飲み物、何がいい? とヒバリさんに聞かれて、反射的に何でも好きです、とわけの解らない返事を返す。 ヒバリさんはそれに薄く笑って、じゃあ私と同じで良いねと言って、隣の給湯室に繋がっている部屋の戸を開けて、そっちに行ってしまった。 オレといえば、促された黒塗りのふっかふかのソファーに座って、落ち着きなくそわそわしている。 そして視線は、やっぱり床に倒れ伏してる獄寺君たちに目がいくわけで………。一応、ソファーに寄りかからせるように移動させたんだけど、上に乗っけるまでの腕力は、オレにはなかった。 そして、軽く状況を頭の背中で整理したところで、一つ。 …………ゴッド。オレ、何か悪いことしましたか? 「何か言ったかい?」 「いっ、いいえ、何も!!」 ひょこ、と給湯室から顔だけ出したヒバリさんに慌てて首をぶんぶん振って、改めて自分が今置かれている状況が異常だと実感した。 というか、なんでオレヒバリさんとお茶するなんて展開になってるの!? いやこれはオレがしようとしてなったわけじゃなくて、ヒバリさんが初めに言ってくれたことであって……いやますますわけ解んないよ!? なんでオレなんかをヒバリさんがお茶に誘ってくれてるわけ!!? 「………も、わっけわかんないよ……」 太ももに肘をついて、手で頭を受け止めて項垂れる。度重なる急展開に、正直頭が追い付いてない。 うーうーとヒバリさんに気付かれない程度の声で唸っていると、不意に、自分のすぐ横でとさっと何かが腰かけた音がした。 同時に小さいながらも振動は確かに伝わってきて、びっくりしてばっとのけ反り気味に隣を振り向くと、そこには、頭の左右に赤い不思議な形の髪飾りを付けた緑の髪の、白い横に広がるタイプのワンピースを着た、小さな女の子がいた。スカートからのびる小枝みたいに細い緑のタイツに覆われた足が、彼女の少し浮世離れしたふいんきを助長している。 「…………あ、えっと?」 いきなり現れた女の子に、動揺しつつも視線を投げかける。 女の子はその視線を受け止めると、にこにこ笑ったままオレの方に顔を向けて、オレの膝にその小さな手を置いた。 その突然の行動に、思わず目を見張る。 【キー、ルー】 『こんにちは、お嬢様のご友人さん』 「はっ!? は、え!?」 瞬間、何かの動物のような鳴き声と少し舌足らずな女の子の声がダブって聞こえて、ぎょっとして大げさに方がびくついてしまった。 それに目の前の女の子はくすくすと笑って、少しからかうような目でオレを見つめてくる。 【キル、キルル】 『そんなに驚かないでくださいな、ご友人さん。こちらの方がびっくりしてしまいますわ』 「あ……えっと、ごめん」 【キル、キルキルルル、キール】 『それと、あまり大きな声は出さないこと。お嬢様に聞こえてしまいます。あの方、人の動きにとっても敏感なんですもの。……まあその分、気持ちの方には鈍感なのですけど』 そういって、女の子は少し拗ねたように口を尖らせて、ヒバリさんのいる給湯室の方を睨み付ける。 口調はしっかりしてて、ランボより少し大きいくらいにも拘らず妙に大人びた口調なのに、その仕草だけがなんだか子供じみていて。微笑ましくなって、緊張していたのも忘れて、つい笑みが漏れた。 「苦労してるんだね」 【キールルキール!】 『ええ、それはもう。お嬢様の鈍感さは筋金入りですわ!』 ぺしぺしオレの膝を叩いて熱弁する緑髪の女の子の様子に、そっかそっかと相槌を打つ。 どうしてこんなところに女の子がいるのかとか、ヒバリさんとどういう間柄なんだろうとか疑問はいくつかあるけど、それでもいつの間にか、この子と話しているおかげで緊張は大分ほぐれていった。 ほぐれていった俺とは対照的に、女の子はカチャカチャと給湯室の方から音が聞こえてきたのにはっとして、あわあわと慌てるように手をバタつかせると、勢い良くオレの膝の上に飛び乗ってきた。 「うわっ、何!?」 【キルルキルキール!】 『違います違います! ああ危ない。あやうく目的を忘れるところでしたわ!』 目を丸くする俺をよそに、女の子はそう言うと、じっとオレの目を見つめてきた。 少し吊り目気味の、大きなイチゴみたいに真っ赤な目に見つめられて、何故か、金縛りにあったみたいに体が動かなくなる。 『わたし、あなたに聞きたいことがありますの。だって、お嬢様が誰かをもてなすためにお茶まで入れてお持て成しするなんて、本当に初めてのことなんですもの』 「え…ええ……?」 『答えてください、ご友人さん。あなた、お嬢様の何なんですの?』 「……お、オレ、別に友達ってわけじゃ。た、ただの、同じ学校にいるだけっていうか、いいとこ、先輩後輩………」 『本当に?』 唐突に切り替わった、何か不思議な力がこもっていそうな威圧感のある声が、相変わらず鳴き声とダブって反響する。 それを聞いて、なんだかその口調がヒバリさんに似てるな、なんて関係ないことが頭をよぎった。 『私に嘘は効きませんわ。感情には敏感ですが、その細かい種類はよく解りませんの。さあ、早く答えてくださいまし』 「っ………………」 その声に促されるように、口がゆっくりとさっきとは違う意思を持って開いていく。 こんな10歳にも満たないような子供相手に気迫で負けるなんて情けないのもいいとこだけど、何故か、それに対して悔しさなんかは感じない。 思い出すのは、1年の初めに、初めてこの学校でヒバリさんと対峙した時の、彼女の顔。きりっとしてて、かっこ良くて凛々しくて、恐ろしくて。まとった空気はピンと張った氷みたい。でも笑み崩れるとその張りつめたような空気は一気に霧散して、酷くあどけなく見えた。 実はその顔が本当のヒバリさんなんじゃないかってくらい、その時の彼女には、手に握ったトンファーは似合わなくて。下着1枚だったオレに、無造作に羽織っていた学ランを貸してくれた、見た目よりは、意外に良い人。 その時から、オレは、あの人から目が離せなくなった。 「………気、に、なる…ひと」 ぽつりと、消え入りそうな声で、彼女に答える。 彼女はそれを聞くと、にっこりと満足そうに、愛らしい笑顔を浮かべた。 『なら、十分ですわ』 次の瞬間、彼女はオレの前から消えていた。 「って……え、あれ?」 あまりにもあっけなく消えたものだから、それを実感するのに少し時間がかかった。 あっけにとられて、なんだか狐につままれた気分でありながらも、それでもとりあえず辺りを見回そうと女の子に膝に乗り上げられていたせいでのけ反っていた体を起こそうとすると、それと同時に、給湯室からヒバリさんがお盆を持って現れた。 「随分とバタバタしていたね。何かあったのかな」 「あっ、やっ、何もっ! じゃなくて、あの、オレ運びます!」 「いいよ。もうすぐだから」 混乱しながらも、慌てて立ち上がってお盆に手を伸ばすと、無表情のヒバリさんにすいとお盆を避けられてしまった。 それで手持無沙汰になってあわあわと周りを見渡していると、ヒバリさんがオレの反対側の黒塗りのソファーから、無造作にぬいぐるみを抱き上げた。 「(…………あれ?)」 よく見ると、それはついさっきまで話していた緑の少女と、よく似ていて。でもボディーランゲージを盛んにしていたあの時と違って、ヒバリさんに脇に手を入れられてひょいと抱えられているままで微動だにしない。 なんでこんなところに……と小さく独りごちるヒバリさんを見るに、やっぱりその子はぬいぐるみなんだろうか。 ついさっきまで話していた女の子とそっくりなだけに「それ」とは思えず「その子」をじっと見ていると、ヒバリさんに「君はぬいぐるみが好きなの?」と訊かれて慌てて首を横に振った。ただでさえ外見が年相応じゃないのに、さらに子供みたいな趣味がある男だなんて思われたらいたたまれない。 かといって、じゃあいヒバリさんがぬいぐるみ集めるのが趣味だとして…………。うーん。それは、それでかなりありだな。 「何ぼうっとしてるの」 「えっ、あ!?」 「お茶、飲まないの」 「の、あ、の、飲みます! いただきます!!」 怪訝そうに高級そうな白磁に鮮やかな緑のラインが入ったティーカップを片手に小首を傾げるヒバリさんにぶんぶんと今度は縦に首を振って、勢い良く、しかし口付けるときにはこわごわと、カップの中身を飲み込んだ。 ごく、と慣れない高級そうなお茶を飲み干すと、予想に反して喉を下ってきたとろりとした甘い風味に、驚いて目を見開く。 「あれ…甘い、おいしい………」 「でしょう」 独特な、飲んだことのない風味の中に混ざるとろっとした蜂蜜の味。それのお蔭か、すごく飲み易いし、美味しい。 こくこくと飲みながら、初めての味に高揚して頬を赤らめてヒバリさんを見ると、彼女はオレのその反応に、満足そうに目を細めて笑った。 その少し誇らしげな顔に、ついドキリとする。………そんな顔をすると、なんだか一気に近寄りがたさがぐっと減って、なんていうかその……すごく、かわいく見える。 どきまぎして慌てて視線をカップに落とすオレをヒバリさんが不思議そうに首をかしげて見ているのを感じながら、いたたまれなくて、とりあえず何か別の話題を……今1番気にかかっている、どうしてヒバリさんがオレにお茶まで振る舞って、尚且つ咬み殺さないでおいてくれるのかを訊いてみることにした。 「何でって……。そうだね、まあ、要因はそれこそ、色々、あるけど」 カップから口を離して、ヒバリさんは無表情に首を傾げる。 それを追うようにしてオレも首を傾げていると、ヒバリさんは無言で立ち上がって、応接室の一番奥に設置されている、恐らく彼女専用のデスクの引き出しから、ごそごそと何かを取り出した。 そしてそれをオレに見えるように顔の横にかかげて。それを見た瞬間、あっと無意識のうちに声が出て、見覚えのあるそれに、目を見開いた。 「…………そ、れ。何で……」 「ふうん。忘れてはいなかったんだ、意外だね」 唖然として動けないオレを見て、ヒバリさんは冷たい眼を細める。 その華奢な手に握られていたのは、少し古くなった、黄色いリボン付きのカチューシャだった。 オレはそれに、見覚えがあった。 10年ほど前。オレが並盛幼稚園に通っていた頃の、たった一つの輝く思い出。 苛められて泣いていたオレに、呆れ顔で手を差し伸べてくれた、憧れの女の子。 その子はクールで、強くて、優しくて、かっこよくて。……それに何より、きれいで、かわいくて。 こんな人になりたいって思って。ずっと一緒にいたいと思った、初めての女の子。 顔はもうおぼろげになってしまったけど。たなびく綺麗な真っ黒い髪と、その頭に不自然に付け加えられた可愛らしい黄色いリボンのついたカチューシャだけは、今でもはっきりと覚えている。 だから解る。それは、そのカチューシャは。 オレの全部だった女の子と、同じもの。 その瞬間。全部のピースが嵌まって、今まで頭の中でわだかまっていた色んなものが、一気に解けて溢れ返った。 そうだよ、なんで今まで忘れていられたんだろう。あの子は、あの少女の名前は。 「…………きょうか、ちゃん……?」 ひばり、きょうかっていったんだ。 「……………久しぶりだね、綱吉?」 目の前の少女は、氷みたいな美貌を傾げて、緩やかに唇に弧を描かせた。 2014.8.10 更新 ← |