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遭遇




シンと染み入るように静かな夜の深山町を、時子とギルガメッシュはゆったりとした足取りで歩いていく。
2人が今いる場所はアインツベルンの森にほど近い郊外の方であるものの、それでもいつもならば少なからず車や人通りのあるそこは、まるで彼らだけが隔離されたかのように人気がない。
恐らく、ここ最近の連続児童誘拐殺人事件と称されている、キャスターとそのマスターの蛮行の影響だろうと、時子は生き物の気配のない道を眺めながら考える。
彼らの犯した事柄は弁解の余地もなく断罪するつもりだが、こうして人気がないのはわざわざ結界を張る手間がない分都合はいい。

そんなことをつらつらと考えていながら、ふ、と時子の顔に自嘲めいた笑みが浮かんだ。
我ながら、『断罪』とは笑わせる。無差別ではないにしろ、必要ならば人を殺すことを厭わない自分が、彼らの行動を指して『断罪』とは。どちらにせよ、自分も彼らも同じ人を殺す人でなしであることに変わりないというのに。
それに、今まさに、その人を殺しに行く真っ最中なのだ。
根本的に、彼女は魔術師である「自分」が大嫌いだ。

「時子」
「………はい」

意識がちょうどそれていたところに不意にギルガメッシュに名を呼ばれて、時子は一瞬反応が遅れた。
はっとしてすぐさま隣を歩いていた彼女の王へと振り向けば、思いの外すぐ近くにむすっとしたギルガメッシュの顔が合ってぎょっとする。
反射的に距離を取ろうと体を退けば、それを追いかけるように彼の手が伸び、時子の頬をむにっと片手で掴んだ。
必然的にこれ以上逃げることができなくなって、時子はいきなりのことに目を丸くしたまま、ぽかんとして不機嫌な顔のギルガメッシュを見上げた。
逃げる気がないことに納得したのか、そのままギルガメッシュの顔が近づいてくる。

「今、貴様は何を考えている」
「はい……?」
「今お前の前にいるのは誰だと聞いている」
「…………? それは、勿論王。貴方様ですが」
「そうだ。貴様の前にいるのは王の中の王たる我1人」
「はい」

ギルガメッシュの質問の意図が解らず知らず怪訝そうな顔をする時子にしびれを切らしたのか、ギルガメッシュは苛立たしげに顔を歪めると、ついにもう片方の手も伸ばして、空いていた時子の頬もむにっと掴む。
流石に両頬を掴まれるのは勘弁してほしい。と、時子の顔が困ったようになるのも構わずに、ギルガメッシュはむっとした顔のまま言い募った。

「で、あるならば。貴様は我のことを考えているのが筋であろう」

当然の如き口調できっぱりと言い切ったギルガメッシュに、時子はしばし唖然として目を見開いたまま固まった。
いや、今はキャスターの討伐に向かっているのだから、ふつう考えるのはその事だろうとか。
そもそも、その理屈は理不尽すぎるし色々とおかしいでしょうとか。
第一貴方が何故自分なんかにそんな、まるで拗ねているかのようなこと言うのか、とか。
言いたいことは、時子には多々あったはずなのに。

「……………は、い。我が王」

あったはずなのに。時子は無意識の内に、ギルガメッシュのそのルビー色の瞳を見てそう答えていた。
その一言で納得したのか、ギルガメッシュは途端にぱっと時子の頬から手を離して、解れば良いと言って1人でずんずん歩いて行ってしまう。
それをまたぽかんとして見送って、時子は先程のギルガメッシュの彼の言葉を肯定した時に一瞬見せた、満足そうに彼の唇が弧を描く様を思い返して、くすりと、幸せそうに柔らかに微笑んだ。

―――ああ、かわいいなあ

なんて、彼に知られれば烈火のごとく怒られるどころかうっかり殺されてしまいそうに失礼なことを思いながら。
時子は、とりあえず。

「アインツベルンの森はそちらではありませんよ、我が王」

何故か上に行かなければいけない道を下に降りようとしている相変わらず読めないかわいらしい彼女の王に、やんわりと待ったをかけることにした。







「暇だ、時子。何か話せ」
「はい。そうですね、では今宵の星で占いなどはいかがですか?」
「つまらん。次」
「では、最近咲いた庭園の薔薇の話を」
「くだらん。次」
「では、今宵討伐へ向かう、キャスターのアサシンたちから受けた能力の詳細などは」

じろり、と睨みつけてくるギルガメッシュの視線を、見上げた時子はにっこりとほほ笑んで受け止める。
自分でも、初めと違い随分とたくましくなったと思う。
けれど思った以上に身構えなくても大丈夫なのだと知った今、不必要な敬意はきっと、彼を不機嫌にしてしまうものなのだと思ったから。
それと、ついでに言うのなら、きっと意識が自分に集まらないのも大嫌い。

「………貴様は本当につまらんな、時子」
「はい。申し訳ありません、王」

思い切り苦々しい、と言わんばかりの顔のギルガメッシュにまたにっこりと笑顔で頷けば、彼は拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
けれど結局最後の提案には否と言われなかったので、時子は勝手にキャスターのことをギルガメッシュに向かってつらつら話す。
口では時子を貶すようなことを言いつつも、その実本当に怒ってはいないことは雰囲気で解るのだという事を、時子はようやく少しずつ分かってきた。とは言いつつも、彼はやはり自分と破格の違う1人の偉大なる為政者であり王だという事を一瞬でも忘れればこの首はすぐにでも飛びかねないという事も、同時に理解している。
彼は、自分とはきっと何もかも違う。だからきっと、真実相互理解はできないのだろう。
けれどだからと言って、最初から諦める必要もないのだと、やはり、時子はようやく解ってきていた。
アサシンの報告によって時子はキャスターがこのアインツベルンの森に向かったことを知っていたが、彼らは今この場にはいない。ギルガメッシュは彼らの存在を煩わしく思っているらしく、同行の許可を得ようとすると「そんなものは我の知るところではない。ただ、煩わしい羽虫は、我でも気づかぬうちに潰してしまうやもしれるなァ?」と言われたので、大人しく従来の場所に待機させることにした。偵察機をそう何機もぽんぽん殺されるのはさすがに少し困ってしまう。
なので今彼女たちにナビはいないが、それに対して時子は特に心配はしていない。ある程度の距離が縮まればギルガメッシュが気配に気づくだろうし、万一不意打ちを受けるようなことになろうとも、彼女の隣には彼女の王がいるのだから。

「………ですので、マスターである青年が「青髭」とキャスターを称していたことからも、彼がフランスの英雄ジル・ド・レィ伯であるという事が予測されます。彼はフランスの戦争でジャンヌダルクと共に、」
「もうよい」
「……………王?」

不意に語っていたキャスターに関する説明を制されて、時子は不思議に思い彼顔を覗き込んだ。
何か機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか、という時子の懸念を押し流すように、ギルガメッシュは何故解らんと言わんばかりに片方の眉を上げて腕を組む。

「どのような有象無象が相手であろうと、我が負けるはずがない。そのような文句は初めから無意味だ。貴様も、我に機嫌を損ねたくなければ不要な懸念など一切止めることだ」

さらっとなんでもない口調で言われて、一瞬反応が遅れる。
見上げたギルガメッシュは、何とも不服そうに時子を見下ろしたままだ。何だか彼にはこんな表情ばかりさせているようで、少し申し訳なくなってくる。
要するに、ギルガメッシュは時子がこうして勝つための戦略を色々とめぐらすことすら苛ついている。自分を最強のサーヴァントと謳うのならば、こんなことをする必要はないだろうと。
時子がこうしてアサシンを使って得た情報を自分に話すことすら、信頼をしていないようで苛々する、と。

彼の言葉を簡単に訳してしまえばそういうことで。そんなギルガメッシュの態度に、時子は呆気にとられると同時に、それとは比べ物にならないくらい温かいものが胸に膨らむのを感じた。
それはつまり、彼にとって時子がどうでもいい「有象無象」ではないという表れで。
そんなことを言われて、嬉しくないはずがなかった。
だから自然と、今までにないくらいに、抑えが利かずに顔がほころぶ。

「…………はい。当然です。貴方に勝てるサーヴァントなんて、この世界のどこにも在りません」

我が王、ギルガメッシュ。
普段は何てことないこの言葉も、つい色々と感情がこもってしまった気がする。
ギルガメッシュはそれをどう受け取ったのかは時子には定かではなかったが、ただふんと鼻を鳴らしてまた歩き出した彼の表情が少なからず機嫌の良いもので。
それを見ただけで、時子は十分満足だった。
いつの間にか、アインツベルンの森はもうすぐそこだった。

不意に、ギルガメッシュの歩みが止まる。
今歩き出したばかりだというのにその行動に、時子は意味を瞬時に察知し、何を言うでもなく周囲に神経を尖らせる。

「…………時子」
「承知しております」

短くかけられた声に、時子も不敵に微笑んで返す。
対するギルガメッシュも、今までとは打って変わった、残虐的な笑みに彩られている。さながら、今日はどいつを虐殺してやろうか? とでも言わんばかりだ。
肩に止まった時子の3匹の赤い鳥たちも、時子の魔力を受けピリリとした緊張を纏っている。
それだけで、彼女はギルガメッシュの挙動に一喜一憂したマスターの「遠坂時子」ではなく、ただの冷徹な魔術師の「遠坂時子」へと切り替わった。

刹那、時子の背後に、鋭い斬撃が衝撃波のような勢いで襲い掛かる。
しかしそれは時子の1m前でバチリと激しい音と火花を立て、その倍の力で跳ね飛ばされる。
それを知っているからか、時子は予告なしの背後からの一撃に、頓着することなく優雅な動作で振り返った。
弾いた先から瞬く間に引っ込んでしまった斬撃の正体に、唇に妖艶な笑みを乗せる。

「…………あら。まあ」

今の一撃は、キャスターのものではない。もしそうであれば、斬撃を弾いた時子の結界はそれに耐えられなかったはずだ。
彼女の丈の長いスーツとブラウスには、ある特殊な陣を描いた宝石が埋め込まれている。それを軸にして、彼女の半径1mには常に球状の結界が張られている。当然足元までカバーされているそれのおかげで、彼女は地面や背後からの攻撃に動じない。
だからこの郊外の森のほど近くから現れた2人の男にも、愉しそうな声を漏らすのみだった。

「こんにちは。初めましてと、一応挨拶をした方が良いのかしら?」
「なに、それには及ばんよ、遠坂」

声を掛けられた金髪の青年は、後ろに撫でつけられた髪に触れて、粘り気のある嘲笑を浮かべる。

「どうせ、数刻後にはこの世から消える名だ。私は無駄なことはしない主義なのでね」
「そう。数日前にどこかの誰かに煮え湯を飲まされたとは思えない言葉ね。感服するわ」

繰り出された嫌味のジャブを、軽く躱してカウンター。
ついで完璧なまでに美しく微笑んだ時子に、相手は呆気ないほど簡単に頭に血を登らせ額に欠陥を浮き上がらせた。
それに倣うように、彼の前で2本の槍を構えた男もいつでも飛び出せるようにと腰を低くする。
それを見て、時子はますます愉快げに笑みを深めた。

「―――そうね。食前の運動程度にはなるかしら。王?」
「ふん、良かろう。遊んでやれ、時子」
「はい。では、王はあちらのサーヴァントを」
「よい。くだらん些事には余興がないとつまらんと思っていたところだ」

頷いたギルガメッシュは、時子より一歩前に出て、彼らと対峙する。
その行動の意味を測り兼ねて時子は不思議そうにギルガメッシュに視線を投げかけると、彼は顎をしゃくって、彼らが進んでいた方向を示した。

「余興の片手間に貴様の手腕を見てやろう。好きな場でやれ、時子」
「――――――っ。はい!」

それはつまり、時子の一番やり易い場所で、彼女の一番の実力を示して見せろという事で。
暗に、ギルガメッシュはそのために、対峙する彼らのうち1人―――ランサーの足止めをしようとしている。
だから彼の期待を込めたような一言に、時子は一瞬だけ瞳に氷の冷たさではなく無邪気な少女の煌めきを乗せて、その言葉に大きく頷いた。
そうと決まれば、手加減などする気にもなれない。彼からの折角の期待を、マスターである時子が不意にするわけにはいかないのだから。

その時この想いに呼応したからか。
時子の頭上を飛んでいた一匹が、彼女の周りを旋回していた一匹が、彼女の方に止まっていた一匹が、その瞬間にぶわりと音を立てて燃え上がった。
目を焼くような膨れ上がった炎が、一拍の後に大きな鳥の姿へと変わる。
それが先程まで時子の周りにいた文鳥ほどの大きさの3匹の鳥たちなのだと解って、にやりと面白そうに笑うギルガメッシュに、負けじとこちらも笑ってみせる。

「王にここまでしていただいた以上、勝敗に一分の隙も許されないわ。さあ、遊びましょう? 時計塔のロード・エルメロイ」
「ふん。ほざけ、卑しい妖花めが」

嘲るように鼻で嗤った青い装いの男の言葉に、そこで、時子の雰囲気ががらりと変わった。
彼女の表情も佇まいも変わってはいない。ただ純粋にこの状況を楽しんでいた先程とは打って変わり、それは冷たささえ感じられる、恐ろしいまでの怒気だった。

「………ねぇ。私、その巫戯けた名前で呼ばれるのは嫌いなの」

柔和に細められていた時子の目が、一瞬にして触れれば斬れそうな程に尖る。

「死んでくれる?」

そんな理不尽ともいえる呟きと同時に、時子の方に止まっていた火の鳥が凄まじいスピードで彼へと躍りかかる。
すかさずランサーが迎え撃とうと動くものの、ギルガメッシュの放った剣によって阻まれ、さらにそれを防ぐだけで手一杯となり、一気に彼の主から引き離された。
護る者もなく、避ける隙もないように見えたそれはしかし、彼の足元に鎮座していた銀色の球体がすばやく彼の体を包み込み飛び退いたことで空振りに終わる。
にもかかわらず、時子は冷徹な笑みを浮かべてその艶やかな頬に指を当て、小首を傾げた。

「あら。どうして避けるの? その礼装、矛だけでなく、貴方を守る盾にもなってくれるでしょうに」

ゆったりとした口調で、時子は先程の斬撃の正体である、彼を咄嗟の攻撃から回避させた巨大な水銀の塊に目をやる。
そう。彼の礼装であるそれは、本来なら攻守ともに優れたものであり、さらにゆうならば、加えて敵の探索までもを自動で行動する代物だ。
だというのに、彼の礼装は時子の鳥の一撃を防ぐのではなく避けた。
ただ防ぐだけでは、防げないと判断したのだ。そしてそれは、彼にとっても同じこと。
ほぼ本能的に、あれに触れれば死ぬのだという漠然とした恐怖と焦燥が、一瞬にして彼らを支配したのだ。
そんな男の内心など知らぬとばかりに、時子は舞い戻ってきた炎に包まれた大鷲ほどの大きさの火の鳥を、愛おしそうに見つめ、触れるか触れないかのギリギリの距離に指を寄せる。
まるで顎の後ろを撫でるかのような仕草に、蒼色の目の火の鳥は心地良いとばかりに目を細める。

「この子達は、私のとっておき。不死鳥ではないけれど、それに限りになく近い火の鳥(紛い物)。どの子も可愛い、私の愛しい使い魔よ」

ねぇ、と、時子は3匹に笑いかける。
フィニア、フォワロ、リヴィルテール。それがこの3匹の名前なのだと楽しげに話す時子とは裏腹に、男は忌々しげにギリリと歯を鳴らした。
背中に流れる冷汗が止まらない。根拠などないというのに、先程からガンガンと頭が警鐘を鳴らす。
こいつはやばい。実力の差云々の前に、まず関わってはいけない、対峙してはいないものだったのだと。
しかしそのすべて不安をプライドで覆い隠し、彼は―――時計塔の魔術師は、水銀の中から姿を現し、柱のように背筋をまっすぐに伸ばして時子と対峙した。

「………我が名はアーチボルト家九代目当主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト」
「遠坂家四代目当主、遠坂時子」

厳かな口調で名乗りを上げたケイネスに答えるように、時子の方も厭うことなく名を告げる。
しかしもう遅い。彼は、彼女の逆鱗に触れてしまった。
『妖花』………時子がかつて時計塔内で呼ばれていた古い蔑称。彼女の忘れ去ってしまいたい傷に触れたのだ。赦すつもりなど、毛頭ない。

じりじりと互いに間合いを測り、枝に止まっていた、名も知れぬ鳥が羽ばたいた瞬間。
時子の火鳥(アン・フェニックス)が。ケイネスの月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が。
共に暗い夜を裂くように己の輝きを翻した。







2014.10.19 更新