12月30日。 季節は師走という言葉にふさわしく、教職の者でさえも忙しさから走りまわっている今日この頃だが、そんな中衛宮邸ではまるで外界から切り離されたように、ゆっくりとおだかに時を過ごしていた。 しかし、だからといって日本の年間行事から遠ざかっているわけではなく、改装され買い取った頃に比べて随分過ごしやすくなった家の中でこたつにぬくまりむぐむぐとみかんを頬張る切嗣を前に、時子は困り切った笑顔を浮かべていた。 「えっと……だからね? 大晦日は遠坂の家で過ごそうって思うのよ」 「………元旦は」 「それも……時臣達と初詣に」 「……………………」 むう、と子供のように頬を膨らませる切嗣の膝の上に座っていた士郎も、寂しそうに眉を下げて上目で時子を見つめている。 あの事件の所為か近しい人が傍にいない事を嫌う士郎のその様子に、時子の胸がちくりと痛んだ。 「時子ねえ、一緒におせち食べられないの? おれ、一緒に食べようと思って、がんばって色んなの作ろうと思ったのに………」 「う…………っ」 駄々っ子のように言われるよりも、そうしてあからさまにしゅんとされる方がダメージが大きい。 それを知ってか知らずか(いや絶対に無意識だろうが)垂れた犬耳の幻覚が見えそうなほどしょげる士郎を見て、切嗣はその身をぎゅっと抱きしめてじっと時子を見上げた。 「遠坂、士郎には父親(ぼく)しかいないんだよ。この子にとって、君は母親みたいなものじゃないか」 「おれ、姉ちゃんと一緒に紅白みたいよ」 「あぅっ…………」 うるうると瞳を潤ませる士郎を抱き寄せ、顎をその頭に乗せてじいっとどことなくさみしそうな雰囲気を醸し出す切嗣。 しかし、士郎はともかく、切嗣は確実に確信犯なことを時子は知っている。 切嗣はこの一年で、どのようにすれば時子の決心が揺らぐのか熟知している。 まさに切嗣。目的のためには自分の息子を利用する事も辞さないとは、なんというあざとさだろう。 しかしそうとは解っていても、このさみしがり屋コンビを前にしてしまうと揺らがないわけにはいかず、時子はうっかりうんと頷いてしまいそうになる自分を律するように、こほんと咳払いをした。 「あのねえ、ただでさえ日頃からこの家に入り浸っているけど、私の本来の家はあっちなの、あっち」 「別に、ここも君の家みたいなものじゃないか。君用の部屋もあるし、着替えの入った箪笥もある」 けろっとした顔でいけしゃあしゃあと言ってのける切嗣に、時子は顔をしかめて額に手を当てる。 「それは、貴方が事あるごとに泊まっていけ泊まっていけって無理矢理引き止めたり、ありがたいけれど大量の着物を私に送ってくれたりするから仕方なくでしょう? ともかく、こうした年の節目くらい家に帰らなきゃ、あの子達に申し訳ないじゃない」 「あんなシスコンなんて放っておけばいいのに」 「こらっ。いくら衛宮くんでも、時臣を悪く言うのは許さないわよ」 もう、と呆れたように溜息をつく時子に、ははは、と笑う確信犯な切嗣。 2人の様子を見ていると、良い子な士郎は、だんだんと遠坂の人達に申し訳なくなってきた。 時子自身が言うように、彼女の家は本当はここじゃない。元々時子は切嗣と仲良しだったから、彼の食生活を知っているだけに引き取られた士郎を放っておけなくてちょくちょく衛宮邸に来るようになっただけなのだ。 それをしめたとばかりに切嗣が泊まっていくように毎回言い、時子に懐いた士郎もそれを強く望んだため、今では時子は週の大半をここで寝泊まりするようになっている。 それを考えると、たまには時子をお家に帰してあげなくてはいけない気がしてくる。 「? どうしたんだい、士郎」 もんもんと難しい顔をして考え込む士郎に気づいた切嗣が話しかけると、士郎は切嗣を不安そうな顔で見上げた。 「なあじいさん。やっぱりわがままは言うのはいけないよ。おれ姉ちゃんの事大好きだけど、きっと遠坂の人達も、姉ちゃんのこと大好きなんだ。だから普段おれ達が独り占めしてる分、たまには姉ちゃんを返してあげないと」 「〜〜〜〜〜っ士郎!!!」 「士郎っ…………!」 健気でいじらしい士郎の台詞に、感極まった切嗣ががばりと後ろから愛息子を抱きしめ、向かいに座っていた時子は、感激して抱きしめられない代わりにばっと口元を両手で抑えた。 何もうこの子超天使!!! その瞬間、2人の思考はものの見事にシンクロしていたのだが、当の士郎は知る由もない。 そしてこの時から、切嗣はもうこれ以上時子を引きとめられないと悟っていた。 この最終兵器でもあった天使が追撃を止めてしまった事により、時子の意思はより固くなった筈だ。何より、自分がこの健気で可愛いにも程がある息子の想いを踏みにじるのが嫌だ。 切嗣はじいさん痛いと身をよじる士郎を渋々離しながら、それでも最後のあがきとばかりに口を尖らせて拗ねたようにじと目で時子を見た。 「……………良いだろう。仕方ない、君は年末年始を遠坂邸で過ごせばいいさ。その代わり、3日の日は1日中家にいること。一緒に残ったおせちとかお雑煮とか、鏡もち食べよう」 「……ふふふ。はい、わかりました」 やけに真剣な顔をして言う切嗣に笑って、時子はこの一年で随分と変わった親友に向かって、やわらかな笑顔で頷いた。 後日、元旦に遊びに来た大河に知らぬ間に残しておいたおせちを完食され、時子に食べてもらえなかったと士郎が珍しく声をあげて大泣きしてしまったのは、また別の話である。 . ← |