小説 | ナノ

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時子が地下の魔術工房に行くと、そこでは時臣がどこか戸惑ったような顔をして時子を待ち構えてきた。

「姉君っ」

遅いと言わんばかりに駆け寄ってきた時臣の身体を、時子は反射的に抱きしめる。
広い背中に手を回し、胸に頭を預けながら、時子は常ならあまりしないこの時臣の行動に首を傾げた。

「どうしたの時臣。貴方らしくない」
「………それが」
「ん?」

背中を優しく撫でながら尋ねると、時臣は言いよどむようにして時子を抱きしめる腕に力を入れる。
それが時臣の動揺と不安の表れと感じ取って、時子は先を促すように、そっと時臣の頭を撫でた。
自分を落ち着けるような優しい手つきに絆されて、時臣は時子頭に自分の頭を預けて話は出した。

「……………綺礼が、今日、教会から出て、どこかに行ったようなのです」
「綺礼が?」
「はい。それも、ハイアットホテル倒壊を見計らったように。どう考えても無関係とは思えません」

不思議そうに首を傾げる時子に、時臣は頷いて見せる。

「でも、そこまで気にかける事かしら」
「今まで、綺礼が私達の言いつけた事を破って何か行動を起こした事はありません。それが、この大事な局面に限っていきなりだなんて」

初めは静かに話していた時臣が、だんだんと不安に押させるようにして早口になっていく。
時子はその時臣の言葉を受け止めながら、彼を落ち着かせようと絶えず背中を撫でていた。

「綺礼のことです。初めは私達の事を考えた上での行動だと思いました。けれど、この状況下で、例えどんな事をしに行ったとしてもそんなメリットはどこにもない。となれば、それは綺礼自身の益になる事だったのです。今まで自分の意思を頑として出そうとしなかった綺礼が、ここにきて。けれど、私には綺礼が何に興味を示し、何をしに行ったのかがてんで解らない。3年もの時を過ごしていながら、私は、綺礼が何故あんな行動に出たのかまるで解らないのです。…………なら、私は今まで綺礼の何を見てきたというのでしょう。ずっと大切に想っていた弟子の気持ちが、私には、何も………!」
「時臣、時臣。落ち着いて」

話していくうちに次第に早口になり、感情に任せて叫び掛けた時臣を、時子が静かな声で鎮めた。
はっとしたように眉をひそめて押し黙った時臣を、時子は小さく微笑んで、またぎゅっと抱きしめた。
首に腕を回し、体重を全て預けるように体を密着させて、甘えるように時臣の首筋に頭を乗せる。
時子のやわらかな肢体と温度に、時臣の無意識に強張っていた体の力が抜けていく。
そのままゆっくりとふわふわの頭を撫でられて、時臣は慣れ親しんだ時子に抱きしめられる感覚に、ほう、と深く息を吐きだした。

「怖いのね、時臣。綺礼の気持ちが解らないのが。今まで大切に想って、綺礼の事を解っていたと思ってきたからこそ、綺礼の行動が読めないのが怖い」
「…………はい」
「……そうね。私も怖い。綺礼が、まるで知らない人になってしまったようで。そんな事、今まで一度だってなかったもの」

抱きしめ合ったまま、時子と時臣は静かに心境を吐露する。
彼女ら姉弟は綺礼を大切な弟子と、家族と思っている。
今まで2人が見てきた綺礼は、常に無表情で、感情をあまり表に出さず、師事した時臣と時子の命に忠実な、生真面目な良く出来た子、を地で行く青年だった。
命じた事に背く事無く、忠実にそれをこなし、決して逆らう事をしない。
弟子の鏡を絵に描いたような彼が、今になって突然、時子達に背く事を、それも一歩間違えれば計画が水泡に帰す事を行った。

「でもね。私、今それを聞いて初めて、私は綺礼の心の奥が見えたような気がしたの。あの子が胸の内に何を秘めているのか。今回の事って、それを知るきっかけになったんじゃないかしら」
「きっかけ……ですか?」
「そう」

不安げに瞳を揺らめかせる時臣に、時子は安心させるようににっこりと明るく笑って見せる。

「今まで私達は、綺礼の事何も知らなかったのかもしれない。でも、それが解ったって大きな事よ? だってついさっきまで、私そんな事思ってもみなかったんだから。知らないのなら知っていけばいい。綺礼は私達の可愛い弟子だもの。やっぱり、もっともっと、色んな顔を知りたいじゃない」

ふふん、とどこか挑戦的に笑う時子に、時臣も思わず笑みを浮かべる。
確かにその通りだ。今知らなくても、知っていけばいい。
そんな当たり前の事に気付かされて、時臣はもう一度強く時子を抱きしめると、照れ臭そうにどこか幼い笑顔を見せた。
それを見て、時子もつられて破顔する。

「…………だからこそ。私は綺礼が何をしに行ったのか興味があるの」

そして、そう言うが否や、時子の瞳が悪戯にキラリと光った。

「……? 姉ぎ………って姉君!?」
「だって気になるじゃない。あの子が私達の言った事を破ってまで何かをしに行ったなんて、きっとよっぽどのことに違いないわ。何それすごく知りたい。何かしら、恋? 好きな人でも出来て愛引きとか? だったらなおさら気になるわ。相手は一体誰かしら!」
「いやいやなんですかその老婆心! 違うでしょう、普通愛引きの為にそんな事しないでしょう!」
「馬鹿ね時臣恋を嘗めちゃいけないわ。私も恋の為なら千の夜を超えていけそうな気もしなくないかもしれない!」
「根拠が物凄い勢いでふわっふわじゃないですか! ああ駄目ですってば、この年頃の男は繊細なんですから!」

だあーっと勢い勇んで通信機に駆け寄ってそれを作動しにかかる時子を、慌てて止める時臣。
その会話が既に20半ばを過ぎようとしていく大の男に対する会話でない事に、2人は揃って気付いていない。
2人でぎゃあぎゃあ騒いでいくうちにも、時子は通信用の術式をよどみなく書き綴っていく。
そしてそれが完成し程なくして綺礼の効き慣れた低い声が聞こえてくると、時子は目を輝かせて、時臣はああもうと言わんばかりに手で顔をおおった。

『…………何かご用でしょうか。時臣師、時子師』
「こんばんわ綺礼。今日はやけに出るのが早いのね」
『は。丁度報告すべき事がありましたので』
「あら、それってもしかして、今日貴方が教会から出歩いてどこかに行ったっていう話?」

いつもの無感情な綺礼の返答にテンションの上がった時子が食い気味に尋ねると、音楽器を模した真鍮の朝顔から、綺礼の何とも言えない雰囲気と沈黙が伝わってきた。
常の綺礼ならば、間を開けずよどみのない返答が帰ってくるというのに、今のこの沈黙。
他の人間ならただ黙しているだけに感じるのだろうが、これは、3年を共に過ごした時子達だからこそ解る綺礼が無意識に出す感情のサインだ。
そしてこの雰囲気からして、綺礼は時子が今言った件を言いたくないのだろう。
そこから、時子は綺礼が今日の事を黙秘したままでつき通す気でいたのだと当たりをつけた。

『……………申し訳ありません時子師。小五月蝿い間諜に目をつけられた為、処置する為に止むおえず………』
「あら綺礼。私、貴方の報告の内容を聞いたのだけど? そんなみえみえの嘘はつかなくていいわ」

常と何ら変わりのない口調で淀みなく理由を述べた綺礼に、時子はどこか意地悪な笑みを浮かべて、きっぱりと両断する。
すると、朝顔から綺礼が微かに動揺した空気が伝わってきた。
普通ならば、そんな気配も矛盾点もなかった今の言葉に、嘘だとメスを入れる者などいないだろう。
だというのに何故、という綺礼の疑問が伝わってきて、時子は思わず噴き出しそうになって口をふさいだ。
その綺礼から発せられる空気が何よりの証拠だと、気付いていないのはこの中で綺礼本人だけだろう。
後ろを向くと、時臣が耐えられなくなったのか壁に手をついて肩を震わせていた。今彼の脇をつつけば、まず間違いなくその口からは耐え切れなくなった笑い声が噴き出すに違いない。

「ふっふっふ。そんな嘘でこの私を騙せると思ったのかしら? 甘い、私がいつも飲んでいるキャラメルマキアートよりも甘いわ綺礼。時臣なら「綺礼が隠していたいのなら」ってそれで済ませてあげるのかもしれないけれど、私はそんなに甘くはなくってよ?」

今にももれそうな笑いをなんとか耐えきって、時子は威厳たっぷりに綺礼に告げてみる。
時臣も笑いがやっと収まったのか、その反動で疲れた腹筋をさすりながら戻って来たのを見ると、時子は通信機の前の椅子に腰掛け、手を組んでその上で頬杖をつきながら、その向こうの綺礼を直接前にしているかのように、その真意を探るようにゆっくりと語りかけた。

「何か面白いものでも見つけた?」
『………………』
「………それとも、“もの”ではなく“人”かしら」

時子の言葉に、朝顔から伝わってくる雰囲気が僅かに変わった。
それを是だと取った時子が、思わず目を煌めかせる。

「ねえ、もしかしてそれって好きな人? 愛引きにでも行っていたのかしら」

口をなかなか割らない綺礼に、邪推した時子が耐えきれずににまにまとにやついてそんな事聞いてみる。
すると次の瞬間朝顔からすさまじい嫌悪感と威圧感が吹き荒れ、まずい事を聞いた、と思わず時子と時臣は顔を強張らせて唇を引き結んだ。
常日頃から多く言葉を語らず、また目からも何も感じさせないこの弟子にとって、時に彼から発せられる空気が一番その心情を物語るのだと、3年間の月日を共にした2人は知っていた。

「ええ、と……うん。ごめんなさい、どうやら違うみたいね」
『無論です。そんな事は断じて有り得ない。私はた、だ………』

苦笑して謝罪を入れた時子に、綺礼はそれに上乗せするようにきっぱりと否定した。
続いてその勢いに乗って口を開いたきれいだったが、途中で自分が口を滑らせているのに気付いたのか、言い淀むと同時にまた黙ってしまった。
しかしそれはただ黙っているのではなく、朝顔からは次の言い訳はどうしよう、といったたぐいのものが伝わってくる。
その或る意味かたくなな綺礼の態度に、時子は小さく苦笑して、綺礼ってば、と呆れまじり声を掛けた。

「もう、何のために人間に黙秘権が受理されていると思っているのよ。良い? 綺礼。言いたくない事があるなら、言わなくて良いの。言いたくなければ、黙っていればいいのよ」

何でもないような口調であっけらかんとそう言った時子に、しばし朝顔から綺礼が同黙した気配が漂ってきた。
彼がそう思うのも当然だろう。けれど時子はそれに構わず、むしろ少し楽しそうに再び綺礼に尋ねかけた。

「それで? 綺礼は、今回のこと言いたい、言いたくない?」
『…………………。言いたく、ありません』

朝顔がら絞り出すように聞こえてきた綺礼の声に、時子は満足そうににっこり笑って頷いた。

「ええ。解ったわ、なら聞かない」
『…………師は、それでいいのですか』
「良いも何も、綺礼が聞かれたくないっていうのなら聞かない。それだけよ」

戸惑ったような声の綺礼に、時子はにっこりと笑ってあっさり答える。
そして、それでこの話はおしまいとでも言うように、ぱんっと軽く手を打った。

「あ、それで、綺礼の言っていた報告したい事って何かしら」
『…………はい。それなのですが』

通信機からも時子にこにこと機嫌良さそうに笑っているのが想像できて、綺礼はそれに少し何とも言えない複雑な気分になる。
時子は自分のした事を不問にするどころか、何も言わなくて良いと言ったのは。正直なところ助かった。当の時子は怒るどころか上機嫌だし、時臣にしても何も言ってこないという事は、無言がそのまま時子の意向の肯定なのだろう。
しかし、今から自分が報告する内容を聞けば、時臣はともかく、時子の機嫌が確実にダダ下がりになるのが想像できて、綺礼は気が重くなると同時に、少しだけそれを勿体なく感じた。
しかし、流石にそれも黙っているわけにもいかないので、監督役の父璃正も通信機のある部屋に呼んだ所で、こちらは綺礼も素直にあらかじめする予定だった報告を述べる。

そしてキャスターとそのマスターの惨状を聞いていくうちに、やはりというか、上機嫌だった時子の機嫌がどんどん降下していくのが解った。

「……………そう。つまり、あの陣営は私に喧嘩を売っているのね?」
『いえ、決してそういう意図は彼らには―――』
「同じ事よ。私のシマに手を出したんだから、それ相応の対価は支払ってもらうわ」

顔をしかめて半目になりながら、時子は苛立ちまじりにゴキリと指を鳴らす。言い方が完全にマのつく自由業のそれである。魔王ではない方の。
暴走一歩手前の師を諌めようとして失敗に終わった綺礼は、そっと諦めるように溜息をついた。

「璃正さん、その件に関して、教会側で何かをする権限はありますか?」
『ええ。若干のルール変更は、監督者であるこちらの管轄内だ。参加者達に召集を掛け、キャスターを集中的に狙わせるよう計らおう。彼等が夢中になるように報酬でもつけて。………私が預かっている委託令呪一画でどうかね?』
「流石。上々です、璃正さん」

璃正の言葉に険しい顔のまま短く応えて、時子が頷いた。
そして一秒でも惜しいと言うように朝顔の置いてあるテーブルについていた手を離し、そこに傾けていた体を起こした。

「至急、召集の信号を打ち上げて下さい。なるべく今すぐに。それで、彼等にルール変更を言い渡し次第」

椅子にかけていた外套を手に取り、ばさりと翻す。
それを勇ましく肩にかけて、苛立ちを露わにしたまま、時子は高らかに宣言した。

「アーチャー陣営、出撃よ!」

そうして威風堂々とばかりに声を上げた時子に、綺礼は彼女らしいなと、自分でも気付かないうちに小さく笑みを浮かべていた。






タイトルを裏切って出撃しないでまた次回。
『出陣』じゃなくて『出撃』と言うあたりが、時子が喧嘩っ早い遠坂たる所以。みたいな。




2013.10.5 更新