夜の帳が落ちる頃。暗闇に囲まれる森の中で、ウェイバーのすっとよく通る声が響いた。 「告げる―――」 昨日仕留めてきた鶏の血を使って描いた魔法陣の前で、ウェイバーが右手をかざして呪文を唱える。 魔法陣が赤く怪しく光り、儀式が始まっている事を示している。 これは今の彼には出来るかどうかギリギリのラインの召喚式だけど、失敗は許されない。すれば、待っているのは揺るぎのない死だ。 でも、ウェイバーはそんな中少しも物怖じする事なく胸を張っている。 あたしはそんな彼の姿を邪魔にならないように、後ろに下がって見守るだけ。今は紛れもなく、彼だけの戦いだ。そこへは、あたしが踏み込む余地はない。 「汝の身は我が元に、我が命運は汝の剣に。 聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に、従うならば答えよ」 魔法陣がより光を増し、そこから突風が吹き抜ける。 ウェイバーの身体の魔術回路に魔力が走り、今彼は魔術師が魔術を行使するときの独特な痛みを感じているだろう。だが、ウェイバーは怯まず、痛みを堪え眉をしかめながら、じっと前を見据えている。 「誓いをここに。我は常世全ての善となるもの。我は常世全ての悪を敷くもの。 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」 ウェイバーの言葉に応えるように、魔法陣からは一等強い光が発せられ、風と、そして魔力が比例するように迸る。 即ちそれは召喚が成功したことを意味し、ウェイバーの眼が歓喜に輝き、此方も吊られるように顔を綻ばせる。 そしてこの日、彼のサーヴァントである英霊が、この冬木の地に降り立った。 …………が 「…………どうして、こうなる?」 「うーん…。どうしてだろうねぇ」 わなわなと2つの意味でふるえる我がご主人にちょっと笑いなら、その小さな背中をよしよしと申し訳程度の励ましを込めて優しく撫でた。 人は、死というものを本能的に恐怖する。 火が怖いのも、暗闇が怖いのも、高いのが怖いのも、死ぬかもしれないからこそだ。 それが全く怖くないという人は、きっと、人としての本能がちょっと麻痺している人に違いない。 ごう、とそこであたし達のいる足場を揺らすようにな、比較的強めの風に身体が煽られる。 「ひいいっ! 死ぬ、死んじゃう。早くここから下ろせよ馬鹿あっ!」 ………だから、ほら。うちのご主人がこんなに怯えるのも、まあ、無理からぬ事なんじゃないかな? 男の子としては、ちょっと情けないかもだけど。 夜もふけている頃に、あたしとウェイバー。そして、つい先日あたしのご主人が呼び出したサーヴァント、ライダーは、冬木大橋のさらにその上のアーチの上で、町はずれの倉庫街を眺めていた。 昨日ウェイバーが召還したこのライダー、知る人ぞ知るアレクサンドロス3世、つまりイスカンダルは、あたし達が思っていたよりもでっかい人だったようで。 初めて召喚陣の中に立っているのを見た時は、ウェイバーともども腰を抜かしてしまった。 というか、英霊という存在はみんなこうなのかもしれない。 なんせライダー曰く、彼みたいなのがごろごろいるのが聖杯戦争らしいので。 舐めていたわけでは全然ないけれど、正直、そこでやっと戦争っていう実感がわいた。 いやあ怖いわ聖杯戦争。そりゃこんなのが10人近くもいれば“戦争”って銘打たれるよ。 というか、これ7人全員が本気でやり合ったら冬木市崩壊するんじゃないかな。 そんな不安を思い浮かべながら、あたし達はその第一線である現場を見学しているのであった。 「ねぇ、ライダー。貴方この距離でよくやり合ってるのが見えるね。あたし視覚強化してる上に双眼鏡使ってるけど米粒が見えるだけだよ」 「はっはっは! サーヴァントとは皆そういう者よ」 「へぇー。すごいなあサーヴァント。これからその当事者になると思う時が遠くなるよ」 「おい無視するなってば! っていうかレニス、なんでお前は平気そうなんだよ! こんなにここ高いのに!」 「あはは、猫は高い所が好きなものなんだよ」 涙目で怒鳴ってくるウェイバーにけらけらと返していると、むうっと悔しそうに睨まれた。かわいい。 第一、あたしはウェイバーと違って重力軽量化の魔術使えるからもし落っこちたとしても死にゃしないし。 けれどそれを言えば我がご主人は確実に拗ねてしまうから、これは自分の胸の内に仕舞っておく事にしよう。 「まああたしは重力軽量化できるからウェイバーと違って平気だけどね」 「きいいいいい! うるさいよ! レニスのばーかばーっっか!!」 なんて事をしてあげるのは主人に忠実でお利口な猫だけなので、あたしはにっこりと特上の笑顔を向けてきっぱりとウェイバーに言って差し上げた。 うん。ここが高いのと単純に悔しいのとで二重の意味で涙目なウェイバーの顔、プライスレス。 この可愛らしいご主人を遣り込めるのは、いつだって気分が良い。 好きな子ほど苛めたい。というよりも、この子のこういう顔がたまらないのだ。 思わずご馳走を追い詰めた猫のように、舌なめずりしたくなる。 「まあ、それはそれとして。こんなので怯えてる場合じゃないよウェイバー。あっちでやってる本場のサーヴァント戦はもっとスリリングだよ、絶対」 「何でちょっとニヤニヤしてんだよこの博打馬鹿!」 「博打馬鹿とは失礼な」 別にあたしは博打が好きな訳ではない。ただ、人よりちょっとチキンレース的状況が好きなだけである。 「だからって時計塔で手当たり次第に賭け魔術試合仕掛けるなよ……」 「いいじゃん偶にしか負けないんだから」 それに、周りがあたしにばっかり賭けてる時だけ手を抜いて負けた時のあいつらの顔もたまらない。なんかぞくぞくする。 闇打ちされるかも、とか考えるとちょっとわくわくしたりもする。 「…………変態」 「その変態が大好きなのはどこの誰かしら」 「……………僕だけど」 ああ、ほんとその顔たまんない。 ぷくぷく頬を膨らませて、顔を赤らめながらそっぽを向いたウェイバーに思わずにやついてその顔を覗きこもうとしていると、不意にライダーが立ちあがった。 「「ライダー?」」 「おい、まずいぞ小僧、小娘。ランサーの奴決め技にうったえおった」 「はい?」 いや、え? あんたそれが狙いなんじゃなかったの? 呆気にとられていると、ライダーにとってはただ単に2人の戦闘に割って入る機会を窺っていただけらしい。何だそりゃ。知らない子達に「あーそーぼー」って言えない小学生か。 というか、この人的にはむしろどっちにも死なれちゃ困るらしい。………なんていうか、英霊じゃなくて、この人が色んな意味で規格外なんじゃないの? 「よし、行くぞおぬしら!」 「え、えええー………」 意気揚々と神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を召喚し出したライダーを呆気にとられてみて、それについていくか少しばかり躊躇する。 戦闘中にいきなり第3者割って入るとか、それどう考えても相手怒るでしょう。あたしだったら興削がされた腹いせに絶対殺す勢いで襲いかかるよ。 それが英霊となったら相当ヤバ………この人、ひょっとして単なる自殺志願者じゃないのか。 そうこうしているうちに、ウェイバーまで行く事になってるし。 来るよな? お前もちゃんと来るよな? とばかりに必死に鉄骨にしがみつきながらじっとこっちに目線で訴えてくるウェイバーに苦笑して、よっこいせと立ち上がって、固まった首をほぐすようにコキコキと首を鳴らした。 「………しょうがないなあ。可愛いご主人と、そのサーヴァント様のおうせのままに」 ぐーっと伸びをしながらにっとウェイバーに笑って見せると、そこでがくがく震えていたウェイバーも、震えながらも無理矢理口角を上げて、不格好だけど、同じように笑って見せてくれた。 うん。何があっても、君はとりあえずそうやって笑っとけ。 そうしてさえくれれば、あたしは文字通り、例え火の中水の中。どこへだって飛びこめるし、頑張れる。 …………うん、だけど。 あの、イスカンダルさん。剛毅な小娘だーって誉めてくれるのは嬉しいんですけど、大笑いしながら頭掴んで撫でくり回すの止めて下さい。足場が安定しないのは流石に怖いです。 ***** …………い、1年ぶりの更新……! 2013.9.21 更新 ← |