私の家とカカシ先輩の家は歩いて五分くらいの距離にある。本当はもっと離れたところに住む予定だったのだが、カカシ先輩があそこはオバケが出ると専らの噂だからお前には無理だとかなんとか言って、今の家に住むように仕向けられたのだ。
仕向けられた、というのは、後からよく聞いたらそんな噂は全くのデタラメで、先輩が都合のいいところへ住まわせたいがために嘘をつき、私を操作していたことが判明したからだ。
本当にひどい人だ。
家の前に着いて様子を確認すると、当たり前だが、まだカカシ先輩は帰っていなかった。
持っていた合鍵でドアを開け、家に入ってまた内側から鍵を閉める。
しめしめうまく行ったぞと思いながら、用意したハンカチを取り出すと、「私が犬を家の中に置いて、外から鍵を閉めた後ドアポストから鍵を投げ入れて帰った」ように工作する。
それからいつ帰ってきてもいいように仔犬に化けてゴロゴロしていると、1時間くらいで玄関のドアがガチャりと開いた。
先輩だ!と思って走ろうとすると、何故かしっぽがブンブン動くではないか。それに仔犬の姿では足が短いからか、しなやかに走ることができず、10歩くらい走るごとに足元が滑って転けそうになる。
意外と辛いな、そう思って立ち上がろうとすると、帰ってきた先輩と目があった。
仔犬の視線から高身長の先輩を見上げると、なかなかの迫力である。手には私が工作したハンカチが握られている。いつにも増して見透かされている気分になるが、ここで怖気付いてはいけない。
かわいい仔犬らしくクゥーンと甘えた声を出し、コケた体勢のまま、首をかしげる。
すると、カカシ先輩はハッとした顔をして、仔犬の私の身体を抱き上げた。
「よしよし、お前どうしたんだこんなところに……」
先輩はすごく切なそうな表情で私を撫でると、そのまま寝室に連れていかれた。もう一度言うが、私は今真っ白のふわふわの毛玉のような仔犬の姿である。
そして壊れ物を扱うように丁寧な動作で私を一度ベッドに下ろすと、手に持っていたハンカチを開いた。鍵とメモに気づいたようである。
カカシ先輩の反応にじっと注目したいところだが、今の私は仔犬。彼のことだけを見ていると変化だとバレそうなので、布団カバーをかじったり、ベッドの上を駆け回ったりとフルパワーで演技を続けた。
遊びながら先輩を見ると、メモを見終わったのか、チラッと私とメモを見比べていた。
怪しまれているのかと思ったが、カカシ先輩はすぐに「お前、本当にわたあめみたいだな」と笑って、メモや鍵を机の上にぽいと投げると私の隣に腰を下ろした。
ただ動いているだけだと流石にバテてくるので、目が合ったタイミングで「ワン!」と吠えてコテンと横になる。これはかなり愛くるしいだろう。
先輩はとっても優しい顔で私のお腹を優しくなでてくれた。
私はそれを見て「先輩はこんなに優しい顔をする人だったんだな」と胸のあたりがキュッと詰まるような思いがした。
人間の姿の私にもその眼差しを向けて欲しかった、と。
カカシ先輩はひとしきりベッドの上で私とじゃれると、ちょっと待っててねと立ち上がり、お皿にお水を入れて持ってきてくれた。
再び抱っこされて床に下ろされると、慈しむような声で先輩が私へ声をかける。
「ごめんな、犬用のミルクもドッグフードもきらしてて。お腹空かせてないといいんだけど」
私は仔犬らしく尻尾を振りながら水を舐めとるように飲む。彼の声なんて聞こえていないように。
「ふふ、喉渇いてんのか?本当かわいいなぁ」
人間の姿だったら想像もつかない声色や言葉。少し寂しくなると同時に、いつまでもこの姿のままだったらいいのになと思った。
この姿のままだったら、生きているだけでカカシ先輩にかまってもらえて、甘えられて、大事にしてもらえる。
いつも先輩の周りで頑張っている私はそんな風に扱ってもらえないのに。
私は水を飲むのに飽きたフリをして、またトタトタと走り始める。じっとしていると、悲しくて変化が解けてしまいそうだった。
「あんまりはしゃぐと疲れるぞ」
先輩はしょうがない子だなぁ、と言って私を捕まえると、左腕で抱っこをして立ったままあやすように揺らした。
カカシ先輩の腕の中は、暖かくて、すごく気持ちが落ち着いた。
この時私は、私は先輩のことが実は好きだったんだ、と気づいた。
彼のことを冷たいと思ってしまうのも、私が先輩を好きだからこそそう思い込んでしまうだけで、本当は普通なのかもしれない。
抱きしめられながらいろいろ考えているうちに、私はだんだん悲しいというよりも、このカカシ先輩を独り占めできている状況が嬉しくてたまらなくなり、せっかくなら精一杯先輩をデレデレにさせてやろうと思った。一泡吹かせるチャンスである。
「ワン!」
そう吠えると、私は下ろせと言わんばかりに腕の中で暴れて、解放してもらえるように仕向けると、思いっきり腕を飛び出した。
そこからの私は全力で無邪気かつかわいい仔犬を演じ、先輩も見たことがないくらい目尻を下げて微笑んでいた。
おまけに途中からマスクも外していて、ニヤけるあまり口がずっと半開きになっていたのが間抜けでとても面白かった。
散々遊びまわって、さすがに体力の限界を感じた私は、カカシ先輩のそばで再びコテンと横になる。
先輩は、「どうした」と私の顔を覗きこんで、優しく腕の中へ収めた。マスクを外しているから、顔が近くに来るとドキドキして仕方ない。
焦って短い手足をバタバタさせると、じゃれたがっているのと勘違いされたのか、右手の人差し指で顎の下あたりをちょんちょんとイタズラをするように撫でられた。
愛しいものを見つめるその眼差し。
私は最高に幸せな気分だった。
しばらくそうして、うとうとしながら腕の中に包まれていると、玄関の方でチャイムが鳴った。
私の分身が、私のチャクラの限界を感じ取り迎えにきたようだった。
まだ2時間くらいしか経っていないが、分身を作った上に散々仔犬の姿でははしゃいだので、チャクラの消費が激しかったらしい。
カカシ先輩は「カナか?」と呟くと、私を左腕に抱き抱えたまま玄関口へ出た。そして重たそうな扉を手前に引くと、向こうにはやっぱり私の分身が立っていた。
「すみません、突然」
開口一番私の分身はカカシ先輩へ謝罪した。
うん、我ながらきちんと私を再現できている。
「カナ!お前こんなかわいい子置いてなにしてたんだ!」
「勝手にわたあめを置いて行ってしまってごめんなさい……鍵を返し忘れたので怒る前に和んで貰おうかなって思いまして……」
しゅんとした様子で分身はいうと、先輩は小さくため息をついて犬の姿の私を見下ろした。
そして、「なんだ、オレにくれるんじゃないんだ」と恨めしそうに分身を見つめて言った。
「いや、その子はちょっと前から飼ってる大切な家族なので……それは……」
「ふふ、冗談だよ。それにしてもわたあめ、本当にかわいいね。いい子だし」
そばに置いて置きたくなっちゃうなぁ、と先輩は私の分身に珍しく笑うと、名残惜しそうにわたあめの姿の私をギュッと抱きしめ、額のあたりにキスをして分身の私に大事そうに渡した。
キス、キスをされたのだ。
あのカカシ先輩に可愛いと言わしめただけでなく、そばに置いて置きたいと思わせて、キスまでさせたのだ。
きっと先輩は私の変身した姿なんて夢にも思っていないだろう。
これは一本取ってやった、やっと仕返しをしてやったのだ。
私は家に帰って分身の術と変化の術を解くと、しばらく先ほどの余韻に浸った。
キスをされた額を何度も確かめる度に、胸が高鳴り、全身が熱くなる。
そして今回で味をしめた私はもう一度化けて、あの胸に飛び込むことを企んだ。
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