drown 気が付けば、辺りはずっしりと重く、黒色の闇が果てることなく広がっている。 自分が今ここに立っているのか、座っているのか、寝転がっているのか、漂っているのかも分からない。 上下左右の感覚はおろか、地に足をつけているのかどうかも分からない。 けれど、今俺は間違いなく存在している、それだけは何故だかはっきりと分かっていた。 「また、か」 溜息まじりに呟く。 意識では理解している――これは夢だ――と。 もう幾年もの間、これと同じような夢を見続けているから…… いや、正確には同じ夢しか見ないのだから、当然といえば当然のことだ。 以前は年に一度、見るか見ないかだったこの夢も、この頃は間隔が特に狭まっている。 この前に見たのは一昨日だったか? そんな自分自身の思考と何よりもこの夢にうんざりしながら、 しかし、わずかに期待もしているということに間違いはなかった。 そういつのもように考えを整理している間に、一切の光がないこの暗闇の中では、視界に捉えることも困難であろうはずの黒髪の人物が1人、こちらに背を向けて、目の前にいるのがはっきりと分かった。 不思議な感覚だと、いつもぼんやりと思う。 その耳下までの短い髪にはやや幼さがうかがえるが、女性らしい雰囲気をまとった綺麗な黒髪だ。 だが、この髪はただの『黒髪』じゃないことを俺はよく知っている。 まるで黒曜石のように深く濃く艶やかな色に俺の心をありありと映し、その鋭さで深く切り裂いたかと思えば、小さな針となって体中を巡り、微かな甘い痛みでこの胸を縛り、おれは完全に支配される。 真珠のような肌はつるりとすべって掴むことができないんじゃないかと思うほど滑らかで、やっと触れたかと思えば、雪のようにふわりと手の中で溶けて消えてしまいそうで、この胸を締め付ける。 瞳はかつての聖なる石のごとく、厳かな光をたたえて双瞼におさまり、澄んだ青におれを映しては柔らかく笑う。そこからこぼれる光に、この胸は熱を持つ。 そして、小さな珊瑚色の――やわらかな――唇。その温もりに、この胸はほどかれ、傷を癒す。 この世に二人と存在しないであろう、俺のすべてを焦がすひと。 知らないはずの、きみ。 出会ったことがあるのなら、必ず手に入れて、決して離しはしないだろう。 知らないはずだ、けれど、知っている。 そう、俺は、このひとをよく知っている。 いつも後姿だけの、決してこちらを振り向くことのない少女。 顔を見たこともなければ、その肩に触れたこともない。 触れられないのだ、正確には。 体が全く言うことを聞かない、動かないのだ。 触れてみたいのに触れられない。 ただ、見ているだけ。 けれど、知っている。 きみはだれだ? 俺はどうしてきみを知っているんだ? なぜだ? きみは俺を知っているのか? 聞きたいことは山ほどあるのに、この少女が現れると声を発することも出来なくなる。 やはり、ただ見ていることしかできない。 少女はといえば、こちらに背を向けたままじっとして動かない。 まるで置物のように、ただそこにある。 けれど、ただの置物ではないことは、彼女の纏う生気ではっきりと分かる。 そして、背を向けたこの少女はいつも向こう側で泣いているのだと、俺には分かっていた。 俺のせい、なのか…? 心の中で、届くように、応えてほしい、と念じながら呟いた。 次の瞬間、彼女はふっと消えて、辺りはまたただの黒に戻る。 体の自由が戻り、今まで少女がいた目の前の闇に手のひらを泳がせてみるが、そこにはやはり何もなかった。虚空を抱きしめるかのように両手を広げて胸に寄せてみるが、やはり何もなかった。 むなしさとばかばかしさに顔を歪めて、嘲るようにふっと息をついた。 胸に寄せた両手に思い切り力を込めて、心臓の辺りを握り締める。 ぎり、と音がしそうなほど奥歯をかみしめた。 次第に目の奥が熱くなったかと思えば、すぐに涙でいっぱいになった。 溢れ出る涙は止まることを知らずにこぼれ続ける。 みっともない。この、俺が。 涙の流しかたなんて知らなかった。必要なかったから。 なのに、夢を見るようになってから勝手に身についてしまった。 悲しい? 悔しい? 憎い? どれにも当てはまらない想いが、涙となるしか行き場がなくて、ただ、ただ、溢れてくる。 これは、きみのせいだ。 まもなく、ふと自分の様子がおかしいことに気が付いた。 息苦しい。 その苦しさはあっという間に速度を増していく。 無意識に首元を掴み体を大きく前に屈曲させてもがく。少しでも酸素を得ようと口をめいっぱいに開けて動かしてみるが嗚咽すらも出ない。 苦しい。 意識が、薄れていく。 これも、きみの―― きみの―――――― |