どぷううんと盛大に音を立てて、湖に仰向けに飛び込んだ。 特に、何を思ったわけでもない。ただ、夏のぎらぎらとした日差しを、鬱陶しいと思っただけだ。 服を着込んだまま水の中に入ってしまったのでまとわりつく布を煩わしく感じたが、夏の太陽に温められた水の冷たいようで生温い、生温いようでいてどこかひやっとする感じが心地よかったので、そんな些事はどうでもいいやと思考の中から弾き出した。 ぶぶぶ、と鼻から空気がもれるのを感じる。 うっすらと目を開けると、光に透かされた湖の色が美しくて、少し頬を緩める。 そう言えば、サー・ランスロットは湖の騎士とか呼ばれていたっけ。良いなあ円卓の騎士殿は。常日頃から王にべったりとくっついていて良い権利を与えられている。 それを羨ましいと感じるけれど、成りたいとは思わない。だって、私は所詮しがない一般人であって、剣の心得なんてないも同然だ。 そういう事は、昔はいつも一緒にいた、活発な男のような女の子の専売特許だったから。私はあの子が小さい身体で大きな剣をまるで舞を踊るように事もなげに操るのを、ただ岩を椅子代わりにして頬杖をついて見ていただけだった。 私がこういう気分になるのも、ひょっとしたらあの子が岩から剣を引き抜いたあの頃からだったかもしれない。もう随分前の事だから、始まりなんておぼろげにしか覚えていないけれど。 お前は私が守ってやるからな! と輝かんばかりの笑顔で言っていた頃の彼女が懐かしい。 今ではもう随分と遠い存在になってしまったし、偶に民衆の前で演説したりする時だって、彼女は昔のように瞳を輝かせてはいなかった。 ただ責任者としての責務を全うする為だけに、ひたすらに前を向いて、ともすれば怖い顔をしていた。 そんな彼女を遠い所で見ていながらも、私は衰え、彼女は変わらない。 確か彼女が引き抜いた剣の魔法だったと思う。まったく、せめて時くらい、同じ速度で歩ませてくれたっていいものを。Fack。宝剣なんてくそくらえだ。もしそれを街中で言ったりしたら死刑になりかねないけど。 極偶に、突き詰めて言えば週に2度くらい。私は、この世界から消えてなくなりたいと考える。 この身体が、何のしがらみも感じずに、薄っぺらな紙のようにすうっととろけて消えてしまえたら。 それは、どんなに甘美な事だろうと。 そうぼやけた頭で考える。幸いにも、私は素潜りだけはあの子よりも勝っている。このまま息が苦しくなるまで、後30分はかかるだろう。 そんな事を思っていると、不意に水の中に気泡がいくつも浮かび、次いで私の手が誰かに掴まれ、力任せに引っ張り上げられた。 さっぱあと水しぶきと共に顔を出すと、やはり厳しい日差しが顔を焼いて、思わず顔をしかめる。 けれど私の手を掴んでいる人物を認めて、目を見開いた。 目の前に飛び込んだのは、胸元だけ白い、上質な生地の美しいマリンブルーのドレス。 これは知っている、見間違がえる筈がない。なんせ、私が仕立てたものだ。 顔を上げてその服を着ている人物を見ると、柔らかい金糸のような髪をべったりと顔に張りつかせて、泣きそうな顔をしている私の幼馴染がいた。 「…………なん、で、ここに、」 「っの馬鹿! お前は死ぬ気か!!」 驚いてぽけっとした顔をする私を余所に、彼女は咬みつかんばかりの勢いで私に向って怒鳴りつける。 咄嗟の事でそれについて上手く対応できないでいると、彼女は今度は目に涙をためてぐっと歯を食いしばると、俯いて私の手を更に強く握った。 「………お前が、湖に入って行くのを見たから、上がってくるのを待っていたんだ。……なのに、おまえは、いくら待っても、っ………」 「ぁ………」 それは、つまり。 この今目の前で涙をこぼさんと必死に歯を食いしばっている少女は、私1人の命を案じたが故に、あんなに必死になって湖に飛び込んだというのだろうか。 一国の王であるくせに、ただの、しがない最下層の仕立て屋風情に、そこまで。 「………はは、」 それは、それはいったい、なんと甘美な事だろう。 「お、おい。笑うとは何事か、ライア」 訝しげに、しかしいまだ目尻に涙をためたまま不機嫌そうに眉をしかめる少女の口から出た自分の名前に、知らず知らずのうちに笑みがこぼれる。 そうか。 この子にとって、自分はまだ大切な存在で在れているのか。 くくく、と前触れもなく湖に体を浸したまま体を曲げてくつくつと笑う自分を怪訝そうな顔で見てくる王に、ふっと笑いかけた。 そういえば、彼女が王となる前に、確か私はこの子に好きだと言われたのだったなあと、遠い昔の事を思い出した。 数年越しの返事だけれども、きっと彼女の心はまだ、自分が持っていてたって良い筈だ。 「っ、…………!!」 己の胸の内の衝動にしたがって、彼女の唇に、そっと自分のものを合わせた。 その衝撃でぽろ、と彼女が必死で耐えていた目にたまった水滴が頬を伝ったが、構いやしない。 水につかった所為かしっとりと水気を含んで湿った柔らかい唇を名残惜しく感じながら離すと、そこには野イチゴなんかよりもよっぽど赤く熟れた彼女の顔があった。 「大好きですよ、アーサー王」 かつて、言いたくとも言えなかった言葉を、“アルトリア”から“アーサー”へと呼び名を変えて、やわく微笑みながら言う。 すると、赤く熟れた野イチゴのような顔を晒していた我が幼馴染殿は、段々と正気を取り戻したらしく、徐々に肩を怒らせていく。 あ、来るなと思った時にはもう、目の前には赤い火花が散っていた。 「っの…馬鹿がぁぁぁあああ!!」 ばちいいんと。勢い良く頬を張られて軽く意識が飛びかけたけど。 その後で胸倉を掴むようにして襟を引っ張られて、かじりつくように唇にキスをされたから、嬉しくて痛みなんて吹っ飛んだ。 朝のような指がわたしの生をつなぎ止める (もう一度囁くように好きです、というと)(うるさいと熟れた顔で怒られた) title:へそ 2011.2.21 更新 ← |