※暗いです









冷たい夜風が頬を掠めていった。ひとのぬくもりのないその頬には、冬の迫ったこの冷たさが突き刺さることはなく、寧ろ身体はあたりの冷気に同化しきっていた。
寺に近い林の木々の合間を縫うようにして歩く、愚かな習慣になりつつある動作だったにも関わらず、徹の足取りは覚束無かった。原因は明白であった。それでも躍起になって足を動かし続けるのは、言い様のない恐怖という闇が徹に迫り来るからだ。今立ち止まっては、永久にこの場に立ち尽くしてしまいそうな気がしていた。そうすれば直ぐさま失望に呑まれて、奥底ない思考の闇に吸い込まれる。いや、もう既に、そうなっているのかもしれない。


―――駄目だ、駄目なんだ。

思い出してはいけない。思い描いてはいけない。あの甘美な舌触りを、渇望を潤すような喉越しを。少しでも魔が差しそうになると、文字通り頭を振り、無我夢中で歩く。向かう先に当てなどあるわけもなかったが、ただ今はそうしているしか術はなかった。だからその作業に忙しかった徹は、目の前に迫り来る人影の存在を悟ることのできる筈もなかったのだ。


「や、徹くんじゃないか」

ぞわり。
背筋に這うのは、紛れも無い、悪感。途端に足が竦んで徹はその場で条件反射のように息を殺した。
――どうして、いま、このタイミングで。

「…た、辰巳さん、」

いつの間にそこに居たのだろう。辰巳は木に寄りかかるように佇んでいて、視線だけをこちらに寄越した。
闇に妖しく光る、そのあかい視線から目が逸らせない。
胸の内を土足で上がり込み好き勝手に踏み散らかしてゆくような、そして全て全て見透かしているかのような、その目が徹は苦手だった。

「おや、すっかり沈んでいるご様子で。近頃食事はきちんと採っているのかい?」
「…」

『食事』耳に届いたその単語が、じくりと心臓を抉る。まだ己の行動をそう呼ぶのを受け入れたくはなかった。
そう考えていた。そう決意していた筈なのに、何と浅ましいことか。『食事』というそのワードに反応するかのように、じわりと口の中に唾液が広がってゆく。駄目だ、思い出すな、忘れるんだ。

「食欲がない訳じゃあないんだろう?」
「…それは」

例の如くお見通しだ、とでも嘲笑うかのように、辰巳が問うた。
お見通しなのは当然だろう。徹たちの行動を管理する立場なのは、他ならぬ桐敷側なのだから。『食欲』鉛のように重く、その言葉は徹の心に沈み込む。
兎に角、辰巳には一刻も早く立ち去って欲しかった。だからといって、何も返す言葉のない、臆病者で卑怯な自分に嫌気が差した。徹には、やめてくれ、と祈ることしか出来ない。
相も変わらず辰巳は一見人好きのしそうな笑顔を浮かべたままだ。

「きみは、そういう顔をするのが得意だね。そうやって我々を責める、いつまでも」

その笑顔がどれほど胡散臭いもので、その笑顔の裏に何が潜んでいるのか、知らない徹ではない。だから次に続く責め苦を覚悟して、徹は無意識に拳を握った―――
「まぁいい…ただぼくは、好き嫌いは感心しないな」

「…え?」

一瞬にして、体が凍りついた。(今、なんて)好き嫌い、と目の前の男は、そう言ったのか。(どこまで、見透かしてるんだ…)全身が竦んで微動だにできない。逃げなければ、と思った。辰巳の言葉の続きを聞きたくない。知りたくない。だというのに、体は言うことを聞いてくれない。

「きみが昨日襲った老人の味は、どうだった?」
「…!やめてください、」
「まあ不味い、ということはないだろうね。きみたちは常に飢餓に襲われてるんだから。でも最高級というには、や、少し厳しいかな」
「やめろ、やめてくれ…」
「きみはもう彼を食べてしまった―――味わってしまったからね。そうだろう?」
「違う、おれは、」

認めてしまえば楽になれることを、徹は知っている。
自分はこの身体に確かに、化け物を飼っているのだ。人を獲物として襲う醜い化け物を。
頑なに人間ごっこを止めようとしないくせに、腹が空けば本能に任せ―――例えどんなに大切にしたかったやつでも、手に掛ける。脅されたからやったんだ、殺したくなかった、合わせる顔がない。そうやってさながら人間の如く後悔する。だから余計に醜いのだ。化け物なら化け物らしく開き直ればいい。それができない、不格好な化け物。
でも、それでも。認めることはできなかった。

「なぁ、徹くん」

(だって、誰よりもあいつがいちばん、おいしかっただなんて、)









きみの中の暴君/101211





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