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其処は、遠坂邸の地下にある工房。
今日此の場所で、その当主である遠坂時子は聖杯戦争の為の召喚の儀を取り行おうとしていた。
見守るは、後ろで控えている言峰璃生と、その息子綺礼。そして、

「姉君」

自分をそう呼ぶただ1人の人物に、時子は祭壇に聖遺物を置きながら体を捻り、声の方を向いて微笑んだ。

「何かしら?」

穏やかながらに気品を孕んだその声に、彼――時子の実の弟である遠坂時臣は、薄く曖昧に笑顔を向けた。
聖遺物を置き終え、完全に時臣の方を振り向いた時子に、時臣は何かを言いあぐねるような顔をして、また開いた口を閉じ、俯いてしまう。
時子はそんな弟に少し困った顔をして、聖遺物を祭壇に置くと、時臣の元に歩み寄り、もう随分前から自分より高くなってしまったその顔を、下から覗きこんだ。

「とーきーおみ?」

上目遣いの形で時臣の目を見ながら、時子は小首を傾げて優雅に微笑んだ。
その遠坂家当主然たる仕草を見て、時臣はますます言いよどむようにして口をつぐむ。
一見ただの無表情に見えるが、何十年という年月を共に過ごしていた時子からすれば、見破れない筈がなかった。
曲がりなりにも、彼女と彼は血のつながった実の兄弟である。いくら魔術師というものが合理主義者であっても、不安でたまらないというのが本音なんだろう。それに彼は小さな頃から少し時子に対して過保護な面があった。だからこそ、彼は妻子を隣町に移し使用人に暇を出した時子の元に、こうしているのだ。不安がないわけがない。
しかし時子はそんな時臣の胸中を容易く読み取り、瞳に愛しさの色滲ませて言葉を紡いだ。

「大丈夫よ、時臣。心配しないで? 私は誰にも負けない。貴方の姉は、必ず此度の聖杯戦争を勝ち抜いて、遠坂の悲願を成し遂げるわ」

そう言の葉に絶対的な自信を孕ませ、堂々たる威厳をもって微笑みはっきりと断言をする時子。
彼女の笑みには、力がある。それは、時に相手を癒し、勇気づけ、また畏怖の念を抱かせる事すらある。
時子がこういった笑顔を浮かべる時は、絶対に彼女が望まんとすることを成し遂げる。それを知っているからこそ、時臣はやっとそこでほんの少しだけ肩の力を抜いた。
そもそも聖杯戦争に参加する為の絶対的なチケットである令呪も持たない時臣が彼の妻子も使用人も出払ったこの屋敷に残っているのは、ひとえに姉が心配であったからに他ならない。
幼い頃から、魔術師の家系が一子相伝であるが故に時子の保険としてしか扱われなかった時臣を育てたのは、姉である時子と言っても過言ではない。その姉であり母である唯一無二の愛しい肉親を1人にしておきたくはないと思ったからこそ、時臣は数日前に時子と魔術を盛大に使った姉弟喧嘩を繰り広げたのだ。

本当なら、自分が遠坂の当主であったなら。自分に令呪が宿ったならなどと、考えない訳ではないのだが。
そんな時臣の思考だけを感じ取ったのか、時子は複雑そうに眉を下げて、己の右手に宿る令呪に視線を向けた。

「………ごめんなさいね。これは、本当は私よりも貴方の方に有って然るべきものなのに」

そう愁いを帯びた時子の眼と言葉に、時臣は答えあぐねるように視線を動かした。
本当は、きっと時臣の方が、自分よりもよっぽどこれが欲しかった筈なのだ。時子の弟である遠坂時臣という男は、当主である遠坂時子よりも、魔術師然としている男だ。
しかし現実は、時子は時臣よりも先に生まれ、魔術師としての才能も技術も、姉の方が時臣の持つものよりも格段に上であった。
だから必然的に時子が遠坂家当主となり、遠坂家としての令呪も、時子が授かることとなった。
しかし時臣は、それを怨むべきものとは到底思わない。そもそも時臣と時子の魔術師としての実力も才能も、いっそ絶望的な程に差があるのだ。時臣からすれば、今更足掻こうという気にすらなれない。彼は既に姉の実力を認め、自分の限界というものを既に知り、割り切っている。
確かに昔は必死に姉に追いつこうと魔術を学ぶ時臣とは反対に奔放に行動しながらも魔術をまるで己の手脚の延長線であるかのように扱う時子に子供ながらに怨嗟の念を抱かなかったわけではない。だが、全ては過ぎたこと。確かに今も令呪が己の手に宿ったなら、根源への到達を、遠坂の悲願を己が叶えられたらと時子以上に願っている時臣だったが、それでもやはり、この赤い印は、姉であり遠坂家当主である時子にこそ栄えるのだと、時臣は同時に思っているのだ。

「姉君」

時子の滑らかな頬に手を寄せ、上を向かせると、時臣は今度こそきちんと微笑んで見せた。

「今貴女の手に宿っているそれは、私の誇りです。心配など誰がしましょう。貴女は強い、そして誰よりも聡明だ。貴女に敵う魔術師など、この世に1人として有り得ない」

遠坂家の家訓に習い、優雅に、そして力強く。
時子の憂いを晴らすのが己に課せられた使命とでも言うように、時臣はやわく微笑んで時子に言った。
彼女が気兼ねをする最後の枷を外し、そして最後の背中を押すように。

時臣の言葉に驚いたように目を見開いた時子は、少ししてから、自身の頬に添えられた手に、そっと自分の手を合わせた。

「―――そうね、時臣」

ぽつり。ただそれだけ呟くと、時子は肉親にだけ向ける信頼しきった笑みを浮かべて、目を閉じた。生まれてから誰よりも近しくあった彼らには、それだけでもう十分だったのだ。
そして目を開けた時にはもう、“魔術師”遠坂時子が其処にいた。

時子は時臣の手の温もりからそっと身を離すと、祭壇の前、魔方陣を描く地点の前に立った。
無言でいる時子に、時臣も言峰親子も何も言わない。
そして時子は手に宝石を握ると、それを前に掲げながら、口を開いた。

「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公、祖には我が大師シュバインオーグ。
降り立つ風には壁を、四方の門は閉じ、王冠より出で王国に至る三叉路は循環せよ」

つらつらと淀みなく言の葉を紡ぎながら、時子は自身の手によって溶解させたルビーを以って魔法人を描き出す。
その顔は最早数瞬前の憂いを見せた妙齢の女性ではなく、遠坂家の“魔術師”のものだった。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

時子の全身に広がる魔術回路に魔力が流れ、彼女の身体全体を鈍痛が走る。
だが、時子はけして怯むことはない。これしきの事で、怯む筈が、無い。

「告げる、汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ―――」

時子の言葉に反応するように、彼女が描いた魔方陣から、突風と共に轟々と魔力が流れ吹き荒れる。

「誓いを此処に、我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ………!!」

掲げた右手を支えるように左手でその腕を強く握り、時子は高らかに唱えた。
逆巻く風と雷光。目も開けていられない程の風圧の中、召喚の文様が輝き、眩い光の中から現れるのは、黄金の甲冑を纏った、1人の青年。
その容姿を見て、時子は驚愕に目を見開いた。

此処で1つ明言しておくべき事柄がある。
遠坂時子は、生粋の面食いである。
基本的に顔の良い相手になら何をされても憤ることはなく、更にさらさらと風にそよぐような金髪の外国系の男なんてもうストライク過ぎて即骨抜きになること間違いなしな程である。
加えて彼女の幸運値は通常のものならランクAに相当する程のものだが、何故かこと恋愛運に関してだけはEと言っていいほど悪いのである。
つまり顔は良いが性格が腐りきっている男ほど、時子は何故か無性に惹かれてしまうのだ。

そして目の前にいるのは、燃えるような金色の髪を逆立て、威風堂々としたいでたちで彼女を見据える、人類最古の英霊、王の中の王であるギルガメッシュ。
ある意味、最高であり最悪の組み合わせだった。

「……やだ、超かっこいい」

彼の姿を目にした瞬間姉である時子が呟いた言葉に、時臣は頭を抱えたくなった。
彼にとっては悲劇も等しい喜劇が、どこかの神とでも呼べるナニカによって、緩やかに執筆され始めた。