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ひどく懐かしい夢を見た。
幼い頃の夢だ。時間は夜遅くで、遠い昔に行った夏祭りの帰り道の夢だった。
道を駆ければ息が苦しくなるほど蒸し暑く、好きな人にかわいいと思ってもらいたくて、少しでも好きになってもらいたくて着て行った浴衣は汗でべったりと肌に纏わり付き、帯を巻いた部分が嫌に熱くて苦しかった。 

私は静かな夜の公園で、好きな人とブランコに座っている。公園の植え込みや草むらからは、鈴を鳴らしたような虫の音が夏の盛りをもう過ぎたことを告げていた。
祭りで買った、ラムネの瓶のように青く透き通った薄いビードロの風鈴を白い月の光に透かし、うっとりと眺める。
風が吹くとチリンと涼しい音を鳴らし、控えめな虫の音と合わさると、おくれ毛と共にうなじにはりついていた汗も引くようだった。
隣で静かにブランコを漕いでいた好きな人は、突然ブランコからひょいと飛び降りると、私の目の前に立ってポケットから何かを取り出す。屋台の通りを歩いている時に、私が手に取っていたビーズの指輪だった。
彼は「あげる」と笑いもせず、恥ずかしがりもせずそれを手のひらに乗せて私の前に突き出すと、じっと私を見つめた。
そして急に場面が飛んで、恥ずかしそうに「いつか、お嫁さんになってよ」なんて言っていた。
指輪は公園の外灯と、月の光が双方向から光を通してキラキラと宝物のように輝いていた。

果たしてそんなことを本当に言われたかはもう二十年近くも前のことだから定かではないが、あの時、彼にそんなような事を言われたような気がする。

目が覚めると汗をぐっしょりかいていて、窓の外に吊るしていた沢山の風鈴が強い風に吹かれてシャリシャリと鳴っていた。夢を見たのはこのせいか。
私は布団から出ると、店を開くために身支度を始める。


新たな縁が運ばれてきたのは、弟が店を継ぐと帰ってきて三ヶ月も経たない頃だった。
昼時のピークが終わって、客が引いてがらんとした店の中で、弟と夕刻からの仕込みと片付けをしながら他愛もない話をしていると、賑やかな客が入ってきた。
客は四人組で、オレンジのつなぎをきた男の子と、ピンク色の髪が綺麗な女の子、綺麗な顔をしているけれど仏頂面の男の子と──黒いマスクをして、左目を木ノ葉の忍の証である額当てで隠した背の高い銀髪の男の四人だ。
私も弟もその男には見覚えがあった。

「あれ?!カカシさんじゃないっすか?!」

私より先に、弟は嬉しそうにその男に声をかける。
すると男は、「あれ、もしかしてあきら?」と目を丸くした。
男は、カカシくんだった。とても懐かしいけれど、一度も忘れたことのないその名前に頭を金槌で殴られたかのような衝撃が走った。
彼は、父が店を始めた当初から遊びに来ていたうちの一人だった。特に父と彼の親が同期で親しかったため、毎日のようによく店に来ては、私と弟と一緒に三人で遊んでいた。
アカデミーでは彼の卒業が早過ぎたため、少ししか一緒にならなかったものの、修行や任務などを共にしたこともある。そして、私の初恋の相手でもあった。

九尾襲来事件を機に忍をやめた私と弟は、カカシくんと会うのは十数年ぶりだった。
すっかり大人の男だ。昔からかっこいいと思ってはいたが、さらに磨きがかかっていて、私は瞬時に淡い恋心を蘇らせた。

「そうです!あきらです!いや〜覚えててくれてたんすね!嬉しいっす!」
「カカシ先生ってば、もしかして知り合い?」
「そ。まぁしばらく会ってなかったけどね」

オレンジ色のつなぎをきた少年に優しく微笑みかける姿は、店に来ていた頃のサクモさんの姿と重なって見える。
この短い時間の間に、幼い頃の記憶が走馬灯のように駆け巡り、私はただただその場に立ち尽くしていた。

「一番広い席へどうぞ!」
「ありがとう」

あきらがテキパキと四人を席へ案内する。憧れのお兄さんだったカカシくんに会えて嬉しいようだった。
当然だろう。弟は私よりもカカシくんに遊んでもらっていることが多かった。
それに、アカデミーに入った頃には「カカシ兄ちゃんみたいな忍になる!」なんて言って、常に彼の後ろ姿を追いかけていたくらいだ。本当に、実の兄のように慕っていた。

あきらは人数分メニュー渡すと、「姉ちゃん、なにぼーっとしてんだよ」と私にお茶を催促する。
ようやく私も気を取り戻して、湯飲みを四つ取り出して熱い緑茶をたっぷり注いでいく。

「店の雰囲気も全然変わってないねぇ。カナとあきらはすっかり大人になっててびっくりだけど」
「カカシくんもなんか雰囲気変わったね」

私は湯飲みをそれぞれの前に置きながら言った。
本心だった。最後に見た彼は、もっと痛々しくて、孤独で、何か一つでも違えてしまえば消えてしまいそうな危うさがあった。
しかし今は違う。子供の頃の彼と同じ温かさがある。
少し離れたところでオーダーを待機している間、どうして彼は急にここへ来たのだろうかとずっと考えていた。

「もしかして、昔のカカシ先生のこと知ってるんです?!」

女の子は注文はそっちのけで、私と弟に話しかける。活発そうな子だ。

「子供の頃は本当、お兄ちゃんみたいに遊んでもらってましたよ」

弟が嬉しそうに言う。それにカカシくんは「あぁ、このお兄さんがまだトコトコ歩き始めた頃からの知り合いだ」と懐かしそうに返す。

「カカシの幼なじみってとこか」
「そんなところだ。ところでお前ら、二人で店継いだの?」
「この店は今まで私がお母さんとやってたんだけど、あきらが結婚してこの店を継ぐことになって」
「え?!結婚?!」

カカシくんは驚いたように目を見張る。

「はい、つい数ヶ月前にですけど。今は後継ぐために姉ちゃんに店のこと教わりながら修行中っす!」
「……へぇー、あの赤ん坊だった子が結婚かぁ。オレも歳をとるわけだ」

頬杖をついてしみじみと彼が言うと、私は心がずんと重くなる気がした。弟は日頃傍にいるからあまり意識したことはなかったが、あの頃からかなりの月日が流れ、私の記憶の中のカカシくんはもうそこには多分いないのだ。
あの頃の恋心のまま時を止めてしまっていた私は、この現実に、どういう表情をしたらいいかわからなかった。
少なくとも、心から笑う元気はなかった。


しばらくすると、金髪の男の子が顔を笑顔でいっぱいにして、元気よく手をあげる。すぐさま私が注文を受ける。
金髪の男の子はおしるこ、女の子はあんみつ、仏頂面の子とカカシくんは焦がし醤油団子だった。
弟は渡したオーダー票を確認すると、すぐさま調理に取り掛かる。

「ところでおばさんは?」
「母さんはこないだ怪我をして入院してて」
「そうなの。聞いて悪かったね」
「怪我以外は元気よ。きっと母さんもカカシくんに会いたかったと思うから、残念だけど」

子供達は静かに私達の様子を伺っていた。
その表情は、何か面白いものを見つけたような、でもそれを悟られないようにじっと堪えているようにも見えた。
幼い頃、私と弟達が親達の話にそっと聞き耳をたてていた時もこんな感じだったのだろうか。

「カカシくん、もしかして今は担当上忍なの?」
「あぁ。ナルトにサクラ、サスケだ」

三人は紹介されると、ほぼ同時に会釈をする。
彼等を改めて見ると、遠い昔、カカシくんが所属していたミナト班の四人と重なった。
元気いっぱいの男の子、しっかり者の女の子、そして他の二人とは少し距離をとるクールな男の子。それから、そんな三人を微笑ましく見守る穏やかな先生。
オビト、リン、カカシくん、ミナト先生とそっくりだった。

「今日はこいつらとの賭けに負けて、無理矢理おごらされる羽目になってね」
「先生も大変ね」

一体どうしたらあの、脆くて儚い色を纏ったカカシくんが朗らかに笑うようになったのだろう。
かつての仲間と良く似た子達に出会って、昔を取り戻したのだろうか。しかし、そんなイミテーションで心の穴を埋められるほど彼は器用だっただろうか。

「あのさあのさ!カカシ先生って昔どんな子供だったの?!」

ナルトと呼ばれていた少年は、ニンマリ顔で私に訊ねる。

「そうねぇ。昔からすっごく強くて、真面目で、ぶっきらぼうだけど優しいところもあって、女の子によくモテてたかな。ちょっとスカしたところもあったけど」
「えー、カカシ先生が真面目でスカしてたなんて想像つかない!」
「本当だってばよ!今はこーんなやる気ない顔しちゃってさ!」
「女にモテるってのも信じがたいな」
「ちょっと、お前らオレの悪口はそこまでにしてちょうだい」

私は喉の奥がじりじりと焼けるような感覚に襲われた。
この四人の間に私が入り込める場所はない。それも昔と同じで、私はようやくこの時、久方ぶりに目の前に現れた彼と昔のように戻れるかもしれないと期待してしまっていることを自覚した。そんなことなんてあるわけもないのに。
あんな約束は、子供の気まぐれな戯言に過ぎないのだ。失恋をしたばかりで拗らせているのか。
「仲がいいのね」と目と口角に手本のように緩やかなカーブを形作ると、カカシくんは「どこがよ」と呆れたように笑っていた。なんだかそれは、少しだけ嬉しそうに見えた。


あきらが注文の品を揃え終えて、私が配膳し、四人は談笑しながら食べ始める。
静かに厨房で仕込みの続きを弟と進めながら、私は意識を彼等の会話に集中させていた。
聞いていると、カカシくんはほとんど喋らず、会話の主導はあの金髪の男の子だ。そしてそれに頻繁に相槌やツッコミを入れているのは女の子。気が強いのか、時折乱暴な言葉も使ったりしている。
そして静かなもう一人の男の子。金髪の男の子にライバル視されているのか、勝手に食ってかかられて、適当にあしらっているようだった。
よく見ると見た目も個性もそれほど似てはいないのに、再び私の脳裏にはミナト班の四人の姿が浮かぶ。
そして、私はと言えばそんな四人をいつかの日と同じように、心に出来たささくれを気にしないように眺めることしか出来なかった。

「あ、もうこんな時間か。姉ちゃん、オレ、弁当箱の回収行ってくるわ!」

仕込みが一段落したのか、時間の経過に気づいたあきらがエプロンを外し、配達時の上着や帽子を纏い始める。弟はカカシくんが来たことは嬉しそうにしていたが、慌ただしく目の前のやるべきことにのみ集中していた。
きっと、あきらは前に進めているのだ。父を失ったことも、忍を諦めたことも。
それはきっと、みやびちゃんという未来を共にする愛する人と目標があるからで、愛する人もいなければ目標もない過去にがんじがらめにされた私とは向いている方向が真逆なのだろう。

「カカシさん、今日は本当来ていただいてありがとうございました!良かったらまた来てください!サービスしますから!」
「ありがとう、お幸せにね。今度お嫁さん紹介してよ」
「はい、是非!それじゃあ!」

あきらは仕出弁当の空箱の引き取り桶を胸の前に抱え、ぺこぺことお辞儀をすると、照れ臭そうに笑って回収へ向かった。扉を開いて店を出て行く弟の顔は、しっかりと前にだけ向けられていた。


四人は食べ終わると、案外だらだらと話を続けることなくあっさり席を立った。カカシくんが、さっさとお開きにしたようだった。子供達は「めっちゃ美味かったってばよ!」「ご馳走様です」などと一言残して店を出て行く。
厨房から急いでレジに出て、「ありがとうございました」と見送ると、ワンテンポ遅れてカカシくんが会計にやってくる。

「美味しかったよ。おじさんの味と変わらないね」
「ありがとう」

彼は伝票に書かれた金額を確認すると、財布の中を探るようにして「大きいのしかないや」と伝票金額よりかなり多めの金額をトレーに乗せた。
店には私とカカシくんの二人きり。
先程まではあっさり帰るようだったから、金を払ったら会話もなく帰っていくのだと思っていたが、お釣りを払い出す分だけ彼と接する時間が伸びてしまい、私は勝手に気まずくなる。勿論向こうはなんでもないような顔をしている。

「あきら、すっかりたくましくなって、本当に驚いたよ。これでカナも安心して家を出られるね」
「そうだね」
「そうだねってことは、出る予定があるの?」
「ううん、ないよ。ずっと付き合ってた人がいたんだけど、最近ダメになっちゃって。これからまた探さなきゃ」

お釣りをトレーに並べながらはりつけた笑顔で言うと、カカシくんは表情を変えるでもなく、「そう」とだけ返した。まるで興味が無さそうだったので、必要以上に付け足したことを後悔した。
カカシくんは、やっぱりあの日の約束の事なんてすっかり忘れているのだろう。第一、恋という言葉の意味もよくわからない子供の頃の「好き」だとか「結婚しよう」なんて、ただの大人の真似事であって、そこに気持ちがあったかどうかも怪しい。
子供にとっては、「好き」という言葉にも、「結婚しよう」という言葉にも、重さや責任があるとはつゆ知らず、大人達が唱えるロマンチックな魔法の呪文を真似して唱えているのと何ら変わりがないのだ。
私はそんな、ある種の呪いのような言葉に縛られて大人になってしまった。後悔してももう遅い。
これからは、それも全て受け止めて前を向いていかなければならないのだ。

「どうも。ご馳走さま」

カカシくんはトレーのお釣りを確認すると、ゆったりとした動作で財布へしまっていく。
私はレジの中を整理するフリをしながら「ねぇ、どうして来たの?」と訊ねた。
本当は店に入ってきた時から聞きたかったが、弟も彼の生徒達もいたから諦めていた。それに、昔のように戻りたいなんて馬鹿げたことを考える自分の甘さを、粉々に砕いてやりたいと思ったからだった。私も弟のように前に進みたかった。
カカシくんは意外にも、「来ちゃ嫌だった?」と困ったような声で返事をした。予想外の反応に私まで戸惑い、見ないようにしていた彼の顔を真っ直ぐ見てしまう。

「そうじゃないけど……」

目の前のカカシくんは、昔私が拗ねたり、気まぐれで彼を困らせた時と同じ表情をしていた。私は途端に言葉が出なくなる。前へ進みたいのに、過去の記憶が一斉に手を伸ばし、腰の辺りまで纏わりついて離そうとしない。それどころか、私の口を手で覆い、引き戻そうとさえしてくる。
私は黙りこくり、レジの後ろの古時計の振り子の音だけがカチ、カチ、と規則的に静寂を繋いでいた。

困った彼になんて言い訳をしようかと俯いて考えていると、見かねてか、彼が「そうだなぁ」と沈黙を破る。
私は反射的に再び彼の方へ顔を向けた。

「オレの知ってる店で、あいつらが食べたいって言ってたメニューが全て揃ってるのがこの店だけだったから……かな。それだけだよ」

あっさりとカカシくんが言う。
彼は、やっぱり私や弟を懐かしんでこの店にやってきた訳ではなく、ただ他に選択肢が浮かばなかったからここへ来ただけのようだった。
カナのことが懐かしくなって──などと言われなかったことに、私はひどく安心した。これで私は前へ進んでいけるような気がした。

「いやぁ、カカシくんが覚えててくれたことにそもそもびっくりしちゃってさ!変なこと聞いてごめんねぇ」

少し緊張が抜けた私は、途端に元気になる。
ぎこちなかった顔の表情筋も、スムーズに動くようになった。カカシくんもつられたのか笑顔になるが、彼の次の言葉で私は再び表情が固まる。

「そう言えばずっと気になってたんだけど、オレの事『カカシくん』なんて呼んでたっけ?」

私は、カカシくんのことは出会った頃からくん付けで呼んでいた。親がカカシくんと呼んでいたので、そう呼ぶべきだと思っていた。カカシくんも私のことを『カナちゃん』と呼んでいた。

アカデミーに入ると、みんな友達や同級生を下の名前で呼び捨てにしていた。最初は私もカカシくん呼びを続けていたが、ある日同級生の女の子が、好きな男の子だけをくん付けしていることに気付くと、みんなの前では呼び捨てにし、二人きりの時だけくん付けで呼ぶよう使い分けをするようになった。
当時はもうカカシくんに淡い恋心を抱いていたから、どうしてもそれがバレてはいけないと思っての事だった。最初呼び捨てにした時は、とても驚いたような顔をしていたのをよく覚えている。

「どうだったっけ。覚えてないや」

私はまた作り笑顔を浮かべ、嘘をついた。
カカシくんはアカデミーの頃の記憶が強かったのだろうか。
彼もまた、そのうち私をみんなの前では「カナ」と呼び捨てで呼んで使い分けるようになっていたから、てっきり暗黙の了解だと思っていた。

忍として大成し、日々忙しい彼にとっては、そんな薄茶けた古い過去のことなんて、とるに足らないことだろうから忘れていても仕方はない。
忍ですらなくなった私の存在を覚えていてくれたことだけでもありがたいのかもしれない、そう思った。

「ま、別にどんな呼ばれ方してもいいんだけど。じゃあね、カナちゃん」

カカシくんはとてもいい人そうな顔でそう言うと、胸の前で左手をパーに開いて「じゃ、またね」と店を出て行った。
最後のちゃん付けに、私はカマをかけられたんじゃなかろうかと焦りを覚えた。
私が、幼い頃からの淡い好意を今も心の隅に抱き続けているかどうかをわざわざ確認するために、呼び方の確認なんてどうでもいいことをしてきたのではないだろうか──と。
考えすぎか。私は一人ポツンと残された店の中で、首を横に振って変な考えを打ち消す。
そもそも、あんな約束をしたことすら忘れている可能性だって高いし、もう子供でもあるまいし、呼び方で好意なんて推し量られるものではない。

その時、ガラリと店の扉が開いて新しい客が一組入ってきた。
「いらっしゃいませ、お好きなお席にどうぞ」といつものトーンで声をかけると、レジから出てお茶とメニューの準備に取り掛かる。
頭の片隅には、「嫌だった?」と目元は笑ったまま眉を下げる困った表情のカカシくんがずっと浮かんでいた。



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