小説 | ナノ

夕餉




物事とは、どんなに綿密に計画を練ったとしたとしても、得てして予定外の出来事とは起こるものである。
そんな事を、時子は今、身に沁みて感じていた。

「………うーん。どうしましょう」

片目だけで行われている視覚共有によって映る倉庫街での惨状を目にし、時子は何とも言い難い心境に、眉を下げて困り切った乾いた笑顔を浮かべる。
あの状況で、彼女のサーヴァントであるギルガメッシュが来ない筈がないという予想は、残念ながら当たってしまった。
まあ、それはいい。多少予想はしていた事だ。しかし、その後がまずかった。
ギルガメッシュが姿を露わした後、何故かバーサーカーまでが出現し、あろう事かギルガメッシュと交戦する流れになってしまった。
当然ギルガメッシュは湯水の如く宝具を射出する。本来なら、その時点でバーサーカーは昨夜のアサシン同様物言わぬ肉塊になり下がる筈だった。
しかし、恐るべきことにバーサーカーはギルガメッシュの攻撃を弾き返した。それも自身の宝具によってではなく、ギルガメッシュ自身が放った宝剣によって。
ギルガメッシュは憤り、さらにゲートオブバビロンを展開させる。彼が強力な宝具を出せば出す程、バーサーカーはそれに持ち替えて次なる攻撃を叩き落としていく。
こうなれば、彼はバーサーカーが対処出来ないほどの量とランクの宝具を出すしかない。
恐らく、あのバーサーカーはそういったスキルを備えているのだろう。それに加えて、何故かマスターに備わっている筈のサーヴァントの能力透視が出来ない。寧ろ目を凝らせば凝らす程、バーサーカーの姿は煙に巻かれていく。面倒なことこの上ない。
…………徐々にではあるが、時子達にとってあまり愉快ではない状況になりつつある。

「時子師、ギルガメッシュは本気です。さらにゲートオブバビロンを解き放とうとしています」
「姉君っ、序盤からこのように宝具を晒しては、わざわざ綺礼にアサシンを運用させている意味が…………っ」

苦々しいと言いたげな綺礼と、僅かに焦りを滲ませる時臣に、時子も顔をしかめて策を練る。
常套な手段でいえば、令呪を使うのが1番手っ取り早い。3つしかない絶対命令権の一画を失う事になるが、それでも序盤から真名を勘付かれるよりはマシだ。けれど。

「…………………っ」

どうしても右手の令呪を使う気になれず、時子は微かに唇を噛んだ。
これを使ったら、あの王は一体何と言うだろう。
憤るだろうか。それもそうだろう、自身の意思を無理矢理捻じ曲げられて、彼が黙っていられる筈もない。
もしも令呪を使ったら、彼は、ギルガメッシュは、時子に向けて一体どんな言葉を投げかけるだろうか……………。

有り得ない事に、時子は令呪の1画を失う惜しさではなく、ギルガメッシュに負の念を向けられることへの不安から、自身のサーヴァントへ令呪で命ずる事に躊躇していた。

数日のうちの交流で、サーヴァント(奴隷)である彼に情がわいた? 有り得ない。そんな事、時子がギルガメッシュのマスターである以前の問題だ。どんなに敬っていようとも、根本では彼は「従える者」であり、時子は「従わせる者」でなくてはならない。
自分自身にも解らない心に、時子は少なからず動揺する。使い魔に過ぎない筈のサーヴァント。臣下の礼を執っているが、最後には自害させると決めている筈の、彼女の英雄王。
今更、一体何を渋る理由があるというのか。
考えれば考える程、時子の脳裏に幼い頃の記憶がちらつく。
幼くまだ遠坂の魔術を成すだけだった彼女が、唯一執着を示した、古ぼけた一冊の本。
魔道書でも何でもない筈のそれを、彼女はどうしてか手放すことはせず、いつの頃にか、その本の頁を開く事が彼女の喜びだった。

「(っ…………だめ、集中しなきゃ)」

埋没していきかけた意識を、時子は頭を振って引き戻す。
そうじゃない。今、自分が気にするべき事は、それではない。
思考を集中させ、それでも出ない回答に、時子はすんでで舌を打ちそうになる。

「姉君、あまり時間は残されておりません」
「時子師、ご英断を」

決断を促す最愛の弟と弟子に、時子は返事を返せない。だって、自分でもどうしていいのか解らない。
解らない、けれど。きっと、それはやってはいけない事。そうしたら、もう戻れない坂を、転がるしかなくなる気がする。
きっとそれは…………それでは、駄目なのだ。

「………王よ。夕餉の支度が出来ました。どうかお戻りください」

だから、なのか。時子の口は、当たり前のように、有り得ない言葉を放っていた。

【…………は?】

念話よって伝えた事柄に、ギルガメッシュは初めてといって良い程、唖然とした声を上げた。
けれど時子は動じず、むしろそれが当然のように、彼に向かって言葉を募る。

「王、夕餉の支度が整いました。冷めてしまわぬうちに、どうかご帰還下さい」
【…………貴様、我を馬鹿にしているのか?】

低く唸るようなギルガメッシュの声は、しかし少しばかり動揺が抜けきっていないように感じる。
その言葉を聞いて、時子は声に出さず、人知れず小さく笑みを浮かべた。
何だか彼が、まるでただの人のように感じられて。
不敬にも、可愛らしいと思ってしまったのだ。

「いいえ、滅相もございません王よ。ただ、食事というものは、どのように気を使ってもやはり仕上がってすぐに食べた方が美味にございます。私はただ、王に冷めきったものを再び温めたまがい物を召し上がっていただきたくないのです」

ピクシーからおたまを受け取って言った時子の言葉に、ラインからひしひしと使わってくる苛立った雰囲気が、不意にピタリを止まった。
告げた言葉に、嘘はない。それを不敬と一蹴されればそれまでの話だ。
鍋の火を止め、ギルガメッシュの返事をじっと待つ時子に返って来たのは、腹の底から吐きだしたような長く盛大な溜息だった。

「……………へ?」

思わず、時子は虚をつかれてきょとんとする。
それとほぼ同時に、繋いだラインから呆れたようなギルガメッシュの声が聞こえた。

【……………貴様の考えは、王の中の王たる我の経験を以ってしても、ほとほと読めん】
「ぇ………あの、王……?」
【もう良い、飽きた。これより帰還する。それまでに夕餉の支度を整えておけよ】

そう言って、ぽかんとする時子を放って、さっさと念話を切ってしまった。
そのまましばし呆然として、ようやく時子は何が起こったのか理解が追いついた。

正直言って、引いてもらえるとは思っていなかった。
自分でも随分と馬鹿な事を言った覚えはあるし、よくよく考えれば、馬鹿にしているのかと怒られる可能性の方が高かった。
…………しかし、それでも、咄嗟に口をついて出たのがあれだったのだ。自分自身でも、先程の行為の深い理由は解らない。

「え……っと。つまり、王はこっちに返ってきて下さる、という事かしら?」

回らない頭で、何とか状況を把握する。
そうしてよし、と自分に納得させたところで、通信機から時臣の声が聞こえてきた。

「姉君…………」
「あら、どうしたの時臣」
「いや、どうしたのではなくてですね。咄嗟とはいえ、何故あのような事を。逆に王を激昂させる可能性だってあったのですから」

珍しく時子を咎めるようなその口調には、しかし時子に対する心配が解り易く滲み出ている。
時臣は今、この先の聖杯戦争での策略でなく、純粋に時子の身の安全への不安からそう言っているのだろう。
真面目な口調で取り繕っているものの手に取るように解ってしまうそれに、時子は次第に混乱し波立った心がほっと落ち着いていくのを感じて、安心したように身体の力を抜いて、小さく微笑んだ。

「……………ありがとう、時臣。私は大丈夫よ」
「…………貴女の大丈夫ほど、当てにならないものはありません」

少しばかり拗ねたような口調の時臣に小さく吹き出して、時子はやわらかく目を細める。

「酷い言い草ね。本当に平気よ。じゃあ、これから私は王の夕餉にかかり切りになるでしょうから、一旦礼装と使い魔との通信は切るわね。倉庫街の監視の指揮は、貴方が執ってちょうだい」
「………はい。承知いたしました、姉君」

どこか納得がいかなそうながらも、渋々といった口調で頷く時臣によろしい、と軽くふざけるように言って、時子は綺礼に監視の続行を言い渡してから通信を切った。同時に、繋いでいた使い魔との視覚共有を解除する。
あのまま戦況を見ながらギルガメッシュに応ずる事も可能ではあったが、そうすれば十中八九彼の機嫌を損ねる事は目に見えていたので、いた仕方ない。

時子はそのまま、ギルガメッシュが帰ってこないうちにと切ったパンとサラダなどを手早く皿に盛りつける。
それらと銀食器をテーブルにセットし、そして今夜のメインとも言えるビーフシチューを底の深い白磁の皿によそい、その拍子に指についたスープを拭おうとして、不意にその手を背後から何者かに掴まれた。

時子が反射的に振り返ると、現代の服装に身を包んだギルガメッシュが、まだ少しだけ不機嫌そうに佇んでいた。
お帰りなさいませ、と咄嗟に時子が言うよりも早く、ギルガメッシュは時子の手首を掴んだままそれを自身の唇まで持っていき、べろりと指についていたスープを舐めとった。

「な……………っ」

あまりの衝撃に、体をねじったまま硬直する。
吃驚、どこではない。もう体の全機能が一時的にストップして、思考回路が数秒だが完全にショートした。

「…………ふむ。まあ、この我に帰って来いなどと大口を叩いただけあって、味は悪くないな」
「ぇ……ぁ………」

ふむふむ、と唇を舐めてどこか機嫌を良くしたギルガメッシュに対し、時子は碌に返事を返せない。
訳が解らない。何故、自分は今、この男に指を舐められた?
気付いたら背後にギルガメッシュがいた事も、帰ってくるなりいきなり彼に自分の指を舐められた事も。全てが予想外すぎて、時子は完全に固まっている。
その時子の様子を、ギルは面白くなさそうに鼻を鳴らして一蹴する。

「帰ってこいと言ったのはお前であろうが。で、我に対し、貴様なんの応対もなしか」
「っ、申し訳ございません。お帰りなさいませ、王の中の王よ」

なしかと言われても、それは彼が自分の指を舐めた所為なのだが。まあそんな事を言っても機嫌を損ねるだけと、時子は言われるがまま頭を下げる。
といっても、未だ手を掴まれたままなので、いつものように優雅に腰を折って一礼する事は出来なかったのだが。
しかしそれでも満足したのか、ギルガメッシュは少しだけ口角を上げて、テーブルに置かれたパン達を一瞥した。

「ふむ。まあ及第点としておいてやる。おい、それらを我の部屋に運べ。どうもこの空間は好かぬ」
「はあ………」

顔をしかめてよく解らない事を言うギルガメッシュに戸惑いながらも頷いて、言われた通りに夕餉を運ぼうと体を動かしかけて、ふと思いとどまって時子はギルガメッシュの方へ体を向けた。
怪訝そうな顔をする彼を真っ直ぐに見つめてから、時子は自分手を掴んでいたギルガメッシュの手を逆に持ちかえて、恭しく頭(こうべ)を垂れながら、その手の甲に唇を落とした。
瞬間、何故かびしりと固まったギルガメッシュを不思議に思いながらも、彼の顔を見上げて、時子はふわりと微笑んだ。

「…………お疲れさまでした、英雄王。貴方に怪我がなくて、本当に良かった」

そう言って、心底ほっとしたように目を細める時子に、ギルガメッシュは何の反応も返さない。
しばらく待って、それでも固まったままのサーヴァントに不思議に思った時子はふと気がつくと、何故だかギルガメッシュは今までにない程眉間に深い皺を作り、睨みつけるように時子を見下ろしていた。

「へ…………え、あの、王?」

唐突なギルガメッシュの表情の変化に思わずぽかんとする時子だったが、彼女が皿に尋ねる前に、ギルガメッシュが時子の肩を掴み、ぐい、と自分から身体を引き放した。

「我は湯に入る! それまでに夕餉を我の部屋に運んでおけ!」
「えっ、あの。それでは冷めてしまいますっ」
「直ぐに上がる!!」

くるりと背を向けるギルガメッシュに慌てて時子が言い募ると、ギルガメッシュはどことなく苛立ったように大声で告げて、金の粒子となって宙に消えていった。
ぽつんと1人残された時子は、急なギルガメッシュの変化に、不思議そうに首を傾げた。

なんというか、今のギルガメッシュはいつにも増して様子が変だった。
自分の視線を意識してからは不自然に目線を逸らしていたし、消える直前に見た後姿から、少しだけ耳が赤くなっていたような気もする。
あの反応を、時子はどこか見覚えがあった。

そう、あれは、あの表情は、まるで……………。
あの時のギルガメッシュは、まるで照れているようだった。

「―――――っ」

それを実感した途端、時子は唐突に自然と口元が緩むのを感じて、咄嗟に手で両頬を押さえた。
けれど不思議と、時子はそのままゆるゆるとにやける顔を抑える事が出来なかった。
それは段々と広がっていって、いつしか時子は、頬を押さえたままあの時のギルガメッシュの顔を噛みしめるように笑っていた。
理由なんて、きっと随分と下らない事だろうけど。その瞬間、ギルガメッシュに少しだけ、近づけたような気がしたのだ。







結構どうでもいいことですが、この連載のコンセプトは「いい年こいた大人たちの初恋」です。
どうも、咲羅です。EXTRAcccの「英雄王とお話〜」でも思ったのですが、ギルの沸点はいまだに私も良く解かりません。何というか、予測不可能な地点で一気に上昇しますよね。
鈍感な主人公と、よく解からないところにツボがあるギル。こいつら変な所で似た者同士というか、たぶん自分が起こした行動が周りにどんな影響を及ぼすのかちゃんと理解していないです。
確信犯と見せかけて、根本の部分では天然なんですよね。そんな感じで、これからこの主従は互いに振り回し振り回される関係になっていきそうです。あとがき全然関係ねえ。
それでは、閲覧ありがとうございました。







2013.3.19 更新