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学生時代の蘇芳と草と鳥




どん! とほぼ同時に自身の前にあるテーブルにつかれた形の違う手に、時子は少し困った顔をして微笑んだ。

「どういう事ですか。説明して下さい、時子さん!」
「そうだよ時子さん。何事にもまず順序手ってものがさあ!」
「…えっと………」

右につかれた手は、時子が現在在籍している礼園女子学園の後輩でもあり、幼馴染でもある、長い緑の黒髪の大和撫子を具現化したような美少女。といっても、時子にとってはもう妹同然だ。実際未来の妹であることには恐らく変わりはないし、と、時子は純愛を貫く自身の弟と彼女を見守りながらいつも思っている。
そして左につかれた手は、同じく時子の幼馴染である、隣に比べると地味な顔立ちをした黒髪の少年。彼は隣の少女よりも年下であり、その仕草も彼女の弟と比べてしまうとたまにその年よりも幼いものが多いので、時子にしてみるとほんの小さな子供を相手にしているような気分にさせる。
その、彼女の妹分と弟分と言える2人が、普段とは打って変わって感情を露わにしている様を見比べて。時子は、少しだけどうしようかな、と苦笑した。
ここ喫茶店アーネンエルベでは、まだ出来て日が浅いお陰で客足がまばらでこちらに関心を示す客がいないことがせめてもの救いである。

「そんなに驚くこと? 私が高校の第2学年に入ったら穂群原学園に行こうって思うのは、そんなに変?」
「変です!!」

緩やかに小首を傾げた時子に真っ先に抗議したのは、右側の緑の黒髪の少女……もとい葵だ。

「なんでっ……よりによって、私が高等部に入る年になって穂群原学園に行ってしまうんですかっ! 私は……私は、時子さんの事お姉さまって呼べるの、ずっと楽しみにしてたのにぃっ!」
「ええ? そんなのいつでも呼べばいいじゃない。私、葵にお義姉さまって呼ばれるの、とっても楽しみなのよ?」

ばんばんとテーブルを叩いてヘドバンでもしそうな雰囲気で頭を振る葵を、時子はちょっと心配になりながらゆるく微笑んで受け流した。
時子にしてみれば、葵と時臣は学校を卒業してすぐにでも結婚してしまいそうなほどいつも仲睦まじくいちゃついているので、もう既に彼女を義妹として迎えているつもりでいる。
なのでいつでも「お義姉さま」と呼ばれる準備は万端なのだが、葵が言っているのはそんな事ではなく。礼園女子学園では高等部で下級生がが上級生を「お姉さま」と呼び、上級生がそれを受け入れるのは、周囲に姉妹に匹敵する仲睦まじさを示すという事に他ならず、すなわち暗黙の了解として、名実ともに互いが礼園の中で一番の仲だという事を全ての生徒に知らしめることが出来るのだ。
つまりは、中等部の時葵が時子に接触しようとするのをあの手この手で邪魔立てしてきた同級生も、自分を慕っているように見せかけて隙あらば時子とお近づきになろうとしてきた下級生にも。葵が時子と一番仲がいいのだと見せつけられる。もう誰にも邪魔されずに時子と一緒に過ごせるのだ。
しかしながら、そんな葵の思惑どころか、高等部にそんな暗黙の了解があることすら知らない噂に疎い時子は、残念ながらどうやっても葵の胸中は察せない。
それどころか、後に礼園のミサに顔を出した時子とばったり出会った蒼と名のつく眼鏡をかけた赤い長髪の少女に、自分の知らないうちにあれよあれよとちゃっかり「お姉さま」と呼ばれるようになっていることなど、葵はまだ知る由もなかった。

「とにかく嫌なんですっ! 大体、あっちには時子さんがずっと続けていたフェンシング部もないじゃないですか。大会にだってずっと出ていたのに、こんな中途半端に終わってもいいんですか?」
「ああ……まあ、確かに途中で放り出すのはいやねぇ。そもそも穂群原にはろくに練習場もなかったし」
「でしょう!?」

何とかして引き留めようと必死に言いつのった葵に、特に名門というわけでもない穂群原には特別な室内練習場もない事を思い出して、思案顔で首をひねる。
それにしめたとばかりに畳み掛けようとした葵だったが、その前にああ、と小さく時子が呟いて

「でも、この前建ったっていう弓道場もらえばいいかしら」
「いや流石にそれは理不尽だよ時子さん!?」

あとそれ貰うんじゃなくて絶対強奪する気でしょ!? と耐え切れずに葵の傍らに立っていた地味めな少年…雁夜がつっこめば、時子は邪気の一切ない顔でニコリと笑う。

「うふふ。まさか。ただちょっと校長室でお話し合いするだけよ?」
「笑顔が胡散臭い!!」
「まあひどい」

傷ついちゃうわ、と口では言いつつも全く意に介していない風な時子に、雁夜は頭に血が上っていたのも忘れてがくりと項垂れて席に着いた。
雁夜としては、ずっと遠くに行ってしまっていた大好きな幼馴染のうちの1人が帰ってきてくれるという事で、大いに結構なのではあるが、何分心の準備が出来てなかっただけでに、喜びよりも動揺が先に出てしまった結果、この喫茶店で葵と共に時子に詰め寄るに至っている。
付属校である穂群原中は穂群原学園からも近いし、授業が終わって急いで行けば、時子と一緒に帰れるやもしれない。………まあ、その場合、十中八九雁夜が誰よりも嫌悪するあの小奇麗な顔をした最後の幼馴染とも、一緒に帰る羽目になるのだろうが。
しかし、やはり時子が冬木に帰ってきてくれるのは純粋に嬉しい。ついでに葵も一緒に帰ってきてくれたなら万々歳、などと未来の自分に都合の良い妄想を思い描いで雁夜が夢の住人になっている間に、葵は葵で諦めきれずに時子に言い募る。

「ね、ね、いくら何でもできたばかりの学校施設を乗っ取るわけにはいきませんし、ここはせめて高校卒業まで礼園にいましょうよ時子さん」
「そうはいっても、私、高校を卒業したらしばらくイギリスにいるつもりだし」
「えっ…………」
「その間、どうしても時臣を1人にしてしまうことになるし。それを考えると、時臣が高校に上がって、私が卒業するまでの2年間くらいは、一緒の家で、寄り添って暮らしたいわ」

全寮制であり、普段ならばよほどの事例がない限り外泊はおろか外出すらも出来ない礼園女子学園なのだが、時子は成績が優秀なのと、家柄がそれなりにあるという事で、例外として土日の間だけ時臣のいる冬木の邸宅に帰っているのだが、それでも、今までずっと2人支え合い寄り添って生きてきただけに、中学に入ってからの時子は常に時臣不足で仕方がなかった。
もっと時臣と一緒にいたい。一緒に魔術理論の討論に花を咲かせたいし、新しく考えた魔術を共に試してみたい。それだけでなく、礼園に行くまでは日課だった、食後に暖炉のあるリビングで赤茶の柔らかなソファーの上で時臣の肩に頭を乗せて、彼が読み上げる歴史物語や数々の神話達の空想にふけることが出来なくなってしまったのが、時子は何よりも不満だった。
しかも、彼女は高校を卒業すると同時に、イギリスの時計塔へ行く。そうなってしまえば、もう今のように土日の間だけ実家になえるなんて言う事も出来ない。少なくとも、1年間は全く時臣に会う事が出来なくなる。長期休暇もあるのだろうが、何分まだ時子には勝手が解らないのだ。間合いによっては潰れる可能性もある。
今でさえ時臣成分が足りなくて物足りないのに、そんな状態で今度は1年渡英だなんて、そんなのはとてもじゃないが時子には耐えられなかった。

「私は、別に葵が嫌いだから礼園を出るわけじゃないわ。ただ、どうしても心配なの。あの可愛いさみしがり屋さんが、独りぼっちになってしまうのが」
「時子さん………」
「でもね。もちろん、貴女の事も大好きよ、葵」
「っ………時子さん!!」

やわらかく微笑んで向かい入れるように手を広げて見せる時子に、葵は耐え切れずその旨の中に飛び込んだ。
力任せにぎゅうっと抱き着く葵を腕に入れて、時子も愛おしそうに彼女を抱きしめる。
つややかな前髪をかき分けて露わになった額に唇を落として、時子は優しく葵の頭を撫でた。

「私が冬木に帰ったら、もう今のように会うことは出来ないけれど。それでも、疎遠になるわけじゃないわ。長期休暇に入ったら、いつでも家においでなさい。美味しい摘みたてのハブティーを用意して待っているから」
「はいっ……。私、時子さんといられなくなるのさみしいです」
「私もさみしいわ、葵」

腕の中で涙ぐんで言う葵に、時子も彼女の髪を撫でながらやわらかく返す。その言葉を聞いて、葵の胸はきゅっと切なくなった。
だったらずっと礼園にいて欲しい、なんてことは言えない。この美しい蘇芳の少女にとって、時臣がどれほど大切な存在か、幼馴染であるがゆえにとてもよく知っているから。
時臣がいなければ、今の時子はいない。また時子がいなければ、今の時臣もまたない。2人は互いに互いが無くてはならない存在で、そして何より、元が1つのものであったかのように、彼女たちは隣り合っていなくては死んでしまいそうな存在だった。
葵は、彼女の弟である時臣を愛しているが、同時に、時子のことも大好きだった。
そして何より、その2人がともに寄り添って笑いあっているのを見るのが、大好きなのだ。

「…………解りました。時子さんがそこまで言うのなら、私ももう反対なんてできません」
「葵……」
「だから、私も穂群原に入学します!」
「えっ!?」
「えっ、マジで!?」

ばっと時子の胸の中から顔を出して、強い意志をみなぎらせて宣言した葵に、時子がぎょっとして目を見開くと同時に、隣の雁夜が反対に歓喜の声を上げた。

「本当に!? 本当に葵さん、穂群原来るの!?」
「ええ。もちろん行くわ雁夜くん」
「で、でも葵、貴女小父さまにはどう説明をするの?」

すでに両親が他界している時子とは違い、葵の両親はいまだ健在だ。となると当然一学生は好き勝手に転入などできはしないし、葵の父は学歴にうるさく、どんなものも積み重ねた歴史が1番だと頑固に思っている。とてもこの徹底されたお嬢様学校からどこにでもある公立校の転入など、とても認めはしないだろう。

「大丈夫ですよ、ゴリ押しします! 今回ばかりはお父様の言いつけを守ってなんていられませんから」
「で、でも葵………」
「第一時子さん、高校生活が学生の青春のピークなんですよ? それなのに、こんな蔦の生えたろくに自由が許されない閉鎖空間になんて、もういられません!」
「え、ええと…あ、そう…………?」

ぐいぐいと先ほどとは打って変わって時子が劣勢になってきている中、葵は今度こそ畳みかけようと握ったこぶしに力を入れる。
もちろん、青春云々はただの口実だ。葵は言うほどこの礼園の閉ざされた空間に不満は持っていなかったし、閉ざされた空間は、言い換えれば外部の人間に手出しをされない、完全な安全を意味している。ミサも好きだし、豊かな森林が生み出す清廉な空気も嫌いじゃないし、むしろ葵の好きな部類に入るといえる。
だがしかし、そこに時子がいないとなると話は別だ。
そもそも礼園に行く決め手が時子と閉じた空間でたくさん過ごせることだったのだし。幼少の頃は、雁夜や時臣と4人でいることがほとんどで、2人きりになど全くなれなかったからこそ、これをチャンスと思って、親元を離れた心細い寮生活に飛び込んだのに。
なのに、青春の絶頂高校に入ったら、時臣にも会えず、時子にも会えない?

そんなの全く、堪えられた話じゃない。

「だから絶対に私、冬木の穂群原学園に行きますから!」
「でも葵、貴女の実家は隣町………」
「そんなの関係ありませんっ!」
「は、はい………」

キッ! とみなぎる決意を宿した瞳で睨み付けられて、そのあまりの剣幕に、時子は呆気にとられながら見送るしかできなかった。
その向かいで、雁夜が無邪気にわーいをもろ手を挙げて歓迎する。
そんなくるくると表情を変えるのに忙しい2人を代わる代わる見て、時子はまた楽しい高校生活になりそうだと、かわいい妹弟分たちを見て、ふっと楽しげに吹き出した。
その一連の喜劇を、こっそり見ていたネコモドキは思う。

「なーんか、変なユリ的修羅場を見た気がするニャ」

ぼそっと呟かれたその言葉は、幸いにもこの喫茶店の誰にも聞き取られることなく消えていった。








キリリクを踏んでくださった川瀬さまに捧げます。いやもう、ほんと遅れてすんまっせんでしたァアアア!
すぐかけると思ったのですが、意外にネタが見つからずに時間繰ってしましました。本当すみません!
日常ということで、本編より約10年ほど前の、彼らの学生時代のお話になりました。
結果的に雁夜があんまり出てなかったのですが、気に入っていただければ幸いです。
それでは、今度ともどうぞうちの子をよろしくお願いいたします。






2014.07.29 更新