朝起きたら知らない女が寝ていた。しかも何故だか泣いている。
最初はオレが記憶を無くして連れてきたのか、こいつは結構若そうだ、大丈夫なのかと心臓が止まるかと思ったが、生憎酒はここしばらく呑んでいない。
それじゃあ夢遊病か?いや敵か?と眺めていたが、どうも違うらしかった。
カマをかけつつ、一瞬だけ写輪眼を使って見てみたが、まるでチャクラを感じない。それにオレに危害を加えようとしている訳でもない。あるのは動揺だけだ。
女の泣き顔はどうも苦手だ。あの、子供の頃の最悪な日を思い出して、胸糞が悪くなる。
早く泣き止ませなくては面倒だ。
とりあえず思いつく限りの策を試し、落ち着かせて話を聞くと、女はニホンのトウキョウから来たと言う。……全く聞いたことが無い。
漫画や作り話の中ではよく、別の世界から〜なんてのは聞いたことがあるが、現実世界ではそう起こることとは信じがたい。いやまぁ写輪眼も忍術も似たようなものかもしれないけれど。
年齢は24と言ったが、どことなくあどけなさを残していて、幾分か若く見える。顔はぐちゃぐちゃにして泣くし、無防備だし、何よりわかりやすい。良いように言うと素直だ。
オレは意外と優しい人間だから、こういうのを見ると案外放っておけず。
とりあえず悪い奴では無さそうだから、三代目には先に分身で報告して、きちんと外に出られるようにこいつを整えてやることにした。
まずは適当に朝食を用意してやると、すごいすごいと目をキラキラ輝かせている。こんな様なリアクションの良いガキが生徒に一人いたなーなんて思いながら、うっかり微笑ましくなって彼女を眺めてしまった。
それから、マスクを外したオレの顔を顔を赤くしながらまじまじと見たり、オレがしたこと一つ一つに対して感謝なんかしちゃって。警戒心のなさが丸出しで、他の世界から来たというのにこのままやっていけるのかとても心配になってしまった。
親、というには年齢が近すぎるから、妹を心配する兄の気持ちといったところか。
自分で面倒くさがりなたちだと思っていたが、案外オレは世話焼きなところがあるらしい。
そんなカナは、昨日から木ノ葉病院に検査入院をしている。
異世界からきた、なんて普通は信じられないから、まずは健康状態の異常がないかを確認するのは当然のことだろう。記憶喪失、精神疾患、腫瘍に起因する感覚異常など様々な可能性が考えられる。
あんな様子で敵国のスパイや刺客だなんてのは到底ありえない。
もしそうだったら忍人生一生の不覚だ。今回の検査である程度はっきりするだろう──そう三代目とは話をしている。
「あれ、カカシ先輩」
「なんだ、夕顔が担当なのか」
カナの病室前まで行くと、病室の扉から少しズレたあたりにあるソファに腰掛ける夕顔がいた。オレを見るなり立ち上がって会釈をする。
身の回りの世話係は、とりあえず年の近い夕顔になったらしい。妥当な人選だろう。忍としての腕も確かだ。
「面会時間開始ぴったりにくるなんて、雪でも降るんじゃないですか」
夕顔は茶化すように言う。面会時間は11時から20時までで、今はちょうど11時すぎくらいだ。別にぴったりでもない、大げさな。
まるでオレがカナに会いたがってるように見える、と言いたいのだろうがそれは否定する。
「……あのねぇ、これは火影様からの直々の任務なの。遅刻して、何かあったら首が飛ぶでしょ」
「冗談ですよ、すみません」
「で、様子はどうだ」
「特に変わらずです。今日は内科の検査を朝からいくつか行って少し疲れてるみたいです。明日は日曜日なので検査はお休みで、明後日に精神科の検査と、脳の検査などを行って終わりのようです」
「……かえって体調が悪くなりそうだな、」
夕顔が、ソファの上に置いていた書きかけの報告書を差し出す。
中を見てみると、これからの検査スケジュールや、カナから頼まれて何を購入したか、それからカナとの会話の記録や彼女のリアクションの様子が詳細に記録されている。
「ま、特に怪しい様子は無しか」
「それにしても全く悪い人には見えないんですけど……本当に監視対象にする必要あるんですか?」
「とりあえずは、ってだけだろ。検査で異常があればそれを理由に解放するし、検査で異常が見つからなかったら……わからないけどな」
どうも、と報告書を夕顔に返すと、オレは病室の扉をノックする。
「どうぞ」
すぐに向こうから返事がして、引き戸をガラリと開けると、ベットに腰掛けて虚な目で外を眺めているカナの横顔が飛び込んできた。昨日とは別人の様だった。
彼女は薄桃色のゆるっとした長めのワンピースを身に纏っており、白く塗りつぶされた病室の中で、髪と袖や裾のあたりが風に揺れ、なんとも儚げに映った。窓から入る光のせいもあったかもしれない。
オレにはそのカナの姿が、ひどく寂しそうに見えて、胸の奥がキュッと詰まるような感覚に襲われた。
しかし、そんなのも束の間――
「カカシさん!」
カナはオレに気づくと、嬉しそうにベッドから立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。昨日見たカナと同じだった。
病室は左側に窓があり、ドアからみて部屋の正面奥、少し窓よりにベッドが配置されていた。個室でそこそこ広く、窓からよく光も入り、明るくてなかなか良い部屋だった。
「よっ!居心地はどうだ?」
「個室を準備していただいたので快適です」
オレが中まで入ると、カナは窓の反対側にあった面会者用の丸椅子を取り出し、窓側に置いてくれた。
オレがそれに腰掛けると、カナも再び先程と同じあたりに座った。
「こりゃVIPルームだな」
「はい、夕顔さんに服や化粧品なども揃えていただいて、何一つ不自由してません!」
ここで、昨日と印象が違った理由が化粧のせいだったことに気づく。
「あー、通りで」
「え?」
「やっぱり化粧すると変わるもんだな」
「昨日のことは忘れてください……」
そう言うカナは、先程の悲しげな、儚げな雰囲気はもう無くて。自分の見間違いだったのかと、表情をコロコロ変える彼女をしげしげと見つめる。
「検査はどうだったんだ?」
「血液検査で三本も取られちゃって……血を抜かれるときめっちゃ痛くって、終わってみたらアザになってたんです!」
彼女は、ほら!とワンピースの長袖をぐいっとまくって、子供のようにオレに採血箇所を見せつけた。
カナの腕は真っ白で、血管が青く浮きだっていた。採血した関節のあたりにはすでに大きい赤紫色のアザができていて、なんとも痛々しい。
「痛いの痛いのとんでけ」
「ちょっと、子供じゃないんですから!」
「違うの?言って欲しそうな顔してたからさ」
少しはかまって欲しかったのもあるのか、カナは反論せず目を泳がせていた。
「はは、病室に一人は確かに退屈かもな」
「そんな贅沢は言えないですけど、やっぱりちょっぴり寂しいなとは思います。話し相手もいないですし」
カナの表情が少し曇る。
ただでさえ心細い状況なんだから当然だろう。孤独の辛さはオレもよく知っている。
だからこそ、病室に入った瞬間の彼女の姿に胸が苦しくなったのだろう。
「そうだ、退屈しのぎにいいものを見せてやる」
「?」
キョトンとした彼女にニッコリ笑うと、オレはサッと印を結び、影分身の術をして見せる。
「どうだ?」
「カカシさんが二人?!」
異世界からきたカナにすればありえないことなのだろう。確か昨日も、影分身なんて使えるのかと驚いていた。
「これって……触れるんですか?」
「もちろん」
カナは丸い目をさらにまん丸く見開いて、オレと影分身へ視線を行ったり来たりさせている。まだ信じられないようだったので、影分身のオレが手を差し出すと、「し、失礼します」と恐る恐る握手をし、実体であることを確認すると「本物だぁ!」とすぐに手を引っ込め声を震わせていた。その姿のあまりの間抜けさに、オレはついつい声を出して笑ってしまう。
「なにそんなにビビってんだ、面白いやつだな」
「だって同じ人が二人なんて!ドッペルゲンガーじゃあるまいし……」
「あのね、これはれっきとした忍術なの。幽霊じゃないから」
この世界に、忍者ではない人はいるが、忍術の存在を知らない人はいない。
影分身を見せて喜ぶのは、アカデミーに入る前の子供くらいだ。
彼女の反応は、まさにその子供とそっくりだった。いちいち反応が新鮮でたまらない。
合コンでマジックを披露する男がたまにいるが、あれもこんな気持ちなのかもしれない――なんて彼女を見ながら考えていると、どこからか、グゥと腹の鳴る音が聞こえた。
「あはは、聞こえちゃいました?」
気まずそうにお腹を抑えてカナが笑う。
「血液検査があったので、今朝からなにも食べてなくて」
「腹減ってんのか。昼飯前だけど軽く何かつまむか?なんなら分身に買ってこさせるけど」
「そんなことも出来るんですか?!」
「朝飯前よ。何食べたい?」
じゃあー、とカナが視線を右斜め上へやる。
「もしこの世界にあるなら、今は大福が食べたいです!」
「了解。行ってきてちょうだい!オレの分身」
オレの分身に指示すると、病室のドアが開いて、「先輩、それなら私が」と話を聞いていたらしい夕顔が入ってくる。
「術見せるためだし、いいよ。それより昨日から疲れてるだろ、休憩してこい」
監視役はなかなかに神経を使う任務だ。暗部だったころ何度かオレも経験したことがある。
夕顔に笑顔でひらひら手を振ると、彼女は少し困ったように笑って「それじゃあ、少しだけお暇します」と扉を閉めて病室から離れていった。
「よーし、オレの分身くん!今度こそよろしく頼むぞ」
「りょーかい」
分身はやるき無さそうに窓から飛び降り、大福を買いに行った。
「忍者はやっぱりアクロバティックなんですね……」
真面目な顔で、カナが分身の後ろ姿を目で追いながらしみじみと言った。
***
「やー、すまんすまん!知り合いが急に病院に入院してな。それと先生ちょっと具合悪くなっちゃって……」
あのあとオレの影分身は、美味しいと評判の大福屋でちゃんとお使いを果たせたのだが、一つ誤算があった。
カナだけ食べればいいと思っていたのだが、「カカシさんも一緒に食べましょう」なんて笑顔で言われて、甘いものが苦手と言えずについ食べてしまったのだ。しかも二個も。
今、オレの胃はずっしりと鉛でも食ったかのように重たい。こいつらと一緒に動き回れば確実にアウトだ。
「確かに今日は顔色が悪いですね、大丈夫ですか?」
「あぁ……あんまり動けないかも」
いつも遅刻をすると、サクラとナルトは真っ先に文句を言ってくるが、さすがのサクラも心配そうにオレを見ている。余程顔色が悪いのだろう。
いますぐその場に座りたいのを我慢して、胃のあたりをさすりながら一通り今日の修行の説明をする。
「……と言う感じだ。ここまで何か質問あるか?」
理解度を確認するために、三人の表情を確認する。
すると、手こそ挙げないものの、何やらナルトがニヤニヤしていた。
「どうしたナルト、ニヤニヤして」
ナルトは、えー?ともったいぶったように言うと、サクラと目を合わせ、ニシシと笑う。
オレはもう早く座りたくて仕方なくて「なんだ、言ってみろ?」と少々イラついた口調で催促する。
「いやぁー……、入院した先生の知り合いって、もしかしてこれのことだってばよ?!」
ナルトは満面の笑みのまま、顔の前で右手の小指を立てる。
どうやらカナのことをサクラから聞いたようだ。
「サクラー!お前!」
「えへへへへ」
サクラは少し舌を出して誤魔化すように笑った。
「その人ってば、先生のカノジョ?カノジョ?」
「違う。ただの知り合いだ」
「じゃあなんでアカデミーなんかに連れてってたんですかー!」
「それは秘密だ」
「絶対彼女だってばよ!」
「だから違うってんだろ!オレだけの極秘任務なんだ」
早く座りたいイライラと、話を理解しないナルトに限界が達し、軽くチョップを下す。
いてっ!と頭を抱えると、ナルトは恨めしそうにオレを見て静かになった。
「とにかく、この件は任務絡みだ。他言するんじゃない」
そろそろ立っているのも限界に達して、オレはその場にどしんと腰を下ろした。
「……他言したらどうなる」
それまで黙っていたサスケが口を開く。正直、オレもこの件はどこまで話していいのかわからない。
全くカナの詳細が掴めていないだけに、うっかり広めてしまったことが何かの火種になる可能性があるからだ。
しかし、こいつらは誤魔化しても納得しないだろう。口を封じるにはそれ相応の理由が必要だ。
「おーサスケくん、いい質問だ。この任務は三代目絡みだ。事と場合によっては首が飛ぶ」
「……首、だと?」
いい感触だ。オレのニッコリ笑顔に、サクラなんて顔が青ざめている。
しかし――
「先生ばっか極秘任務ずりーってばよ!オレだってそう言うカッコいいのやりてー!」
案の定ナルトは納得しない。そこでもう一押し工夫が必要になる。
「もう少し様子を見て、お前たちにも手伝ってもらえそうなら三代目に相談する。なんせ、オレ一人じゃなかなかキツいものがあるから、な……」
だめだ、気持ち悪い──
オレは背中を丸めて、少しでも楽な体勢を苦しみながら探す。
すると、都合よくサクラが、オレの体調不良が任務のせいだと勘違いをし、泣きそうな顔になる。そんなサクラを見て、ナルトもサスケも緊張した表情になった。
「先生!しっかりしてください!」
「あぁ、大丈夫だ……、でもやっぱりお前らの力が必要かもしれん……」
これはチャンスと、少しオーバー気味にサクラのセリフに乗ってみる。
「──ッ先生!オレ、先生助けられるように強くなるってばよ……!!」
「おぉ、頼もしいな、ナルト……期待してるぞ。あと、先生ちょっとここで休んでていいか……」
「もちろんだってばよ!」
「先生、病院は行かなくて大丈夫ですか?!」
胃もたれで病院に行くのも微妙だが、どうせ夜にまたカナのところへ行く用事がある。
「そうだな、最終受付で見てもらうから、皆4時までに終わらせてくれ……」
「よーし!見てろぉ!」
いじらしい生徒たちの優しさに漬け込んで少しだけ罪悪感を感じてしまう。
次の修行終わりには、このかわいい子供達に何かうまいものでも奢ってやろうと、朦朧とする意識の中で誓った。
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