小説 | ナノ

劣勢




時子に迫る月霊髄液に、火鳥の一匹――フォワロが迎え撃つ。超高水圧カッターのごとく触れるものを両断するその水銀の鞭は、しかしフォワロの炎に飛び込んだ途端その羽を切り裂くどころか、どろりと瞬く間に溶け無効化されていく。
それにチッと舌を打ち、ケイネスは素早く月霊髄液に下がれと命を出す。
自身の魔術礼装が命令に従い時子とその使い魔から距離をとったのを見届けて、ケイネスは忌々しげに対する貴婦人を睨み付けた。
彼は、自身の魔術礼装に絶対の自信を持っている。先日の拠点である冬木ハイアットホテル倒壊により大部分の礼装を失ってしまった彼であったが、この月霊髄液は自身の傑作だ。これさえあれば、極東の片田舎の魔術師などおそるるに足りないと自信を持って言えた。

…………たった、数分前までは。

「………遠坂め、妙なモノを使う」
「ふふ、お褒めに預かり光栄ね」

歯を食いしばり、時子とその周りを守るように飛び交う3匹の火鳥を睨み付けると、それを嘲笑うかのように、時子はことさら慇懃に腰を折って見せた。
彼女の使い魔の纏う炎は、一見何の変哲もないものに見えて彼の魔術礼装に対して酷く脅威だ。ただ炎の温度が高いのではない。何せ、触れた端から月霊髄液が溶けていく。
水銀の沸点は356.7°Cだが、例えそれ以上の温度の炎だろうと、保護魔術をかけられているケイネスの月霊髄液は溶けることはない。
けれど、溶けるのだ。鉄壁を誇るはずの月霊髄液が、まるで水飴のように他愛なく。
これはいくらなんでもおかしい。明らかに、遠坂の当主の繰り出す使い魔の炎は、通常のものとは違った。
そんなケイネスの心中を見透かすように、時子はくすりと艶やかに笑う。

「あら、ごめんなさい。そんなのこの子の纏う炎が気になるのかしら、ミスター?」
「減らず口を」

からかうようなことを口にする時子に、ケイネスは眉間のしわを強くする。
気にならないはずがない。魔術で引き起こされる発火だからではない。このケイネス・エルメロイ・アーチボルトの魔術をいとも簡単溶解させる、その鳥の纏う炎の異質さといったら。
自信の唯一であり最強の矛である月霊髄液はその牙を振るうたびに火鳥の炎に溶かされ、その体積を奪われていく。かといって捨身覚悟でそれらの羽を切り裂こうとも、その刃は本体ではなく炎を切るばかりだ。
恐らく、炎を纏った火鳥たちの体長は初めに時子の肩にとまっていた時と変わっていない。ただ溢れる肥大化させた炎で全身を覆っているため、その本体がどの部分にいるのかが判然としないのだ。
加えて、その厄介極まりない鳥は先程攻撃を加えてきた個体だけではなく、あと2匹もいる。現状はケイネスに限りなく不利だった。

「といっても、教えるわけにはいかないわ。ごめんなさいね、諦めてくださいな、ミスター?」

時子の肩にフォワロがとまり悠々と羽を広げる。
並大抵の保護魔術程度で、火鳥たちの炎を防げるわけがない。それは、時子が誰よりも知っていることだ。
だって、彼女はそういう“起源”なのだから。
この世に存在する何物にも、等しく起源というものが存在する。それはそのものがこの世に生まれ出でるずっと前からの根本的な本質であり、大抵は魔術の特性や性格などで現れる。それも、その起源を自覚すればより明らかに。
時子の起源は“拒絶”だ。それは性質としては嫌悪を抱いたあらゆるものを受け付けず、一度否定したものはどんなに考えを改めようとしても反射的に拒否してしまう、という形で性格には表れている。
けれどもう一つ。時子の起源は、彼女の魔術的特徴としても現れていたのだ。
それがすなわち、時子の使い魔である火鳥が纏う炎である。彼らの炎は、根本的に何かを燃やすことができない、その代わりに、溶かすのだ。
燃やすのではなく、溶かす。
そのモノを使えなくするのではなく、その存在の全てをなくす。
触れた炎は、彼女が否定した対象として処理され、彼女の世界から拒絶される。
だから融ける。その存在が、例え壊れてもなおこの世界に存在することを、時子の起源は許さない。
理屈ではなく、時子が止めようと思っても、それは止めることのできない魔術特性。
だからこそ彼女の魔術は、ことこういった何かを使役する戦闘や肉弾戦で、絶大な力を発揮する。

「可哀想に。貴方は私と出会ったばかりに、今宵地位も名誉も命もなくす。その不幸を感じながら、死になさい」

そして時子は、容赦という言葉を知らない。
倒すと決めたのならば、それはすなわち、撃滅だ。
だかしかし、それでやられるようならば、彼もまた、ロードの名を頂いてはいないのだ。

「ふん……っほざけ、極東の田舎ネズミめが………!」
「っ!?」

瞬間、バチリと時子の周囲の結界が反応を示す。
危機感を感じ時子が振り向いた時にはもう、銀の槍が目と鼻の先に迫っていた。

「っく、あの水銀、いつの間に後ろに……!」

姿を隠していたとしても、魔力を感知すれば時子が周囲に張り巡らしている結界に反応がないはずがない。
だとすれば、ただの水銀としてのまま、初めから、時子の後ろに存在していた………?
その後ろの転がる試験管を目にして、時子は苦々しく顔を歪めた。

「……初めから、もう一体………!」
「馬鹿め。そうだ、詰めを誤ったなトオサカ! 私の礼装が、この月霊髄液がいつ一体だけだと言った!」
「っ………!」

声高さに叫ぶケイネスに、時子の顔には焦りが強くにじんでいく。
さらに背後の月霊髄液に気を取られていたばかりに、ケイネスが本来使役していた月霊髄液への対処が遅れ、跳ねた水銀が時子へ迫る。
間一髪防げたものの、それにより、時子が周りに張っていた結界は砕けてしまった。

「フィニア、体勢を立て直して………!」
「甘いわ!」

すぐに火鳥の一匹に指示を出そうとするも、ケイネスの術の方が一歩早い。
水属性の魔術なのか、時子が気が付いた時には大きな水の塊が彼女たちを囲っており、それにより三匹のうち二匹の火鳥が囚われてしまう。

「っフィニア、リヴィルテール!」

水の中にとらわれ、炎を消され元の姿に戻ってしまった二匹に手を伸ばすも、二体の月霊髄液に阻まれ近づけない。
さらに追い打ちをかけるように、残る一匹、フォワロが月霊髄液の一体の攻撃に直撃した。
キィ、とフォワロが甲高い鳴き声を上げて落下する。
まぐれか狙ってのもかは定かではないが、火鳥の本体を的確に射抜いた捨て身の攻撃に、時子の注意がそちらに逸れる。

「フォワロっ………ぁっ!」

咄嗟に懐から取り出した宝石が、不意に握った手を月霊髄液にからめとられて地面に落ちる。
そのまま時子の左手を捕えた月霊髄液が伸び、彼女の肢体を這い、全身を拘束する。
太ももや腹、胸を容赦なく締め付けられ、時子は息苦しさに喘ぐ。

「はあっ………ん、くぁっ」
「どうだねトオサカ。貴様のような三流魔術師が、私を下そうとするなど百年早いというのがよく解っただろう。君の罪は、その愚かさだ」

締め付けに身もだえする時この顎を人差し指で持ち上げ、ケイネスは優越感に浸った笑みを浮かべる。

東洋の「遠坂時子」は、時計塔でも知られた名だった。
それは畏怖と侮蔑が入り混じったものだったが、その中でも、ケイネスは彼女の実を覆う噂の最も大きなものを嫌悪していた。

『曰く、トオサカの女は、その身を使い、魔術師を籠絡しその富を搾取する』

魔術師とは思えない、娼婦にも劣る愚劣さだ。
その噂の審議などケイネスにはどうでもいい。ただそんな噂が彼女に囁かれている。それだけで、ケイネスにとっては視界に入ることすらも忌まわしいことだった。
その妖婦を、今宵この手で葬り去る。時計塔の魔術師たちを虜にしたその体を、その時計塔で最も優秀かつ潔白な自分が裁くのだ。
まるで天の裁きのようだ。高揚により猛った脳内で、ケイネスはうっそりと酔い痴れた。

「終わりだ、トオサカ!」

高らかにそう吼え、自身の脇に控える月霊髄液に止めを刺すよう命じるために腕を振り上げたケイネスを見、時子は悔しげに歯を食いしばり。

―――――その潤んだ唇が、不釣り合いな笑みを描いた。








2015.2.21 更新