小説 | ナノ

剣vs槍




ところで。遠坂邸は、電気の類を一切引いていない。照明は全て燭台に乗せた蝋燭か、夜になると光を放つ性質のピクシーを住まわせたシャンデリアのみだ。
ごく一般人からすればそれはあまりに頼りないものに見えるだろうが、時子達からしてみれば、それだけで十分すぎるほどの明かりが賄えている。
なにせ、単純な明かり不足で手元が陰る事も、電気のように一度に複数子使用しただけでブレーカーが落ちたりなどもしない代物だ。
難点を上げるとすれば、時子がその性質故蝋燭に魔術で火をともす時にうっかり蝋燭ごと融かしてしまう事程度。もっとも、時子や時臣などは、電気の仕組みというものもよくは理解していないだろうが。


そんな遠坂邸では、現在弟である時臣が地下の工房に籠もって綺礼と倉庫街で行われている公式では第2戦となるセイバーとランサーの戦いを吟味しており、姉である時子はというと、上の台所にて、のんびりと夕食をこしらえていた。
といっても、時子がまるっきりその戦いに関与していないというわけではない。カナリアを模した翡翠の使い魔を倉庫街に送り片目だけ視覚共有をし、隣に置いた魔術具で時臣と綺礼と通信を繋げるのも怠っていない。
遠坂時子という女は、何食わぬ顔をして抜け目がないのだ。
そんな訳で、時子は得意料理であるビーフシチューの鍋をのほほんとかき回しながら、戦況を傍観していた。
側に置いた蓄音機に似た地下にあるものに比べると小さめの礼装の通信機から、時臣の声が流れてくる。

「姉君。どうやらセイバーのマスターはアインツベルンのホムンクルスのようです。そちらの使い魔からは、何か変わったものは視認できますか?」
「いいえ。恐らくアサシンが見ている物より目新しいものはないでしょうね。私の使い魔は気取られないように少し遠方から監視しているから、景色はそれほど鮮明ではないし。
………それに、マスターがホムンクルスと決めつけるのは早計よ。もしかしたら、それは単なる囮かもしれない。マスターが衛宮切嗣であるという可能性はまだ捨てきれなくってよ?」
「……………それは、戦略的観察からですか?」

どこか解り切っているような苦笑を滲ませる時臣の問いに、時子は笑いを堪えるように唇を歪めて、それでも耐えきれずにふふふ、とごくわずかに笑い声をもらした。

「だってその方が、何だか面白そうじゃない?」
「貴女という人は………」

はあ、と時臣が脱力して溜息をついたのが聞こえて、時子は肩を揺らして笑った。
まるで戦争中とは思えないほどの彼らの呑気なやり取りに、綺礼が通信機の向こうで微かに戸惑う気配が感じられて、それが余計に時子の笑いを誘った。
時子は聖杯戦争に臨むにあたって万全の準備をきしたが、かと言って、いつもの自分の調子を崩すつもりは毛頭なかった。
これはあくまで自分の目的のための手段であって、けして特別な事ではない。何故なら己の起こす一挙一動こそが、根源への到達に繋がる手段なのだから。というのが時子の持論である。
だから、時子はあくまでも彼女らしく、彼女らしい手段で以って聖杯を勝ち取るつもりだった。
けれど、たかが手段の為にいつもの自分を曲げるのはなんだか釈然としない、と時子が言った時の時臣達の何とも言い難い表情は、時子は少しばかり不満だった。
あれは明らかに、「万能の願望器をたかがとか、聞く人が聞いたら発狂するな」と声には出ずとも顔が語っていた。というかあれは若干の呆れも交じっていたような気もする。良いじゃないか。モノの価値観なんて人それぞれなのだし。

「………では、衛宮切嗣がマスターであるという可能性も捨てきれないという事ですか、時子師」
「そうね。とにかく、綺礼は引き続き監視を続行。万が一気取られでもしたら全ての作戦が水泡に帰すわ。とりあえず、その場の監視はひとまず1人に留めておきなさい」
「承知いたしました」

頷く綺礼に微笑して、時子は鍋の状態に気を配りながら左目で倉庫代の様子を見つめる。
ここまでで解ったのは、彼等のクラス、詳細抜きの宝具、そして、あろう事か真名だ。有り得ない事に、彼等は交戦の合間に楽しそうに談笑し、あの誰が見ているとも知れない広々とした場で、互いの真名を看破しあったのだ。
正直、時子はそれを聞いて思わず失笑してしまったものだ。こちらとしてはありがたい事ではあるが、そんな可愛らしい素直な性格で、この先やっていけるかどうか。
彼等の暮らした時代がそんなものかなど知らないが、近代の戦争はそんなに気高いものだと時子は思っていない。なにせ、過去に向かって疾走している筈の魔術師間での権力争いだってああも醜いのだ。
特に緑の全身タイツっぽい服装に身を包んだ方のランサーは、最終的に敵の策略に嵌まって馬鹿を見そうな気さえする。何というか、全体的に幸の薄そうな顔をしているのだ。時子のサーヴァントとは大違いである。

敵方のサーヴァントの分析もあらかた済んだ所で、時子は良い具合に煮込まれたビーフシチューを焦げない適度の弱火に落としてピクシーにおたまをかき混ぜさせて、キッチンに設置してある石窯へ向かった。
青銅製の扉を開けて手を入れると、中から鉄板に乗せられた焼きたてのパンが現れた。
無論、それも時子の手作りである。

「おや。姉君、今日のパンはなんでしょう?」
「ドイツパンよ。付け合わせに良いパテが手に入ったの」

心なしか声を弾ませて訊く時臣に、時子は嬉しそうに微笑んで答える。
自他共に料理好きを自認する時子が作るパンは、下手なベーカーリーの店頭に並んでいる物より絶品だ。
カリッと香ばしく気持ちの良い音を立てる外側は硬く、けれど噛めば噛むほどくせになる。中はやわらかくもっちりとした触感で、日本人、ひいては遠坂家の面々の好みに沿って作られている。
当然、ビーフシチューとの相性も抜群だ。
セイバーとランサーの鮮やかな交戦を目にしながらも悠々とした姿勢を崩さないそれは、ひとえに彼女の自信と余裕故だろう。

鼻歌まじりに楽しげに時子が夕飯の用意をしていく中でも、倉庫街での戦闘を続いていく。
セイバーとランサーの接戦を見つめながら、時子は小さく息をもらした。
しかしそれは感嘆の溜息ではなく、退屈から来るものが大きい。

「それにしても。英霊同士の戦いは確かにすごいけれど、なんだか派手さに欠けるわねぇ」
「……あれを派手さに欠けると仰いますか、師よ」

ぼつり、とどこか不満気に漏らす時子に、綺礼は少々度胆を抜かれたように返す。

「だって、未だに宝具を開帳したのは片方だけ。しかも対人宝具だし、効果だって確かに使いようによっては優良かも知れないけれど、これ、ようするに撤退と交戦を繰り返さないと真価は発揮しないでしょう? 地味というかなんというか」
「貴女という人は………。相変わらず、姉君の派手好きは健在ですね」

ぶう、と少しだけむくれる時子に、通信機越しに時臣が苦笑交じりに返す。
折角真名すらおおっぴらに看破したのだから、いっそセイバーの方も宝具くらい開帳してくれればいいのに。ついでに言うとこの際どちらかここで消えてくれないだろうか。そんな真意もうっすらと見てとれる時子に、時臣は苦笑し、綺礼黙し諜報に徹する。
時子が派手好きというのは、綺礼にもこの3年間の付き合いで理解している。なにしろ爆発は芸術だとでも言いそうな程、彼女の戦闘スタイルは派手なのだ。特に赤系が好きそうだ。彼女の所持しているメインとサブの礼装は、どちらも炎系の魔術をアシストするのに特化している。
確かに真っ赤な炎を舞うように巧みに操る時子は筆舌に尽くし難いほど大層美しく麗しいが、彼女は特にそうする必要がない獲物に対してもそうだ。決して余分な魔力を使っているわけではない。ただ、綺礼にしてみれば不必要に感じる程度には、派手に対象を始末するのである。
その点、英雄王の宝具などまさに彼女の好み通りだろう。なんせあちらもあちらで恐らく時子以上の派手好きだ。彼の所持している宝具はどれを取っても、時子にとってこれ以上ないほど魅力的でかっこいい代物だろうことは、綺礼にとっても時臣にとっても想像に難くない。
見た目に合わず、時子は少年漫画じみた大ぶりな必殺技が大好きなのである。
いつかに時臣にこっそり聞いた話曰く、宙を跳ぶ斬撃など、表面上は変わらずともテンションが5段階くらい上がる勢いらしい。
それを思えば、まあ確かに、彼等の戦闘は見惚れるものはあれ物足りないのだろう。

どことなく彼等の生温かい視線というか雰囲気というものを感じ取ったのか、時子はこほんと大袈裟に咳をして話題を移す。

「ま、まあ良いんです、そういう事は。とにかく、ランサーの宝具はこちらにとっては脅威にはなり得ない。セイバーはこの場で出さないという事は対軍宝具か対城宝具の可能性が高いわね。もうこれ以上目新しい情報は得られそうにないけれど、綺礼、貴方は一応最後まで戦闘を監視して…………あら」

どこか飽きたように倉庫街に忍ばせた翡翠の鳥との視覚共有を切ろうとして、時子は小さく驚いたように声をもらした。
なにせ、彼等の試合に、あまりにも堂々とした横やりが入ったのだ。それも、登場早々自ら真名を名乗るという、馬鹿としか言いようがない程の厚顔無恥っぷりで。
更に余計な事に、そのライダーはあろう事かランサーのマスターに食って掛かったついでに、周囲に挑発を仕掛けたのだ。
あんな言い方をされてしまっては、王の中の王たる彼が、あの場に顔を出さない筈もない。

「…………何だか、面倒な事になったわねぇ」
「……………全くです」

目を細めてふうと息をつく時子に、時臣も頷く。
正直な話。もう何の収穫も得られないようなこの状況で、彼だけには、出て来て欲しくはなかったのだが。
しかし、もうこうなった以上は仕方がないだろう。
時子は早々に、どうやって彼を撤退させようかという方向に思考をシフトした。






2013.3.14 更新