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初戦




金色の光が天空に煌めくと同時に、爆ぜた一本の宝剣が、影の暗殺者の掌を貫いた。
痛みに呻く影に、その輝きの主たる英霊の声が降る。

「地を這う虫けら風情が、誰の許しを得て表を上げる?」

不遜ながら、人の背筋をゾクリと泡立たせるような、妖艶かつ絶対的な声。
その声の言葉の意味を理解する間もなく反射的に見上げる影に、まるでそれを罰するように、更に光の中から無数の絢爛な宝剣が顔を覗かせた。

「貴様は我を見るに能ぬ。虫けらは虫らしく、地だけを眺めながら」

―――死ね。
王の中の王たる絶対者の宣告。それは違う事無く、言葉と同時に宝剣は金の閃光を伴い、瞬く間に影の暗殺者を肉片へと変えた。

「ふふ、当然だわ」

その堂々たるギルガメッシュの台詞を聞き、時子は一人上機嫌に笑みを浮かべていた。
元より、あの程度の英霊ごときが英雄王たる彼に敵うなど、夢想するだけでも烏滸がましいのだ。
大体にして、マスターからの簡単な説明だけで任務を遂行しようとする時点でもうプロ失格である。まずは普通、マスターから大まかな情報を得た上で、さらに情報を集めて事に当たるべきだろうに。信頼していると言えば聞こえはいいが、時子からしてみれば、単に杜撰なだけである。雑とも、プロ意識が足りないとも言う。
驚くほど、恐ろしい程呆気なく事切れ、塵となり消えていった影―――アサシンの姿を、その処刑場となった屋敷の主である時子は、あらかじめ敷地に設置しておいた使い魔の視覚共有を使い観察していた。

「さて、首尾は上々…ね」

グラスに注いだワインを一口飲み、時子は中庭の惨状に満足そうに目を細めた。
アサシンが遠坂邸に侵入を果たした時点で、この屋敷を監視していた使い魔は4体。それは言わずと知れた、此度の聖杯戦争参加者である。
この冬木の地に魔術工房を構えている御三家は、外来の魔術師と違って即席の魔術工房を用意する必要がないというアドバンテージを持っているのと引き換えに、拠点が外に知れ渡っている為、常に監視の眼に晒されるというデメリットを負っている。それを逆手に取ったのが、時臣の考えた今夜の作戦である。
今まさに光の主――ギルガメッシュが仕留めたのは、時臣の弟子である綺礼が召還したサーヴァントだ。しかし、あれは彼のサーヴァントのほんの一部でしかない。言うなれば足の小指一本程度の価値しか持ちえていない、捨て駒の中の捨て駒だ。
元より綺礼は此度の聖杯戦争で、勝つためではなく遠坂を支援する為にアサシンの枠を埋めたようなものだ。
勝つ気などさらさらないからこそ、暗躍、諜報に適した気配遮断スキルを擁するアサシンなるサーヴァントを召喚したのである。本来なら戦力増員、という線もあったのだが、ギルガメッシュを喚ぶ以上、彼に勝てる英霊などいる筈もない。第一、それこそ己1人では不満なのかと、人類最古の英雄王たる彼の機嫌を損ねかねない。
以上の可能性を考慮して、時子達は妄想幻像(ザバーニーヤ)という持ち得る80の人格の数だけ姿を分裂させる事が出来る宝具を持ったアサシンを使い、内1人を最初の脱落者として演出させ、わざと綺礼が敗退したかのように見せる事で、本当の意味での影を作り上げる事に成功した。
あと1体、敵方の使い魔がいなかったのは惜しいが、それでもそれを除いた全員が今宵のギルガメッシュの独壇場を目にしたのだ。目的は十分果たせたと言えよう。

「………………まあ、こんな簡単なトリックを見抜けない程度なら、元から脅威でも何でもないのだけど。例え私よりも実力が勝っていても、絡め手を使えば、良心が痛まない分赤子を相手取るより楽というものだわ」

なんせ、これは“戦争”なのだから。
無論、時子とてこの世界で最後の闘いになるのだから、尋常な魔術勝負がしたいと思っている。が、しかしそんな悠長な手段で勝負を仕掛ける者の方が、むしろ稀有だとも思っているのだ。
そして何より、此度のアインツベルンは、よりにもよって魔術師殺し二つ名を持つ衛宮切嗣を婿養子に迎え入れた。
彼は間違いなく、令呪をその身に宿して聖杯戦争に参加してくるだろう。
何故魔術師殺しとあろう者がわざわざ殺す側の懐に入ったのかは解らない。が、もし彼がそれをビジネスだと受け取ったのなら、十中八九どんな手を使ってでも参加者を殺しに来るだろう。
そして、衛宮切嗣は魔術ではなく現代の銃やらを主流として殺人を起こすという。その対策として、時子は現在一応核ミサイルは無理でも対戦車や対空ミサイルぐらいなら余裕で消滅させられる程度の結界を張っているのだが、果たしてどうなる事やら。

ふと、そう時子がつらつらと思惑を重ねていると、彼女の座っている椅子のすぐ傍に金色の塵が現れた。
それは次第に人の形と成り、瞬く間に彼女の召喚した、アーチャーであるギルガメッシュの姿となった。
ちなみに、現在時子がいる時臣と共同で使用している書斎には、彼女1人だけである。時臣は律儀に地下の魔術工房にこもって、今後の対策を念入りに練り直している最中だ。

「―――お帰りなさいませ、英雄王」

すぐさま立ち上がり臣下の礼を取る時子に、ギルガメッシュはただ不機嫌そうな視線を送る。

「時子。何だ? 先程のあの下らぬ茶番劇は」
「(……………来た)」

予想通りのギルガメッシュの言葉に、時子は緊張からばれぬよう小さく奥歯を噛む。
ギルガメッシュにとって、先程の取るに足りない蟲を一匹殺しただけの様な寸劇は、さぞかし彼の癇に障る事だろうと、予想はついていた。
まあだからといって具体的な対策がこれと言って思い浮かばなかったのは、やはり遠坂伝統のうっかりというべきか。

「恐縮でございます、王の中の王よ。
今宵の仕儀は、より煩瑣なお手をかけぬよう今後に備えての露払いでございます。かくして“英雄王”の威光を知らしめました今、最早悪戯に噛みついてくる野良犬もおりませんでしょう」

腰を折ったままそう朗々と言葉を並べる時子に、ギルガメッシュはしかし、より不機嫌そうに眉をしかめただけだった。

「それは時臣からも聞いた、だがそれが何だというのだ。そのような事などせずとも、我を畏れ敬うのは至極当然の事。どうせ、この策も時臣の奴が考えたのであろう。ふん、あ奴らしい、つまらぬ考えだな」
「………弟の考えた策が、お気に召しませんでしたか?」

露骨に嫌そうにするギルガメッシュに、時子は小さく、しかし先程より明確な意思がこもった、よく通る声でそう言った。
僅かに片眉を上げて時子を見るギルガメッシュに、時子は折っていた腰を上げ、不敵な笑みを浮かべ、王の中の王たる青年を見据えた。

「勝ちが解り切っている戦いをただそのまま勝ち抜く事ほど、つまらないものはないでしょう。貴方様ほどの英霊ともあらば、勝てぬ敵などもはや存在しますまい。ですが、だからこそのあの策です」
「………………なに?」

ぴくりと反応を示したギルガメッシュに、時子は確信を持って先を続ける。

「元より、あの作戦に穴があるのは私とて承知済み。ですが、それが一体何の問題になるというのでしょう? 王のおっしゃられます通り、あれがつまらない些事であることは否定いたしません。ですが、逆に言えば、あの程度の茶番すら見破る事の出来ぬ者に、手を掛けるなどという手間をわざわざ掛ける必要がどこにありましょう。低俗なる輩に、王の手を煩わせる必要などありません。下賤なる者は下賤なる者同士で潰し合うのが似合いというもの。ですから、王はその末に残った本当に手を下すに値する者と対峙して頂きたく存じます。…………………何かお気に召しません事があれば、どうぞ仰ってくださいませ」

そう言って再び頭を垂れる時子に、ギルガメッシュは少し思案するように虚空を見つめると、また時子の方を見、1つの問いを投げかけた。

「時子」
「はい」
「貴様は、戦は始めてではないのか」
「いいえ。勿論初めてでございます、英雄王」

ギルガメッシュの言葉に、時子は1も2もなくあっさりと打ち明け、けれど依然自信に満ちあふれた瞳は陰ることなく、むしろこの先の未来を楽しむように煌めかせたままその先を続ける。

「ですが殺し合いは、魔術師にとって日々と同義です」
「………………っふ」

あまりにもあっさりと、むしろ自信満々に堂々と言ってのけ、むしろ笑みさえ浮かべている。
そんな時子を見、ギルガメッシュは息をもらすように小さく笑い、次第に身体をくの字に曲げ、酷く可笑しそうに笑い出した。

「お…王…………?」

時子といえば、突然笑い始めたギルガメッシュにぎょっとして、訝しげに恐る恐る声を掛けるが、ギルガメッシュはこれ以上ない程面白いジョークでも聞いたように笑ったままだ。

「っは………! これ程までに笑ったのは久方ぶりだ。魔術師とは、揃いも揃ってお前のような者ばかりなのか?」
「ぇ……、いえ、どうでしょう。魔術師は家柄ごとに特色が違いますから………」

サーヴァントからの急な問いに、狼狽えて的外れな答えをする時子に、ギルガメッシュはまた大笑しそうになるのを堪えながら自身のマスターを面白そうに目を細める。

この女は、時子は戦場など知らないと言っておきながら、その顔は紛れもなく戦地に赴く猛者のものであった。
彼女はギルガメッシュに対し一定の敬意を払っていることから、偽りの言を述べたとは考えにくい。
とすれば、時子は本当に戦場など知らないのだ。
だというのに、戦場も知らぬただの女が、紛れもなく戦士の顔をしていた。
そして、虫の一匹すら殺した事のなさそうな顔で、人を殺すのが日々と同義だとのたまったのだ。
なんという矛盾、なんという道化! これが笑わずにいられようか!

「ふっ、ますます気に入ったぞ。魔術師というものにも、いささか興味を持った。良い。貴様に免じて、この不敬は不問としてやろう」
「光栄でございます、英雄王」

そうして再び腰を折ろうとした時子を、しかしギルガメッシュはその顎を掴んで止め、そのまま顔を上へ向かせ、己の顔を近づけた。

「せいぜい我を飽きさせるなよ? 時子……。これから先も我の気を引き、我が愉悦となるがいい。我を愉しませる事が出来たのなら、褒美に聖杯をたまわそう」
「………はい、英雄王。貴方様の期待に、必ず応えて見せましょう」

ギルガメッシュの毒々しいまでの紅に射抜かれながら、時子は怯まぬようその瞳をしかと見つめ、鍛練と信念に裏付けされた自信を以って、不敵に微笑んで見せた。





おまけ