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梅雨のはなし。





サァサァと、窓の音から静かな雨音が聞こえてくる。
ここ一週間ほど、空は雲間から青を覗かせる事無く、曇天と共に大量の雨風を撒き散らしてばかりいる。
その所為でここ数日碌に出かけられていないマスターは、窓辺にぺったりと張り付いて、恨めしげな視線を空に送っていた。

「アーチャー。この雨、何時になったら止むと思う?」
「……うん? 残念だが、君は知らないようだがこの国のこの季節、雨が降っていない時の方が珍しいんだよ。君の好きなからりと晴れた空を見るのは、当分先になるな」
「うえぇ………」

キッチンで昼食をこしらえているアーチャーの返答に、マスターは苦い物を呑みこんだように顔をしかめて肩をすくませると、そのままごろりと最近購入したカーペットの上に寝っ転がった。
雨の音とアーチャーが食材を炒める音しかしない静かな空間で、マスターはころころとカーペットの上を転がりながら、ふといつもいる筈のこの家のムードメイカーが、先程からやけに静かなのに気がついた。

「………アーチャー、エクストラは?」
「ああ。彼女なら、君が暇だなんだと寝室にこもっていた時に、散歩に行ってくると出て行ったぞ」
「えっ……こんな雨なのに!?」

さらりとのたまったアーチャーに、マスターは反射的に目を剥いて体ごと視線をそちらに移す。

「何だ。そこまで驚くような事かね」
「だって雨だよ? ずっと振ってるよ? 濡れちゃうよ?」
「な、……っはは。心配せずとも、ちゃんと傘を持って行ったよ。いくらあれでも、傘をさしてもなおずぶ濡れになる、という事はないだろう」

あわあわと身ぶり手ぶりで自身の慌てぶりを表現するマスターに、アーチャーは思わずといった風に吹き出して、それでもなお心配そうに顔を曇らせるマスターに、アーチャーはいっそ微笑ましささえ感じ、またくつくつと笑いながらそれに答えた。

「なに、雨の日はそれはそれで独特の風情があると楽しんでいるのだろう。彼女はああ見えて、なかなかに詩人だからな」
「………ふうん?」

少し皮肉気に笑って言うアーチャーの言葉に、マスターは怪訝そうに眉根を寄せて首を傾げているものの、一応は納得したようで、それ以上はエクストラについて何も言わず、ただ先程よりもより一層、どこか真剣みを帯びた眼差しで窓の外、それも外ではなくアパートにつながる入り口を見つめていた。


そうこうして、アーチャーが作っていた料理たちも佳境に差し掛かる。
リビングまで漂ってきた芳ばしい香りにつられるようにして、マスターがふらふらとキッチンへとやって来た。
あとは皿に移すだけとなった昼食を見て、マスターは目を輝かせて歓喜の声を上げる。

「うわあ、いいにおい。アーチャー、今日のお昼はなあに?」
「焦がしバターのたらこスパゲッティと、チーズ入りオニオングラタンスープだ、マスター」
「へえ、お昼から豪華だねえ」
「こう連日雨になると、流石の私も気が目いる。その気分転換も兼ねてな。それに、美味い飯を出せば、近ごろ気が沈みがちな君やエクストラもの機嫌も上がるだろう?」
「ぼっ、僕、そんなに食いしん坊じゃないよっ!」
「そうか。ちなみに、今日のデザートは果肉入りみかんゼリーだ」
「えっ、みかん!?」

何でもない風に冷蔵庫を指差したアーチャーに、マスターがぱあっと顔を輝かせて勢いづいてアーチャーの方に身を乗り出すと、そこで彼が笑いを堪えているのに気付いて、むうっと頬を膨らませてじと目でアーチャーを睨んだ。

「……ふんだ。アーチャーなんて知らないっ」
「っふ、すまないマスター。つい」

ぷいっとそっぽを向いてしまったマスターに、謝罪をするアーチャーはしかし、にやつく頬を抑えられていない。
それにますます頬を膨らませるマスターだったが、そこでピンポーン、と玄関の方から軽快なチャイムが鳴り響いてきた。
急いでいるのか、短い間隔で何度も呼び鈴を押してくる扉の外の人物に、マスターはきっとエクストラだと思い、アーチャーの小窓できちんと相手を確認するように等の言葉に簡単に返事を返して、ぱたぱたとスリッパを鳴らして玄関へ小走りで向かった。

念のため子窓で相手の姿を確認すれば、ドアの前に立っていたのは案の定エクストラで、しかもその姿が少しだけではあるが雨に濡れているのを見止め、マスターは慌てて扉を開けた。

「エクストラ! どうしたの、傘はっ?」
「うむ。今帰ったぞ奏者。なに、少々事情があってな。傘はほれ、この腕にかけておる」

目を丸くして髪に雨粒を乗せたエクストラの姿を上下に顔を動かして確認するマスターに、エクストラは濡れた事に対して関心がない様子で、右腕にかけた赤い花柄の傘の存在を示して見せた。

「ええ、もう、傘あったのに何で差してないの……。今タオル持ってくるから、ちょっと待ってて」
「あっ、しばし待て、奏者よ。それよりも先に、余はそなたへの土産を渡さねばならぬ」
「へ?」

おろおろとエクストラの全身を確かめてタオルを取りに行こうと踵を返しかけたマスターを、エクストラは少し焦った様子で止め、何かを包むように膨らませて重ね合わされた両手を彼に示した。
不思議そうにきょとんとして首を傾げるマスターに、エクストラは悪戯を仕掛ける直前の子供のような顔でにんまりと笑い、ずい、とマスターの目の前に両手を突き出して、ぱっとその手を放した。
瞬間。

ケロッ

「わあっ!?」

エクストラの手の中から、小さな緑色の生き物が飛び出してきた。
独特の鳴き声を発するそれにぺったりと自身の鼻筋に張り付かれ、マスターは目を見開いてそげ反り、そのまま尻もちをついた。

「わっ、ぷ……!? な、なに、これ?」
「うむ、驚いたか奏者よ! それがカエルというやつだ。奏者が以前見てみたいと言っていたのでな。ちょうど近くで見つけた故、手に囲って連れて来たのだ。まあ、あとで元の場所に返してやらねばならぬのがちと面倒だが」

見た目よりもぐんにゃりとしている感触に、仰天しながらも咄嗟に引き剥がす。
エクストラの言葉を聞いて、潰さないようにそうっと視界に映すと、確かにそれは以前テレビで見た、ギョロ目の雨の日におなじみの両生類だった。
エクストラが言うように、数日前、マスターはサーヴァント2人と一緒にテレビで水辺の生き物特集を見ていた時、カエルを生で見てみたいと言ったのだ。
それにアーチャーが探せばすぐ近くで見つけられると言って、ならばと雨の中出掛けようとしたマスターが、はしゃいで雨に濡れるから駄目だとエクストラ達に2人がかりで止められたのは、記憶に新しい。
その時のマスターはただ口を尖らせるだけだったが。………その何気ない言葉をエクストラが覚えてくれていたのが嬉しくて、マスターは手の中のカエルを見てから、エクストラに向かってほにゃっといつもの温かい笑顔を向けた。

「……うん。エクストラ、ありがとう」
「礼を言うほどではないぞ、奏者よ。………ただ、まあ、そなたがどうしてもというのであれば、うむ。思う存分余を撫でさせてやる事も、やぶさかではないな」

ちらっちらっとこちらを見ながら、つとめて何でもない風を装うエクストラに、マスターは頬を緩むのを抑えられない。
そう。折角エクストラが自分の為にカエルを連れて来てくれたのだから、こちらこそ、彼女の頭を思う存分撫でてやるのも、やぶさかではないのである。
そう思って、マスターが身体を起こす為に少し俯いて片手で立ち上がろうとすると、彼の手の中で、あの緑色がトレードマークの雨の風物詩が、再びケロリと鳴いた。
………と同時に、彼の手の上のカエルは、ぴょん、と初めの時よりも随分高く、マスター目掛けて跳んで来た。

「えっ……あ、えっ!?」

瞬間、咄嗟にカエルを受け止めようとしたマスターの手をすり抜け、カエルは見事、マスターのふわふわとした髪の海のダイブに成功したのであった。
しばしの間、何が起きたのか理解しきれず固まったエクストラとマスターだったが、事態を把握すると、大慌てで髪の中のカエル捜索に当たった。
マスターの髪は、見た目に反して随分とやわらかく、かつ、髪の量もそれなりにある。遵って、簡単に思えた髪の毛捜索は、予想以上に難しいものとなってしまった。

「………おい、さっきから何を騒いでいるのかね。いい加減にしないとパスタが冷めてしまうぞ」
「アーチャー、貴様良い所に来たな! 理由は良い。つべこべ言わず、この奏者の髪の毛探索に加わるがいい!」
「髪の毛探索……?」
「奏者の髪の中にカエルが入ってしまったのだ! しかしくれぐれも気をつけるのだぞ。乱暴に髪の毛を触ろうものなら、中のカエルを潰しかねん」
「何を馬鹿な事をやっているんだ君達は……!」
「うわああああっ。潰しちゃだめだよ!? ちゃんと元いた場所に返してあげなきゃだめなんだから!」

潰れたカエルが自分の頭の中に出来上がるよりもカエルの無事を優先するマスターに呆れながら、エクストラとアーチャーはギャーギャーと騒ぎながらカエルを掴もうと奮闘する。
3人そろってわあわあと大騒ぎをしているうちに、いつのまにか雨は上がっていた。
梅雨の季節の、そんな蒸し暑い昼下がり。






2013.9.27 更新





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