしで語るエクストラを、アーチャーが珍しく本気で制止を掛ける。 渋面を作って腕をさすっているあたり、本気嫌なのだろう。 「アーチャー、裸ジャケットってなに?」 「君は知らなくて良い単語だ。エクストラはしばらくマスターに近付くな。教育に悪い」 「なっ!」 驚きすぎて一瞬言葉に詰まったエクストラをおいておいて、アーチャーはマスターにだけ優しい顔でありがとうと言うと、2人の手からやんわりとレザージャケットとシャツを抜き取って、さっさかレジに向かって行った。勿論、首輪は強制的に返還させていただいた。 「んむー」 「まあまあエクストラ」 ぷくぷくと頬を膨らませてむくれるエクストラを、マスターがふんわりとした調子でたしなめる。 そう楽しげに話している2人に小さく溜め息をついて、アーチャーは自分でズボンをさっさと選び、会計を済ませて2人の手を取って次の場所へと向かった。 「次は……と、どうしたエクストラ」 段々と混んできたアパート内をはぐれないようにとアーチャーが2人の手を握ったまま次に買うものを頭の中で整理していると、不意にエクストラが立ち止まった。 不思議そうな顔をして振り向くアーチャーと首を傾げるマスターに、エクストラは珍しくまじめな顔をして口を開く。 「うむ。余は少々行く所がある。そなた達は先に目的の場所に行き、そこで待っているがよい。そう時間は掛からぬ」 「………? 何故わざわざ別行動をとる必要がある。君が行きたい場所があるというのなら、私とマスターもそれに合わせ、て…………!」 怪訝そうな顔で提案しかけたアーチャーだったが、そのエクストラが何気なく指で指示した方を見て、思わず言葉を詰まらせた。 その指の先には、裸体のマネキンと、それに付けられた上下最低限の衣類。その奥にも同じながらもフリルやレースなど様々な種類のものが覗いている。 ……率直に言えば、ランジェリーショップだった。 まさかその場所を言われるとは思わなかったのか、アーチャーは咄嗟の事に絶句し、口をパクパクと金魚のように開閉させる。 「な………」 「折角服も揃えたのだし、こちらも揃えぬわけにはいかぬであろう。それに、何時までもないというのは流石に少々落ちつかぬのでな」 「っま、まさか、君はその下を………」 「うん?」 エクストラの言葉の意味を察して、アーチャーはふるえる指をエクストラを指差す。 いや、確かに今までマスターのスウェット数着と下着以外服を買ってなかったのだから、考えられなかったわけではない。しかし、サーヴァントは限界時には全ての服装をきちんと纏っている。遵って、その可能性は、彼の頭にはなかったというか。 アーチャーの浅黒い肌に僅かに朱が走ったのをみて、エクストラは悪戯を思いついた子供のようににやにやと愉しげに眼を細めて見せる。 「無論、穿いていない」 「!!?」 「ふむ、しかし貴様がそう言うのなら仕方がない。奏者よ、次はこの店に」 「いいい良いからさっさと行って来たまえ!! 君の買い物が終わる頃には私達は1階の書店にいる! 解らなかったら店員に聞け、予算はこれに収めるように!」 明らかにアーチャーに見せつけるようににっこりと笑ってマスターの手を取るエクストラに、アーチャーは内ポケットから5万円を抜き取り、それでも倹約家らしくきっちり言い含めて投げつける勢いで数枚の紙幣をエクストラに手渡した。 それを少し物足りなさげに見つめながらも、エクストラは満足そうに笑顔で店の中へと入って行った。 その鼻歌でも歌いそうな後姿を、アーチャーはゼエゼエと気疲れから肩で息をして半分睨みながら見送る。 「はあ…はあ……」 「アーチャー、僕達は行かなくていいの?」 「あ……ああ。いいかマスター、あそこは男が絶対に入ってはいけない場所の1つだ。よく覚えておくように。今後エクストラに誘われても行ってはいけないからな」 「?? ふうん、わかった」 「よし」 素直に頷くマスターにほっとしつつその頭を撫でて、アーチャーは小さく息をつく。 そういえば、エクストラには書店にいると言ったが、その前に財布や荷物を入れる鞄など、こまごまとしたものを買わなければならない。 いつまでも懐から万札を出していたら、さすがに不審がられるだろう。 エクストラの買い物が終わる前に、先にそれらを買って書店に行かなければならない。 ふむ、と顎に手を当て、今日1日で買出しが終わるように、アーチャーは改めて頭の中で予定を組み直す。 「はあ……。やれやれ、このペースでは前途多難だな。ではマスター、私達は先に1階の書店、に……って………マスタァァアアア!!!!」 後ろ向いたら、先程までアーチャーの服の裾を握っていたマスターが忽然と姿を消していた。何を馬鹿なと人は思うだろう。嗚呼………アーチャーとて、そう思いたかった。 しかし実際にいつの間にか消えていたマスターに、アーチャーはもう耐えるのさえ馬鹿らしくなって、大声で己の主の名を叫びながら走りだした。 何故こうも自分の周りの者達は自由人ばかりなのか。現実は非情である。 結局、初心者用の画材セットを目を輝かせて眺めていたマスターを近くの文房具店で発見し、そのあまりにもキラキラとした眼に押し負けて画材セットを購入し、途中1階に行きがてら黒の財布と横がけの鞄を購入し、よくやくマスターとアーチャーは1階の大型書店へと赴いた。 「さて……と。ここからは勉強の時間だぞ、マスター」 「?」 その言葉に不思議そうにきょとんとするマスターに苦笑して、アーチャーは今度はぐれないようにマスターの手を引いて小学生用の教材コーナーに行く。 ここで買うのは、マスターの勉強用に買う教材だ。この数週間マスターと過ごした事で、アーチャー達は彼の一般常識が、世間から随分と離れている事を知った。 なにせ、アーチャーが今現在も使っている1万円も知らず、そもそも、この国の金銭の単位すら、まるっきり解っていなかった様子だったのだから。 遵って、まず当面の目的は金銭面の知識をつけさせる事と、語彙力と漢字をなんとかする事だった。 とりあえず漢字は書き取りが一番だろうと、アーチャーは小学生低学年の書き取りノートを何冊か選択していく。ついでに簡単な計算も教えなければと隣の算数のコーナーにも目を走らせていると、不意にマスターが彼の服を引っ張った。 「何かね、マスター?」 首を傾げてマスターの方を振り向いたアーチャーを真っ直ぐに見上げて、少し照れくさそうな顔のマスターが、沁み入るような声で、アーチャーに向けて口を開いた。 「………えっとね、ありがとう」 「うん?」 ありがとう、とは。一体どういう意味なのか。 少々高い位置にあるアーチャーの顔を見上げながら唐突にそんな事を言った彼に、アーチャーは少しだけ怪訝そうな顔をする。 ありがとうも何も、自分は自身の主に必要なものを揃えているだけで、ひいてはそれは今後の自分の疲労削減の為であって、決して礼を言われるような事は、何一つしていない筈なのだが。 そんなアーチャーの胸中に気付いたのか、マスターはぱちりと目を瞬いて、次いでふふっと可笑しそうに小さく吹き出した。 「何だね。私は何か君が笑ってしまう事をしたか?」 「んーん。ただね、アーチャーは本当に優しいなあって」 「………なに?」 くすくすと笑いながらそう告げたマスターに、アーチャーは今度こそ完全に不可思議そうに眉をしかめた。 いつも思うが、このマスターは少々自分をフィルターを掛けて見ている節があるのではないか。何となく、彼にかかっては些細な行動さえも美化して見られていると思えてくる。 自分のしている事など、ただ自分がしたいからそうしているだけという、身勝手に過ぎる事だけだ。 「つまり、これはただの自己満足な偽善行為すぎない。君が礼を言うことなど何一つないぞ、マスター」 アーチャーがそれをそのままマスターに伝えて最後にそう言って締めくくると、彼は珍しく少しむっとした顔をして、背伸びをして両手でアーチャーの両頬を掴みにかかった。 元々そこまで柔らかくない頬が、マスターの微かな力できゅっと横に伸ばされる。 「にゃにをふる、まふたー。はにゃはないか」 「だって、アーチャーが僕の大事な人の悪口言うんだもん。いくら僕がぽーっとしてるからって、アーチャーの悪口言う人には、僕だって怒ったりするんだからね」 ぷう、と頬を膨らませてアーチャーを睨みつける彼は、傍から見て、申し訳ないがちっとも怖く見えない。 どちらかと言えば、エクストラが見たなら「なんと愛らしいのだ奏者よ!」とでも行って抱きついてしまうだろう程、……その、可愛らしい印象を抱かせる。というか、自分がぽーっとしているという自覚はあったのか。 またもそんなアーチャーの胸中を察したのか、マスターは止めろと言われた通りに手を自身のサーヴァントから離したものの、少し不機嫌そうに上目でアーチャーを睨んでいる。 「もーっ。アーチャーってば、僕が初めて会った日の夜に言ったこと、覚えてないでしょう」 「………? む、すまない」 またもぷうっと頬を膨らませるマスターに、アーチャーはその時の事を思い起こして、結局思い当たる節が無く申し訳なさそうに眉を下げる。 正直、あの日はマスターが食べた重湯を戻してしまったのが印象に強すぎて、他の事をよく覚えていない。 そんなアーチャーに、マスターはまた不機嫌そうな顔をしてから、やがてふっと、優しく目を細めて口元に笑みを浮かべる。 あの日初めて、アーチャーが僕のことをお風呂に入れてくれたのを覚えてる? と。 それを言われて、アーチャーもようやくその時の事を思い出す。 確かあの時、当時は出会って数時間しか経っていなかったというのに、マスターにお人好しは早く死ぬ、などと失礼極まりない事を言われたのだ。そうして、彼はその少し前に……………。 「………………ぁ」 「あー、やっと思い出したんだ」 マスターの言っている意味がやっと思い当たり、思わずと声をもらしたアーチャーにマスターはますます不機嫌そうな顔をしたが、それでもアーチャーが自分で思い出したのが嬉しいのか機嫌よく笑顔をこぼし、アーチャーを見上げながら、再びあの日自分がアーチャーに告げた言葉を口にした。 「僕の事を考えてそんなに一生懸命になってる事自体が、アーチャーは優しい、って言ったんだよ」 偽善とか、自己満足とか、そんな事はどうだって良い。 自分にはそんな難しい事は解らないのだから、アーチャーだって、そんな自分相手に難しい事を考えるだけ無駄なのだ。 アーチャーは、自分がしたい事をしているだけだと言った。そのしたい事とは、即ちマスターを庇護し、いずれは彼が1人でも立てるようにする事だ。 そんな事、普通はしようとする人間などいる筈がない。そんな事くらいは、マスターだってもう解っている。 それでも、アーチャーは当たり前のようにそれを「自分がしたい事」と言ったのだ。 そんな底抜けのお人好しが、“優しく”なくて何なのか。 そう、どこか得意げに胸を張って告げたマスターに、アーチャーはしばしの間ぽかんと呆気にとられ、次第に何だか可笑しくなって、ふっと、眉にしかめていたしわを崩し、全くマスターには敵わないという風に、小さく苦笑した。 「……マスター、君が悪口を言われて怒るのは、俺だけか?」 「え? ううん。もちろん、エクストラの事悪く言った人にも怒るよ。あ、だからアーチャーにも怒るんだからね。あんまりエクストラの事苛めちゃ駄目だよ!」 「…………いや、どちらかと言うと、苛められているのは私の方なのだがね」 大真面目にアーチャーに抗議するマスターに、アーチャーは苦く笑って肩を竦める。 そうして、もちろん、か。と口の中でその言葉を転がした。 今はまだ、マスターにとって大切な人とは、アーチャーとエクストラの2人だけなのだろう。それ以外の人間とはろくに接していないのだから、当然と言えば当然だが。 けれど、これから先、大切な人がずっと彼ら2人だけと言うわけにはいかないだろう。聖杯戦争が始まってしまえば、遅かれ早かれ、アーチャー達とマスターは別れなければいけない。 だからこそ、これからもっと増えれば良いと、アーチャーは思う。 今すぐには無理だとしても、これから、この町の人間と、少しずつ。いつか、アーチャーとエクストラが彼の前から消え去っても、マスターが、しっかりと自分の足で立てるように。か細く優しい彼が、またこの笑顔で笑えるように。 それが寂しくないと言ったら嘘になるが、マスターがずっと泣いているよりずっと良い。 なんだかんだで、アーチャー達サーヴァントは、マスターの笑顔が何より好きなのだから。 そして、そんな事を自然と考えている所がマスターに“優しい”と言われる所以なのだと気付いて、アーチャーはまた、決して苦くはない微苦笑をもらした。 「ここか!」 「わっ!」 と、不意にマスターとアーチャーの間から声が割って来たと思えば、不機嫌そうにむっつりとしたエクストラが、文字通り彼等の間からポンっと跳び出してきた。 急なあまり、マスターが目を丸くさせて上げた声を裏返らせる。 「何だ、エクストラ。あまりマスターを驚かせるものではないぞ」 「ふんっ、貴様が奏者ともどもこんな奥にいるのが悪いのだ。お陰で探すのに苦労した。二重使役のツケか、奏者の気配は辿りにくいのだ」 はあ、と遺憾だと言いたげに溜息をつくエクストラの手を、マスターはどこか嬉しげにきゅっと握る。 それに不思議そうな顔でマスターの顔を覗き込むエクストラに、マスターは彼特有のほにゃっとどこか拙い笑顔を向けた。 「エクストラ、探してくれてありがとう。あのね、もしエクストラにいじわるする人がいたら、僕がちゃんと怒るからね。任せてっ」 「ほえ?」 決意新たに、と言いそうな風に拳を握ってエクストラに宣誓するマスターに、話の流れについていけていないエクストラは不思議そうに首を傾げている。 そんな彼等を見つめながら、やっぱりアーチャーは保護者の目線で、選んだマスター用の教材を本の棚から抜き取って、さっさと次の場所に行くぞと、エクストラとマスターの背中を押しにかかった。 ……な、長い。長すぎる。 本当はこの一話にまとめようと思ったのですが、あまりにも長くなってしまいそうなので、やっぱりもう1話作ってわけることにしました。 やだ…この陣営、買う物多過ぎ!? 次こそは、次こそは買い物編を終わらせたい。相変わらず1日が長すぎてすみませんι それでは。 2013.5.11 更新 ← |