「うわぁ……すごい……!」
カカシさんの家を出ると、そこには不思議な世界が広がっていた。近代と日本の伝統が混ざっているような、なんとも言えない街並み。
車などは走っておらず、歩行者天国で、子供も大人ものんびり歩いている。
たまにカカシさんと同じような格好の人たちが、家屋の屋根の上を飛びながら走り抜けて行ったり、お面をつけた人が上から見ていたりと、なんだか賑やかな世界だと思った。
「なんだかテーマパークみたいですね!」
「ま、オレたちも負けじとキャストレベルに注目を浴びてるけどね」
確かに、お姫様抱っこをされた私は注目の的だった。特に小さい女の子なんかは、キラキラした目で私を見ている。
違う、そういうんじゃないんだこれは――
私は慌ててポンチョのフードをかぶった。
「今んとこ知り合いには会ってないけど、もし遭遇したらダッシュで思いっきりスルーするから。その時はしっかり掴まっててくれよ」
カカシさんがあははと笑っていう。
確かにこんな時間から女一人抱きかかえて歩いて、知り合いに目撃されたらなんて言われるか。ましてやこの世界で、私は『得体の知れない女』だ。カカシさんに迷惑がかかってしまう。
私は深くフードをかぶりなおすと、静かにカカシさんに身を委ねた。
15分くらいそうしていただろうか。
どこからともなく「カカシィー!」と野太い男の声がした。
するとその瞬間、カカシさんは「捕まってろよ」と呟いて、全速力で走り出す。
さすがは忍、あまりの速さにかぶっていたフードが全開になる。
「きゃ?!」
「一番面倒なやつに見つかっちまった!アカデミーまで後少しだ、捕まっててちょうだい!」
言われて私は、カカシさんの首の後ろに手を回す。まるで、このカカシさんの殺気を除けば、体勢だけは王子様に運ばれるお姫様だ。
私はフードをかぶり直す余裕もなく、落とされないように彼にしがみつくことしかできないでいた。
「正面、あそこが火影の家だ!正面口から入らず二階の窓から入る、少し跳ぶから絶対手を離すなよ!」
「跳ぶって?!え?!え?!」
あたふたする間も無く、目的地がもう目の前に迫っている。先程カカシさんに声をかけた男は、どうもついてきてはいないようだ。
しかし──
「あれ?カカシ先生!」
カカシさんの右側、つまり私の足先の方から、女の子の声がした。見ると、あの写真立てに写っていた女の子が立っている。
「サクラ?!」
カカシさんは随分と驚いているようだったが、そのまま足は止めず、一瞬だけ腰を深く落としてそのまま上へ飛んだ。あまりの速さに視界がスローモーションになる。
その時、私は確かにサクラと呼ばれた女の子と目が合った。
そして頭の中で、ここから飛んで二階へ飛び移れるのだろうか、と呑気に考えていると、気づけば建物内へ入っていた。
「お、おぉ……」
思わず感嘆の声をあげ、パチパチと拍手をする。
「あー、しんどかった……」
カカシさんは額に汗を浮かべ、げっそりとしていた。きっと私を抱えているからだよな、と思って「重くてすみません」と謝ると、カカシさんは「いや走る方がね」と言って、疲れた顔で笑った。やっぱりカカシさんは優しい。
それからカカシさんは、若干フラフラしながらも私を抱えたまま階を上がり、どこかの部屋へと運んでいく。アカデミーと言っていたが、何かの学術組織の建物なのだろうか。部屋の入口の上にそれぞれ小さな札がかかっている。
ずっと建物の奥まで歩いていくと、カカシさんは「執務室」と書かれた部屋の前で止まった。
「いいか、今からキミにはこの国の偉い人と会ってもらう。三代目火影様というお方だ。違う世界から来たばかりで難しいかもしれないが、失礼の無いよう気をつけてくれ」
「ホカゲ様、ですか?」
「あぁ、火の影と書く。ここは火の国、その忍の、つまり影の代表が火影様だ」
ここで、私は文字の文化まで全く同じなのかと理解する。全く違う世界にしては不思議な話だ。
「そんな偉い人にアポなしできて、大丈夫なんでしょうか?もしかして何かやらかしたら殺されたり……」
「その心配はいらないよ。事前にオレの影分身を使わせて話は通してある」
「カカシさん、影分身なんてできるんですか?!」
「ま、忍だからね!オレは手が塞がってるから、かわりにノックしてくれる?」
もっと影分身のことについて聞きたかったが、ここに来た目的を優先するべく、私は一度深呼吸をしてから三回扉をノックした。
「火影様、失礼いたします」
通る声で、カカシさんが扉の向こうに呼びかける。すぐに、「入れ」と年配の男性の声が聞こえると、小声でカカシさんが「開けてくれる」と笑顔で私に言った。
私は緊張からか、少し震える。一呼吸置いて、ゆっくりドアを押し開けた。
「失礼いたします」
「おぉ、カカシ。待っていたぞ」
扉の向こうにいたのは白い装束のようなものを纏った少々小柄な老人だった。執務室とあったように、ここが仕事場なのか、書類がたくさんある机で何やら作業をしている。
ちらりとこちらを見るその眼光は鋭く、少々怖そうな方だなぁ──そう思ったのも束の間。
「……まぁーしかし、王子と姫みたいな登場の仕方じゃな!」
「申し訳ございません……」
火影様は、私たちを見るなり大口を開けて笑った。すかさずカカシさんが気まずそうに謝罪する。私も「ご無礼お許しください」と謝罪するがこの体制じゃ示しがつかない。
「いいんじゃよ、そこに椅子と履き物を用意した。サイズの合うものをとりあえず身につけてくれ。隣にカカシも座れ。話はそれからだ」
ありがとうございます、とお礼を述べカカシさんに椅子へ下ろしてもらうと、用意されていた靴を履いた。サイズが合うか不安だったが、ちゃんと足に合ったものが見つかった。
一度座り直して、「先程は失礼しました」と深くお辞儀をする。
「改めまして私、しののめカナと申します。日本の東京からやって参りました。本日は突然のお伺い、申し訳ございません。火影様の仰せの通りに従いますので、何卒お命だけは……」
火影様はまた、ハッハッハ、と笑う。
「暴君でもあるまい、そんなすぐに殺しゃせんよ。安心しろ」
どうやらこのお方はそこまで怖い人ではないらしい。私は少しだけホッと胸を撫で下ろした。
「カカシの分身から聞いたときは耳を疑ったよ。聞いたこともない国から来た女性が、朝起きたら隣で寝てた、なんてな。そーんなの、飲み屋で酔っ払ってひっかけてきた女だろうと思っていたが、わしの推理はハズレじゃったようだ」
「……火影様?オレがそんな柄じゃないのご存知ですよね?」
「冗談じゃよ」
思わず私はクスクスと笑ってしまう。
カカシさんは少しムッとしていて、それがまたおかしくて口元が緩んだ。
「だいたいカカシからは話を聞いた。カナ、と言ったな」
「はい」
火影様は書類を処理する進める手を一旦止め、しっかりと私とカカシさんの方を向いた。
「なんとなくワシにも、カカシが写輪眼で見たのと同じように、お主が他国のスパイや敵の刺客とは思えん。しかし、この里には忍という者が存在し、その組織秘密の重要さと国の安全性の手前、そう易々と自由にしてやることもできんのだ」
シャリンガン?──なんなのだろう。よくわからないが、聞くことも出来ないので一旦「重々承知しております」と返事をした。
「まずは、少し抵抗があるやもしれんが、記憶喪失の可能性なども考えて、検査入院をしてもらう。その結果を見て、これからのことを判断しようと思う。どうだ?」
「あの、入院のためのお金など持っていないのですが……」
「なに、心配するでない。事のあらましがわかるまでの費用はこちらで持つ」
「申し訳ございません……」
「よくわからない所へ身一つ、一番辛いのはお主じゃ。そう謝らなくていい」
火影様はそう言ってニッコリ微笑むと、机の上にあった封筒を差し出す。すかさず私は席を立ち上がって、両手で受け取る。
「すでに病室は木ノ葉病院で個室を手配してある。それを持っていけばすぐに案内してもらえるだろう。着替えなどもそちらに準備している」
「ありがとうございます」
「それと、病院には女性の者を……まぁ監視兼言いつけ係として一名つけているから、足りない必需品などがあればその者が用意する。遠慮なく伝えてくれ」
「ご配慮、本当にありがとうございます」
ええんじゃよ、そう火影様は優しく言った。元の世界にいた、自分の祖父を思い出すような、懐かしい優しさ。
まるで暖かい太陽のようなお人だ。こんな素晴らしいお人柄の方がトップなのだから、きっとこの国は素晴らしい所なのだろう。なんとなくそう感じた。
「それと……カカシ、お前もしばらく彼女のそばにいてやれ。一人では気が滅入るだろう」
「承知しました」
「悪いが、しばらくナルトたちの修行も時間を調整してくれ」
「はい!」
「では、さっそく木ノ葉病院まで案内してやれ」
もう一度、カカシさんがはっきりとした声ではい、と返事をし、頭を下げる。私もワンテンポ遅れて深くお辞儀をして、「火影様、沢山のお心遣い本当に感謝いたします」と謝辞を述べた。
「それでは失礼いたします」
「また元気な姿を見せてくれ、それじゃあの!」
部屋の前で、カカシさんと揃ってまたお辞儀をすると、火影様は左手を上げて、扉が閉じるまで席から陽気に見送ってくれた。
こうして、幸運にも優しい人たちばかりに囲まれながら、私の異世界での生活が始まることになったのであった。
「ま、良かったんじゃない?」
扉を閉め終え、執務室から少し離れたところでカカシさんが表情を和ませる。
「お優しい方でホッとしました!」
「一応は入院という名の監視なんだろうけどな」
「それでもこんな私に衣食住を与えてくださって、感謝しかありません。それからカカシさん、色々手筈を整えてくださって本当にありがとうございます!私、この世界で目が覚めたのがカカシさんの部屋で良かったです!」
ありがとうございます、そうもう一度深々とお辞儀をすると、カカシさんは一瞬目を少し見開いて、ただ照れたように笑っていた。初めて見る表情だった。
この時の私は、異世界へ来てしまった絶望よりも、自分のすぐそばにある小さな幸せに気を取られ、これから先の未来がきっと明るいものになると信じてやまなかった。
これからあんなに苦しくて辛いことが待っているなんて、少しも想像もしていなかった──
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