短編 | ナノ


好きじゃなくて愛してた



逢魔が時。部活をやっている生徒もそろそろ活動を終えて帰りの支度を始める頃、私は、1人屋上で空を見上げて黄昏れていた。
それは別に、わたしが一人で「大空見上げる部」の活動を行っているとか、そんな青春チックな事があったからではなく、ただ単に、酷く嫌な事があったので、何となくいつものように素直に家に帰る気になれず、こうして誰もいない場所で無為に時間を潰しているだけの事だ。

「どちくしょー。あーもう。むかつくなあ、あのマドンナめ」

空の上に我が校の誇る遠坂凛という名のマドンナの麗しい顔面とつやっつやの黒髪を思い浮かべて、そのまま吐き捨てるように空に向かって呟いてみる。
屋上の落下防止用のありがちな緑の柵が張り巡らされているこの屋上で、入り口からちょうど真後ろに位置するここは、1ブロックだけその柵が外れている。
そもそも屋上に来る生徒自体少ないのと、わざわざ日当たりの悪い入口の真後ろなんかに来る生徒がもっと少ないのとで生徒会に報告もされずほったらかしにされているそこは、両隣の柵と柵の感覚がわりとちょうどいいので、その外れている柵のスペースに腰かけて足を柵の外、つまりは校舎から離れた宙に投げ出すと、ちょっとした某アルプスの少女アニメのオープニングシーンの気分を味わえる。
ふわふわと吹いた風がスカートをはためかせる感覚と合わさって、あのどこに繋がっているのかもわからないブランコに乗っかっている気分を味わうというのは中々に爽快で、気分転換にはもってこいだ。
……………と。いつもなら、ここでこうしているだけで大抵の事は吹っ切れるんだけど。今回ばかりは、そう単純にいくわけにもいかなかった。

“あなたはもう、あまり士郎に近づかない方が良いと思うわ。彼は1か月前の彼とはもう違う。あなたの知っている彼とは大きく変わったの。これはあなたの身のためを思っているのよ、本当に。だから”

これ以上、士郎の傍にいようとするのは諦めなさい。
脳裏に、何時間か前、お昼休みに遠坂さんに言われた言葉がリフレインして、せっかく少しはましになっていた気分が一気にどん底に落っこちた。
全く、あの時の自分がバカみたいだ。普段話す機会のない全学年の憧れの的である遠坂さんに呼ばれて、内心浮き足立ってついて行ったらそれだ。
正直、最初は何を言われたのか理解が及ばなかった。というか、なんで一般的に言って士郎と恋人同士である筈の私が、今まで士郎とろくに交流もなかった人にそんな事を言われにゃならんのか。

「…………別に、わざわざ言われなくても解ってるってゆーの」

ぶすくれて、もうここにいるはずもない我が校の誇る優等生兼全校生徒の憧れの的兼マドンナこと、遠坂 凛(18)さんに文句を言ってみる。
知っていた。1か月前、士郎が暫く学校に来ない時期があって、電話したら繋がるものの、ずっと嫌な予感がしてた。
そして少ししたらいつも通り学校に来るようにはなったけど、その時には、士郎の雰囲気は前とは確実に変わっていた。
きっとその変化は、良い事であり悪い事でもあるのだろう。士郎の雰囲気の変化は、言葉で表すと、今まで漠然としていた目標に目処が立った、というのが一番相応しいように感じた。
今まで少しぼうっとしていたのが空気がはっきりしたものに変わって、前より強い意志を宿す目をするようになって。
それで………その日以来、士郎は私の事を避けるようになった。
それはわたしを嫌いになったから……というのとは、ちょっと違って。どちらかというと、避けるというより近づかないようにするようになった、と言った方が良いかもしれない。
一緒じゃないかと言われそうだが、それとこれとは確実に違う。何故なら近寄らないようになったにも拘らず、私が他の友達と話している時は常に士郎の視線を感じるし、たまに廊下で目が合うと、あっという顔をして嬉しそうに頬を緩めて声をかけるように口を開けかけてから、はっとしたように慌てて口をつぐんで踵を返すのだ。理由は知らないが、わたしに接するのを自粛しているように見える。
あれはきっと、学校を休んでいる期間に、彼にとって何か大きな転機があったのだろう。その結果、何故か彼は私との繋がりを断とうとしている。
そして恐らく、遠坂さんはその場というか、瞬間に少なからず立ち会っている。
だからこそ、今日のあの忠告があったんだと思う。

というか、あの遠坂さんの忠告も、純粋にわたしの事を思ってのものではないだろう。
本気の親切心での忠告半分、嫉妬と牽制半部分ってところだ。
あの眼には、お人好しとしての心配と、女としての醜い感情とが鬩ぎ合っていた。
多分だけど、きっと彼女も士郎に惚れてる。そして今、彼女はわたしよりも士郎の深い部分を知っているのだろう。
それはまあ、士郎の恋人としては誠に遺憾なのであるが、現状、士郎に問い詰めたところできっとわたしには話してくれないであろうという事は解っているので、少し傷心中。
伊達に長年付き合ってない。少なくとも遠坂さんよりは、士郎の感情の機微には敏感だ。
まあけど、だからと言って私が士郎を諦めるのかといったら、それはそれでまた別の話なのだけど。………というか、最初に彼女は、1つ大きな勘違いをしているし。

「……好きじゃなくて、愛してるんだってば」

ぷらぷらと宙に足を遊ばせながら、ぼそりとそう呟いてみる。
そこが、大きな違い。
士郎なんて内部構造が精密機械並みにこんがらがった仕組みしてる奴、伊達や酔狂で好きになんかなるわけがないし、そもそも、好きなんて生半可な気持ちで、あんな奴と付き合ってなんかいられない。話の前提が違うのだ、前提が。
ただ好きなだけならば、遠坂さんにあんな風に詰め寄られただけで、私はきっと気圧されてそれに従ってしまうだろう。だけど、士郎は違う。
そもそももう好きとか嫌いの次元ではなく。士郎という存在、丸ごとひっくるめて私は愛してしまった。
手放せない、絶対に手放してやるもんかって心から思うくらい、……照れくさいけど、私は士郎を愛してる。
だから今更、そんなぽっと出の人の一言二言程度で揺らぐようなやわな心構えはしていないつもりだ。
…………まあ。だからといって、士郎が私に近寄って来てくれない事実は変わらないんだけど。

「ほんと、どうするかねえ………」

立ち上がって、両側の柵に掴まりつつ、ぽっかりと空いた一ブロック分のむき出しの宙へと身を乗り出す。
そよそよと風がそよいで気持ちいい。憂鬱な気分はあまり減らないけれど、気分転換できるこんな場所があるだけでも、自分にとっては僥倖だ。
片足を軸にして、ぷらぷらと宙に投げだした体を揺らしながら、少し考える。
士郎を諦める気は毛頭ない。だって好きだし、愛しちゃったし。
いつ死んでも良かった私の人生に、士郎が光をくれた。彼がいくら歪んでいたって、士郎から離れる私なんて、士郎がいない人生なんて考えられない。

「うーん……やる、っきゃないかなぁ」

屋上の縁に足をかけて、柵の両端に掴まって落ちないぎりぎりの位置で宙に身を乗り出して、ぽつりと決心を口走る。
その瞬間、不意に、空に向かって身を乗り出していた私の胴に、学生服でおおわれた腕が回った。

「はっ? うわっ」

一瞬何が何だかわからなくてきょとんとすると、そのままバックドロップでもされるようにぐいっと力任せに持ち上げられて、屋上の縁に置いてあった足が宙に浮く。
びっくりして目を見開いでいると、そのまま私の身体は私を抱えた誰かごと屋上の床に仰向けに倒れ込んで、何事かと思う前に、聞き慣れた、ずっと聞きたかった声が耳を打った。

「何やってるんだよバカ!」
「えっ。え、士郎?」

が、何故だかその声の主はわけの解らない事を言って、ぽかんとしてかろうじて動かせる首だけでその懐かしい顔を確認した私に、さらに必死の形相で言いつのった。

「はやまるなよ! こんな事したって何の解決にもならないんだからな!?」
「へ? いや、まあ、確かに何の解決にもならないけど………」

そもそも、もやもやした気分晴らす為に気晴らしに来てただけだし。
妙にハイテンションの士郎を下敷きにした状態でそう言うと、何故だかそれによってさらにハイテンションになった。

「解ってるなそんな事するなよ! そんな簡単に自分を投げ出すなんて許さないからな!!」
「…………ていうか士郎、なに言ってるの? 何のはなし?」

自分を投げ出すって何………?
ここに来て、ようやく私と士郎の間の空気に違いがあるのに気付いた。
それにハイテンションだった士郎もようやく我に返ったのか、へ? と何とも間抜けな声を出して、ぽかんと口を開けた。
というか、ひょっとして今までの言動も、テンションが高かったからじゃなくて、単に士郎自身が混乱してただけなのかもしれない。

「え………だってお前、今飛び降りようとしてたんじゃ……」
「飛び降り? 何で?」
「い、いや、理由は解らないけど、何か悩み事とかで…………」
「……………まあ、悩み事ならでっかいのが現在進行形であるけど」
「!? あるのか!?」

お前の事だよばかやろう。
と、驚いたようにただでさえ童顔の所為で大きめの目をどんぐりみたいに見開いた士郎にそう言ってやろうかとも思ったけど、流石にそれは八つ当たりっぽいので自重する。
その代わり、ここ数週間めっきり私と接触しないようにしていたこの彼氏様に、なんでよりによって今日ここに来たのかを問い詰める事にした。
もしも遠坂さんが士郎に今日の彼女の事を話して、それは丁度良いとばかりに別れ話をする為だったら、かなりへこむ。別れてやる気はないけど。

「…………生徒会室の備品を直した後、ついでに掃除して、ごみ出しに裏に回ったら、丁度屋上の端から足が伸びてるのに気づいたんだよ」

そして、何故か士郎はそれを見てそれが私だと直感したらしい。何故だ。
もしかして士郎脚フェチ? と相変わらず下敷きにしたまま尋ねると、一言違うと憮然とした声が返って来た。

「で、何やってんだろうって思ってたら、お前がおもむろに立ち上がって身を乗り出したから、びっくりして、その場でごみ箱放ってここまで走ってきた」
「ええ。ダメでしょ、ごみ箱放ってきちゃ」
「……何で注目するとこそこなんだよ。それで、屋上に上がって、どうやって声かけようかと思ってたら、お前がやるっきゃないとか言うから、反射的に」
「数週間ずっと避けてた彼女にバックドロップを仕掛けたと。ほー、良い根性してるね士郎」
「ちょっ、違うって、そんな事するつもりは毛頭ないっ!」

だいたい、別にバックドロップしてないだろ!
大慌てな様子で私の下で言い募った士郎に、思わず笑う。
そのままごろりと寝返りを打って士郎の上から退くと、寝っころがった状態のまま、不思議そうな顔で私を見た士郎に、何気なく聞いてみる。

「士郎、なんで私の事避けてたの?」

別に、怒ってるわけじゃない。ただ単に気になっただけ。
そして理由次第では、私は士郎の顔面に一発ぶち込まなければならない。例えば、例の士郎が学校を休んでいた時に、何かの勢いで遠坂さんと一線越えちゃって申し訳なかった、とか。
浮気な性格ではないのは知っているけど、涙ながらに迫られたら、有り得ない話じゃないとあながち本気で思ってる。
そんな私の心中など露知らず、士郎は私の問いにつかの間絶句すると、そのまま暗い顔をして辛そうに眉をひそめて、喘ぐように言った。

「…………きっと、無理だと思ったから」
「何が?」
「このままお前の傍にい続けたら、きっと、一生手放すのが、出来ないと思ったんだ」
「ふうん、まるでこれから私士郎に手放されるみたいな言い方だね」

感情の無い声で返すと、士郎は少し私から目を逸らして、そのまま横を向いていた身体を仰向けに直して、空を見上げる。
段々と白んできた空に、うっすらと白い月が浮かんでいる。
月は、士郎と士郎のお父さんの思い出の物らしい。それで何となく察して、溜息を落とすと同時に、急に隙間風が吹くようになった胸を押さえて、口を開く。

「士郎は、卒業したら、遠坂さんとどこか遠くに行くんだね。このままの私じゃ、絶対に届かない場所に」
「いや、それは…………って、何で遠坂が出てくるんだ?」
「え?」

違うの? と首を傾げる私に、むしろ士郎が怪訝そうに何でそこに遠坂が出てくるんだよ、と続ける。
それを聞いてほっとすると同時に、やっぱり士郎はどこか遠くに行くのか、と嘆息する。

「卒業したら、司法関係に進むんじゃなかったっけ」
「………数週間前は、そう思ってた」
「じゃあ、今は違うんだね」

ああ、と小さくうなずく士郎に、そっか、とだけ返す。

「じゃあ、私も行く」
「!? 駄目だ!!」

今までにないくらい語彙を強めて怒鳴った士郎ににやっと笑って、いやだと一蹴する。
そしてそのまま次の言葉を言おうとする士郎の制服の襟をひっぱって、無理やりキスをする。
びくりと肩を震わせて動きの止まった士郎に、ちょっとだけ気分が浮上する。
そのまま遠慮なく舌を入れて好き放題していると、ぐいっと両肩を押されて唇を離された。
それに対して文句を言おうかとも思ったけど、耳どころか首も手も真っ赤に火照ったその様子を見て、にまにまと頬が弛むのを抑えられないままに、馬乗りになって士郎の手を振り払って、今度は触れるだけにとどめておく。
ちゅ、と控えめな音を立てて離すと、むしろ泣きそうな顔になった士郎に向かって、堂々と言ってやる。

「ちゃんと付き合い初めに言ったでしょ、私の愛は重いんだって。士郎はそんな重い女を受け入れちゃったんだから、今更手放すなんて不可能だよ」

自信満々の私に消え入りそうな声で「不可能じゃない…」と言った士郎に、笑って「無理無理、この装備は呪われています」と言ってみる。

「………別に、お前は装備じゃない」
「装備だよ。人間にとって、自分以外の他人は全部装備。勿論私にとっても、士郎は恋人っていう装備。世界で1人しかいない、こんなに苦労して手に入れた一点物を、手放すわけがないでしょう」

ふん、と鼻を鳴らしていう私を、士郎は呆けてただ見上げる。何か言え、と思いつつ何となく愛してるよ、と畳み掛けると、次の瞬間がっと後頭部と腰を掴まれて抱きすくめられた。

「うわっ」
「好きだ」
「はい?」
「好きだ、好き、好き、大好き、好きだ、好きなんだよ。だって愛してる。くそ、手放すなんて出来るわけないだろ!」
「…………何で士郎が怒ってるの?」

ぎゅうぎゅうを恐らく渾身の力で私を抱きしめて言う士郎に、逆に呆れてボソッとつっこむ。
というか、力ずくで抱きしめられてるせいでちょっと体が痛いんですが。そうは言っても、士郎は歯を食いしばってもう一度好きだ、とうわ言みたいに呟くと、私の首筋に顔を埋めた。
それが士郎の精一杯の無意識な甘えたいサインだと知っているだけに、何だかなあ、と言いつつ、隙間風が吹いてた胸を、堪えようのない愛しさが埋めていくのが解ってにやけた。

「じゃあ、ついていくからね」
「……………それはだめだ」
「じゃあ勝手に追っかける。ストーカーになる。士郎の行く先々に絶対先回りして脅かしてやる」
「…………なんでさ」

弱り切った口調で何時もの口癖を言う士郎に笑って、その赤い髪を撫でながら頭を抱きしめる。

「愛してるから。好きじゃなくて、愛してる、ね」
「…………そんなの、俺だって」

良い、ここ重要だから、と念を押す私に、士郎が弱々しく返す。

「……多分、あと1年もしたら、俺は無理矢理でもお前を引き離すぞ。だってどう考えたって、俺といない方が平穏な場所で幸せになれる」
「うん、知ってる。けどそんなのいらない。平穏とか、幸せとか、私の人生に特に必要ないし。そんなのより士郎が欲しい」

抱きしめながらきっぱり言うと、士郎は弱りきった声で「………だから、お前は」と何かを言いかけて、それきり口をつぐんでしまった。
その反応に一応満足して、士郎から体を離して、再び隣に寝転がる。
お互い目を向けないで空を見上げた状態で、もう一度話し掛ける。

「とりあえず、士郎は相変わらず私が好きって事で良い?」
「………いや」
「えっ」
「好きじゃなくて、愛してた」
「え!?」

ちょ、おい、ここまで来てLoveを過去形で表現!?
なんて事だ、ぬか喜びにもほどがあるよ、私。え、てことはつまり弄ばれた!?
愕然とする私に、士郎はもどかしそうに違うと言って、顔だけ私の方に向けて、少しだけ泣きそうな、困ったような笑い顔で言った。

「一瞬前より、今の方が、ずっと愛してる」

と、顔だけやけに情けないまま、そんなホストみたいなことをさらっと言ってのけた士郎に、私はもう何も言えなくなって、背中を丸めて顔を覆った。
それを見てなんだか楽しそうに肩揺らして笑う士郎を片目だけ指を開けた隙間からじとりと睨んで、思ったよりもかすれた声で「月が綺麗ですね」と言うと、今度は妙に吹っ切れた顔で「ああ、俺も死んでもいいな」と言われたので、再び火を拭いた顔を見られないように手で顔を覆ってますます丸くなる。
バカな事をやっている、と思っても、もうどうしようもない。
こんなあほみたいな事をやっているのを見られているのが、空に浮かんだ月だけなのが、唯一の救いだと、そっと手をどかされて近づいてきた大好きな人の顔を見て思った。














君の知らない世界でさまに提出。素敵なお題をありがとうございました!







2013.12.18 更新