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「本当にすまない……この埋め合わせは必ずするからね……」
「そんな、この世の終わりみたいな顔しないでください!気にしてませんって」
「それはそれでなんか凹むなぁ」

笑ったらいいのか、しょげた振る舞いを見せたらいいのか迷う。最適解がわからず、私は眉尻を下げ、口角を少しだけ上げて彼を見つめた。

「じゃあ、しばらく行ってくるね。何も便りが無ければ無事だと思ってちょうだい。戻るのは……最悪、桜が咲く頃になる」

ため息を吐くように彼が言った。珍しくよっぽど気が乗らないらしい。
私はそんな彼を元気付けるように、努めて明るく「私のことは気にせず、任務頑張ってください」と笑って見せた。

「どうかご無事で」
「あぁ」

彼は荷物を背負い直し、名残惜しそうに私を見つめる。

カカシさんが長期任務に出る。極秘任務なのか、詳細は教えて貰えなかったが、とにかくしばらく帰ってこないらしい。
今までも泊まりがけでの任務は何度もあったが、今回は約ひと月とやや長い。しかも急な事だったので、楽しみにしていたホワイトデーもスキップとなってしまった。
とても残念だったが、任務であれば仕方ない。
それに、私よりもカカシさんの方がショックを受けていたが故に、彼以上に落ち込むことなんて出来なかった。

全て準備を終えて、後は玄関から出るだけとなったところで、カカシさんに抱きしめられる。「行ってくるね」と小さく呟いて、名残惜しそうに離れた。

「行ってらっしゃい」

私は笑顔で彼を送り出す。彼は左手を振りながら右手をドアノブへかけて扉を押し開けた。開いてから彼が出て、扉が再び閉まるまでの数秒が、私の瞳にゆっくりと流れていく。いつだかに経験した、永遠の別れを想起させられた。

少し前までは、「任務に出て行ったきりもう会えないかもしれない」なんてごくたまに頭をよぎるくらいだった。
けれど、共に暮らしていくうちに、彼がどれだけ過酷な状況に身を置いているかをまざまざと思い知らされ、私は彼を必要以上に心配するようになっていった。
私の生活にすっかり浸透した彼の背後には常に死の影がついてまわっていて、それははっきりと感じることはなかったけれど、常にほの昏さを漂わせていた。いつの間にか、じわじわと回る毒のように、私の心まですっかり飲み込んでいった。
考えないようにしても、ついついサブリミナル広告のように頭に浮かんできてしまうのだ。

「さて、私も支度しますか」

この後、私も仕事が待っている。薄暗い玄関からリビングに戻ると、一人がらんとした部屋の中で自身を鼓舞するように呟く。しんと静まった部屋の壁から、どこか寂しげに聞こえる自分の声がほんの僅かに反響した。それは私の身体に真っ直ぐに突き刺さり、彼がいないとまるで私はこの部屋みたいにスカスカになってしまったような気がした。
例えきちんと戸籍を持ってこの国の住人だと証明されたところで、身内もいなければ、ここ以外に帰るべき場所もない私なんて、大きな風でも吹いたら全て吹き飛んでいきそうだと思った。
楽しいことだけ、前向きな事だけを考えて生きていくのは難しい。



気の抜けたコーラ、辛くない麻婆豆腐、タコのないたこ焼きみたいななんとも冴えない日々は、それまでの毎日と同じように刻まれていく。カカシさんのいない毎日は、とっても味気ないものだった。
毎日仕事のために支度をして、家に帰り、自分のために食事を用意し、片付け、風呂を洗い、沸かし、明日の自分が楽になるように細々とした家事や準備などを済ませ、寝床につく。
どうしてだか、この自分のためだけに生活をこなしていくというものは本当につまらなかった。
ナスの煮浸しが美味しくできたのに、カカシさんに食べてもらうことができない。面白い話を聞いたのに、カカシさんに話すことができない。カカシさんが飲みたいと言っていたとある里の地酒を手に入れたのに、それを彼に飲んでもらえない。
彼に笑ってもらえたら、喜んでもらえたら、なんて考えは独りよがりなのかもしれないけれど、私の心はどんどん干からびていく。
どうせ私しかいないから、なんて部屋の掃除も段々と気が緩んでしまい、彼が発ってから三週間以上が経とうとしている今日、ついには部屋の隅に埃の塊が落ちているのを見つけてしまった。
私が向こうの世界に行っていた間も、カカシさんは丁寧に私の荷物や部屋を整えてくれていたというのに、私はどんどん自堕落になってしまっている。
私は弱いなぁと、いつもより散らかった部屋の中で支度をしながら自分を恥じた。
それからずっと頭の中ではカカシさんのことが浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返していた。時には「部屋を片付けなくちゃな」ともやもやした感情が差し込まれて、自分がとても嫌になることもあった。

今日はたまたま土曜日の出勤だったこともあって、普段の仕事の時間の流れとちがっていた。だからか、ずっと余計なことばかりが頭の中で行き場なく漂っていた。
帰宅してからはさらに酷かった。
人気がなく冷え切った室内は、自分の発する音しかなくて孤独だった。考えても仕方がない事を考えて心は消耗しきっていた。
それでも閑暇を持て余した休日出勤の後の身体はやたら元気で、どうにも落ち着かない。
こんな時こそ、掃除に限る──私は重い腰をあげ、部屋の片付けに取り掛かった。
過去の憂い日々をやり過ごして来た時、私はやたらめったに掃除に走った。どんな荒屋でも、水回りを綺麗に磨き、部屋の埃を払い、丁寧に身の回りを整えていれば人間としての暮らしがきちんと出来ている気がした。掃除をしている時だけは気が紛れた。

まずは部屋全体の埃をざっと払って、散らかったものを元の場所に戻し、テキパキと整理整頓していく。
途中、壁にかけられたカレンダーが目に入る。
毎日バツをつけて過ごしていたが、それも途中で嫌になって3月の頭の方で止まっていた。また付け直すか、とどこからかペンを持ってきてバツを記していくと、今日が3月13日ということに気づく。
明日はホワイトデーか──私はそう思うと同時に小さくため息をついた。

本当であれば、二人で過ごせたかもしれない。しかし、こんな風に勝手にたらればを浮かべて鬱屈としてしまうのはただのわがままであることは重々承知である。一人であんなに心細かった毎日から抜け出し、今では大切な人と共に暮らせているのだから、たかがイベントごとで会えないからと不満を抱いてはいけない。
それであれば、そんなことすら考えなくてもいいほど疲れればいいだけだ。心はもう、クタクタだ。後は身体を動かして、ありったけの体力を消費し切るだけだ。
私は部屋の隅々まで注目して、小さなほこりや油のべたつきなども残さないよう、一つ一つ丁寧に清掃していった。

水回りはもちろん、玄関のたたきまでピカピカに掃除し終えると、身体についてしまった埃や汚れを流すためにサッとシャワーを浴びた。
湯上がり、火照った体を冷ますために少しだけ窓をあける。まだ春になりきっていない冷たく澄んだ冬の空気がすっと部屋の中に入ってくる。薄い冷気のベールに包まれると、その軽さに、疲れ切った私の身体が一気に重たく感じられた。そしてどっと疲れが押し寄せてきて、瞼まで重たくなる。
そういえば、帰ってきてから何も食べていない。お腹が空いた。それと、何か甘いものを食べたい。片付けや掃除は意外と頭を使うから、体が糖分を欲しているようだった。
美味しいものはないかとキッチンを漁るが、生憎この家は甘いものはそう滅多に購入しない。少し前のうんと寒い日に買ってきた、ココアの袋が一つだけ見つけられたので、そのままコンロでやかんに湯を沸かす。沸くまで手持ち無沙汰になる。こんな小さな余暇でさえ、一人は孤独だ。
こうしている間も絶え間なく外気が私を包み、背中や二の腕から熱を奪っていく。
その感覚が心地よくて、もっと外の空気を吸おうと窓辺に寄り、大きく窓を開いて夜空を見上げた。
冬特有の濁りのない鉄紺の夜空には、ダイヤモンドが散りばめられたようにチラチラと星が瞬いている。
カカシさんはこんな寒空の下で今も任務をこなしているのだろうか。ちゃんと眠れているのだろうか。野宿かな、それとも宿にきちんと寝泊まりしてるのかな。怪我してないかな、それから──
火にかけたやかんが沸騰を告げる音で、ハッと意識が引き戻される。
いけない、またカカシさんのことを考えてしまった。
私はゆっくりと窓を閉め、戸締りをし、キッチンに戻ってやかんを火から下ろす。いつも使っているマグカップへココアを入れ、そこへ静かに湯を注ぎ入れた。湯気とともに甘い香りが立ち上る。
それを左手に持って、ダイニングテーブルへつく。
椅子へ深く座ると、火傷しないように恐る恐る一口、口をつける。チョコレートのような味と、カカオの香りが鼻を抜けていく。まさにこれを求めていた。
疲れた時は甘いものに限るなぁ、とココアの甘さを堪能しながら両手両足をギュッと力を入れて伸びをする。一気に力が抜けていくような気がした。それから思わず大きなあくびがひとつ。
すると、急激に睡魔が頭のてっぺんから覆い被さってきた。あまりの眠気に、私は一瞬だけ目を瞑る。
世界が闇に包まれる。重力から解放されていく。


そう思ったのも束の間、次に目を開くと世界は光に満ちていた。
時間帯はおそらく昼間だろうか。室内には穏やかで透明な光がさして、少しだけ窓が開いている。そこからは春の匂いにも似た軽やかな風が流れて、白いレース地のカーテンを膨らませていた。
向かいのダイニングチェアには窓を背にし、さも当たり前のようにカカシさんが座っていて、にっこりと微笑みながら私の方を見ている。
私は咄嗟に「あれ、私、眠っちゃってましたか」と起き上がった。
現実なのか、寝ぼけているのか、そんな疑問を抱く余裕は脳内には残っていなかった。
カカシさんがいることが嬉しくて、目の前の彼に全てを奪われてしまっていた。

「30分位かな。スースー寝息をたてながら、随分幸せそうに寝てたよ」
「やだ、恥ずかしいですね」
「あまりに幸せそうだから、見てて癒されたよ」

窓ガラスから柔らかく差し込む陽の光に彼の髪が透けてキラキラときらめいていた。
私の心にはポッと花が咲いて、嬉し恥ずかしさに「あはは」と笑って両頬に両手を当て、なんとなく誤魔化す。

「そうそう、起きてすぐで申し訳ないんだけど、なまえに渡したいものがあるのよ」

彼は何やら隣のイスから綺麗にラッピングされた薄桃色の包みを取り出すと、私の前へ差し出した。戸惑いながら受け取ると、彼が言った。

「任務で赴いた里の中に、有名なお店があってね。雑誌かなんかで見たんだけど。女の子に人気だって言ってたからさ」

そうだ、カカシさんは任務に出ていたんだった。
大変なお仕事の中でも、私の存在を忘れずにお土産を買ってきてくれるなんて。自然と私の口の端が持ち上がる。

「わぁ、ありがとうございます!」
「お口に合うかわからないけどね。それと、お返しに……これ」

間髪入れずに彼はもう一つの包みを取り出す。
今度は淡い水色の包みに、綺麗な白のリボンでラッピングされた可愛らしい小箱だった。
しかし、何のお返しなのだろうか。まだぼんやりとした頭では、パッと思いつかない。

「お返しって、何のお返しですか?」

私は一度お土産を机の上に置いて、小箱を両手で受け取りながら素直に尋ねる。

「やだなぁ、なまえったら。もしかしてまだ寝ぼけてる?今日はホワイトデーでしょうよ」
「……え?」

くすくすと笑うカカシさんから視線を外してカレンダーを見ると、3月14日の文字が目に飛び込んできた。
瞬間、私は一気に混乱する。本当に3月14日なのだろうか。この目の前で笑うカカシさんは本物なのだろうか──私は手元の箱を見て、すぐにカカシさんを見る。カカシさんはいつものように目を三日月形にして笑っていて、「開けてみてよ」と私を催促する。
そういえばカカシさん、いつ帰ってきたんだろう?──段々と私は置かれている状況に違和感を覚え、戸惑いながらも、言われるがままに小箱のリボンに触れた。ゆっくりと丁寧にそれを解いて、蓋を取り、中を覗くと、奇妙なことに気づく。
箱の中身が、モヤがかかっているように白く塗りつぶされて、認識できないのだ。
体験している事象が全く理解できなくて、一瞬息ができなくなる。
カカシさんからは「どう?」と期待を含んだ声で尋ねられ、思わず言葉につまる。
見えているはずなのに、何も見えない──こんなもの、どう説明すればいい。私はホワイトアウトした頭の隅っこにほんのわずかに冷静な場所を見つけると、一つ一つゆっくりと状況を整理した。

私は確か仕事から帰ってきて、あまりに自分の心がふらふらとして落ち着きがないから、気を紛らわせるために掃除を始めた。それから、身体がぐったりするまで部屋中を磨き上げて、一息つこうとお湯を沸かしてココアをいれた。そして、急に眠くなって──おかしい。確かに、私はお湯を沸かしている間に夜空を眺めていたし、あの時こんなに温かな風なんて吹いていなかった。カカシさんの「30分」という言葉と全く辻褄が合わない──

違和感が脳内を支配したころ、パッとその場が暗転した。「カカシさん?」と呼びかけても、私の声がしんとした闇の中で空気を震わせるだけで、何の返事もなかった。
先程まで手に持っていたはずの小箱も、机の上に置いていたお土産も闇に溶けて、ひとりぽっちになった。
目の前の出来事に頭が追いついていかず、私は立ち尽くし、何も見えない中でキョロキョロと視線だけをあちこちへ一頻り動かす。
それでも何が起こっているのかなんて到底わからなくて、一度ゆっくりとまぶたを下ろした。暗闇の中に自分の身体だけが浮かんでいるような気がした。

そして、次にゆっくりと目を開くと、目の前にはいっぱいにダイニングテーブルが広がっていた。臀部にはダイニングチェアの座面の感覚があって、どうやら体勢からしてテーブルに突っ伏していたようだった。頬には固い天板に体温が籠ったのか、生ぬるい感じがする。足先は外の冷気のせいか、少し冷たい。
重たい上半身をゆっくりと起こすと、私は室内を見渡した。
部屋の中はとても静かで、カカシさんが現れる直前に見ていた光景と変わりなかった。ただ、熱々だったココアからは湯気が消えて薄膜が張っていた。
カカシさんはやっぱりいないようだ。

「……ゆめ、か」

時計は12時を少し回っていた。どうやら随分と眠ってしまったらしい。うとうとしている間に本当にホワイトデーを迎えてしまった。
ようやく状況が理解できた私は、まだしっかりとは開かない目を少しだけ擦る。それから、ぱち、ぱち、ぱち、としっかりまばたきをして、あくびを一つもらした。
その間延びした自分自身がの姿が、彼がまだ帰ってきていないことをはっきりと証明していた。夢だった。あの柔らかな光も、笑顔も、プレゼントも。
こんな夢を見るなんて、私はどれだけカカシさんに会いたかったんだろうと喉の奥がくすぐったくなった。
誰かに話したら「たかがホワイトデーだ」なんて笑われてしまうかもしれないなぁ、と自分に少しだけ呆れもした。

けれど、そんな中で不思議なことが一つ。
こんなところでうっかり寝てしまうし、幸せな光景は全てただの夢だったし、大好きなカカシさんは帰ってこないし、ホワイトデーは潰れるしで何一ついいことなんて無いのに、私の心は春が訪れたようにポカポカと温かくなっていた。
大好きな人には会えなくても、夢に出てきてくれた。夢で逢うことが出来た。ただそれだけが嬉しくて、まだ少しだけぼうっとした頭の中で先程の夢の中に出てきた彼の笑顔をしばらく反芻した。

なんの根拠もないけれど、必ずカカシさんは無事に帰ってきてくれる──そんなことを思いながら、すっかり冷めて甘ったるくなったココアをゆっくりと身体に流し込んだ。



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