「とりあえず十九時にヤマトの部屋に集合」と言われたのは二日前の事だった。
なんでもカカシを慕っている後輩達が、敬愛なるカカシ先輩のお誕生日会を開くので、その同期の私達にも声がかかったという事らしい。
華金のその日、言われた時間に独身寮の一室にあるヤマトくんの部屋へ行くと、すでに室内はすし詰め状態だった。
独身寮というのは木ノ葉の忍達に用意されたいわゆる福利厚生の一環で、三十歳になるまでは希望者は全員入ることができる。つまるところは、つい先月、カカシは寮を追い出されたわけだ。
ちなみに私は女性だという事もあり、借り上げで別の場所に住んでいる。
そんな懐かしい場所に──カカシ曰く別に何の思い入れもないと言っていたが──戻ってきたとなれば、盛り上がらない筈がない。
私は住んでこそいなかったものの、同期や先輩・後輩の誰かしらの家に集まる際にしょっちゅう来ていたので、寮といえば楽しいイメージしかなく、誘われて嬉しい気持ちでいっぱいだった。
それに、カカシの誕生日祝いなんて参加したいに決まっている。
「あ!カナさん、来てくださってありがとうございます〜!もう準備バッチリですから適当に座っちゃってください!」
ヤマトくんは半分出来上がったみたいなテンションで部屋の奥から私に手を振る。周囲を見渡すが、まだ酒の類はあけていないようだ。素面でここまでとは、どれほど今日を楽しみにしていたのだろう。微笑ましい限りだ。
すでに来ていたのはカカシの暗部の元後輩から、正規部隊の後輩達、それから相変わらず一人でもうるさいガイ。私が来たことも気づかないで何やら後輩達と変な掛け声の練習をしているようだった。
いつものが始まったなぁと苦笑いしながら、私はとりあえず買ってきた少しいいお酒達と荷物を置いて、部屋の中をうろうろする。
アスマや紅も誘われていたらしいが、生憎二人とも任務が入ってしまって来られなくなってしまったそうだ。きっと来てくれたらもっと楽しかっただろうになぁと少しばかり残念な気持ちになる。
部屋の中央にあるかなり大きめのちゃぶ台の上には、みんなで持ち寄ったのか、たくさんの酒からおつまみ、手作りらしい惣菜や宅配ピザ、肉などこれでもかというくらいぎっちり食べ物が並べられていた。
その量の多さに呆気にとられながら準備を手伝おうとキッチンへ向かうと、甘いものが苦手なカカシのために寿司ケーキが用意されていた。
ケーキは丸いホール型をしており、鮮やかな黄色の金糸卵の上に艶々と光るいくらやサーモン、綺麗なピンク色の甘エビや青々としたきゅうりなどで丁寧に飾り付けられており、彩りもよくとても美味しそうだった。
聞くと、後輩女子達でアイデアを出して作ったのだと言う。日頃からくノ一に人気なのは知っていたが、数人が「喜んでもらえるかな」なんてキャッキャしながら話しているのを見ると、お酒なんか買ってくるんじゃなかったと後悔した。もっと可愛らしいものを持ってくるんだった、と。
「そう言えば、カナさんは何持ってきてくれたんですか?」
「え……」
「まさか、カナさんがカカシさんの誕生日に何も持ってきてないとか無いですよね?」
ヤマトくんがにやりと笑う。
彼はどうも気づいているようだった。私のカカシへ対するこの感情に。
私がカカシを好きになったのはつい最近のことだった。
ずっと同期として共に戦っていたため、それまで全く異性としての好意なんて持っていなかった。それがある時突然、本当に急に好きという気持ちが芽生えていることに気が付いたのだった。
そうなったらさぁ大変、意識してしまって今まで通りに過ごすことが難しくなってしまった。
きっと、ずっと仲間として側にいたからこそ、自分の中の気持ちを見て見ぬふりをしていたのだろう。この関係を壊したくないが故に、だ。
恐らくヤマトくんにばれたからといって、彼は常識があるのでカカシにバラしたり匂わせたりするようなことはしないだろう。というより、私の気持ちなんてカカシにバレているかもしれない。
なんてったってあいつは鼻も利く上に勘もいい。
「お酒……」
だから私はあえて形にも印象にも残らなさそうなものを持ってきた。みんなが酔っ払ってしまえば、勝手に空けてしまってカカシの口にすら入らないかもしれない。
「いいじゃないですか!カカシさん、きっと喜びますよ〜!」
ヤマトくんは満面の笑顔で私の気持ちを持ち上げてくれた。
そんな彼にどんな顔をしていいのか分からず、私は「どうかねぇ」と肩を竦めて笑った。
カカシがヤマトくんの部屋にやってきたのは、予定していた時間より三十分ほど過ぎた頃だった。
「やー、遅くなってすま……」
カカシがそう言いかけたところで、部屋にいた全員が彼に向かって一斉にクラッカーを放つ。ただでさえ人の密度の濃い部屋の中は、破裂音と共に焦げ臭い火薬の匂いでいっぱいになった。耳の奥がキーンとして、なんとなく聞こえに違和感が生じる。
それから後輩達がタイミングを揃えて『カカシ先輩、お誕生日おめでとうございます!』と唱えた。すっかり誕生日会らしいムードにその場にいる者達全員の表情も綻ぶ。
「お〜、こりゃ凄いな!」
「カカシィ!遅刻した上に反応が薄いぞ!」
「いやいや、これでもかなりびっくりしてるって」
「カカシさん、昔からポーカーフェイス気味ですからね〜」
換気のためか、ヤマトくんはそう冷やかすように言いながら部屋の窓を開けに行った。
ニコニコしながら後輩達がカカシを見つめる中、ガイだけが前のめりになって、今にも遅刻したカカシに熱い説教を始めそうになっているのに気づく。私はそれを遮るように「何かあったの?」と敢えて尋ねた。
「ここへ来る途中、仕事が終わらなくて荒れかけた五代目に捕まってな……」
「本当かぁ〜?!」
「ほんとほんと。いやいやこんなに準備してくれてたのに遅刻なんかして悪かったね。皆、ありがとう」
カカシはいつになく、顔いっぱいに笑顔を浮かべていた。普段笑っていても、目の奥が笑っていない時があるように思っていたが、今日はその目すら見えないほどの笑顔だった。
疑いの眼差しを向け続けるガイを押し除けて、戻ってきたヤマトがカカシの脇に立つ。そして、「じゃあカカシさんは奥の誕生日席へどうぞ」なんて彼の腕を引っ張って上座へと連れて行く。その後にまだカカシの遅刻がふに落ちないガイが続き、後輩女子改めカカシガールズがぞろぞろと続く。私はその最後尾について、カカシからは少し離れた場所に座った。
誕生日会は序盤から相当な盛り上がりを見せた。盛り上がると言っても、カカシのテンションはほとんどいつも通りで、周囲がやたらとはしゃいでいた、という方が正しいが。
みんなで持ち寄った沢山の酒瓶や缶チューハイ、それから缶ビールは次々と空になり、それに比例するかのように祝う後輩達の声は大きくなっていった。
あっという間に皆同じくらい出来上がって、自分のペースで飲んでいた私はこの空間に少しだけ置いてけぼりになる。
「あっという間に先輩も三十歳ですか、いや〜めでたいめでたい」
「この年になると誕生日が来ても嬉しくないもんだよ」
「そんなぁ!里のために命を危険に晒しながらも年を重ねていけるってのは本当にめでたいことですって!」
「ま、そうとも言えるな」
後輩達の中でも一早く完成された酔っ払いになったのは、案の定ヤマトくんだった。
彼はこの部屋の家主である故、帰らなくても良いという安心感から飲むペースが他の人より随分と早かった。当然のことである。
その上、おそらくこの中の後輩の誰よりもカカシを尊敬し、祝福しているはずだ。だから、楽しくていつもより酒の回りが早いのだろう。私は微笑ましくその光景を眺めた。
「ところでカカシさん、今年の誕生日は誰と過ごすんですか〜?」
しかし、だ。
酔って少しだけだらしなくなった顔でヤマトくんがカカシに尋ねるのを見て、思わず呼吸を止める。聞きたくないフレーズがカカシの口から出てこないか不安だった。
私は努めて冷静を装おうと、手元にあったまだ空いてないチューハイの缶をプシュッとあけて静かに口をつけた。
「え?いやぁ、別に何もないよ」
「またまた〜、どうせかわいい女の子と過ごすんでしょ〜」
「本当にないって」
私は、困ったような声で言うカカシの様子をチラリと盗み見る。
彼は声のトーンと同じく、眉をハの字に下げて大層困った顔をしていた。それから酔って問い詰めるようにぐいぐい距離を縮めてくるヤマトくんを両手で控えめに押し返していた。
私はチラチラ見ているのに気づかれないよう、ひたすらに缶の中の酒を煽り続けた。
「よしカカシ!そしたらオレと丸一日かけて熱い勝負を繰り広げようじゃないか!」
いつの間に席を移動したのか、カカシガールズを二人挟んだところから見ていたガイが、急に立ち上がって茶々を入れる。その双眼には小さな炎がメラメラと燃えたぎっていた。
「え〜?やだよ、誕生日に勝負なんて」
当然のようにカカシにあっさり突き返されてしまう。
ガイは「くっ……即決で断られるなんて」と悔しそうに瞳の炎を涙で消火した。このいつも通りの二人のやりとりに、イヤに張り詰めた私の心は少しだけ緩む。
しかし、ここで予想外のことが起こった。
「じゃあ私、カカシ先輩と過ごしたいでーす!」
すかさずカカシガールズの女の子のうちの一人が、ノリノリで手を挙げたのだ。
私はハッと彼女に視線が釘付けになる。ほぐれかけた心は再びキュッと固く引き締まった。
それを皮切りに、「私も!」「えーじゃあ私も!」「ずるーい、私だって!」と後輩女子達が次々と手を挙げ出すではないか。
酔ったノリのうちなのだろうが、一人、また一人と手を挙げていくうちに男性陣がどんどん盛り上がり出す。
そしてついに挙げていないのが私とあともう一人になった時、私はヤマトくんの視線をはっきり感じ取った。
この波にノリましょう!カナさん!──そう言われている気がした。私は口の端にぎこちなく笑みを浮かべた。
とうとう最後の後輩女子が手を挙げると、部屋にいる全員の視線が私に集まった。チラと目をやると、もちろんカカシもまだヤマトくんを押し返しながら私の方を見ている。
私は短い時間の中で思案した。いくら私だけ同期とはいえ、私だけ手を挙げないのはカカシを意識しているようでおかしな空気になるのではないか。それに、明らかこの場にいる全員、私が最後のオチになることを期待しているに違いない。ここで拒否したら余計に恥ずかしいことになる──
「……わ、私も……」
意を決し、無理矢理作った笑顔でそう右手を挙げると、待ってましたと言わんばかりに「どうぞどうぞ」と全員が声を揃えた。途端に室内はどっと沸く。
恥ずかしさに、私の頬と首の周りは熱を帯びる。
「今の反応、いいっすね〜!」
「カナさん今のめっちゃかわいいかったっすよ!」
「もー、あんまりいじらないでよー!」
もちろん私を辱めようだとかそういう訳ではないのはわかる。ただ私が手を挙げるのが遅かったから、そういう流れになってしまったのだろう。照れた様子がいいと私を褒めた後輩男子達は、私が進んでオチ役になったかのように捉えているようだった。
「自分から最後を狙っていった割に恥じらうなんて、カナったらやるね〜」
「カカシまでそんなこと言う!」
現にカカシもそう捉えているようで、ニコニコしながら酒に口をつけていた。ヤマトくんのことはいつの間にか押し戻したらしい。
彼もまた自分のポジションに落ち着いて腰を下ろし、いやらしい笑みを浮かべながら手酌で焼酎をコップへ注いでいた。
酔っていたからか、そのヤマトくんの表情は随分間抜けで、だらしないように見えた。おかげでプッと吹き出して、破裂しそうなほど張り詰めていた心の緊張は空気が抜けるように解けていった。
そうしたら、もっとリラックスしてもいいような気がした。何故だかこんな茶番如きに好きな人を意識しすぎている自分が誰よりも間抜けに思えて、おかしくてたまらなくなってしまった。
「あ!カナさんボクのこと見て笑いましたね?!なんですかいきなり?!」
「えぇ?いやぁそんな、……ふふっ」
「あれ、カナさんもしかしてめっちゃ飲んでません?!大丈夫ですか?!」
「え……?」
後輩の女の子の仰天したような声になにやら手元を見ると、ビールや酎ハイの空き缶がずらりと並んでいる。気づかないうちにどんどん飲んでいたようだ。すっかりと酔いが回っていた。
おかしくてたまらないのはこのせいだったのかもしれない。
「おぉ!カナ、いい飲みっぷりだぞ!それに比べてカカシ!お前ってやつは全然飲んでないじゃないか!」
しばらく後輩達と楽しく飲んでいたガイが、突如立ち上がってカカシを指差した。室内は一気にしんと静まる。
突然の静寂に、一瞬私の笑いも止まるが、みんな一斉にキョトンとした顔でガイを見たのが可笑しくて、また堪えきれなかった笑いと空気が漏れ出す。
けれども、そんなのはお構いなしにみんなはガイとカカシを見つめていた。
「そんなぁ。結構飲んでるって」
「いいや、明らかに手が止まってるぞ!みんなが祝ってくれていると言うのにどうしてお前ってやつは……!」
「あぁ……はいはい、飲みます飲みます」
「よし、言ったな?!それじゃ飲み比べ対決といこうじゃないか!」
「もう、なんでそうなるのよ」
「よし!ヤマト、お前には審判を頼む!」
「えぇっ?!ボクですか?!」
突如始まることとなった飲み比べ対決に、カカシガールズは「カカシ先輩頑張って〜!」と黄色い声援をあげる。
後輩男子も威勢よく冷やかし、室内には再び活気が戻り始めた。
私はその楽しげな雰囲気と酔いに任せて、カカシガールズ達とキャーキャー言って年甲斐もなくはしゃぐのだった。
飲み比べ対決は狡猾な作戦により、カカシが勝利を収めることとなった。ガイはあっさりちゃぶ台に突っ伏し、ぐーぐーいびきをかきながら夢の世界へ飛び立っていった。
その対決からしばらくして、私はお手洗いに席を立ったところ、廊下で小さな悲鳴を上げた。ヤマトくんがリビングから玄関の方へまっすぐ伸びている廊下で倒れていたのだ。
思いがけず暗闇に浮かんだその姿は、なんとも不気味だった。そして、その私の悲鳴に唯一気付いたのがカカシだった。
カカシはすぐにリビングから廊下へ顔を出すと、すぐに状況を把握したようだった。
「トイレから帰ってこないと思ったら、こんなところに寝てたのね」
パッと廊下の明かりがついて、ヤマトくんの姿がはっきりと照らし出される。彼はトイレットペーパーを小脇に抱えながらすっかり酔い潰れていた。先程トイレに行くと言って席を立った際、持って帰ってきたのだろうか。全く意味不明である。
そしてなぜヤマトくんが潰れているかと言うと、件の作戦に巻き込まれてしまったからだった。カカシが無理やり飲ませたわけではなく、カカシの口車にまんまと乗せられてのことだった。
「あーあー、こんなになっちゃって」
とても気持ちよさそうに眠っている彼のそばへ、カカシが静かに腰を下ろす。「おーい」と肩を揺すったり、ペチペチ頬を叩いてみても聞こえてくるのは深い寝息だけだ。
「こりゃダメだな。しばらくは起きないぞ」
「ダメだなって……ヤマトくん、可哀想……」
「ひどい時はもっと凄いよ。今日はちゃんとその手前で止めてあるから大丈夫」
「全くもう、優しいんだか酷いんだか……とりあえず寝室まで運ぶ?」
「女の子はいいよ、お前は座ってデザートでも食べてな」
ゆっくり立ち上がると、カカシは賑やかなリビングに向かって「おーい、男子諸君」と呼びかけた。
私はいきなりの女子扱いに戸惑いを覚える。いつもはそんな事を絶対に言わないタイプなはずなのに、今日はどうしたというのだろうか。
すぐに後輩男子達がぞろぞろ廊下に出てきたので、私はヤマトくんを跨いでモヤモヤとした気持ちでお手洗いへ入った。
そしてその小さな騒動から一時間くらい経った頃か。
後輩の女の子達と話に花を咲かせながらふと時計を見ると、すでに日付が変わっていた。
私はそろそろ帰らねばと静かにちゃぶ台から離れ、荷物をまとめる。
今日はカカシとはそれほど話せなかったけれど、後輩達に祝われて幸せそうな彼を見れただけでよかった──そんな事を思いながら、鞄を持って立ち上がる。
「ごめん、盛り上がってる所申し訳ないんだけど、そろそろ帰るね」
一番近くにいた後輩の女の子の肩を叩いてそう伝えるや否や、後輩達はおしゃべりをやめ、私の腕をギュッと掴んだ。
「え〜?!カナさんもう帰っちゃうんですか?!」
「明日お休みですよね?もうちょっと飲んできましょうよ〜!」
二人が潤んだ瞳と大きな声でそう私を引き留めると、その場にいた全員が私に注目した。残念がってもらえるのはありがたいけれど、場の空気を乱してしまい肩身が狭い。
嬉しさ半分、申し訳なさ半分で口元を引きつらせながら私はどうにか手を離してもらおうと考える。
「休みじゃないのよ、それが」
「え〜、本当ですか?」
「実はさ、明日は綱手様絡みの早朝任務で……」
「綱手様」と名前を出しただけで、室内の空気が一気に涼しくなるのがわかった。
「それは……」
「確かに……」
後輩達はゆっくりと私の腕を解放すると、意気消沈した。恐らく怒られる場面を皆、思い浮かべたのだろう。木ノ葉の忍であるならば、想像に容易い。
盛り上がっていた室内は、いつの間にか時計の針の音と、ちゃぶ台に突っ伏して潰れているガイのいびきだけて満ちていた。
私はうっかり気まずい空気にしてしまったなぁと苦笑いを浮かべる。あまりの静けさに、声は出せなかった。
しかし、その静寂は突然破られることとなる。
「あ、オレもそろそろ帰るわ」
カカシの声だった。
まさか、彼は朝まで飲み明かして帰ると思っていたから、思いがけずバッと彼を振り返る。
「えー!カカシさんまで?!」
後輩男子達が、驚いたように言った。
「オレも早朝から任務があってな。そろそろ帰らにゃならん」
「そんなぁ〜……」
「悪いな、また飲みにでも誘ってくれよ。今日は本当にありがとうな」
カカシは満面の笑みで後輩にそう礼を言うと、「帰るぞ」と私に呼びかけた。「ガイはいいの?」と一応尋ねると、「今日は泊まったほうが安全だろ」とあっさり言って玄関の方へ歩いて行った。親友同士だと言うのに随分冷たいなぁと思った。
そう言うわけで、私とカカシは後輩達に名残惜しく見送られ、しんとした涼しい秋の夜道を二人で帰ることとなったのだった。
民家はほとんど灯りがついておらず、街は眠りの中にあった。
私達はそんな深い夜の中を、同じくらいの歩調でゆったりと進んでいく。靴底が地面を蹴る度、乾いた土が擦れるような微かな音がした。私と彼の足で交互に音が鳴るので、まるでなにかのリズムを刻んでいるようだった。
澄んだ空には、低い位置に右半分が欠けた月と、チラチラと瞬く無数の星が輝いていた。
道の脇からは、どこからか夏には聞こえなかった心地よい虫の音が聞こえてくる。すっかり秋だな、と思った。
「さっきの、嘘でしょ」
私はふと心に浮かんだことをそのまま口に出してみた。カカシは「なにが?」とパッと私を見た。その表情は驚きにも見えたし、とぼけた顔にも見えた。
「綱手様、明日は私と他の三人しか捕まらなかったって嘆いてたわよ。カカシは今日の飲み会があったから任務断ったんでしょ?」
「さぁな」
カカシはポケットに両手を突っ込んで、空を見上げる。大抵こう言う反応をするときは図星の時だ。
「せっかく断ったなら主役なんだし、朝までいればよかったのに」
「お前もガイとヤマトの潰れっぷりを見ただろ?当然だが、夜明けが近くなればなるほど、潰れる人数は増える。オレはお世話係は御免だ」
カカシは空を見上げたまま言った。月の光に照らし出されたその横顔の稜線は、とても美しかった。黒いマスクのせいで所々闇に溶けかかっており、それが余計に美しさに拍車をかけていた。
あまりにも綺麗で、つい見惚れてしまいそうになる。バレてはいけないと、私も同じように星空を見上げた。これはお酒のせいなのだろうか、それとも深夜の魔法なのだろうか。
彼自身は酔いはもう覚めているのか、いつもと変わらない気怠げな口調だった。
「カカシってそういう所、ちょっぴり薄情だよね」
私は両手を後ろで組みながら言った。
「心外だなぁ、一人で夜道を帰すなんて危ないから、送ってくついでに帰ろうと思っただけなのに」
「そんなの都合のいい後付けでしょ」
「……全く、お前ったら本当に素直じゃないんだから」
「これは本心です」
「はいはい」
随分と楽しそうな声色だった。
こういう時、私はいつも思う。私の気持ちはすでにカカシにバレているんじゃないかと。
まぁ、たとえバレていたとしてもこうして普通に接して貰えるのなら何の支障もないのだけれど。
私は意識を彼からなるべく逸らそうと、熱心に星空を見つめ、知りもしない星座を探してみる。何となく見覚えのあるような星座を見つけ出した頃、カカシが再び口を開いた。
「それにしてもお前のあの『え?!ええっ?!』って反応、面白かったな〜。もう最高」
「……はいはい、そんなに間抜けでしたかね」
「間抜けとは言ってないじゃない。かわいいって言ってんの」
私の顔を横から覗くようにして彼がいたずらっぽく言った。やにわに視界に現れたカカシに、私は思わず「きゃっ」と小さく声を上げる。
不意を突かれた上に、随分と近い距離で言われるものだから耳の辺りがポッと熱くなる。
「もう、そういう冗談やめてよ」
私は彼と距離を取ろうと咄嗟に両手を前に突き出す。しかしカカシほどの忍とあれば、そんなへなちょこな攻撃なんていとも簡単にかわされてしまう。
当然私の両掌もカカシにはぶつかるはずなんてなかった。──はずだった。
「冗談じゃない……って言ったら?」
何の手応えもないはずだった掌は、不意に温かさに包まれる。
驚きのあまり、一瞬何が起こったのか理解できない。パッと温もりの先を見ると、カカシが私の両手を握っていた。
それを見た瞬間、心臓の拍動音が全身に伝播した。ドクドクというリズムが指の先まで伝わって震え、カカシにまで感じとられてしまうんじゃないかと思うくらいだった。
恥ずかしいと思うと同時に、どうしたらこの手をすぐに離してもらえるかを考えた。考えたけれど、何にも浮かんで来なかった。
頭の中はもうカカシでいっぱいになってしまっていた。先程見つけた星座のことなんて、すっかりどこかへ消え去っていた。
私は十秒ほど考え込んで、それでも頭の中が真っ白だったので「さぁね……」と振り絞るような声で答えた。それが私の精一杯だった。
するとカカシは「そう」とまたいつものトーンに戻ってパッと私の手を離した。いきなり離されたので、私の両腕は思いっきり重力に任せてだらりと力なく下に落ちていった。弾みで少しだけ肩が痛くなる。
それでも握った手を離してくれたので、私は十分だった。これ以上握られていたらどうにかなってしまいそうだった。
私達はまた、二人で歩き始めた頃のように静かな濃紺の世界をを進み始める。
「そうそう、実はさ」
しばらく互いに沈黙のまま歩いて行くと、再びカカシが沈黙を破る。
私はもうカカシの方は見ないで──というより見られない、が正しいが──「なに」とだけ返事をした。
「オレの誕生日ってさ、九月十五日なんだよねぇ」
「知ってますが」
「なにその冷たい反応。飲み比べの時はあんなに後輩達とキャーキャー言ってたのに」
「あぁ、あれ?雰囲気に流されただけよ」
私は意識して、冷静に返す。
「珍しくお前がオレに夢中になってくれて嬉しかったってのに、寂しいもんだねぇ」
「別にあの時も夢中になんてなってません〜」
「ったく、可愛くないやつ」
そう言いながらも、彼の言葉の端は笑みを含んでいた。
カカシの思考が今の私には読めない。読む余裕なんてなかった。
「ところで、カナは誕生日プレゼント何くれるの?期待しちゃってもいい?」
そしてカカシは突として話題を変える。余計に私の頭は混乱した。
「え?今日酒持ってったじゃない。いいやつ」
「えぇ?酒?もう無くなっちゃったじゃないの」
「いいじゃない、飲んで楽しんだんだから」
「いやいや、さっきも言ったでしょ、オレの誕生日はね、九月十五日なの。まだ誕生日じゃないのに、もうプレゼントが無いなんてそんな話ある?」
「……えぇっ?それは……」
彼の問い質しにうろたえていると、ここがもう私の部屋があるアパートの前であることに気がつく。
随分あっという間だったなぁと感心して答えることを忘れていると、出し抜けにカカシが「じゃ、十五日はよろしくな!」と言って私の肩をポンと叩いた。
「……は?!」
調子外れな声が出た。カカシは目を三日月の形にして、ご機嫌な表情だ。
「プレゼントももう無いし、当日は一日付き合ってもらうから」
私は彼の言葉に耳を疑った。視覚情報から状況を読み込むだけで、思考が全く追いついてこない。
「ちょ、ちょっと待ってよ!なんでそんな……?!」
吃りながら尋ねると、カカシは穏やかに「だって、あの時手を挙げてどうぞどうぞされてたじゃない」と微笑んだ。
そんな、あんな茶番を鵜呑みにするなんて──私は絶句した。
「いや……そうだけど……あれはさ、冗談っていうか……」
まさか、本気になんてしていない筈だ。彼の意図するところは何なのだろう。私は回らなくなった頭でぐるぐると考え始めた。
しかし、何度考えても行き着く考えはたった一つだった。
それは私の願望も入り混じった、あまり現実的ではない考えだと思ったが、どうしてもそう考えてしまうのだった。
もしかして、カカシも──
「別にプレゼントを無理矢理買わせるなんて言ってないし、ただ一日一緒にいてくれるだけでいいから。ね?」
三十になって、こんな青臭い恋愛の仕方をするなんて思ってもみなかった。
お互い今まで恋人がいなかった訳でもないのに、どうしてか今はこんなにも純粋でキラキラとした好きの気持ちが私の胸には埋め込まれている。
ひょっとすると、誕生日を二人で一日過ごすことで私達の関係に何かしら変化があるかもしれない。そのまた反対で、いい歳をした男女が朝から晩まで一緒にいても、何もない可能性だって十分にある。
けれど──けれども、私はその二分の一の可能性に心の底から感情を揺さぶられていた。まるで、十代の頃の、恋の相手の一挙一動にドキドキしてしまうようなあの感覚。随分と久しぶりだった。
「……わかりました。今回の休日任務の振り替えで、一日お休み貰うよ」
自分の気持ちに観念して、私は素直にそう答えた。
私の返事を聞いてカカシは、「よかった」とにっこり微笑む。その表情に私は安堵し、少しだけ口角を上げた。
「じゃ、明々後日は楽しみにしてるから。おやすみ」
「うん、おやすみ」
私がそう言って小さく手を振ると、彼は「じゃあな」と手を振って私に背を向け夜更の空の下をゆっくり歩いて行った。その背中は、いつもよりも楽しそうに見えた。
私の胸はくすぐったいような、恥ずかしいような気持ちでいっぱいになる。
その気持ちがとうとう胸から溢れそうになると、冷たい秋夜の空気を肺いっぱいに吸い込んで頭を冷やした。
きっと楽しい日になればいいな。それから、私とカカシの間に新しい関係が始まってくれればいいなぁと淡い期待を胸に抱くのだった。
(明々後日はよろしく)
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