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「#幼馴染」のBL小説を読む
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まだ世界が朝靄の中に沈んでいる頃、火影の家の仮眠室にあるベットから体を起こし、備え付けの洗面所でサッと身支度を整え、執務室へと向かう。
昨日は帰れなかったから、今日こそは家に帰りたいなぁ──そんな哀しさを浮かべながら、重たい身体を「よいしょ」と持ち上げて自席に着く。机の上の一番目のつくところに置いてあるカレンダーに目をやると、今日は9月15日らしかった。思わず、「あぁ、今日は誕生日か」なんてひとりごとをもらしてしまう。
誕生日というのは不思議なもので、決して忘れる事はないが、歳を重ねていくうちに、結構どうでも良くなるものである。だから、数日前までは意識していたのに、前日や当日になるとすっかり忘れていたような、いきなりその日まで時間がワープしたような変な感じがしてなんだかソワソワしてしまう。
誕生日だからといって、何か特別なこともあるまい。
一部の律儀な部下達はもしかすると「火影様おめでとうございます」なんて祝ってくれるのかもしれないが、想像するだけでなんだか恥ずかしくて身の置き所がない。今日はあまり外に出ずに、仕事に集中して必ず家へ帰ろう──気合を入れるようにふっと息を吐いて、筆を手に取った時だった。
視界の端で何かが動いた。そして、たった一人だけの執務室の静寂が破られる。

「あ、やっぱり。もう仕事してんの?早いねー」

声のした方──正面を見ると、執務室の扉の隙間からカナがいつものように覗いていた。

「いやぁ、今日も悪いねぇ。この書類の山、今週あと三つ片付けないといけなくて。帰る決心がつかなくて泊まっちゃった」
「いいえー。私も好きでやってるんで」

カナは中へ入ってオレの机の前までやってくると、左手にぶら下げた手提げからアルミホイルに丁寧に包んだ小ぶりのおにぎり二つと、小さな曲げわっぱを取り出し、机の仕事の邪魔にならない場所へ並べた。きっとおにぎりの具はしゃけと梅おかかで、わっぱの中には、卵焼き三切れと青菜のおひたしが入っているんだろう。オレが火影の家に泊まりで、カナと暮らす自宅へ帰れなかった時にはいつも朝ごはんを持ってきてくれる。
時たまオレが執務室にやってくると、すでに机の上に置かれていたりすることもあるから、いつも相当早く持ってきてくれているのだろう。
本来なら遠慮するべきなのだろうが、身も心も疲れている時に差し出されるこういった優しさには弱く、つい甘えてしまう。

「激務をきちんとこなすのもカッコいいけど、たまには休まないと寿命削れるよ?」

彼女の笑いを含んだような声が、静まり返った火影邸の中に響くようだった。

「きちんとこなせた試しなんてあるかねぇ」

自嘲気味に呟いた言葉のせいか、自分を囲む書類の山がより一層高く感じられた。

「火影様の代わりも、カカシの代わりもいないんだよ。今この里で、火影様の仕事ができるのもカカシだけ。はたけカカシもこの世にたった一人しかいない。激務すぎて自信無くすのも、ストレス溜まりまくりなのも当然だと思うけど、無理だけはしすぎないでね」

柔らかく諭す様なその声は、どうしようもない状況のオレを責める訳でも励ます訳でもない。日頃からオレの精励──いや、努力とすら呼べるかわからないちっぽけな頑張りを認めて、見守ってくれているのがよくわかった。

「ありがとう。そう言ってくれる人が一人いるだけでも救われるよ」

少しだけ気持ちが明るくなると、オレは早速朝ごはんを食べようとおにぎりとわっぱをそれぞれ手に取り、自分の前へ置き直す。
わっぱの蓋を開くと、驚いた。いつもと中身が少しだけ違っていたのだ。
そぼろ入りの卵焼きと、いつものおひたし、それから今日は小さいけれど焼き魚の切り身が入っている。見る限り、身がしっとりとしていて質の良さそうな魚だ。
「なんだ、今日はいつもより豪華だな」とカナを見ると、彼女はいつも通りさっさと執務室を後にしようとしていた。
カナはいつもオレの邪魔にならない様にと気を遣ってここへ留まろうとしない。あまりにさっぱりとしていて、いつもながら少し寂しくなる。

じっと彼女の背中を目線で追っていると、不意にカナの脚が扉の前でピタリと止まった。そして右から振り向き、しょんぼりしたオレと目が合うと、微笑んで言った。

「今日は出来れば家に帰ってきてね。希少な特大秋刀魚と上等品のナスでご馳走作って待ってるからさ」

誕生日おめでとう、カカシ──そう言われてふと思い出す。そうだ、今日は誕生日だった。

「覚えててくれたの?嬉しいねぇ」
「誕生日くらい定時で上がってきてよ?まぁ、無理にとは言わないけどさ」
「それもそうだな」

恋人が誕生日を覚えてくれていることなんて当たり前のことのはずなのに、今日はとても幸せなことに思えた。
胸のあたりがじんわりと温かくなって、なんだか全身の血の巡りが良くなってくる気がした。先程まで重たかった身体は、みるみるうちに活力に溢れてくる。
いつもと変わらない筈なのに、どうしてこんなに嬉しいのか自分にもわからなかった。

ふと気づくと、彼女はオレに背を向け、振り返りざまに「じゃあね」と胸のあたりで右手を振って今まさに扉の向こうへ消えていこうとしていた。オレはもう少しカナとおしゃべりしていたいのに。そんなに気を遣う必要なんてないのに。

こんな風にあっさりとしているかと思えば、その実は奥ゆかしくて健気なんだから、忙しい身としては有難いことこの上ない。勿論、彼女に色々と我慢させていることも理解している。
そんなカナの懐の深さに甘えっきりであることに自覚はあるが、このまま胡座をかきつづけるわけにもいかないことだって重々承知だ。

「カナ」

オレの呼びかけに、カナがピタリと歩みを止める。「何?」と眉を上げて身を翻すなり、オレは言葉を継いだ。

「今日は絶対帰るからさ。そしたら、結婚の話をしようか」

呼吸する様にすっと出た言葉だった。口から放たれると、たった二人だけの世界のような澄み切った朝の空気を滑り、真っ直ぐカナに届いた。
彼女は目を丸くし、口を半分開いたままその場に立ち尽くしてこちらを見ている。こんなカナの表情は久しぶりに見たので、思わずにやけるのを抑える。

「じゃ、また後でね!」

平然と右手を大きく振り返しているように見せかけたが、もう口から心臓が飛び出るかと思うくらいにドキドキしていた。自分が何気なく言った言葉なのに、首筋から背中の上の方がジリジリと焼けるように熱くなって、顔のあたりにあっという間に熱が篭る。
カナはそんなオレを見て、恥じらいと可笑しさからか口の端を歪めながら「うん!」と元気よくオレに手を振り返し、再び執務室を背にした。

彼女の小さな背中には、秋の日に美しい花畑でも偶然見つけたかの様な幸せが滲み出ている気がした。
いつもと変わらぬ光景のはずなのに、今日はこの世界全てが宝物の様にキラキラと輝いて映った。

(宝物は日々の中に)

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