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初陣




何だか、さっきからやけに彼女は機嫌が良い。
ピクシーに夕飯の食器の洗い物を命じながら、鼻歌交じりにジャケットを羽織り出かける支度をしている姉を見て、時臣は怪訝そうに首を傾げた。

「ふっふっふっふふーん、ふふーん」
「……姉君、何やらご機嫌ですね。何かありましたか?」
「え?」

楽しそうに鼻歌を奏でている時子を見て尋ねる弟に、時子は不思議そうに振り返る。

「私、機嫌良さそうに見えた?」
「は? ……ええ、鼻歌も歌っていらっしゃいましたし」
「はっ、鼻歌!?」

むしろなぜ気づかなかったのだと時臣が問うと、本当に自覚がなかったのか、時子はかあっと顔を赤らめて頬に手をやって顔を隠した。

「う、うそ。いやだ、私そんなのいつの間に………」
「姉君、今夜の討伐がそんなに楽しみなのですか?」
「何を言ってるのよ時臣、職務に楽しいも何もないでしょう!」
「しかし、姉君は楽しそうですが」

先ほどまで鼻歌を歌っていた人間は言っていいセリフではない。時臣のセリフにうぐっと言葉に詰まった時子だったが、言い訳のようにぼそぼそ別に楽しみじゃないもの、と口を尖らせた。
言って、自分が本当に鼻歌を歌っていたのかと唇に指を当てて少し考える。これから時子は、ギルガメッシュと共にキャスター討伐に赴く予定だ。綺礼のアサシンに探らせたところ、彼らは今郊外のアインツベルンの森付近を徘徊している。
アインツベルンの近くというのが若干の嫌な予感はするものの、うまく連携が取れればより簡単に仕留められる。もちろん、止めはギルガメッシュにしてもらい、報酬は独占させてもらう心積もりだが。

「(だから、どう考えても楽しみなんて……)」

これから行われるのはあくまでも聖杯戦争の一環で、この土地んセカンドオーナーとしての責務だ。共に行くのも、ギルガメッシュと2人きり。

「ふっ、2人きり!?」
「姉君!?」

はっと自覚しまって反射的に叫ぶ時子に、時臣もぎょっと目を見開いて姉を凝視した。けれど、時子には今そんなことにかまってはいられない。
2人、そうだ、当然聖杯戦争の戦闘に弟を連れ立ってなんていけない。彼にはこの場所を守護してもらわなければいけないのだから。波の魔術師な何年たっても解除できないほど複雑な術式を何重にも重ねているが、サーヴァントにそれは通じるか定かではない。ランサーのように魔術で編まれたものを断ち切る宝具を持つ相手には少し弱い。
時子はこの聖杯戦争に全身を傾けているが、『遠坂家』はそうはいかない。時子が聖杯を手にし根源へと至った後も、ここは続いているのだ。悲願を成就したあとどうなるかはまだわからないが、少なくとも凛と葵と時臣はまだこの場に住み続ける。悲願が叶ったからといって、急にドロンとこの家の人間が消えるわけではない。
先を見据えていかなければいけない分、ここより優れた魔術要塞などあり得ない。ならば、ここは家主がいなくなっても攻め落とされてはいけない城に他ならなかった。
当然表向きリタイアしたことになっている綺礼も無理。だから、時子はギルガメッシュと2人きりで行かなければ。

「………どうしましょう時臣。なんだか、緊張してきた……」
「ど、どうしました姉君。今日は変ですよ?」

おろおろと耳まで真っ赤になっている自分を心配してくれる時臣に感謝しながら、時子は自分の気持ちの不安定さに本当に困り果てて、時臣の手をぎゅっと握った。
ギルガメッシュと2人きりで外出。前回の遊興はなし崩し的に連れ出されただけだったから、予定を立てて出るのは、これが初めて。
そんな事だけでこれほどまでに取り乱してしまう自分が、時子は信じられなかった。

「と、と、と、時臣……な、何か、応援してくれる?」
「何かとは」
「「がんばれー」でも何でも良いの。もしくは応援歌とか」
「後者の方がハードル高いです姉君よ」

テンパって言った時子の言葉に時臣が冷静に突っ込みを入れると、時子は一瞬きょとんとして、少しだけ気が抜けたようにふっと笑った。
意図せぬ時臣の言葉だったが、それで、なんだか少し元気になった。

「…………ありがとう、時臣」
「いいえ。お気になさらずに。心配はいりません、姉君の元には、最強のサーヴァントがおります。彼がいれば、貴女に恐れるものなど何もありません」
「……うん。そうね」

ふっと微笑んだ時子に、時臣も応じるように自分の手を握っていた時子の手を持ち上げて、その手に唇を落とした。
彼なりの優美な鼓舞だ。しかし、そのサーヴァントが1番の問題なのだとは流石に言えず、時子はゆるく小首をかしげて、それを誤魔化した。

何とか気を取り直し、時子は外出用の暴漢に該当のほかに襟巻のファーをすると、時臣を連れ立って玄関へと行く。
扉のすぐ側まで来たところで、金の粒子が現れ人型を象り、ギルガメシュが姿を現した。

「行くぞ、時子」
「……はい、英雄王」

敵の討伐に赴くというのに甲冑を纏うこともせずいつも通りの服装のギルガメッシュに目線を合わせ、時子は小さく微笑んで頷く。
それに合わせて時臣が手に持っていた水晶の鳥籠を開けると、そこに止まっていた尾の長い真っ赤な小鳥が3匹中から飛び立ち、時子の方に止まった。
それが彼女の使い魔であるのを悟ったのか、ギルガメッシュはその鳥に対して何も言わず、時子に行くぞと体の動きだけで示して背を向けた。
時子はそれにまたはいと返すと、最後に2人に対し礼をしていた時臣を見て、愛おしげに笑った。

「それじゃあ時臣、留守は任せたわね」
「…………はっ。行ってらっしゃいませ、御武運を」

最後にひらひらと小さく手を振って。時子とギルガメッシュは、この鉄壁の要塞の扉から姿を消した。







2014.9.9 更新