ゆるやかにスピードが落ちていく車内で、ドアに凭れ掛かりながら腕時計をちらりと覗く。黒い背景に仄かに浮かぶ緑の蛍光がもうすぐ10時だと知らせていた。この時間でも相変わらずの人混みで、ほとんどは背広を着込んだ肩の重そうなサラリーマンだったり、郊外へと帰路に着く学生だったり。停車と同時に電車はどっと駅のホームに人の群れを吐き出した。その波に乗るこの足の動きは無意識のものだ。越してきて数日といっても、もともとこの喧騒の中にいた人間だ。直ぐに感覚を思い出した。

改札にカードを通し、長いエスカレーターの脇の階段を二段飛ばしで登ってゆく。村では勿論あんなもの存在するわけないし、その上山に迫られた地形のせいかどこの階段も無駄に長かったものだから、この癖がついてしまった。寺のなんか、初めて見上げたときは眩暈がしたものだ。地下から抜け出すと、そこには眩しいネオンが天までそびえ立っている。赤、黄、緑、青…あの村とはまるで、色彩というものの概念が180度違っているのだから不思議だ。きっと徹ちゃんなんかこんな場所に来てしまったら、『すっげぇのなあー…あれ、あのでっかい看板、テレビで見たことあるぞ!夏野ぉ』なんてきょろきょろ首を伸ばして落ち着かなくて、あぁそれじゃ完璧に通行の邪魔になるだろうな。
そこまでで、勝手に動いていた両足はいつの間にか止まっていた。いつの間にか俺は、闇に浮かぶ人工の色彩を見上げていた。大河のような交差点のど真ん中。流れは絶えず俺の肩にぶつかってはすんなりと割れてゆく。いつの間にか通行の邪魔になっているのは俺だった。
徹ちゃん。あんたがいない。
踏み出した足がどこか荒々しくて、自分でも戸惑った。それでもまた足を動かした。必死だったのだ、俺は。波を掻き分けて、みっともなく辺りを見回しながら。徹ちゃんを探している。―――探して、しまっている。






「…は、」

バカバカしい…徐々に鮮明になる思考の中で、ひとり呟く。口には出していない、怠くて唇さえ動かす気になれなかった。
夢、だった。都会に出て、そこで俺は何をしていた。『徹ちゃんがいない』?『徹ちゃんを探す』?汗がじっとりと背を濡らしていた。額にも滲んでいる。拭おうとしても腕に力が入らなくて、さらにどっと気が落ちた。

「…バカバカしい」

徹ちゃんが死んで、正しくは徹ちゃんが起き上がって何日か経った。徹ちゃんが俺のもとに食事を採りに来てからというもの、弱り切ってベッドに埋没してしまったこの体で、俺が『この期に及んで』見た夢は、きっと俺の弱さなのだろうと思った。認めたくなかった。唯でさえ浅はかな願いだというのに、徹ちゃんが一緒にこの村を抜け出してくれて、その上まだ、妄想を塗りたくった安っぽい夢物語の俺の未来で、隣に居て欲しい、なんて。



「……バカバカしい」

鉛のように重い腕に叱責して、布団を頭まで被る。合わせる顔がないのは、俺のほうだった。


jam/101015
ピュアな夏野の自己嫌悪



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