私が体育館に到着すると、すでに決着はついた後だったらしく、体育館の中央には呆然とした審判と、つるっぱげになった持田。それと、パンツ一丁で尻餅をついている綱吉がいた。 剣道部の主将であるつるっぱげに綱吉が勝った事からか、体育館に通じる渡り廊下から沸いた歓声が聞こえていたけど、私が足を踏み入れた途端にシンと静まり返った体育館内に、内心で嘆息する。 「君達、朝礼をサボってこんな所で物見遊山なんて、随分と良い御身分のようだね? ……………知らなかったな。私の膝元に、こんなにも咬み殺されたい人間がいるなんて」 1階の試合場にいる審判と、2階のギャラリーにいる生徒をぐるりと見渡して目を細めると、この場の空気が3℃くらい下がった気がした。 見たところ、この場にいるのは1年がほとんどで、つい先ほどまでいたほんの少しの2・3年は、私が姿を現した時点で脱兎の如く逃げ出している。ま、そっちも外で待機してる風紀委員が逃がさないけど。 私の恐怖政治をガッツリ身体に叩き込まれた2・3年はともかく、まだ入学して間もない1年は、私がどんな人間なのかっていうのをよく解ってない。 平たく言うと、私はここにいる1年坊主全員に舐められてる。 まったくもう。…………これは、思い知らせないといけないねぇ。 「………さて、と」 学ランの内から、伸縮機能付きのトンファーを取り出す。 入学式の時に刀弥のを借りて着ていた古びた学ランは、今では風紀委員のシンボルウェアとして、わざわざ当時の被服屋に注文して風紀委員の制服にしている。今日のこれも、実は卸し立てのおニューなのだ。艶やかな漆黒が目に眩しい。 珍しく上機嫌だった朝っぱらからこの仕打ち。さて、どうしてくれようか。 とりあえずは。 「君たち全員、咬み殺す」 にやりと無意識に上がった口角をそのままに、右手のトンファーを口元まで上げる。 それと同時に意図せず殺気が漏れた所為か、その瞬間、パニックを起こしたように2階のあちこちから悲鳴が上がり、2階のギャラリーにいた生徒は勿論、1階にいた審判も恐怖に顔を引きつらせて逃げ出した。 あまりにも早い彼らの行動の切り替えに巣穴に水を流し込まれた蟻の群れを連想して、逆に追う気が失せてしまった。 ついでに冬にテントウムシがおしくらまんじゅうしてる光景もつられて思い出してしまって、何だか気持ち悪くなって、げんなりしてトンファーを持った腕を下す。 というかそもそも、今逃げた彼等だって、外に待機している風紀委員たちが逃がさない。 うちの委員会は賄賂も懺悔も受け付けない。1年だろうと女だろうと、処罰に貴賤は無いのである。 それが群れを犬に先導させているみたいで、まるで自分が羊飼いにでもなった気分だ。 「まったく。群れる事しか能のない草食動物が」 腰に手を当ててもうほとんど残っていないギャラリーの人間を見やって、けっと吐き捨てたい気持ちになっていると、ふとそういえばすぐ側でずっと動かない気配があったのに気が付いた。 「あ、あの…………」 「ん?」 控えめに掛けられた声に視線を向けると、そこには相変わらずパン一のままで座り込んでいる綱吉がいて。そういえばこの子もいたんだっけ、と今更ながらに思い出した。 いやあ、うざったい群れに気を取られて忘れてた。うっかりうっかり。 「何」 「あっ、いえ。あの、その………」 「何だい。言いたい事があるならはっきり言いなよ」 「ひぃっ……! っす、すみません!!」 何だろうと思いつつ聞き返すと、あわあわと視線を泳出せながらいつまでたっても話そうとしないのに、怪訝に思って眉を寄せる。 本人はそれを怒ってるからと取ったのか、あからさまに脅えたように肩を離させたのに、少しだけ胸が痛くなった。 「………そういえば、そこに倒れてる彼、君がやったの?」 「へ? あ、はい、まあ。そうっていうか、オレだけの実力じゃないっていうか……」 「どっちだい、はっきりしなよ」 「は、はいぃっ! オレです、オレがやりましたぁっ!」 いつまでも話そうとしないのに痺れを切らして、仕方ないのでこっちから話題を切り出してみる。 と、せっかく質問したっていうのにどっちつかずな答えをする綱吉に畳み掛けると、ぴんっと背筋と腕を伸ばして大きな声で答えるのに、風紀委員に堂々と風紀乱した事宣言していいんかい、と少し呆れた。 「そう。彼随分と禿げてるけど、あれは元から?」 「あ……や、その、それはオレが……」 「? 何故?」 「いや……オレ、剣道の心得とか、なかったんで。何でもいいから一本取れば勝ちなら、髪の毛10本くらい取れば、オレの勝ちかなあ、って………」 「じゅっ、ぽん…って………」 「あ、最終的に100本とったら勝てました!」 「百本って……普通そういう問題じゃ…………ふっ」 訳のわからない理屈を挙げて、最終的にやけに得意げな顔で勝利宣言をしたのに、不意を突かれて噴き出した。 剣道で一本取れないから髪の毛100本て、どういう理屈よ。 そういえば、REBORN!!の第1話ってそんな内容だったかもしれない。 何分10年以上も前の事なんで、もうざっくりとしたあらすじしか覚えていないのだ。………けど、よりにもよって髪の毛って。 「はははっ……何それ、馬鹿じゃないのっ……ふふふ」 一度笑ってしまうとそれがすっぽり笑いのツボにはまってしまって、堪え切れずに腹を抱えて笑い続ける。 くすくすと笑いっぱなしの私に綱吉が驚いたように目を見開いているのに気付かずに、笑いの波が収まるまで、そのままずっと笑っていた。 数分後、やっと治まって軽く痛くなった腹筋を撫でながら、はあはあと息をついて気を静めると、つい、並盛幼稚園にいた時の癖で、ぽんと、綱吉の頭の上に手を置いてしまった。 「……………うん。頑張ったね」 「ぇ…………?」 頭に乗せた手をよしよしと撫でるように動かすと、綱吉の元もと大きな目が更に大きくなって、その瞳が、一瞬より光を帯びた。 その光ではっと我に返ると、自分でもするとは思わなかった行動にびっくりして動揺するのを隠すように、肩に羽織っていた学ランを彼の顔に投げつけた。 わぷっ、と小さく声を上げてそれを反射的に受け止めた綱吉を横目に見て、動揺を鎮めるように声が震えないように気を付けながら口を開いた。 「いいから、それを着なさい。裸のままでいられた風紀が乱れる。それとも、わざわざ私に咬み殺されたいマゾか何かなの、君は?」 「うぇ!? いっいいいいいいえ、滅相もないです! すっ、すぐ着ます、今着ます!!」 「よろしい」 ぎょっとした顔を慌てて私の学ランに袖を通す綱吉を見て、よしと腕を組んで頷く。 それから動揺してしまった気を収めるようにふうと一度息をつくと、体育館にいた輩は既にいなくなっていたので、もうここに用はないと、綱吉に早くそれを着て教室に戻るようにだけ言い含めて、それじゃ、と彼の方から踵を返した。 「えっ。あ、あの、ヒバリさん………?」 「それは君にあげる。捨てるなり残すなり、好きにしていいよ」 戸惑った声の綱吉に背中越しにそう告げて、さっさと体育館を後にする。 …………というか、やっぱり、綱吉は私の事は覚えてなかったか。 そういう可能性は考えていたし、別に取り立てて言う事でもないけどさ。………まあ、あれだけ懐いてたっていうのに、子どもってのは薄情だよね。うん、別に何とも思ってないけど。 「…………私を見つけるって、言ってたくせに」 けど、応接室へ戻る道すがら、ついそうぼそりと呟いてしまうのは、やっぱり綱吉に多少の未練があったからか。 はあ、自分から離れたくせに恨み節言うとか、我ながら女々しくて嫌になる。 そして、後ろから響いて来た軽い足音に、さらに気分が盛り下がった。 「恭ちゃん…………!」 この声を、聞き間違えるはずがない。 私をこの愛称で呼ぶのは、いつだって、どこだって、世界でただ1人しかいないんだから。 息を切らせて走ってきた、胸に沁みる懐かしい声に、2階につながる階段に差し掛かったところで足を止める。 そのまま背中を向けた状態でいる私に、追いついて息を切らせた京が、切羽詰まったような声で言った。 「恭ちゃん、久しぶり。私だよ、京子だよ。あのね、私、あの頃より成長したよ。もう、恭ちゃんの迷惑にならないくらい、大きくなったよ。だからね、恭ちゃん、私…………!」 「…………ねぇ。君、さっきから馴れ馴れしいんだけど」 「え…………?」 一息に捲し立てた京に、努めて冷たく返す。 呆然としたような声の京に気付かないふりをして、ちらりとだけ、冷めた眼で京に目を向けた。 「君、誰だっけ」 その一言に息を飲んだ京に背を向けて、今度こそ振り向かないで階段に足をかけて、応接室へ向かう。 授業中の教室を通り過ぎながら、はあ、と深くため息をつく。 こっちの世に産まれて10年以上経ってるっていうのに、相変わらず、大事にしてた女の子の上手いあしらい方も解らない自分にイライラして、それでも自分の決めた道だから。 色々上手く行かないなあ、と嘆息して、ヒジリたちの待っている応接室の扉を開けた。 2013.12.13 更新 ← |