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「#エロ」のBL小説を読む
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気がつくと、見覚えのある真っ白な天井が目の前に広がっていた。
自分が今までどうしていたかの記憶がない。本当にパッと目が開いたら、その光景がそこにあった。
数秒ぼーっとそのまま天井を見つめ、ここはおそらく木ノ葉病院だろうかと推測すると、横になったまま視線を右に移した。
真っ白なカーテンが降りているから、きっと夜なのだろう。いったい今はいつで、オレはここでどのくらいこうしていたのだろうか──呑気にそんな事を考えていると、不意に頭の中でカナとの別れの日の記憶と、ここではない場所での記憶が頭の中で交錯した。
堰き止めていたものを開放するように、一遍に流れ込んでくるので情報の整理が全く追いつかない。様々な感情がみぞおちのあたりからどっと湧き起こり、ひどく気分が悪かった。

「気がついたか、カカシ」

左の足元の方から低く太い声がした。驚きながら声のした方へ顔を向けると、ガイがベッドから少し離れたところに立っていた。丁度帰るところだったようだ。

「あぁ、気分は最悪だがなんとか。状況も何がなんだかよくわからないし……」

ゆっくり起き上がりながらそう返事をすると、ガイがこちらへ戻ってきてベッドサイドの丸椅子へと腰かけた。

「転送の際に急に倒れたそうだ……」
「そう……ちなみに、今日ってあれから何日後?」

ガイだけが面会に来ていることと、転送の実施時間が遅かったことから、おそらくカナを帰した当日ではないだろうとオレは察していた。

「あれから丁度一週間後だ。倒れてからずっと眠ったままで、あっちに持っていかれたかと思って肝が冷えた」
「一週間……」

耳を疑った。
ガイの横にある床頭台の上の時計を見ると、確かにあの日から一週間が経とうとしていた。しかも、面会時間終了ギリギリの時間だ。
どうやら向こうに影分身を送り込むことは想像以上にチャクラを消耗するらしい。これだけ寝ていたというのに身体もまだだるい。

ガイの話によると、カナがカプセルから姿を消すと同時にオレが倒れたそうだ。その場は騒ぎになって、まだ建物内にいたガイ達に三代目からすぐ声がかかり、オレを木ノ葉病院まで運んでくれたらしい。
そこから一週間、オレの意識は全く無い状態で、ガイやアスマ、それからナルト達も時々様子を見に来てくれていたと言う。
今日は皆帰る中ガイだけ残っており、そろそろ帰ろうとした所、衣擦れの音が聞こえてオレが目覚めたのに気づき、声をかけた……ということだそうだ。

「迷惑をかけてすまなかったな」

面会終了の二十時まで時間がなかったため、ガイに駆け足で説明をしてもらい、おおよそを把握した後そう謝ると、ガイは「そんなこと気にするな」と頼もしくナイスガイなポーズで言った。

「こんなものは迷惑のうちに入らん!……それより今は、無理をしないのが一番だ」

静かに慰めの言葉をかけながらゆっくり椅子から立ち上がると、ガイはニッと白い歯を見せて笑った。
オレはその男らしい優しさに嬉しくなって、つい笑みが溢れる。
起きたばかりの時の感情の乱れは、彼のおかげでだいぶ落ち着かせることが出来ていた。

「ありがとう。お前にはいつも、大事なところで助けられてばっかりだな」
「なぁーに、オレはカカシの永遠のライバルだからな!そのくらい朝飯前だ!」

いつも通りのガイの様子に、なんだか柄にもなく泣きたくなった。今はこの、前向きで猛烈に明るい彼の態度が心に沁み入るようだった。

「さて、あんまり遅いとここの師長に怒られるもんで、そろそろオレは帰るとするぞ!」
「夜道に気をつけてね」
「おう!退院したらまた勝負だ、カカシ!」
「あぁ、よろしく頼むよ」

ガイは再びナイスなガイのポーズをとると、右手を上げて背を向け、病室を後にした。途端に部屋は静寂に包まれる。
ふと、オレを静かに慰めてくれたガイの姿を思い出し、自分がいかに弱っているのかを思い知らされ虚しくなった。それに、一週間も寝たままだったこともとてもショックだった。
全てにおいて現実味がなくて、まるで今までのことが全て夢だったのではないか、あるいはこうして考えている今もまだ夢の中なのではないかと馬鹿なことを考えてしまう。

まだ重たい身体を引きずるようにベッドから降りると、カーテンを開いた。窓は少しだけ開いて網戸になっていたので、両方とも大きく開け、直に外気に触れた。風もなく穏やかな夜だった。
まだ二十時だというのに、今日は外もやけに静かで星も見えない。じっと空を見つめていると、暗い空の向こうからこの部屋に向かってそこはかとない孤独が迫ってくるようだった。
本当にカナは存在したのだろうか。全てオレの妄想か、タチの悪い幻術にでも引っ掛かったんじゃないだろうか──そんな風に考えを巡らせていると、気持ちのいい風が頬や首を撫でた。
確かに感覚がある。きっとこれは夢でも幻術でもなく、現実だ。
このまま外を見ていると、どんどん心が闇へ吸い込まれていきそうだと思い、オレは窓を半分閉めて再び網戸にしてカーテンを元のように閉めた。
そして、閉めながら病室内をぐるりと見渡すと、ハッとした。カナが入院していたのと同じ部屋だったのだ。これにはもうたまらなくなり、オレは力なくベッドに腰掛け、顔を両手で覆ってしばらくそのままじっとしていた。
肩と呼吸はは時々震えたが、涙は流さなかった。流してしまったら、もう感情のコントロールが効かなくなるような気がして、それだけは堪えた。

分身のオレの記憶は、まるでカナとの映画でも見ているかのようだった。映像自体は幸せなはずなのに、眺めているとやたら痛々しくて、オレの心に浅い傷を作った。
あと少し深く傷付けば、全てを諦めて楽になれそうだった。しかし、この記憶が生身のオレの実体験ではないが故に、リアリティーに欠け、まだカナとの別れを受け入れきれない自分がいた。
確かにカナとはこちらの世界で別れた筈なのに、向こうでの記憶があることでオレはまだ彼女への望みを捨てきれないようだった。


消灯後眠れず、暇つぶしに再び窓を開けて外を眺めてみる。
相変わらず外は静かで、灰色がかった闇に塗り潰されていた。
柔らかく流れていく風は冷たく、季節がすっかり変わった事を認識した。
そうか、もう秋か──
カナと出会ったのは初夏だった。忘れもしない、あの少し気温の低かった朝。
彼女と過ごしたのはたった数ヶ月のことだった。しかし、そんなに短かったとは思えないほど、濃密な数ヶ月間だった。
もっと早く自分の気持ちに素直になっていれば、もっと思い出を作れたのだろうか。思えば、デートらしいデートをしたのも数回だった。
カナは幸せだった、と言ってくれていたが、本当に幸せにしてやれたのだろうかと、途端に自信がなくなる。
そんなオレに出来ることは、今となってはこの現実を受け止めて、離れた世界から彼女の幸せを願うだけだ。そんなことがカナにとって何の役に立つのかは全くわからないし、そんな事をしても虚しくなるだけなのもわかっているが、オレにはそれくらいしかなかった。
もう二度とこない二人での明日に想いを馳せながら、彼女と過ごした過去にすがって、泣き叫びたい気持ちを騙していくことしか出来なかった。
これからどう持ち直していくかな──墨色の空で鈍く光る、下弦の月を眺めてぼんやり考えた。


数日後、オレは無事退院した。
退院の前に転送による異常がないかなど隅々まで調べ上げられたが、どこも悪くなっていないという。なんでも、倒れたのは心因性のショックがきっかけで、そこからチャクラの消耗によってしばらく目が覚めなかったらしかった。
なんとも情けない話であるが、身体は無事であることに心底ホッとした。
生きていれば、カナにまたいつか会えるかもしれない。そんな到底叶いそうもない考えに取り憑かれていた。
火影様はしばらくオレに休みを取るよう命じた。こんな状態で任務に出れば、あっさり命を落としかねないと思ったのだろう。
そのくらいオレは脆く、危ういところにいた。

一日何もしていないと、本当に暇だった。
暇ですることもなくて、ただただカナのことを考えて過ごした。
そうしていると、本当に心がダメになりそうな時が一日に何回もあった。
イチャイチャパラダイスを開いても全く文字が頭に入ってこないし、食事は二人分作ってしまって余らせてしまう上に、大福屋を見ればカナに、なんて考えが頭を過る。
書店に立ち寄った際は、ふと目に入った花言葉の本を手に取った。普段はそんな本、気にも留めないはずなのに。
パラパラとめくり、パッと椿のページで手を止めた。そこには、「控えめな素晴らしさ、気取らない優美さ」とあった。カナがこの花の柄の傘を持っていたのも、オレが彼女に椿のピアスをプレゼントしたのも妙にしっくり来て、どうしようもなくカナに会いたくなった。
何より精神的に堪えたのは、帰宅時、玄関先に入るや否や誰もいないしんとした暗い部屋に「ただいま」を言ってしまった時だった。
いつの間にか自分の身体に根付いたカナとの生活が、いつまで経っても離れてくれない。それを嫌と言うほど自覚させられた。
うっかりこれを言ってしまった時は、気持ちが落ち着くまで部屋を隅々まで掃除するのだった。


それからは、あっという間に月日が流れた。
毎日は当たり前のように過ぎていって、オレもその流れに飲み込まれていった。
世界は、明らかにカナを失っているはずなのに、何もかも今まで通りだった。
この世界は、人が一人居なくなったとしても何も変わらず、絶え間なく流れていくものだということは今までにも痛いほど感じてきた。
父が自害した時、オビトが死んだ時、リンをこの手で殺めてしまった時。いつだって、時間は心を痛めたオレのためになんて止まってくれやしなかった。それどころか、その記憶をオレから剥ぎ取ろうと躍起になって、物凄いスピードで流れ去っていった。
どうしてオレが掴んでいたものは、いつも跡形もなく消えてしまうのだろう。
大切にしていたはずなのに、水を掬うようにあっという間に手からこぼれ落ちていく。守り切れたことなんて一つもない。
残るのはいつも悲しみと、永遠に消えることのない心の傷だけだ。

カナが居なくなって一カ月が経とうとしても、オレは飽きずに毎日カナのことを考え続けていた。
朝起きてから、夜布団に入って眠りにつくまでずっと。それは父さんやオビト、リンを失った直後の時と似ていた。
カナは命を落としたわけではないのであの時よりは幾分かマシだったが、それでもオレの心はずっと硬く冷え切っていて、少しも他のことを考える余地がなかった。
そんなオレを見て、火影様はなるべく七班で難易度の低い任務をたくさんあてがった。忙しさでオレの心をどうにかしようと思ったようだが、そんなことで到底気が紛れるはずもなく、かえって余裕のある任務のせいで、オレは任務中もカナのことばかり考えていた。
街を歩けば背格好の似た女性をカナと見間違えたり、似たような声がすればカナがなにかの間違いで帰ってきたのではないかと思って必死に声の主を探した。
当然カナなわけもなく、毎日オレの身体は彼女らしきものを捉えるために全身に気を張り巡らせては酷く消耗していった。消耗しすぎて寝込んだりもした。
それでもオレはずっと彼女の面影を追い続けた。彼女の部屋にしていた空き部屋はきちんと風を通して掃除をし、荷物は時々ホコリを払って、カナがいつ帰ってきてもいいようにただ黙々と整え続けた。
そして、何かいいことやカナが喜びそうな話題が有れば、ノートか何かにメモをしておいて、彼女に余すことなく伝えられるようにした。
他人から見たら狂っていると思われるだろう。気が触れていると笑われるだろう。それでもオレは、カナを諦めなかった。
無駄と分かっていても、もう彼女が二度とここへは帰ってこないと分かっていても、オレはカナを過去の人と整理することがいつまでも出来なかった。

ガイやアスマ、それからナルト達にもかなり心配はされたが、オレはみんなの前では努めて明るく振る舞った。
誰にも言えなかった。こんなに弱っているなんて、彼女の存在にしがみついているなんて、周りにバレたら軽蔑されそうな気がしていた。

「忍は、どのような状況においても感情を表に出すべからず……任務を第一とし、何ごとにも涙を見せぬ心を持つべし──か、」

忍の心得第二十五項。子供の頃から何度も誦じてきた言葉だ。
その通りになるよう努力してきたつもりだが、果たして今となっては本当に出来ているのだろうか。オレは何もかもすっかりわからなくなっていた。
カナを返す前は、「最初からわかっていたことだ」などと吐いていたが、頭では分かっていても心が全くついてこようとしなかった。心に棲みついた弱い自分が、わざとオレの理性を引き剥がし、悲嘆の淵へと沈めようとしているようだった。


そんな灰色の日々を送っていたある日のことだった。
七班の任務が終わり、またカナのことを考えながらあてもなく街をふらついていると、どこからか警笛が聞こえてきた。
なんの騒ぎだと音のした方を凝視すると、木ノ葉の忍が二人並んで歩く後ろに、他里の忍が列を成してぞろぞろとこちらへ向かって歩いてくるではないか。
罪人か何かだろうかと足を止めて様子を見ていると、後方に女が引き連れられている。手錠や縄をつけられていないから、罪人ではなさそうだ。となると、この状況に見当もつかない。
ますます不思議に思って女を見ていると、またいつもの悪い癖が出始めた。
女がカナに見え始めたのだ。
女の身長はカナと同じくらいで、笠をかぶっていて顔はよく見えなかったが髪色も髪型もよく似ていた。
これが実はカナでした、なんてことがあればいいのになぁと思いながら、列がオレの横に来るまでじっとその場で待つ。散歩くらいのゆっくりとした足取りで列は近づいてくる。
そして、真横を通り過ぎる際に、少し屈んで女の顔を盗み見た。すると──

「カナ?!」

オレはついに自分がおかしくなったかと思った。
笠の下では、カナと瓜二つの顔がまっすぐ前を向いていた。


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