小説 | ナノ

外野




衛宮切嗣は、アインツベルンに外から招かれた生粋の暗殺者である。
標的を仕留める為なら手段をいとわない“魔術師殺し”と呼ばれ恐れられている彼だが、しかしながら、彼とてやはり人間だ。経験を積み数多の事態を乗り越えていても、動揺もすれば困惑もするのだ。

目の前の光景のあまりの異常さに、しばし彼は沈黙する。
そしてややあって切嗣は射撃用のスコープから顔を外し、スコープの覗き過ぎで乾いてきた光を感じさせない黒々とした目をぱしぱしとしばたかせた。

「………………何あれ」

そう、いくら百戦錬磨な戦士であれ、彼だって立派な人間なのだ。
今まで穴蔵を決め込んでいた標的がやっと出てきたと思ったら道具であるはずのサーヴァントとラブコメ展開を繰り広げていれば、現実逃避もしたくなる。



切嗣が見張っていたのは、彼が所属しているアインツベルンと同じく御三家の一角である遠坂家の当主、遠坂時子だ。
今代の遠坂は逆らえば廃人にされるとか実は弟の遠坂時臣が本当の当主だとかその娘は当主と弟の近親相姦によって産み落とされたとか色々と噂が絶えないのだが、それだけに実態がなかなかつかめないのだ。
そもそも、姉と弟のどちらがマスターなのかも曖昧なのだ。
それでもどうにか尻尾を掴もうと屋上から張っていれば、その当主がやっと出てきたと思えばアーチャーと手を繋いでいるし、かと思えば担がれ、最終的にまた手を繋いで、サーヴァントに引かれるままにどこかに出かけて行ってしまった。

「いや……え? ほんと、どうなってるのこれ?」

これ聖杯戦争だよね? ラブコメもののバトル漫画とかじゃないよね? 大丈夫だよね?
こんがらがってきた頭をぶんぶんと振って、大きく深呼吸をする。

「とにかく落ち着け……折角出てき獲物だ。サーヴァントをつけているから仕留めるまではいかないものの、何か情報くらいは掴めるだろう」

「戦争」の二文字から死ぬ程遠いいちゃつきを見せつけられてガンガンと痛む頭を押さえながら、切嗣は自分に言い聞かせる。
あの2人の状況は依然として解らないが、それで標的を見失うなど愚考にも程がある。
クールだ。クールになれ、切嗣。大丈夫僕はやれる子。ブランクなんてなんぼのもんじゃい。
そう口の中でぶつぶつ呟いている時点で相当落ち着いていないのだが、とにかく切嗣は息をついて立ち上がり、黒いロングコートを翻して彼女達を追跡するべくビルの屋上を後にした。



そして、2人を追う事、数時間。

「うっわ……砂吐きそう」

切嗣は、彼女達を追った事を全力で後悔していた。
あの後、遠坂の当主とアーチャーの後を追っていると、アーチャーに手を引かれる形で、何故か遠坂の当主はアーチャーと共にバッティングセンターに入って行った。
当然何故バッティングセンター? と思ったのだが、そこで間諜と落ち合うつもりなのかと思いそれに続いたが、そんな事は全くなく、遠坂の当主はアーチャーに手を引かれてブースに入って行き、そのままバッティングを始めたのだ。
その時点で相当混乱した切嗣だったが、逆にそれは周囲の監視を欺くためのカモフラージュなのではとしばらく自分も周りに不審がられないようにバッティングのブースに入って球を打ちながら遠坂の当主を見張っていたのだが、当の彼女達は切嗣の考えなど知る由もなく、純粋にバッティングを満喫していた。
あれよという間にどちらが多く『ホームラン』を打てるかの勝負まで始めてしまった2人を見て、切嗣は、そこでようやく自分の推測が100%間違っていたと認めざるを得なかった。
ああこいつら、ただ単にデートを楽しんでるだけなのだ、と。

「僕、こんな所で何やってるんだろう………」

本当に。こんな一歩間違えれば相手に自分の居場所を知られるリスクまで負って、それで、自分は何をしたかったのか。
はあ、と重い溜息をついて、切嗣はがくんと項垂れる。
戦争中、見ることは無いとは思いつつも持ってきてしまったパスケースを胸ポケットから取り出して、ぱかりと開く。
そこに挟んでおいた一枚の写真―――自身の妻と娘であるアイリスフィールとイリヤスフィールが抱き合って微笑んでいる写真を見てほっこりと息をついたところで、ガンッと自分がまだ打っていなかった分の野球ボールに頭を横殴りにされた。

「もう嫌だ………帰ろう」

あ゛ー、と喉から絞り出したような溜息を吐いて、切嗣は全てを打ち終えないままでバッティングブースを後にする。
憂さ晴らしに自販機でコーヒー牛乳を買って一気飲みをしていると、視界の端に今日一日無為に監視していた遠坂時子とそのサーヴァントが映った。
休憩所を彼等と景品で占領しながらそれぞれ種類の違うビン牛乳を手に楽しそうに話している2人を見て、切嗣は呆れたように目を細める。
そりゃそうだ。あれだけめいいっぱいバッティングを楽しんで、加えて打つ球のことごとくを『ホームラン』に当てたおかげで、景品も大量だ。
聖杯戦争中だというのに気楽でいいこったと荒んだ気持ちで横目で眺めていると、意図せず2人の会話が聞こえてきた。

「では次は他のものにするか。それで貴様の性分が解るというものだろう」

どうやら、これからもこうした事をあちらは自重する気は無いらしい。
それならば、次はその隙を狙ってマスターを討ち取らせてもらうだけだ。
切嗣がそう思い頭の中で計画を練っていると、次の瞬間にそのサーヴァントの向かいにいた遠坂の当主の顔を見て、目を見開いた。

「次が……あるのですか?」


「(…………は?)」

その、幸せを噛みしめるような遠坂の当主の顔に、切嗣は思わず動きを止めた。
何だ、あれは。
何だ、その、まるでただの少女のような。
無防備で、それでいて、見る者を例外なく射止めるような。
彼女の相貌を仄かに彩ったその笑顔は、切嗣が今までイメージしていた彼女とは、全く違っていた。
いや、そもそも、彼女がその笑顔を向けているのは――――

「…………嘘だろう」

まさか、彼女はあのサーヴァントを。

そこまで邪推した所で、その顔を満足そうに見つめていたサーヴァントの眼がちらりとこちらに向けられて、切嗣は思わず息を飲んだ。

「……………っ!」

無意味な行為だとは知りつつも反射的に飛びずさり、慌てて視線をそらす。
柘榴に似た眼が興味をなくしたようにふらりと逸らされたのを感じて、切嗣は恐ろしい程の悪寒から解放された。
たった一瞬。たった一瞬その眼に射抜かれただけで、切嗣は一瞬にしてあのサーヴァントに呑まれてしまった。
信じられない。ただ気位が高いだけの英霊だと思っていたが、あんなの全くの規格外だ。
あの目は、切嗣の事を何とも思っていない。そこらに生えている雑草と同レベルのものとしか見られていない。
だからこそ、切嗣の行動が彼の意に沿わなければ、彼の身体は瞬く間に塵と化すのだろう。
バクバクと大きく鼓動する心臓が、彼がまだその焦燥から抜けきっていない事を露わしていた。

「……………ああ、全く」

冷汗で滲んだワイシャツの感触に眉をしかめて、切嗣は、肩手で顔をおおうと踵を返した。
ここに居ても何もならない。いや、むしろこれ以上この場に居ようものならあの規格外のサーヴァントによって自分でも気付かないうちに殺されてしまうだろう。
バッティングセンターを出た所で、切嗣は慣れた手つきで煙草に火をつける。
大きく息を吸い込むと煙が肺を満たす感覚でやっと生きた心地がして、改めて大きく息を吐きだした。
何なんだあの陣営は。ただのカップルにしか見えなかった。
それを頭の中で浮かべた瞬間、切嗣は今日一日自分のやっていた事が馬鹿らしくてしょうがなくなった。

「ぁー………アイリに会いたい」

つい一昨日まで閨を共にしていた愛妻の眩しい笑顔を思い出して少し涙目になりながら、切嗣は気持ちを切り替えるようにもう一度煙草の煙を肺の奥まで吸い込んだ。
とりあえず、狙おうとした瞬間命を刈り取られそうだから、遠坂のマスターを狙うのはしばらく保留にしておこう。






知らないうちにギルに守られていた遠坂の当主。
ケリィを出したのは特に意味はありません。ただ第三者から見たアーチャー陣営を書きかたかったんです。





2013.9.13 更新