小説 | ナノ






「悪霊退治、ですか………?」

遠坂家の大掛かりなハロウィンパーティーが終わり、夕方お菓子を貰いに行った凛と桜と付き添いの葵を見送ってからにっこりと笑って言った時子に、綺礼はわかり辛くきょとんとして、かすかに首を傾げて見せた。

「というよりは、魔物退治ね。代行者であった貴方なら鼻で笑う程度のものよ」

あっけらかんと言って地下の工房への階段を下りていく時子に、綺礼は燭台を片手に追いながら、はあ、と曖昧に返事をした。

「しかし、通常は早々魔術師の家に間など入り込まないものでしょう。ましてやこの家の結界は完璧です。魔術的干渉は勿論、魔力を含まない物理的干渉すら余ほどのものでない限り受け付けない」

サクサクと歩いていく時子の足元を照らすよう、言いながら綺礼の足も自然と早足になる。
しかし、そうして時子がさっさと足を進めるのも綺礼がきちんと自身の足元を照らしてくれると知っているから故であると綺礼自身も知っている為、綺礼は時子に何と言って良いかわからず、仕方なくその事には触れずに後を追う事にした。

「まあ、普通はそうね。でも知ってのとおり、この家は少し普通じゃないの。……ふふ、当たり前みたいに特に使い魔として契約していない天然の妖精がいる時点で、もう色々と変よねえ。それと、元々降霊魔術を頻繁に行うのと、私自身の体質の所為で、ちょっと魔が集まり易いのよね、この家。だから、丁度ハロウィンであるこの日に、一年間で広がった向こう側の穴をもう一度きっちり締め直すの」

ほら、元々ハロウィンって、魔除けの意味が強いでしょ? と時子は笑う。
しかし、そこまではにこやかにあくまで恒例の年間行事を話していた時子の顔が、次の瞬間には面倒そうに僅かに曇った。

「………で、ここからが問題。今年はね、どうもその近くに、妙なモノが張り付いてるのよ。放っておいても良いんだけど、結構大物みたいで、締め直した結界を突き破って出てこられても困るから、ついでに滅しておこうと思ってね。それを、綺礼に少し手伝ってほしいの」
「………成る程。話はわかりました」

ごめんなさいね、と眉を下げる時子に、綺礼はいいえと言って首を振る。
元より、この身はそういったものに特化している身である。仮にも若年で代行者を務めていたのだ。そのようなことは、綺礼にとって今更苦にもならない。

「ですが、それなら私に任せて頂ければ、師のお手を煩わせる事もなく済ませられると思いますが」
「あら、だめよそんなの。だってつまらn……弟子にばかり任せておけないわ。偶には私達師匠だって、貴方に良い所を見せたいもの」

思わず本音をぽろっとこぼしそうになったのを何とか誤魔化し(実際は全く誤魔化せていないのだが)、工房につながる扉に辿り着いた時子は、一歩下がって自分の手元を照らしている綺礼を振り返って、悪戯っぽく笑ってウィンクをした。

「これは、貴方の魔術の出来栄えを試すテストでもあるんだから」

その表情は、人と同じ美が理解できない綺礼が、嗚呼、きっとこれは見惚れるほど美しいのだろうなと思う程、とても麗しく、可愛らしいものであった。……………が、
どうでもいいが、顔の右半分が焼けただれている幻術を施したままでやるのは止めてほしい。と、無表情ながら思う綺礼だった。





気を取り直して、ギイ、と音を立てて扉を開くと、そこには既に結界を一度開く為の魔方陣を書き終えていた時臣が、2人を出迎えた。

「遅かったですね、姉君、綺礼。準備はもうできていますよ」
「あら、ごめんなさい」

チョークで簡潔に書かれた魔方陣であったが、そこからは既にほのかな魔力の流れが感じられる。
後ろ手に扉を閉める綺礼を見て、時臣は薄く笑って机に置かれたいくつかの宝石を手に取った。

「では、役者も揃ったところで。これより、屋敷の結界を一時的に解除する作業に入る。準備は良いかい、綺礼?」
「…………はい、時臣師」

その手に持ったサファイアに引けを取らない美しい瞳を綺礼に向ける時臣に、綺礼は恭しく頷いて、カソックに潜ませた十数本の黒鍵の柄を取り出した。
時臣も時子もそれに納得したように軽く頷いて、時子は陣の前に立ち手に持った宝石を掲げ、時臣はそこから一歩下がった位置で、自身の礼装である大粒のルビーが埋め込まれたステッキを構えた。
綺礼は、時臣に促され彼の隣でいつでも戦闘が可能なように黒鍵を魔力で編み控える。

全員の準備が整ったところで、時子が静かに呪文を唱え始めた。
彼女が一つ言葉を紡ぐ度に、陣から風が微かに漏れ、ついでにそのそばに隠れているという魔の気配も、次第に濃いものとなっていく。
魔術を使っているのと魔術回路が起動しているからか、時子の額に脂汗が浮かぶ。魔術とは、体の組織を全く違うものに組み替えるということ。身体から鱗が生えてくるような、額から角が付き出るような、そんな痛みに晒される行為だ。
綺礼でさえ、初めて本格的に魔術を扱った時は軽い眩暈さえした。
しかし、時子程の魔術師が、そんなものに屈すると思う方が愚かな行為である。時子はむしろその奥にいる魔を挑発するように不敵に笑って、陣の前で呪文を唱え続ける。
――――そして、彼女の手に握られた宝石が溶解され、その一滴が魔方陣の上に落ちた瞬間、それは一変した。結界が解ける兆しである。

「………ちなみに、時臣師。その魔物というのは、推定でどれほどの大きさなのですか」

魔法陣が青く光り、今にもその結界の入口に巣食っているという魔物が飛び出してきそうなところで、ふと綺礼は肝心な所に気がついて時臣に尋ねた。
もしそれが巨大なものであったのなら、広範囲の攻撃で一気に体積をすり減らすし、小さなものであるのならその分小回りが利きやすく素早い可能性があるので、動向にはより慎重に。標的の大まかな大きさを事前に知っていれば、それだけで事前にある程度は対策を整えられる。
そこにいると解っているのだから、当然大まかな大きさも知っているだろうと思った綺礼に、しかし時臣は緩やかに小首を傾げた。

「…………うーん、どうだっただろうか」
「は?」

バチバチバチッ、と魔法陣からスパークのように魔力が弾ける。
もうすぐにでも獲物が飛び出してきそうな状況で、だが綺礼はそれどころではなく、時臣の発言に呆気にとられ、少しの間だけ固まった。

「………師よ、今何と」
「いや、大きさなど、出て来てからすぐの倒すのだから些細な事じゃないか」
「………もし、その魔物がこの工房よりも大きな姿であったらどうするおつもりで」
「ははは、綺礼。何事もなるようにしかならないよ」
「…………時子師。時子師! 今すぐ結界を一時的に解くのをやめ、標的の大きさを確かめるか邸宅の中庭あたりで結界を解く事を進言し―――」
「何言ってるのか全然聞こえないけれど、来るわよ。構えて!」

嗚呼、何たる無情。
忘れていた。今の今まで師達の後姿があまりにも頼もしすぎて、綺礼は失念していたのだ。
この家の人間には、最早呪いと呼べるレベルで、うっかりスキル:Aが備わっていたのだと。
本当にもう止める暇もなく開こうとしている結界に、綺礼は神よ、と無意識のうちに呟き、手で十字を切って、どうかここから出てくる魔物が工房よりも小さくあれと、今までになく真摯に祈った。
ついでに、もうこの2人は私がしっかりして見ていないと駄目だと、心に固く誓ったのだった。



結果として、魔物は工房よりも小さかった。
思わずああ、神よ、心より感謝いたしますと手を組んで祈りを捧げた綺礼を時子達姉弟は不思議そうにちらりと見て、それからすぐに目の前の魔物に目を向けた。

それは、正しく黒い蔦の塊だった。
身体全体を黒々とした瘴気に覆われ、脚の代わりに、蔦が触手のように伸び四方でその図体を支えており、ア゛、ア゛と奇妙な唸りを上げている。
どう見ても理性も何もないその姿に、時子はやれやれと言いたげに肩をすくめた。

「もう、いかにも最近のSF小説にでも出てきそうな安っぽい魔物がいたものね」
「しかし、それなりに力はありそうですよ。全く姉君、貴女は厄介なモノを呼びよせる天才だ」
「あら、ありがとう」
「褒めてないですよ」

軽口を叩き合う時子と時臣だったが、綺礼にしてみれば、彼等が何故ああもけろりとしているのか解らない。
あれは、紛れもなく彼が代行者として倒していたものと同じ部類のものだった。
通常の魔術師ならまず見た事などある筈もない怪異の筈なのに妙に見慣れている風である2人に綺礼が怪訝そうな顔をしていると、それに気づいた時臣が、綺礼に向かって悪戯っぽく笑って見せた。

「言っただろう、我が家の当主は厄介なモノを呼びよせる天才だと」
「………そう。何も、こういうものが私目当てでやってくるのは初めてじゃないのよ」

綺礼の胸中の疑問をあっさりと解いてから、流石に始めは何事かと思ったけどね、と時子は苦笑する。

「だけど、大丈夫よ綺礼。こんなの、今時のホラー映画に出てきたって怖くなんかないわ。だって、ホラーの大原則にあてはまってないもの」

そうしてから、ニッと不敵に笑って、時子はぴ、と人差し指を立てる。

「一つ、怪物は言葉を喋ってはいけない。二つ、怪物は正体不明でなければならない。三つ」

三本目の指を立て、時子はゆっくりと、左手に持っていた礼装のいくつかの宝石が埋め込まれた黒の鉄扇を開いた。

「怪物は、不死身でなければ意味がない」

刹那、彼女の手の扇から、紅蓮の焔があふれだした。

「な―――――!?」

目を見開く綺礼を余所に、時子はふわりと扇を持ちかえ、舞うように手首をしならせて、横目で綺麗に笑って見せる。
ほら、こいつのどこが不死身なんだ? と。いっそ挑発的とも取れる表情で。

「Feuer(燃えろ)!!」

鋭く発した時子との言葉に従うように、彼女の手にした漆黒の鉄扇は目に痛いほどに真っ赤な炎を放ち、それを持った手首をしならせた時子はそのまま鉄扇をフルスイングし、紅蓮の炎をまるごと魔にぶつけた。
部屋よりは小さかったがそれでもギリギリ収まっている状態で身動きが取れなかったのか、それは避けようと身を捻るが間に合わず、彼女が熾した炎の渦に捕らえられた。
ギチギチと聞くに堪えない悲鳴を上げる魔は、しかし次第にどろどろと溶けていく。時子の魔術で起こす火は、“燃やす”でなく“融かす”特性を持っている。それは彼女の起源に由来しているそうだが、綺礼はまだそう言った事を教えてもらっていないため、理屈は解っていてもその理由は知らないのだが。

魔は依然として、時子の熾した渦から逃れられないでいる。これでは自分が出る幕などなかったのではないかと綺礼が思っていると、不意に隣にいる時臣は眉をしかめた。

「………………来ます、姉君」
「ええ」

いつになく鋭い口調の時臣に、時子も不敵に微笑んだまま頷く。
綺礼もその様子に状況を把握し、握った黒鍵を改めて強く握り直した。
渦に囲まれた魔はギチギチと悲鳴を上げながら、徐々に体を揺らしていく。炎に身を融かされながらもそこまで動けている様に、綺礼は半分呆れて、いっそ感心さえ抱いた。
不意に、魔の蔓で編まれた腕が、渦を突き破った。
そのまましっかりと床に就き、以前炎に包まれながらも天井に向けて体当たりをし始めた。

「っち、天井を突き破って外へ出るつもりか。綺礼!」
「はい、時子師」

時子の呼びかけに応じて、綺礼が目にも止まらぬスピードで2本の黒鍵を投擲する。それは魔の床についた腕を崩すように床に縫い付け、一度持ち上がりかけた図体を再び床に叩き付けた。
しかしまたも図体から新たな腕を生成しようとする魔のそれを、今度は時臣がステッキから炎を発生させ焼き焦がす。
ステッキの先端のルビーから熾したそれを鞭のようにしならせ、時臣は魔の反撃を悉く打ち落としていく。
魔が反撃に打つ前にそれを潰していく時臣を見て、綺礼は黒鍵を再び構え時子は胸に付けたブローチに手を掛ける。
…………と、時子がそのブローチを胸から外した瞬間、今までただ体勢を立て直そうと蔦で出来た腕を生成しようとするだけだった魔が、不意にその正面から大量の蔦の束を伸ばし、一直線に時子へと向かってきた。

「な………っ!?」

時臣が驚愕の声を上げ、ステッキを持った腕を振り上げ防ごうとするが間に合わない。
綺礼は目を見開き、せめて身代わりだけでもと手を時子に伸ばした時、ふと気付いてしまった。
時子が、眼前に迫ったその蔦の束を見て、その麗しい美貌を愉快げに歪めている事に。

「姉君!!!」

時臣が焦燥のこもった声で時子を呼ぶのと、時子の眼前に迫った蔦の束が巨大な爆発音を立てて霧散したのは、ほぼ同時だった。
それは“融かす”でも、ましてや“焦がす”なんて生半可なものでは断じてなかった。欠片一つ残さない程の完全な四散。
綺礼は咄嗟の事に思考が追い付かず、理性も知性もない筈の魔ですら、怯えたように身じろいだ。

「………あーあ。あなたの所為で、折角の上着に埃がついたじゃない。これ特注品なんだから、代えはそうないのよ。それに、私の時臣に不必要に心配までかけさせるなんて。
―――さあて、悪い子ね」

その言葉と同時に、時子の瞳に剣呑な光が灯る。
それに追随する様に時子の体からほとばしる魔力を感じて、綺礼は驚愕して目を見開いた。
綺礼だって、何もあの魔を恐れていたわけではない。やろうと思えば簡単に殺せると確信さえしていた。………けれど。
有り得ない。なんて事だ。あんなモノを目の前にしながら、時子は、初めから本気なんて欠片も出しちゃいなかった。

「本当は綺礼の復習テスト代わりにしようかと思ったんだけど、気が変わったわ。……あなた」

ギラギラと、時子の目が比喩ではなく本当に光っている。
そのままゆっくりと魔に近付いていく彼女に、魔は一層怯えるように暴れ渦から逃れようとするが、逆に流れに絡め取られるように自らどつぼにはまっていく。
炎圧が明らかに上がっている。最早渦から出る事すら許さないというように、伸ばされた蔦は片っ端から溶解され、どろどろと石のレンガ造りの床に醜い染みを作っていく。
これより彼女は、魔にとって対戦者ではなく断罪者だ。反撃も反論も許されず、いっそ理不尽とも呼べる理由で、これよりソレは滅される。

「………………消えなさい」

その言葉とほぼ同時に、魔の体躯を、金色の剣が貫いた。
その直後、断末魔1つ上げる猶予さえなく、魔は痕片もなく、時子によって生み出された焔によって溶かされた。
時子はそれを確認する事もなくずるりと気だるそうに剣を引き抜いて、それについた汚れを落とすように軽く振る。最低限しかついていなかったその剣は、そうしていくうちに形を変えていき、種類は違えど大粒の宝石のついたクラウン型のブローチに戻っていった。

呆然とそれを見つめる綺礼に、時子は少し恥じいるように頬を染めて、申し訳なさそうに綺礼を振り向いた。

「ごめんなさい、格好悪いところを見せてしまったわね。もっとスマートに始末するつもりだったのだけど」
「……………いいえ」

すまなそうに眉を下げる時子に綺礼は見惚れながら、首を横に振る。
立ち上る火柱を背に佇む時子は、今までにないほど鮮明で、今までにないほど美しかった。
まるで対象を始末する事こそが本分だとでも言うように、決然とするその姿はいっそアテネ(戦神)のようで。
時子の鮮明な炎に目を焼かれながら、綺礼はただ一心に、炎を前に佇む時子を、まるで子供が恋をした少女を見つめるように、一心に魅入っていた。

脳裏でこっそり、時子だけは怒らせないようにしようと、誓いながら。






2013.2.27 更新