白くもやがかった世界で、真ん中だけ、スポイトで一滴だけ水を垂らしたように、やけにはっきり風景が見える。 それを見ると、ああ、またか、とぼんやりと思うようになったのは、一体何回目でだっけ。 そこに浮かび上がるのは、いつも10年くらい前の、まだ並盛幼稚園に通っていた頃の風景だ。 オレと一緒にいるのは、いつも同じあの人だ。 真っ黒いさらさらしてる髪に、黄色い大きなリボン付きカチューシャをはめた、きれいな人。 見かけはあんまり女の子らしくなかったけど、でもあの時幼稚園にいた他の女の子よりも、勤めていた先生なんかよりもずっと綺麗で、凛としてて、オレにとっての憧れだった。 べたべたまとわりついてばっかりだったオレを嫌がったりはしなかった代わりに、めったに一緒に遊んではくれなかったけど、それでも1人で遊ぶオレを優しく目を細めて見ていてくれるのが好きだった。 今より輪をかけてダメダメだったオレの相手なんて、イラつく事ばっかりだったろうに。 いやな顔1つしないで、一見無表情だけど、優しい目でオレを見守ってくれていて。 お昼休みの昼寝の時間にこっそり自分の布団に入れてくれて、そっと頭を撫でてくれたのが、いつも嬉しくて大好きだった。 ずっと一緒にいたいって、初めて思った人だった。 だから、あの人が卒園するのを見た時、目の前が真っ暗になった。 どうして良いか解らなくてあの人に初めて会った裏庭で泣いていたら、あの人は、呆れた顔でオレを見つけてくれて。 そっと涙をぬぐってくれるあの人をよそに泣いてばかりだったオレに、あの人はオレに会いに来ないって残酷な事を言った後、それでも地獄から蜘蛛の糸を一筋たらすみたいに、一縷の望みのような、約束をしてくれた。 “見つけて、私を。どんなに時間をかけても構わないから” そう言ったあの人は、いつもの凛とした口調と違って、少しだけ震えていた。 泣いているの、と問いかけると、寝いているのは綱吉でしょうと言って、そっと抱きしめてくれた。 大好きだった。ずっと一緒にいたいって。絶対に離れたくないって、こんなに思ったのはあの人だけだ。 ぜったいみつけて、それで、 ちゃんよりも強くなって、いつか絶対、結婚してもらうんだ、なんて。 本気の本気で、そう思った人だった。――――――なのに。 ああ、なのに。オレはあの人の顔が、名前が思い出せない。 酷くうつくしい人で、何よりも軽やかに響いていた名前だったのに。 綺麗な黒髪で、女の子らしくない外見に、アクセントをつけるように1か所だけ場違いに女の子らしく見えるリボンのついたカチューシャをした、オレの誰より好きだった人。 あんなに好きだったあの人の、声が、顔が、名前が、何でかちっとも思い出せなくて。 それで、オレはまた、この夢を見るたびに絶望するんだ。 ああ、オレにとって“たいせつ”の気持ちは、この程度のものなのか。………って。 ねぇ、それを知ったら、君は笑うかな、―――――ちゃん。 「………………あ」 ぱち、とぼやけながらも視界に見慣れた天井が映って、オレは自分が目を覚ました事を知った。 ぼんやり天井を見ながら、ああまたかぁ、なんて1人で呟く。 あの夢を見た後は、とても二度寝なんてする気が起きなくて、ごしごしと目じりを乱暴にこすった後、もぞもぞしながら体を起こした。 あの夢――自分が夢を見ているのを自覚する、覚醒夢とかいうヤツ――あれを見始めたのは、リボーンが来て2日目の、持田先輩を倒した時だった。 あそこで、生まれて初めてダメじゃない自分に出会って、驚くと同時に、強い高揚感を覚えていた時。 そこへ、そんなものに浮かれるんじゃないとばかりに、ふわりと、あの人―――ヒバリさんが現れた。 正直見た瞬間ビビったし、殺されるんじゃないかと本気で思った。 今まで直接見たことはなかったけど、噂だと逆らう奴は誰であれ学ランに仕込んだトンファーで滅多打ちにするとか、弱い者同士で団結する――彼女曰く”群れてる”――奴らも彼女の暴力の対象で、どんな弁解も空しく咬み殺されるんだとか。 並盛町内を巡回する事が日課でもあるらしく、小学校にいたころから出くわしたらどうしようとかビクビクしてたけど、実際それまであったことは一度もなくて。 それで、その彼女が俺たちのいた体育館に乗り込んできた時はそれこそ心臓が止まるかと思ったけど、………それ以上に、初めて見たヒバリさんが、息が詰まるほど、泣きたくなるほど綺麗で。 ああ………やっと会えた。この人に、この人に会う為にオレは此処にいた。ここでこうやって生きていたんだ! って、何でかオレの心の1番奥がそう叫んで、気を抜けばそこで本当に泣いてしまいそうだった。 理由は解らないけど、オレの頭の中にはこの人を見た瞬間やっと会えたとか、とにかく会えた会えた会えたってそればっかりで。オレ自身もどうしていいか解らなくなったところで、ヒバリさんがちらりといつの間にか彼女の足元にいたオレを視界に映した。 その瞬間、オレの心は今までにないくらいに歓喜した。 それはもう、自分が自分じゃないくらい。 オレを見てくれた。何だこれ、うれしい。うごくうれしい。もっとオレを見て欲しい。もっと見て、此処にいるから。もっと、もっともっとオレを見て…………! 自分でも気持ち悪いくらいヒバリさんに見てもらえたことが嬉しいオレに、幸いヒバリさんは気付かないで、他の人と変わらない態度で接してくれた。 ヒバリさんと会話ともいえないようなやり取りをして、初めみたいに不自然にオレの胸が浮かれて歓喜に震えたのはほんの数秒くらいで、あとはもう咬み殺されるかもっていう緊張と恐怖に上塗りされていったんだけど。 だけど少しだけ話して、オレの言った何気ない一言に、ヒバリさんがふっと抑えきれなかった笑い声を漏らした時に、それに連動して、オレの心臓が何かにぎゅっと掴まれたような感じがした。 それに驚いて、その意味を探すそれより前に、ふっと微笑んだヒバリさんがオレの頭を撫でた瞬間。 何か、大事な記憶が頭の中にフラッシュバックした気がした。 それも何なのか考える前にヒバリさんに教室に戻るように脅されて慌てて体育館を飛び出しちゃったから、それが何なのかは、結局わかんなかったんだけど。 「ていうか………あれって何!? アリなの? あんな綺麗な人が、あんな綺麗な顔して人間の頭撫でても良いの? っていうかヒバリさんはオレ以外にもあんな顔して常に誰かの頭とか撫でたりしてるの!!?」 「うるせぇ」 ひぃっ、はい、すんません! ぽつぽつ考えてるうちにあの時のヒバリさんの笑顔を思い出してしまって、思わずベッドの上にうずくまって頭を抱えて叫ぶと、オレの安眠を邪魔すんじゃねぇとばかりにぽちっと目を開けた(寝てる時も空けてるけど)リボーンに銃を向けられて、慌てて謝る。 すると本当に眠かったのか、次邪魔したら殺すからなと冗談抜きな恐ろしい宣言をしてまた寝始めたリボーンに、ほっと安堵の息をつく。 そうやって寝てしまえば、リボーンはオレが騒がない限りまず起きない。時計を見ればまだ4時だし、オレだってまだ十分寝れる時間だ。 ……………だけど、オレの頭の中はもうそれどころじゃなくて、いつの間にかヒバリさんで一杯で、夢の事もあってとても眠れる精神状態じゃない。 はあ、と溜息をついて、ベッドの上に胡坐をかいて、天井を見つめてぼんやりと彼女について考える。 もう名前も思い出せない、憧れで大好きだったあの人と、たった一瞬の破顔1つでオレの全意識をかっさらって行ってしまったヒバリさん。 その2人のビジョンが、何でか重なって見えて。もしかしたら、ヒバリさんがあの人なんじゃないかって、思えてきて。 「……………そうだったら。良い、なぁ」 特に理由はないけど、そうだったら良いのにな、なんて。 ぽつりとくだらない、わけの解らない願望を呟くオレに、帰ってくる言葉はない。 それに何でかもう一度溜息をついて、ちらりと壁に視線を投げる。 壁に掛かってるのは、クリーニングに出されて、それの完了を表すように薄いビニールに包まれた、ぴっしりとアイロンの効いた学ラン。 あの時、ヒバリさんがオレに掛けてくれたものだ。 ぽかんとするオレに、あげるから捨てるなり使うなり好きにして良いと言ってくれたけど、やっぱりそんなわけにはいかないと思って、母さんに頼んでクリーニングに出してもらったもの。 いつか返さなくちゃ、って考えてたのに、気が付けばあっという間に夏休み明けだ。 早く返さないと、と思うんだけど、何回かこの学ランを紙袋に入れてヒバリさんに帰そうと学校に持って行って、いざ返すとなると緊張してなかなかヒバリさんに話し掛けられずに1日が終わる。 学ランを学校に持って行くたびにその繰り返しだ。ほとほと自分のダメさ加減が嫌になるや。 ………でも、オレがヒバリさんに会いたいのは、この学ランを早く返したいだけ、じゃなくて。 「………また、話してくれないかな」 それで、出来れば笑って笑顔を見せてほしい。勝手な事なのは重々承知だけど、でもあれだけで終わりたくない。せっかくできた縁を自分から切りたくない。……………なんて、ベッドの上に体育座りしたまま布団を鼻の上まで持っていって考える。 また話せたら良いな、なんて、おかしいかな。 明けましておめでとうございます。 新年一発目はまさかのこれでした。自分でもまさかこれとは思わなかったです。 今年は去年よりも少しでも更新のペースが速くなるように頑張るので、何卒宜しくお願いします。 2014.1.10 更新 ← |