「恭華様、起きて下さいまし、恭華様」 障子のあいた隙間から暖かい日差しが入る部屋の中で、その声と共にゆるく体を揺さぶられる感覚に、目を閉じたまま眉間にしわを寄せて寝がえりを打つ。 それと同時に頭上の困ったと呟く声の主に、心の中でごめんと謝る。 本当はずっと前から起きていたのだけど、日差しは暖かいと言えどまだ寒い外と、布団の中の心地良い温もりとが相俟って、なかなか布団から起き上がる気になれない。 「―――――――っ!」 自分の中であと30分、と勝手に決めてごろりと自分を起こそうとしている人物に背を向けるようにして体を横にした瞬間、私の鳩尾に見事のジャストフィットした「何か」が降って来た。 「う゛………っ」 「恭華様っ!?」 それによる痛みと驚きから顔をしかめて小さく呻くと、先程まで私を起こそうと奮闘していた―――半年前に父が「拾いモノ」と称して連れてきた双子の片割れである少女が、小さく悲鳴を上げる様に私の名前を呼んだ。 その、少し金属質な風鈴みたいに綺麗な声を聞きながら、またごろっと寝がえりを打って仰向けになる。 それから、今はもう私の腹の上に移動した小さな生き物を軽く睨んだ。 【ネェーっ】 だがその生き物は全く悪びれた様子を見せず、そう上機嫌に泣いて私の腹に顔をすり寄せてきた。 少し鼻に掛かったころころとした鳴き声、そしてそれに見合うほんにゃりとした表情。 こてんと首を傾げた拍子にぴょこぴょこと揺れる桜色の耳がなんとも可愛らしい。 そんなこの子の無邪気な様子に毒気を抜かれ、大きくため息をついてから、このピンクとクリーム色をした小動物が落ちないように気をつけながら起き上がる。 そしてそのままその丸っこい頭を撫でてやると、素直に嬉しそうにネーと鳴くいた様子に、無意識に顔を綻ばせた。 【ネェーっ】 「………おはよう、ウメ」 まるでおはようと言うかのようにもう1度鳴くこの小動物…もといウメ(梅)に、頭を撫でながら自分も同じようにそう告げる。 ………解る人は解るだろうが、この“ウメ”と言うネコは、普通のネコではない。 「楓も、おはよう。わざわざ起こしに来てくれてありがとうね」 ウメを胸に抱いて布団から抜け出て彼女に微笑んでそう言うと、楓はボンッという音が聞こえそうなほど急速に顔を真っ赤にさせ、うろうろと視線を動かしてから、ついにくるりと後ろを向いて、開きかけのふすまを開いて廊下に出て行った。 「ちっ、ちょっ、朝食のご用意ができておりますのでっ、おっ、お早くうちにお着替えになって居間にまいらしゃって下さいっっ!」 そう此方を見ずに大きな声でそう言うと、早足にぱたたっと駆けて行った。 「ふふっ……日本語がおかしなことになってるよ、楓。それに使用人がどたどたと音を立てちゃ駄目なのになあ。ねえウメ?」 【ネネーッ】 あからさまに嬉しそうにして照れる…というかデレる楓をくすくす笑いながら見ていると、ふすまの向こうからころころと茶色いかたまりが転がって来た。 まあそれも何時もの事なので、転がって来たそのかたまりをウメと同じように抱きあげてやると、それはもぞりと身じろいでから、丸くなっていたのを元に戻した。 そうすると、茶色のかたまりは、常識的にありえない大きさのイタチモドキに変わる。 【オータッチ!】 「はいはい、ツムギもおはよう。君達も毎朝毎朝、わざわざ私を起こしに来てくれてありがとうね」 元に戻り、元気良く手を上げて私に挨拶をしたツムギに苦笑して言うと、2匹とも嬉しそうにしてすり寄って来た。 それからウメを見て、先程私の部屋から出て行った彼女に私的な弄りという名のお仕置きをするように促した。 「ウーメ、“ふぶき”」 【ネッ!】 楓を指さしてそう言うと同時に、腕にかすかに冷気を感じる。 そしてその数瞬後に、凍らされてつるつるになった床で盛大にすっ転んだ楓の、きゃああああぁぁぁぁとだんだん遠ざかっていく悲鳴に、我ながら酷いと思いながらもくくく、と小さく笑い声を洩らした。 【ネー?】 「うん、そうだよ。お手柄だね、ウメ」 これで良いのかと言う風に私を見上げて首を傾げるウメに、にこりと笑って頭を撫でてやる。 この、通常の人なら驚いて腰を抜かすかナサに連絡するかしそうな行動を整然とやってのけたウメと言う名の不思議SFトンデモ生物。そして、その隣にいるどでかいイタチモドキ。 ―――――種族名を、大きく分けてポケモン、細かく分けて、“エネコ”、そして“オタチ”といった。 「おはよう、恭華」 「うん。おはよう」 あれから簡単な着物を着て居間に向かうと、うちのバカ父こと雲雀家現当主の雲雀 刀弥が、いつもと同じ、無駄に爽やかな笑顔で私を出迎えた。 彼を見たウメが、ネーと嬉しそうに鳴いて彼の腕の中に飛び込んだ。 「よしよし、ウメ。恭華起こし御苦労様だったね」 【ネネーッ!】 「うん、良いコ良いコ。それから恭華、楓がさっき泣きながらここに入って来たよ。使用人いびりも程々にね」 ウメをしっかりと腕に納めて私を叱るように軽く睨む刀弥に、私は肩をすくめて、ツムギを抱いたまま美味しそうな日本食が並ぶ食卓に着いた。 ウメは、私のポケモンではない。刀弥が中学生時代に拾って来たペットで、彼の大切なパートナーでもある。 前世でポケモンと言う存在を知っていた私ですら驚いたその存在には、彼も彼の家の人も特に疑問に思わなかったようで、他の人には知られないようにしているものの、我が家ではごくごくありふれた存在だ。 ちなみに、ツムギも私のポケモンではなく母様ので、その経過も、また然りだ。 「別に。弄ってなんかないよ。あの子がただ私のやること成すことに一々過剰反応してるだけ」 そう言って箸を手にとって「いただきます」と言おうとしたけど、刀弥の続ける言葉に動きを止めた。 「それにしたって、廊下を凍らせて滑らすのはやりすぎだと僕は思うなあ」 「………………………」 箸を一旦食卓において横を向くと、全てを見透かすかのような眼をして私を見る刀弥と目があった。 …………私がウメに“ふぶき”を命じた時、廊下には誰もいなかった筈なんだけど。 「ははは、僕には第3の眼があるんだよ」 「くだらない冗談は顔だけにしてくれない? 貴方のその手のジョークはいっそ殺したくなるほど不愉快だ」 「そこまで!?」 彼のくだらない冗談ににこりともしないでそう応えると、刀弥はショックを受けたような顔をして、それから少し涙目になった。 ったく、いい年こいて、そんな情けない顔しないでほしいんだけど。 そう思いながらも、私の顔は、知らず知らずのうちに綻んでいた。 「あっ、そーだ恭華。明日って京子ちゃんと了平くんが家に泊まりに来る日だったよね?」 「うん。だから颯人、明日の夕食はプラス2人分ね。よろしく。それとおはよう」 刀弥の言葉に頷いて、今までずっと黙って私達の会話を聞いていた、刀弥の「拾いモノ」の双子のもう片方に目を向けて言うと、彼は嬉しそうに顔を輝かせて「はい!」と元気よく答えた。 …………いつもながら、良く出来た世話係だ。 「って、う、うわっ、ウメっ………! うわあああー! こっ来ないで、こっちに来ないでぇーっ!!」 まあ、ヘタレな所を抜かせば、だけど。猫嫌いな所もちっとも変わらないな、この子は。 そう思いながら、ウメにじゃれつかれて悲鳴を上げている颯人を呆れてみていると、母様と共にに支えられながら半泣きになっている楓が入って来た。 「わー、楓何泣いてるのー。恥っずかしーい(棒読み)」 「あなたがそれを言います!?」 楓にふざけてからかえば、全く予想通りの答えが返ってくる。 それが何だか可笑しくて、私はくすくすと口元に手を当てて笑った。 ――――そう、この時はまだ、私も周りもみんな幸せだったのだ。 特に私は、母がいて、父がいて、可愛らしい世話係や、不思議なペットもいて。時々だけど、了も京も遊びに来たりして。 けれど、この日、全てが壊れてしまった。 …………もしかしたら、そう思ってるのは私だけなのかも知れないけど。 それでも、確かに私は、あの時何かが壊れてしまったように感じた。 それは信頼だったり、友情だったり、プライドだったり、色々だけど。 けど、その時私は、この日あんな事が起こるなんて微塵も予想していなかった。 ……ううん。あんな幸せの中で、予想しろって言う方が、無理だった。 加筆 2011.8.24 ← |