おいぬ様 参 〜前編〜
あ、実弥さん…またどっかに行っちゃうのかな。
目出度くた、おいぬ様と夫婦になった夢は、「不死川さん」と呼ぶとお前も、もう不死川だ。と言われてしまうので、実弥さんと呼ぶようになった。
その実弥は最近、西の方角で何かの気配を感じるらしく、何か良くない事が起きていないかと様子を見に行く事がしばしば。
神社の庭で一人ぼんやりしていた夢。
今、大きい狼の後ろ姿が見えたので、実弥が帰って来たと思ったのに、また直ぐに出掛けてしまうようだ。
そうだ、着いていって驚かせよう!
暇だし、神社から出るなと言われているけれど、実弥さんにくっついているなら大丈夫だろう。
最近少し大きくなった?犬の姿で歩き出す。
歩幅が違うので夢は走る。
が、ドンドン距離が離されていく。不味い…このまま見失えば迷子だ。頑張って走っても追い付けそうにない。
「アンッ」
あ、行ってしまった…
驚かせようと最初だけワクワクしていた夢も、後を追い出してすぐに焦りだし、待って!と吠えてみたが聞こえなかったのか、そのまま行ってしまった。
無意識に出る、夢の寂しいク〜ンと言う鳴き声だけが静かな山の中で響く。
…戻ろう。
これ以上は見失ってしまって分からないし、逆に戻りたくても迷子になるかもしれない。今はまだ、来た道を真っ直ぐ戻ればいいだけ。
とぼとぼと静かな道を歩いていると、心細さからか、昼間なのに山の中が不気味に感じる。人型になっても大丈夫そうだが、もし、誰かに見られていたら大変。子犬のままだと視点が低いので先が見えにくいが、仕方がない。
真っ直ぐ、真っ直ぐ…
ガサガサッと物音がした。
物音のする方へ意識を向ける。かなり近い、少し獣っぽい臭いもして、熊だったらどうしようと思うと恐怖で足が震える。今、走ったら転ける自信がある。
夢の直ぐ横の草が揺れる。怖いぃと身を固くした夢の目に前に姿を現したのは、
タヌキさん!
それも夢と同じく子狸のようだ。
良かった、熊だったら食べられてしまったかもしれない。
安心感と子狸の可愛さに自然と尻尾を振る夢。
可愛い。
尻尾を振って子狸を見ていると、次々に子狸が現れ、四兄弟のようだ。一匹が夢に興味を持って近寄ってきたところで唸り声が聞こえた。
ハッとして顔を上げると、大きな狸が夢に向かって威嚇している。恐らく親狸だ。慌てて離れようとしたその時、
キャァンッ!
親狸が夢の後ろ足に噛みついた。
噛みつかれて痛みに甲高い悲鳴を上げ、飛び退けた夢はその勢いのまま、坂道に倒れてコロコロと転がってしまう。
危ないと思っても止まれそうもなく、急斜面を転げ落ち、べちゃっと音を立ててちょろちょろ流れる小川に突っ込んで止まった。
その頃、おいぬ様は…
何か嫌な予感がする。
最近、西の山の方で何者かの、今までにない気配がするので今日も確認に来ていたが、気配の正体が見当たらない。それよりも嫌な予感から夢が心配になってきたのと、もう一つの気配。
どうやら実弥への客が来たようなので、今日はもう戻る事にした。
実弥が遠吠えすると、それに答えて遠吠えが返ってきた。
実弥に会いに来た客の返事は思いの外近く、もうすぐ傍まで来ているようだ。
スンスンと匂いを嗅げば、懐かしい匂い。
「兄ちゃん!」
「おォ、玄弥ァ。元気してたかァ」
少し走れば思っていた通り、実弥の弟の玄弥に出会った。
久々に会う弟は、力が増して逞しくなっているのが分かる。玄弥が日々精進した結果だろう。でかい図体をして、ぶんぶん尻尾を振って嬉しそうにしているのは相変わらず。
「遠路遥々来てもらったところ悪ィが、急いで神社に戻りてェ」
後で紹介するが、実は嫁を迎えたんだ。と、珍しく気恥ずかしそうにする実弥に玄弥は、聞いたよ、それで挨拶に来たんだと言う。先ほど神社に寄ったら、気持ち良さそうに日向ぼっこしている雌の子供の狼がいて、実弥が不在の時に挨拶するのも悪いと思い、気配を辿って実弥に会いに来たらしい。
「…誰から聞いたァ」
「え、宇随さん」
「何処で見てたんだァ、あのクソ天狗」
夢を迎えてから宇随には会っていないし、夢の事を誰かに話してもいない。あの宇随の事だ、気配を殺してどこからか覗いていたのだろう。悪趣味な奴め。
そして、夢はまた無防備にも外で丸まって寝てやがったのか、危機感がまるで足りない。躾が必要だと考えながら、山道を玄弥と共に走り抜けた。
急いで神社に戻ってくると、案の定夢がいない。
何処に行ったのか…言い付けを破って、出かけたのか、もしくは拐われた…
嫌な予感が的中してしまい、焦る。冷静にならなくては。この山は実弥の縄張りで、山から夢が出て行った気配はしなかった。
玄弥にも協力してもらい、匂いを頼りに夢を捜す。神社周辺は夢と山の物を取りに歩き回っていたので、そこら中で夢の匂いがする。
頼むから、無事でいてくれ…
寒い。
小川に突っ込んだ夢はずぶ濡れで、でも、黙ってここにいる訳にも行かず、転げ落ちた坂道を必死に登っていた。水で濡れ、泥で汚れて、みすぼらしい姿。後ろ足は狸に噛まれてズキズキ痛み、寒さでぶるぶる震えながらも懸命に登る。
これは罰だ。ちゃんと実弥の言い付けを守らなかった罰。山の中は危険だから、神社の敷地内に居ろと言っていたのだろう。ごめんなさい、実弥さん。
常にク〜ン、ク〜ンと悲しい声を出しながら登っている夢の耳がピクンと動く。
何かが走ってくる足音がする!
また、狸だったらどうしようと思ったが、実弥の可能性に賭けて吠えた。
「アンッ!アンッ!アンッ!」
すると走ってくる足音が夢に近付いている気がする。
夢の視界に銀色が見えた!
こちらに全力で駆けてくる銀色は間違いなく狼だ!捜してくれていた事にほっとしながらも、懸命に私はここだよと声を出す。
物凄い勢いで銀色の狼が夢の所へやって来た。
あれ、あれれ、この狼さん…実弥さんじゃない!?
実弥よりも少し身体が大きいし、たてがみの量が実弥より多いのだ。
夢を見ると実弥じゃない狼は、遠吠えをする。
どうしよう、仲間呼んだのだろうか。
食われるのだろうか、共食い…逃げる事も出来ずにその場にうずくまり、ただただ震える夢。
「夢っ!」
今度こそ本当に実弥が来た。
狼の姿で側まで駆けつけると、人型になって夢を抱き上げる。
「馬鹿野郎…心配したじゃねェか」
この姿のままではごめんなさいが言えず、夢はクゥ〜ンと悲しげに鳴いてみせる。
「事情は後で聞くが、とりあえず帰るぞォ」
寒そうに震える夢が可哀想で、自分の着物が汚れるのも気にせず、実弥は自分の懐に入れて温める。
「玄弥ァ、悪いが乗せてくれ」
「うん。乗ってくれ、兄ちゃん」
兄ちゃん?
実弥の懐の中で暖まりながら、夢は疑問に思ったが、安心感から急に眠気に襲われて、そのまま目蓋を閉じた。
end.
[ 15/50 ][*prev] [next#]
mainに戻る