小説 | ナノ

束間




時臣と朝食を済ませた後、璃正神父と示し合わせた通り全マスターの招集を意味するのろしが教会から発せられ、時子は翡翠で作った鳥の使い魔をそちらに向け放った。
そうして教会で行われた特例のキャスター討伐の任は璃正神父によってつつがなく行われ、反論が出なかったことから、すんなりとそれは決行された。

「………では、これでひとまずキャスターは放っておいても良いのですね?」
「そうもいかないわ。最終的に令呪を手にするのは私たちでなければいけないし、とりあえず今日もまた探しに出ないと」

そう言って書斎のデスクに腰掛けて苦笑する時子に、時臣は少し不満そうだ。
らしくなくぶすりとした子供じみた顔をする時臣に、時子は小さく笑ってその頭に手を伸ばす。

「そんな顔をしないの。大丈夫よ。確かにキャスターの工房を見つけるのは難しいかもしれないけれど、アサシンの人海戦術を使えば、見つかるのもそう遅くないわ。それで見つけたら、王を何とか宥めすかして、パパッと蹴散らして報酬でも貰いましょう」

わしわしとその柔らかな髪を撫でて、時子は愛しい弟ににっこりと笑いかける。
それで、ようやく少しこの甘えたな弟の機嫌が回復したのを悟った時子は、いい子いいことまた時臣の頭をくしゃくしゃ撫でて、自分がギルガメッシュを説得して支度ができるまで部屋で休んでいなさいと言いつけた。
ようやく素直に自室に下がった時臣を笑顔で見送って。彼の姿が完全に見えなくなり、自分の自室に戻り、ぱたんと扉を閉じたとこまでにこにこと笑っていて。
そうして、その扉がぱたんと音を立てて閉じたことを皮切りに、時子ははああ、と大きく息を吐き出して、自らに課していた笑顔の持続命を解除した。
それによって、時子の顔からは、疲れてぐったりとした表情が露わになる。

「はあ………危ない危ない。時臣には、これ以上心配かけられないもの。何より私が一番の当事者なんだから、先を思うと疲れたとか嫌だなあとか、そんなことも言ってられないわ」

座った椅子の背もたれに寄りかかって、時子は物憂げに溜息をついた。

「はあ…………上手く事が行くと良いけど」

今のところ、多少の誤差はあるものの、往々の策は上手い具合に機能している。
しかし、大事なのはその過程ではなく結果だ。今が良いからといって、安心していい理由にはならない。
そして、時子は今日か明日中にでも、今もなお彼女の収める地で狼藉を働いているキャスターとそのマスターを討伐しなければならない。
しかし、時子はそのこと自体を憂いているのではない。そんなことは、彼女がこの地のセカンドオーナーとして君臨している以上、当然の責務であり、また自身のひざ元で何の益もなく市民が殺されているということに関して、単純に怒りも感じている。
けれどもやはり、そのために自身のサーヴァントを駆り出さなければならなくなると、どうしても気が重い。
先日ギルガメッシュと共に出かけ、少しばかり打ち解けたものの、やはり、時子はギルガメッシュが苦手だった。
とにかく、彼を前にすると英霊かどうか以前に緊張する。隣にいられるとそわそわしてしまって落ち着かない。

「はあ………ああ、そうだ。今日の昼食は何にしよう」

疲れを感じさせるため息をつきつつ、自分には聖杯戦争とは別に面倒な仕事があるのを思い出す。
何しろ彼女のサーヴァントも口にするものだ。生きていた時代が違うため、何が彼の好みなのかはてんで解らない。何せそういった事は何も教えてくれないのだ。
それでいて気に入らないものを出せばその先は押して然るべし。全く面倒この上ない。

「はー……………」
「なんだ、随分と長い溜め息だな、時子」
「ひっ!? はははははいっ!」

不意に聞こえた低く甘い声に、時子はとっさにがたりと大きな音を立てて椅子から立ち上がって返事を返す。
そうして恐る恐る振り替えると、そこには案の定、彼女のサーヴァントの、ギルガメッシュが立っていた。

「ふむ。貴様はあれだな。とっさの行動となると少しばかり抜けている」
「………………あ、お、王………?」
「何だ」

恐る恐る時子が彼の敬称を呼ぶと、緩やかに首をかしげたギルガメッシュに問い返される。
……………何だ、とは、正直こちらのセリフだ。
いつもは呼び出した次の日に時子と共に買った現代服を着て冬木の街を好き勝手ねり歩いているというのに、どうして今日に限ってここへ。というより、この間ギルガメッシュの姿を参加者達に晒してしまったから、それも辞めてもらわなければいけなかったのだった。
時子が突然現れたギルガメッシュに動揺すると同時に憂鬱になるという器用な真似をして百面相していると、ギルガメッシュは無言なままの時子に、むっと柳眉をしかめた。

「おい、時子。この我に問いがあるというのに黙っているとはどういう了見だ? これ以上黙っているのであれば……」

ギルガメッシュの瞳が冷たく光り、その背後にうっすらと金色の波紋を見止めて、時子は慌てて手を振り弁解をしようと頭を下げる。
さすがに契約者である自分を殺すとは思えなかったが、それも正直確信が持てる推測ではない。このまま沈黙を続けていったい何をされるのか。考えたくもない。

「も、申し訳ございません王! その、王がこのように日の浅い時刻から私の自室にお越しいただくのに驚きまして。珍しいことと思い、つい問いかけを……」

してしまいました……と尻すぼみしながらおろおろと時子が弁明をして、恐る恐る上目でギルガメッシュの反応を伺うと、昨日と同じくなぜかじいっと観察するように凝視されていて、驚きのあまりビクッと過剰に肩が跳ねる。
その反応の意味がますます解らず、それ故に何が地雷になるのかも解らず。しかたなくそのままこちらも様子を窺っていると、そのままギルガメッシュは無言のまま時子の前に垂れた長い髪を一房手にとってしげしげと触ってくるので、さらに時子には訳が解らなくなってしまった。

「それで。お前は我に何か要件があるのか」
「はい? あの、ええと………」
「あるのか、と、訊いている。我が、お前に、訊いている」
「は、はいっ」

じろりと温度を感じさせない瞳で語気を強くするギルガメッシュに、時子も慌てて応じて話し出した。

「実は王、此度の聖杯戦争の中で、看過できない事態が発生いたしました。キャスターとそのマスターが、聖杯戦争を目的とせず、ただ市民の虐殺に重きを置いているのです。この土地のセカンドオーナーを勤めている私には、1日でも早く、これを討伐する義務があると。………その、おう? お手を……その……」

平常かと思いきや急に機嫌の悪くなったギルガメッシュに戸惑いつつも、これ以上機嫌を悪くなられてはたまらないと促されるままに本当ならもう少し間をおいてと思っていたキャスター陣営討伐の案件を話すものの、時子が話している間にも彼女の髪をいじるギルガメッシュに、いよいよどうしようかと困惑する。
そのまま時子の髪の一房を手に取ってくるくると指で弄ぶギルガメッシュに時子がおろおろと視線を泳がせると、ギルガメッシュにそのまま続けろとまた促された。

「……………で、ですからその。キャスター討伐の暁に与えられる令呪を他陣営に渡さない為にも、今宵夕餉の後、彼のサーヴァントの討伐に共に赴いていただきたく………」
「ほう。それはいつ頃か」
「は、8時頃に………共に行っていただければ」
「そうか。…………ま、良いだろう」
「はい……………はいっ!?」
「何だ。行きたいのであろう?」

最終的にはもちろん説得するつもりだったが、予想以上にあっさりと自分の頼みを承諾したのに、時子は思わず声を上ずらせて聞き返した。
そしてそれ以上に、いつの間にかすぐ近くにまで迫っていたギルガメッシュの整った顔に、声も出せない程心臓を跳ねさせた。
覗き込むように赤いザクロの果汁を満たしたような濡れた瞳に見つめられて、じわじわと頬が熱くなっていくのを感じる。
この現象は一体何なのだろう。時子はいつだって、ギルガメッシュの瞳に掴まると落ち着かない。
まるで石化の呪いでもかけられたように、体の機能が鈍くなる。
これは本当に、由々しきことだ。

「時子? 何だ、何故反応を返さぬ。この我の言葉だぞ」
「っぅ、は、はい、勿論です王っ! ありがとうございますっ!!」

硬直してしまった時子に機嫌を損ねたのかむっとした風に口をへの字に曲げたギルガメッシュにまたも慌てて声を上ずらせながら返事を返して。時子は、不自然にならない程度にすっと身を引いて彼から離れた。

「そ、それでは、今宵は宜しくお願い致します。それと、申し訳ないのですが、今宵の凱旋は私の使い魔にも同行を許していただきたく」
「………構わんが」
「重ね重ねのお許し、感謝いたします英雄王。それでは、私は今宵の支度がございますので、暫し工房に籠らせていただきます。御用の際は、時臣になんなりと、」
「おい、時子」

ギルガメッシュから一歩二歩と距離を取り身を守るように胸の前で手を組んで捲し立てる時子の言葉を、眉間に深くしわを刻んだギルガメッシュが重い声で遮った。
そのたった一言に込められた威圧に、このまま逃げ切る事など不可能だと悟って。時子は決心をつけるように小さく、けれどそれなりに深く息を吸い込んだ。

「…………はい」

小さく、普段の時子からは考えもつかないような恐々とした声に、ギルガメッシュはぴくりと眉を動かす。
そのまま先程時子が空けた距離を一歩で詰める自身の王に、時子が何をされるかと反射的に身を竦ませて。
その指が触れているのが辛うじて解るほど微かに自分の頬に触れたのに、時子はぴくりと肩を揺らして、そっと目を開けた。

「……王…………?」

目を開けた前にいたのは、喜も怒もなく、ただじっと自分を見つめるギルガメッシュがいた。
そのらしくもない静かな佇まいに、驚くと同時に少し心配になって、恐る恐る声を掛ける。
その顔が、本当にらしくもなく、哀しんでいるように見えて。
……………そして。

「――――戯けが」
「へ、ひゃ、ふぉう、にゃにをっ!?」

ぐに。と柔らかい時子の頬を目いっぱい伸ばしにかかったギルガメッシュに、さっきまでの感慨など吹っ飛んで、時子はぎょっとして声を上げた。それも、間の抜けた声に変換される。

「我を案ずるなどいい度胸だな? 時子よ。良いぞ、この肉、餅のように伸びてまったく愉快だ!」
「ふぉ、ふぉう、あの、もうひわけありませ」
「良いだろう。貴様の嘆願受けてやる。お前が指定した時刻になるまで、我は時間を潰すとしよう」
「………お、王」
「その代わり。今宵の遊興、我を楽しませられるものでなければどうなるか、解っていような?」
「あっ、王…………っ」

ぱっと時子の頬から手を離したギルガメッシュをとっさに追おうとして。金の粒子となったその姿に、伸ばした手は空を切った。
好き放題時子を振り回した挙句あっさり消えてしまった自身のサーヴァントをぽかんと目を見開いて見送って。時子はぽつりと呟いた。

「…………え、あれだけ?」

一体どんな叱りを受けるのかとビクビクしていただけに、未だに頬は痛くてひりひりするものの、拍子抜けする程あっけなく去って行ってしまった、全く読めない彼女の王。
その残滓を見送って。時子はほっとして息をつくと同時に、思っていたよりもそう人離れしていなかったギルガメッシュに、ぱちくりと瞬きをした。
そういえば、初めから人を圧倒させる威圧感だけはあったものの、今までギルガメッシュは普通に不機嫌になったりもしたし、楽しそうに笑ったりもしていた。
それら全て自分や平凡な人間とズレた感覚だとしても、ギルガメッシュは、人間と同じように、ちゃんと自分の感情があるのだ。

「………そう考えたら、そんなにびくつく必要って、もしかしてないのかも」

やっぱり、時子はこれからもギルガメッシュを前にすれば、きっと緊張してテンパってしまうのだろうけど。
それでも、彼は自分が思っているほど、イメージしていた「ギルガメッシュ」ではなく。
ここに居るのは、絵画の中の人物ではなく、肉を持ち、心を持った「人」のような存在なのだとにわかに実感に、時子は少し楽しくなってくすりと笑った。
それが、「マスター」と「サーヴァント」の関係から逸脱しているのだと、うっかり気付く事が出来ないまま。








2014.8.8 更新