drown 「……ル……の……!」 「…ク……ど……の…!」 「ハルク殿!」 聞き慣れた者の声に、深い穴から引きずり出されるようにずるずると意識が戻りはじめ、無理やり目を開いた。 しかしまだ頭はぼうっとしていて、今が現実なのか夢なのか分からず、うつろな目を少しずつ動かしながらぼんやりと辺りを見る。 陽がだいぶ傾いているようで、木々の間からのぞく空は、すっかり血の気が引き青ざめた面持ちで、これから訪れる黒く長く冷たい時を鬱そうに、けれど拒むことなく受け入れようとしている。 ふと、大きく開いた首元をふわりと冷えた空気がなぞり、この体も夜が近いことを認識する。同時に背中にあたる土の冷たい感触も思い出して少し震えた。喉の奥までからからに渇いていて、少し苦しい。 そんな事を淡々と考え、さきほど自分を呼び覚ました声の主の存在をすっかり忘れていた。 「目覚められましたか……?」 低く落ち着いた、けれどもどこか冷たさを秘めた声の主は顔を近づけて、心配そうにこちらを見ている。 すると、次の瞬間、そこに先ほどまでは触れることも叶わなかった、黒曜の輝きがさらりと視界を掠めた―― 考える間もなく、咄嗟に左手が反応して、その黒曜に必死に掴みかかっていた。 今度こそはその黒曜をこの手に触れるどころか、しっかりと握り締めることが叶ったが、気が付けば夢中で手繰り寄せ両手でその顔を包み込んでいた。 よく見せてくれ、きみの、その柔らかな光を―― 俺のすべてをしずめてくれる、その―――― 「…ハルク、殿…?」 その、光を拒む漆黒の瞳と、聞き慣れた声によって、ようやく全てを己の息と共に飲み込んだ。 俺の鼻先には、俺の両の手のひらによって大事そうに、愛おしそうに包まれた……男の顔。 それはあの夢の娘によく似た黒い髪をもつ従者、唯織だった。 唯織は俺の行動に驚きはせず、ただ、やはりほんの少しの申し訳なさをその白く表情の乏しい仮面のような顔に滲ませながら、こちらの様子をうかがっている。 「…すまない」 ゆっくりとその顔から手を離し、がくりと項垂れた。 無意識とは言えこの男に対して、主たる自分の取った行動に羞恥と酷く情けなさを感じて、頭をぐしゃぐしゃと力任せにかきむしった。そして吐いた謝罪の言葉さえも、渇ききった喉ではうまく発音できずに、何だか間の抜けた音になってしまい更に情けなくなる。 ふう、と一つ息をついたあと、うまく音の出ない喉をわずかな唾液で湿らせてから、軽く唯織に頭を下げる。 「すまない、唯織。また、夢を見たんだ」 それでもやはり、かすれた音しか出なかったが、唯織はそんなこと気にも留めていないようで、とりあえずいつも通りの俺の様子を見て安心したのか、その目をかすかに細めた。 「左様ですか」 そう言ってすっと立ち上がり、こちらに手を差し伸べた。 唯織は良く出来た従者だ。自分が踏み入るべきではないものを解っている。 もっとも、夢の話は何度かしているし、いつも同じ内容なのだから、 今さら「だから何だ」と尋ねる必要もないのだろうが。 唯織の手を取り、まだ感覚の戻りきらない足に何とか力を込めてやっと立ち上がる。 「うなされていたようでしたので、もしやと思い声をおかけしたのですが、正解でしたね」 すっ、と手にしていた大きなひざ掛け布をストールの代わりに肩から首に巻きつけてくれた。その動作が全く自然に流れるような動きをするので、本当に良く出来たやつだ、とつくづく思う。 「ああ…すまない」 唯織の振る舞いと、軽くて暖かい、肌ざわりの良い布が冷えた体に心地良くて、先ほどまでの出来事や自分の失態も、もう今は、せめて今は、どうでもいいと思った。 俺の思考は暗闇の中で、答えのない、出口もない、けれど迷路というにはきっと単純すぎる、一本の道を辿っている。 しかしそれは確実に目的地へと運ぶ、一本道であるだろう。 |