広い機内の中で、こぽこぽとお湯の沸く音だけが響く。 その音を響かせている張本人はと言うと、その湯を茶葉の入ったティーポットに注ぎ、砂時計をひっくり返してから、後ろを振り向きそこに控えていた使用人達に声を掛けた。 「はい、お待たせ。とりあえずお茶っ葉蒸らすのにちょっと時間かかるから、その間に話を済ませちゃおう」 そう言って穏やかに微笑むのは、癖の強いキャラメルブラウンの髪をした、青年と言うよりも少年と言う方が近い、幼げな顔をした男だった。 彼はその幼い見掛けによらずかっちりとした執事服を着ていて、どこなく着られているという感じが否めないが、それは彼も自覚しながら着ている。 この服は、己が立った1人の主とする少女に対する忠誠の証でもあるものだと、昔、彼の家庭教師を務めていた男に教えられていたから。 彼の名は沢田 綱吉。世界有数の企業“ボンゴレ”の社長の1人娘である、遥花の執事を務めている。 今彼がいるのは、その“ボンゴレ”が所有する自家用ジェット機の中で、機内に居るのは、彼の主である遥花はもちろん、その他に6人の使用人がいた。そんな大人数にもかかわらず窮屈さを感じさせない機内の広さは、流石と言う他ない。 何故、今彼等がこのジェット機内にいるのかと言うと、他でもない、彼等の主である遥花の為である。 今年の春に中学2年生になる遥花は、つい先日、今年度から今まで通っていたイタリアの名門女子中学校を出て、日本の並盛町にある並盛中学校へ転入すると、一部を除いた使用人達に突然カミングアウトしたのだ。 それは、自分を常日頃から想いやってくれている、いや想いやりすぎている過保護な使用人達が彼女の計画を潰してしまわないように色々と根回しをしてからのものだったので、編入手続きや日本での住まいの確保などは心配いらなかったのだが、日本に発つ準備が疎かになっていた為、その日1日は色々と大騒ぎだった。 「そうですね、お嬢様のお湯浴みも、もうそんなに長くはないでしょうし。 今の内に細やかな事を決めておいた方が、後々スムーズに事が進めらると思います」 ――――と、そこで綱吉の言葉に真っ先に応えたのは、同じく遥花の執事の獄寺 隼人だ。 ………もっとも、彼と綱吉の間には執事と執事長という立場の差が存在しているのだが。 隼人は自分の上司である綱吉を、昔からとても尊敬していて、彼が何かを言ったり行ったりすると、いつも賛同のや敬いの言葉を上げている。 今も、「流石です、執事長!」と瞳を輝かせて言うのを忘れない。 「だなっ。やっぱり俺ら使用人は、お嬢サマの見てない所で活躍するのが美学ってもんだし」 次に綱吉の言葉に賛成の意を述べたのは、いかにも活発そうな短く切られた黒髪の後ろで手を組んだ青年―――山本 武だった。 彼は執事ではなくただのシェフ(料理長)だったが、執事長の綱吉の相談役も担っている事もあり、彼の発言権は大きい。 この綱吉、隼人、武の3人は、中学時代の同級生でありこの中で最も付き合いの長い面子であるので、主な事柄を決定するのはこの3人だ。 ………と言っても、他の使用人達の発言権や立場が悪いという訳でも、消してないのだが。 「僕もその方がいいと思いますよ。予定が遅れると、雲雀 恭弥が五月蠅いですしね」 そして最後に、黒縁の眼鏡をくい、と軽く押し上げて綱吉に告げたのは、背中の辺りまで伸びた藍色の髪をリングの様な形の髪留め手一つに括った細身の優男、六道 骸だった。 彼は生まれつき体の弱い遥花の主治医で、その所為でか、他の3人が来ている様なかっちりとした服ではなく、黒のカッターシャツに白い白衣をまとい、濃い灰色のネクタイを申し訳程度に結んでいるという、比較的ラフな格好でいた。 「ああ!? 誰も手めぇになんか聞いてねぇよ!」 「ちょ、隼人。何でそうやってすぐ喧嘩売る様な言い方しちゃうの……!」 骸が静かに己の意見を述べると、隼人がいきり立って彼に食って掛かった。それを見て、綱吉が慌てて小声で隼人を叱咤する。 骸はそれ見てを色の濃いアイアンブルーの瞳を細めるだけで、特に意見をする事なく優雅に座り心地の良いソファに座っているだけだった。 彼がこういった細かい事にいちいち突っ掛かって来るのはいつもの事なので、今更気にしても仕方がないという風だ。 ………まあ、実際そうなのだが。 「そんな事はどうでもいいですから、さっさと話を始めなさい、沢田 綱吉」 「なってめっ! 執事長に対してなんて口を「もうお願いだから隼人黙って!!」」 自分が睨みを利かせているにもかかわらずあくまで憮然とした態度を崩さない骸に元から沸点が低い隼人は又もや彼に食って掛かろうとしたが、それを綱吉が悲鳴に近い叱咤の声で遮った。 今いる使用人の他に、本当なら後2人いるのだが、彼等は綱吉達よりも一足先に日本へ行っているのだ。 「コホン。……えー、じゃあ、日本に着いてからの行動の流れを簡単に確認するよ。まず、このジェットは日本の並盛空港に着陸させてもらう事になってるから、一旦ここで降りて、ジェットは後日回収。……あってる? 隼人」 「はい、 間違いありません。先程、念のため空港にもう1度確認しておきました」 「そっか。ありがとう、助かるよ」 軽く咳払いをして言った綱吉に、手帳を見て確認しながら隼人が淡々と告げた。 何時もはKY+人一番強い負けず嫌いの所為で綱吉の胃を痛めさせている隼人だが、一度スイッチが入ると、途端に冷静かつ完璧に仕事をこなす。 その点は綱吉も認めているので、笑顔でありがとうと隼人に礼を言った。 「その後は、空港で雲雀と笹川と合流。それから直接並中に行き、転入手の件の確認と敷地の下見をします。並中では、雲雀の従兄妹が詳しい説明と案内をしてくれるそうです。 それが済んだら、俺達が日本にいる間住む事になる屋敷に行き、荷物の整理。それで、今日の予定は以上です」 「OK。解ったよ隼人。……そう言えば、俺達が日本で住む所って、ヒバリさんの実家だったよね。 ヒバリさんのご両親、良く許可してくれたね」 それからの予定も完璧に言った隼人に綱吉が問うと、隼人は苦笑して答えた。 「はい。雲雀の両親に確認を取ったところ、2人は今日から世界一周旅行に行く予定だったらしく、調度良いから留守番がてら空き室なら好きなように使って良いと言われました」 「え、へー…。そうなんだ」 綱吉が意外と緩いのだなあと思い苦笑いをしていると、丁度そこで遥花が風呂から上がって来た。 しとどに濡れている髪は、その所為か普段より髪の色が濃くなっており、彼が今持っているティーポットの中身の紅茶と同じ色をしていた。 いつもは軽くウェーブのかかった遥花の髪だが、彼女の本当の髪質はストレートだ。 普段は寝る前に三つ編みをして髪を波立たせているのだが、彼女がそうしているのは、今は亡き己と瓜二つの顔立ちをしている母親の面影を自分に見てしまわないようにする為だった。 故に、遥花はいつも、風呂に入ってからは鏡、又はそれに準ずる何かに自分を写さないようにしていた。 「ああ、お嬢様。すみません、もう少しでアイスティーが出来るので、少々お待ちを」 「ええ。構いませんよ。いつもありがとうございます」 「いいえ。私はお嬢様の執事ですから」 綱吉はそう言って遥花に優しく微笑んだ。 その眼差しは何よりも優しく、彼がいかに遥花を大切に思っているのかが良く解る。 綱吉は少々お待ちを、と一声掛けると、蒸らしていた紅茶を氷のたっぷり入ったグラスに注いだ。 これは、4年前、今までの使用人を全員解雇し、綱吉達使用人が##NAME1##に就いた時からの日課だった。 それは骸が遥花に就いて最初に検診した時、遥花が湯冷めをして風邪を引いてしまわないように早めに体温を下げるためにと当時から執事長を務めていた綱吉に命じたもので、以来ずっとこの仕事は綱吉の担当だった。 アイスティーを作るのは、簡単そうに見えて意外と難しい。 普通の紅茶より濃い目に淹れないと氷で冷やした時に味が薄くなってしまうし、逆に濃くし過ぎても逆に渋く苦くなってしまう。 そして肝心の氷を入れたグラスに熱い紅茶を入れて冷やす時だが、上手く紅茶を注がないと冷やす時に白く濁る“クリームダウン”という現象が起きてしまう。 これは紅茶の成分に含まれるタンニンやカフェインが冷やされることで結合するため起きてしまうもので、タンニン等を多く含む良質な茶葉程起こりやすい。 その為普通はタンニン等の含有量の少ないアールグレイ等を使うのだが、遥花は通常よりもタンニンの含有量が多いアッサムティーを好んで飲むため、より難しかった。 他にも、水出しで作りポットか何かに保存して一晩待つ、という方法もあるのだが、口にあまり出さないが遥花は作りたての紅茶を好むため、綱吉はいつも遥花が風呂から上がるタイミングを見計らってアイスティーを作っているた。 「どうぞ、お嬢様。アイスティーです」 「ありがとうございます。……ふふ、しかし、こうして綱吉の淹れた紅茶を飲むたび思うのですが、綱吉は私の執事になってから、随分と紅茶を淹れるのが上手くなりましたよね」 「………よして下さい。私なんてまだまだです。もっと頑張らないと……」 「あら、そんな事ありませんわ。私は最初から何もかも完璧にやるより、私の執事になってから私の執事として成長していく綱吉を見るのがとても好きです。 だって、私の為に頑張ってくれているんだなあって解って、嬉しいじゃありませんか。 それに、私は綱吉が最初の頃よく作っていたクリームダウンしたアイスティーも、なかなか好きでしたよ?」 「……そこら辺は、あまり掘り起こさないでいただけると嬉しいです」 そう言ってほわんと微笑む遥花に、綱吉も照れくさそうにはにかむ。 「………ですが、私も、お嬢様にこうして使える事が出来てとても幸せです。 お嬢様さえ望んでいただけるのなら、ずっとお傍に降ります。貴女のお傍に。これからもずっと」 そう言って遥花の前に跪き、彼女の手をそっと取り恭しくその手の甲に口つける綱吉に、遥花は驚いたように目を丸くして、ぱっと顔をリンゴのように真っ赤にさせた。 それから慌てたようにはくはくと口を開け閉めすると、やがてしゅう、と頭から湯気が出そうな程顔を赤くさせ、赤い顔を俯かせると、綱吉の耳元でそっと囁いた。 「 」 「………………!」 その言葉を聞いた途端、綱吉も同じように目を丸くさせ、ほんのり頬を赤くして幸せそうに微笑んだ。 「光栄です、お嬢様」 言って、照れを誤魔化すように遥花の髪をちょいと直す綱吉に、遥花は業と目を見せないようにそっぽを向いた。 「………あーあっ。憂鬱ですわ」 さもつまらなそうな口調で言われたその言葉を隠すように、遥花はアイスティーを一口くちにした。 むすりと不機嫌そうな顔をした遥花の顔は、やはりリンゴのようなままだったけれど。 “勿論ですわ。ずっと、私の傍にいて下さいまし” 加筆 2011.8.23 ← |