陽毬がその少女に出会ったのは、とある平日の夕刻だった。 いつものようにペンギンのサンちゃんと共に編み物をしていると、ピーンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。 誰だろう、と思いながらもはーいと返事をして、編みかけの手袋をほつれないようにしてから玄関に向かい、扉を開けた。 新聞の勧誘かな、と軽い気持ちで考えていた陽毬だったが、玄関先に立っていた人影に目を見開いた。 そこにいたのは、一人の美しい少女だった。いや、少女と言うよりも美女や美人と言う方が合っているかもしれない。前にもここに美人が訪ねてきた事があったが、あの時の美人を「毒のある美人」と称するなら、彼女は「毒の無い美人」と言う感じだ。むしろ、毒を抜かれそうなくらいである。 綺麗な痛みを知らないセミロングの栗色の髪を一房型の前に垂らしているその美人は、優しそうな雰囲気をたたえており、上品に持ち上がった唇を、陽毬が顔を見せた瞬間あ、という形に開いた。 「ええ、っと。冠葉、いらっしゃるかしら」 「えっ、冠ちゃん、ですか?」 その口から出た声も見掛けを裏切らずとてもきれいで、陽毬はその口から自分の兄の名前が出てきたのにも驚きながら、おっかなびっくり返事をした。 もしかしたら、この人も冠ちゃんに遊ばれてしまったくちかも知れない。もし冠葉を出せぇ! と言われたら、妹としてこの美人をそっと諌めて、そして冠ちゃんは本当は悪い子じゃないんです。ちょっと異性間の交流に奔放なだけで、と説得しよう。 そう思っていると、そんな陽毬をを見た美人は、くすくすと少し困ったふうに笑う。 「そんなに怯えないで。別に私、冠葉に何か抗議に来たとか、そんなんじゃないから。ただちょっと届け物をしに来ただけ」 「え、あう、そうなんですか? よかった………」 普段から、何かと女性関係でトラブルが多い冠葉だ。それだけにこんな美人から冠葉の名前が出てきて驚いたが、そういった用事じゃないようで安心した。 ほっとあからさまに胸を撫で下ろす陽毬を特に気にした風もなく、美人は上から下までじっと観察するように陽毬を見つめると、ぱっと瞳を輝かせた。 「ファビュラスマックス!」 「ふえ?」 ぽかんとした顔をする陽毬とは対照的に、美人はきらきらと瞳を輝かせて、どこかうっとりとした顔になる。 「あなた、最高に可愛いわ! もしかして、あなたが噂の陽毬ちゃん?」 「はい。う、噂、って……」 「噂の」とは一体どういう事だと思いながらおずおずと尋ねると、彼女がにっこりときれいに微笑んで口を開いた。 「高倉ツインズからいつも話を聞いてるわ。特に冠葉からね」 「か、冠ちゃんと、昌ちゃんにですか……」 「そう。“一に陽毬にニに陽毬、三四も陽毬で五も陽毬”なんて前に言ってたわね」 「か、冠ちゃんがですか!?」 「いや、あれは昌馬くんの方だったかも」 「えええっ!?」 ふむふむと感慨深げな顔をする美人に陽毬がびっくりしていると、なんてね、冗談よ。と悪戯っぽい笑みと共に言われた。 からかわれたのだと気付いて顔を赤らめる陽毬に、美人は目を細めてますますファビュラスね、と呟いた。ファビュラスとは一体何なんだろう。 美人だがどこかすっぽ抜けているような彼女に戸惑いながらも、陽毬は無意識のうちに警戒心を解いていた。 雰囲気があけっぴろげだからなのかもしれないが、陽毬にとってこういう話を出来る人はそういないのもあって、少なからずこの会話を楽しんでいた。 「えっと、お姉さんは冠ちゃん達のお友達なんですか?」 「あら、お姉さんなんて堅苦しい呼び方はなしなし。私は時籠 はづみっていうのよ、気軽にはづみちゃんとでも呼んでちょうだい。……そうねえ、昌馬くんとは友達だけど、冠葉とは所謂恋人同士ってやつね」 「えっ!?」 最初の時点ですでにその可能性は捨てていたので、まさかのカミングアウトに陽毬は目を見開いた。たしかに、彼女は冠葉に対して抗議しに来たわけではないと言っていたが、冠葉の恋人ではないとは一言も言ってない。 無意識のうちに冠葉と恋愛関係にある女性は全て泥沼化しているものだという方程式が出来上がってしまっていた自分の心の中で冠ちゃんごめんなさいと謝りつつ、さばさばとしているこの美人、――もといはづみを改めて見つめる。 こんな素敵な人が、どうして恋愛面に限ってちゃらんぽらんな冠葉を好きになったのだろう。何気にそういう不実とか許せなさそうなのに。 そういう思考が顔に出ていたのだろうか、はづみは陽毬の顔を見ると、何もかも解ったような表情でにこりと微笑んだ。 「といっても、私が冠葉を好きなだけで、別に彼は私の事何とも思っちゃいないんでしょうけどね」 「え?」 さらりとはづみの口からそう言った言葉を聞いて、陽毬はショックを受けて目を瞠ってはづみの顔をまじまじと見る。 そんな、当たり前のような口調で言って良いものではない筈だ。確かに冠葉はそういった面に関しては不誠実だが、それにしたって、恋愛とはそこまできっぱりと言い切れてしまうものではないと、陽毬は思っている。一応、付き合っているのに。 「あの、はづみちゃん」 「ん、なあに?」 「はづみちゃんは、それでいいの? 冠ちゃんに何とも思われてないのに、付き合うって、幸せなのかな、って…………」 そこまで言ってから無粋な話だったと思い慌ててごめんなさいと謝ると、はづみは苦笑して良いのよ謝らないでとひらひらと手を振った。 「良いのよ、別に。私は冠葉にどう思われてたっていいの。だって陽毬ちゃん、自分の好きな人が自分に同じ種類の好きを返してくれるって、ちょっとした奇跡だと思わない? でも、そんな奇跡はね、現実ではそうそう、有り得ないものなのよ。ならその好きを突っぱねられるより、受け入れてもらえる方が、きっとずっと幸せよ。それに加えて好きまで返してもらおうとするのは、ちょっとした傲慢ってものだわ」 そうてきぱきと割り切って話をするみちるを見つめて、陽毬は切ない気持ちになる。 「(冠ちゃんは、こんな素敵な人の何が不満なんだろう)」 呆れるほどに冠葉との関係を割り切っているはづみに、陽毬はまだ出会って間もない彼女に母性愛のような感情を抱いていた。 「そんなのもったいないよ、はづみちゃん!」 「へ?」 先程とは打って変わってぽけっとした顔をするはづみに、陽毬は身を乗り出して畳みかける。 「折角好きな人が側にいるのに、その人に好きになってもらえるように努力しないなんて、絶対勿体無い!!」 「陽毬ちゃん………」 意気込んでいう陽毬に、はづみはじいんと感じ入ったという顔をして、がばっと陽毬を抱きしめた。 「良い子! 陽毬ちゃんはほんとに良い子! 本当になんてファビュラスなの!!」 「ひゃっ、はづみ、ちゃ……」 抱きしめられた拍子に、はづみの髪やら身体から何やら淡い良い香りがして、陽毬はその香りにくらくらとしてしまう。 「うん、そうね。確かにもったいない。陽毬ちゃん私、頑張るわ」 「はづみちゃん」 はづみの細くて長い指で後頭部を撫でられる感覚にどきまぎしながらもはづみの声に応える陽毬に、はづみは抱きしめる力を更に強くした。 「陽毬ちゃんを妹にするために!」 「何だか趣旨が変わってるような!?」 思わず陽毬がそう叫んだところで、件の高倉ツインズ達が帰宅した。 陽だまりなある日 (うおわっ、はづみ!?)(冠葉、私と結婚して! 陽毬ちゃん妹にしたい!!)(はああ!?)(あ、時籠さんこんにちはー)(はいこんにちはー) 2012.1.17 更新 ← |