小説 | ナノ

幕間




言峰綺礼は、遠坂時子という女性に出会った時の事を、今でも強く覚えている。
3年前、体に令呪が現れ父である璃正に相談したところ、翌日璃正に呼ばれていった屋敷の今には、見慣れない、丈の長い蘇芳のスーツを着た女性が璃正の向かいの椅子に座っていた。

「初めまして、言峰綺礼くん。私は遠坂時子。貴方のその腕にある痣に、それなりに精通している者よ」
「はあ………」

立ち上がって手を差し出してくる女性に、綺礼は怪訝に思いながらも手を握る。
綺礼が大人しく手を取ったのに満足したのか、にっこりと柔らかい笑顔を浮かべる女性を、初め綺礼は奇妙に思ったものだ。

「…………それでは、この痣は、その聖杯戦争に参加するための証である聖痕だと」
「ええ。これが出た以上、貴方が聖杯戦争に参加する事はほぼ確定になる。……一応、放棄する事も出来るのだけど」
「……いいえ。これが私に出たという事は、それに何らかの意味があるのでしょう。それが解らずとも、神がそうと定めた事ならば」

そう、初対面の綺礼に気遣わしげな目を向ける時子に首を振ってそう言うと、時子は驚いたようにまじまじと綺礼の顔を見つめた。

「真面目ねぇ、貴方。別に拒否をしたって誰も貴方を責めないのに。別に神罰が下るとか、そういうオカルトな事は起きないわよ?」
「……………いいえ。私には逃げる事も戦う事も、理由は有りません。それならば、貴女の役に立つ方が、第八秘跡としても為になるので」
「成る程……」

魔術を学問として学んでいる人間がオカルトとか言うなよ、とも少し思いながら綺礼がそう返すと、時子は目を丸くして、得心がいったというように頷いた。
その様子に綺礼が首を傾げていると、時子は綺礼を改めて上から下までじっくり見ると、楽しそうにずいと身を乗り出して綺礼の膝に置かれた手を握った。
それに綺礼がぎょっとするのも構わず、時子は子供のように無邪気に目を輝かせて綺礼の目を見つめた。

「貴方、面白いわね」
「…………面白い」
「ええ。どうして願いも何もない、魔術師ですらない代行者に令呪が出たのが不思議だったけど。もしかしたら、そんな貴方だからこそ聖杯は令呪を宿したのかもしれない。………なら、これから数年間、短い間だけれど、よろしくね。綺礼くん」

距離が近い。
とも言おうと思ったが、綺礼の目を見てあまりにも楽しそうに笑う彼女の綺麗なアリスブルーの瞳が光か何かに反射して眩しくて、それに目をくらましている間にとんとんと話しが進んで言って、よろしく、と小首を傾げて目を細めて笑う時子に、綺礼は半ば気圧されるように、はい、こちらこそ宜しくお願いします、と返していた。

妙な女だと思った。
話しているうちに解ってきたが、彼女は魔術師の癖に、他の魔術師にはない明るさというか気安さがあって、御三家という事でその世界でもそれなりに地位も知名度もあるのに、それを誇る事も誇示する事もない。
今では根源の到達よりも時計塔での地位に固執する魔術師の方が多い傾向にある中、時子はそんなものにまるで頓着していないようで、そんな事より机に向かって研究に没頭している方が楽しいと言う。
典型的な魔術師というよりも、自分はいわゆる科学者気質なのだと、魔術を学んでいるのに可笑しな話だなどと言いながら、時子は気恥ずかしそうに肩を竦めていた。
結局、綺礼は聖杯戦争が始まるまでの数年間、日本の遠坂邸に住み込んで、彼女の弟である時臣に師事する事で話がまとまった。
しかし、確かに英霊の召喚の為に最低限の魔術を学ぶ必要はあるにしても、正直綺礼はわざわざ時子が綺礼を弟子に迎えたがる理由が解らなかった。

「どうして、わざわざ私を弟子になど」

用は全て済んだとばかりにるんたったーと綺礼に背を向けて行こうとする時子に声を掛けると、彼女は体をひねって振り返ると、先程まで綺礼に向けていたのにはなかった甘さを含む笑顔で、きっぱりと言い切った。

「その方が、周りに不自然に思われないでしょう。それにね……私の弟が、一度弟子をとってみたいって言っていたから」

何とも弟君本位の考えだった。


しかし、時子は彼女の弟…時臣の弟子にと綺礼を連れてきたにもかかわらず、よく綺礼を構いたがった。
日中時臣が綺礼に魔術の基礎を教え、その休憩をしようと彼が地下の魔術工房から出ると、決まってその隙をつくように時子がひょっこりとそこに現れ、時臣とはまた違ったベクトルの魔術の指導をしていった。
この魔術は敵を攪乱するのに便利だとか、この魔方陣は実はここを省略しても問題なく作動するとか。
時臣と違って応用というか、その魔術の抜け道的な術式や自分で考え出した魔術を嬉々として教える時子に、綺礼は戸惑った。

「どうして、私にそんなに構うのですか」
「え? ………ごめんなさい、嫌だったかしら」

ある時つい気になってそう言うと、途端に申し訳なさそうに眉を下げてこちらの顔を覗き込んでくる時子に、綺礼はとっさに首をふる。

「いいえ、そういう事ではなく。貴女にこれをする事のメリットはあるのかと」
「めりっと? ええ、もちろん」

首を傾げて訊く綺礼に、時子は一瞬きょとんとして、すぐに当然のように頷いた。

「そんなの簡単よ。私はただ、貴方と何か一緒にするのが楽しいの。だって私、貴方がとても大好きよ」
「……………な」

そう、楽しそうな笑顔であっさりとそんな事を言ってのけた時子に、綺礼の思考は一瞬停止した。
大好き、などと。そんな事を、言われるとは思っていなかった。
綺礼にとって、時子も時臣もただの協力者であり、それ以上でもそれ以下でもない。それは、時子にとっても同じだと思っていたのに。綺礼個人に対して、何の感情も抱かれていないと、思っていたのに。
ごく当たり前のように大好きだと告げられた事が、綺礼には酷く衝撃だった。

「あっ、姉君! 何やってるんですかこんな所で!」
「ちぇ、ばれちゃった」
「ばれちゃったじゃありませんよ。綺礼の指導は私の仕事でしょう?」
「だって、時臣ばっかりズルいわ。私だって綺礼に何か教えたい」
「駄目です。綺礼の師匠は私なんですから」
「けちっ」
「けちじゃないでしょう、けちじゃ。駄目なものは駄目です」
「ふんだ。そんなの時臣が決める事じゃないでしょう? ねえ綺礼、綺礼は私に教えられるの嫌じゃないものね?」
「綺礼、姉君はこう見えてかなりしつこい。嫌ならはっきりと嫌と言いなさい」
「失礼ね、実の姉を捕まえてしつこいとはなんですか!」
「ええと………」

当の綺礼を放って喧嘩を始めてしまった時子と時臣に、綺礼は反応に困って眉を下げた。
最終的に別にどちらでも…と言葉を濁すと2人揃ってずんと落ち込んでしまったので、綺礼は慌ててどちらにも教えてもらって嬉しいとフォローを入れなければならなかった。
それから成り行きで時子にも師事をする事になり、ならばと何となく時子師と呼ぶようにすると、時子が酷く喜ぶので、逆に綺礼の方が戸惑ってしまったくらいだ。
それからも、時子と時臣は、何とも楽しそうに綺礼に色々な事を教えていった。
それは魔術の事に関わらず、時子と時臣自身の事、冬木という町の事や、はては遠坂邸に植えてある草花のうんちくまで。
正直要らない情報も多かったが、時子と時臣があまりにも楽しそうなので、茶々を入れるより黙っていた方が事を円滑に運ぶのに都合が良いだろうと、口を挟むのは躊躇われた。
それに、時子も時臣も、よく綺礼に好意を伝えたがった。もちろん恋愛的な意味ではないのは解ってはいたが、それでも毎日のように事あるごとに大好きだなんだと言う2人に、綺礼はその度に何と返したら良いのか戸惑った。

けれど綺礼は、時子や時臣に好きだと言われるのは、嫌いではなかった。
そう思って、嫌いではないと思っていた自分に、綺礼は驚いた。
今まで、彼は何も感じてこなかった。全てに対して喜びも憤りも感じず、妻となった人間が死んでも、それは変わる事は無く。
だというのに、彼女たちに対しては、何故か好きと言われるたびに胸の奥がざわめいた。
それは不快感に当てはめるには少し違うようで、かといって何かと言われれば答えられないのだが。……それは、決して嫌ではなかったのだ。











「綺礼、何を呆けている」

向かいに座る英雄王の言葉に、綺礼は彼方に飛ばしていた意識を仕方なく戻した。
この人の部屋のソファーに陣取り人が集めた酒を好き放題飲んでいる男は、件の綺礼の師である時子のサーヴァントだ。
人が仕事を終えて帰ってくれば、ほぼ毎日のようにいつの間にかここに入り込んで、酒を飲み綺礼の精神を弄んでいる。
今日も今日とて、人の愉悦だか何だかを探るなどと言いながら、聖杯戦争参加者の参加の動機を探れなどと一銭の価値もない事を命じてくるし、本当にろくでもない駄サーヴァントである。

「…………ところで、だ。貴様の師である時子の事だが」
「ん?」

ふと、そこでいきなり先ほどとは全く違う話題を出してきたギルガメッシュに、綺礼は怪訝そうに眉を上げる。
見れば、ワインの入ったグラスを悠々とくゆらせている様は変わっていないが、その目は何故か落ち着きなく泳いでいる。
さてはこいつ、初めからこれが訊きたくてここに来たなと綺礼が眉をしかめていると、それに気付かないまま、ギルガメッシュは形だけ先程と変わらない様子で話しを続けた。

「あの女、なかなかどうして面白い。からかいがいがあってな、見ているだけで、それなりに娯楽になるのだ。貴様は何か、あれについて面白い話を持ってはいないのか?」
「面白い? 何を言うかと思えば。我が師は常に心を落ち着かせ優雅であることを心がけておられる。そんな彼女に面白い、などと言い表す要素など………」

無い、と言いかけて、綺礼は思わず言葉に詰まった。

「………いや、あったかもしれない」

何、と興味深そうに身を乗り出すギルガメッシュそっちのけで、綺礼は少し前の事を思い出して物思いに耽った。
あれはそう。確か時子が洋服を見たいというので、それの荷物持ちに共に新都のデパートに行った時だ。敵を知るのも大切、などと言いながら電化製品のエリアに言った時子が、店頭に置いてあったビデオカメラの前に立った時、テレビに映る自分に、酷く狼狽えていた。

“えっ…えええ!? ななな何これ、どうして私が映ってるの!? きっ、綺礼、これどうやったら止まるの、怖い!!”
“落ち着いて下さい時子師。これはビデオカメラといって、映したものを保存し、テレビに接続してそちらに映像を出す事も出来ると言う……”
“そういう説明はいいから、お願い綺礼早く何とかっ……ひぅ、怖すぎて死んじゃう……”
“その場から退けばいいんですよ”

最後には本当に泣きそうな顔になりながら健気に綺礼の服の裾を握ってきた時子に、綺礼は呆れながらその手を引いてビデオカメラに映る位置から離してやった。
その時の今にもこぼれそうな程涙を目にためた時子に下から見つめられた時、なんかざわっとしたものが胸を駆け巡ったが、それはこの際いいとして。
もしかするとあれは、傍から見ると面白い、といえるものだったのかもしれない。こう、オペラとかでよくある喜劇的な。

「おい綺礼、何かあったのか」
「あったとしても、お前に言う謂れはない。言えば必ず師に言って遊ぶだろう」
「当然だ。その為に貴様に効いたのだから」

何を言うか、とばかりに言うギルガメッシュに、綺礼はなら絶対に教えないと返しておく。
第一、もしギルガメッシュがそれを時子に言って、自分が言ったなどと知られてしまったら、時子に嫌われてしまうかもしれない。
それだけは断固阻止せねば、と決意して、そこで綺礼は自分の思考に何か奇妙なものを感じた。

「(…………ん?)」

何か今のくだりに、変なところはあっただろうか。自分はただ、時子に嫌われないようにしようと思っただけで、特に何もおかしいところは………。

「その時子だが。あの歳で未婚とは、なかなかないのではないか? 時臣すら所帯を築いているというのに、まさか未だに生娘という事はあるまい」
「…………下世話な勘繰りだな、ギルガメッシュ。師は結婚が出来ないのではない、する気がないのだ。師がその気になれば、1日で彼女に見合う男など簡単に見繕える。まあ、貴様だけは天と地がひっくり返る事があろうと絶対にないだろうが」
「ほう……?」

またも考えに耽っている所にギルガメッシュにいらぬ茶々を入れられて、綺礼はつい言う必要もない事まで言い返してしまった。
しまった口が過ぎたと反省する間もなくギルガメッシュが蛇のように目を細めるのを見て、綺礼は思わず舌打ちをする。

「何故そう思う、綺礼。時子は娯楽として遊ぶのに退屈はせぬからな、我も戯れに女としての悦びを与えてやらんこともない。時子とて王の中の王たる我にその栄誉を与えられるのだ、断る理由などないだろう」
「少なくとも貴様が魔力を喰ってここに留まっているからには、絶対にありえない事だ」

と、ここでもまたつい多く口を滑らしてしまい、益々興味を引かれたのか、話すまでここから出ない、なんなら時子自身に問い詰めてやろうかと言わんばかりのギルガメッシュに、綺礼はこれ以上ない程眉をしかめて、仕方なく口を割った。

「…………師の魔力には、味がある。それは魔のモノにとっては殊更美味だと感じる味が」

それは言うならば、中毒性のあるジャンクフードや、ギルガメッシュが今手にしている美酒のような。
生きる上で必ずしも必要なものではないが、しかし一度口にすると、無性にまた手を出したくなる。いや、出さずにはいられない。一度その味を知ってしまえば、それを想い乾かずにはいられない。
綺礼はそれを時臣や時子本人から話にしか聞いていないが、それは彼女から匂いとしても発せられるらしく、その体質の所為で彼女は幼い頃から異様に魔に体を狙われやすく、その体を手に入れようとするモノに対する力が少なかった事から、よく魔によって苦んでいたり、生傷が絶えなかったらしい。
魔術師として成長した今では、その体から発せられる匂いも制御することもでき、そういった事はなくなったが。それでも昔彼女の魔力を喰い味をしめた魔から狙われ、年に一度は屋敷の結界を新しく締め直さなくてはいけない。実際、綺礼も何度かそれに立ち会った。

「だから師は、魔力を生命活動の主とするモノには何であれ最大限の警戒態勢を取っている。そんなモノと所帯など、一時のモノと解っていようと師が受ける事などありえない」
「…………成る程な、それは面白い事を聞いた」
「何を………」
「魔を惹き寄せる魔力……なかなか面白そうではないか」

ごくりとワインを飲み下し、愉悦に眼を光らせるギルガメッシュに、綺礼は思わず舌を打つ。
しまった。この話、こいつにだけは聞かせるべきではなかった。
その想うも、既に遅く。ギルガメシュはもう綺礼が何を言おうと時子にその事で手を出すことを阻止する事は出来そうにない。
綺礼はただ苦虫を噛み潰したような顔をしながら、せめて時子に何かあった時に身代りに出来るように、時子の周りにアサシンを今まで以上に配備させる事しかできなかった。








綺礼が綺麗に綺麗な綺礼の絵を描いた。
これを書いていると「きれい」がゲシュタルト崩壊しそうです。
文章の感じが普通の意味の綺麗なのか言峰の方の綺礼なのか、たまにごっちゃになりかけます。綺礼……恐ろしい子。
SNやってからzeroを読み返すと、改めて「誰だお前」って感想が強くなります。まあ、それは切嗣にも言える事なんですけど。
でもzero時の綺礼の内面を描写するのは楽しいです。葛藤する人の内面は複雑なので面白い。
そんな綺礼の幕間でした。前話より少し時間がまき戻りますが、うっかり入れ忘れていたのでここに入れておきます。






2014.3.30 更新