フォエニケ・ラプソディー | ナノ



※情報屋臨也×バーテン静雄のパラレル長編です。



初対面の相手とうまく接せられるかどうかというのは人によって異なるところだが、臨也はそれなりに円滑に初対面をやり過ごす自信があった。自慢ではないが、面の皮は厚い方だ。顔も声も悪くないと自負している。
初めて会った相手には口元に笑みを湛えてお定まりの挨拶を述べ、更に社交辞令の一つでも加えれば、それで悪い印象を持たれることはほぼない。自分に悪い印象を抱かない相手とは、少なくとも表面上は円滑な関係を築ける。
だが臨也はその日、そんな持論を覆さねばならないような出会いをした。一目見た瞬間に、この人間にうまく接し、円滑な関係を築いていくのは無理だと悟ったのだ。面の皮が断層なみに厚く、常に大柄の猫をかぶっている臨也にしてみれば、それは屈辱的な悟りだった。
臨也にそこまで悪い印象を与えた男は、眼力に物理的な力があれば臨也を殺せたであろうと思うような視線を送ってきている。
「こちらが、話していた情報屋だ。しばらくおまえと組んでもらうことになる」
ふたりの間で見えない火花を散らす視線の交錯に気づいていないわけではないだろうが、必要ないことには指先一つ動かさない四木は淡々とそう紹介した。
「……折原臨也です」
ひくひくと引き攣る頬をなんとか宥めながら口元に笑みを湛えて名乗る。金髪に仕事着らしいバーテン服をまとった相手は、同様に頬やこめかみを引き攣らせて臨也をきつく見据え、それからふいっと視線を外して四木を見た。
「すんません四木さん、無理っす」
「無理?」
「俺一人で何とかします」
だからその男とは組めません、と臨也の方を顎で指した。随分と失礼な話ではあるが、とりなす気にはなれない。なぜなら臨也も同じような気持ちでいるからだ。
「駄目だ。お前がひとりで何とかできるような状況ではない」
「でも」
「静雄」
これ以上の反抗は許さない、という強い意図を感じさせる声だった。それでも、この四木にしてはまだ優しい部類の声だ。四木は理性的で頭のいい男だが、容赦のない男だ。物わかりの悪い彼の部下が何度文字通り骨を折ることになったかわかりはしない。だが静雄にはそれほど強硬な態度ではないのは、静雄のことをかなり気に入っているからか、暴力が服を着て歩いているような静雄に暴力を振るうようなまねはしたくないのか。どちらだろう。両方かもしれない。
「少しの間だ。我慢しろ」
「……わかりました」
渋々と静雄がうなずき、臨也の顔を見た。その顔には大きく、不本意だと書かれている。臨也も得意の薄っぺらい営業スマイルをなかなか保つことができなかった。



四木から臨也のもとに舞い込んできた依頼はそう複雑なものではない。“とある男に情報を流してほしい”というものだった。それならば次に問題になるのは、誰にどんな情報を流せばいいのか、ということである。
「折原さんもご存じでしょう。平和島静雄という男です」
もちろん知っている。それは池袋最強とあだ名される男だ。噂では、自動販売機を易々と持ち上げて投げたり、または電柱をへし折って振り回したりしているらしい。そんな噂を信じるなら、その男が本当に人間なのかどうかさえ疑わしいものだ。
どうしてそんな男に情報を流す必要があるのかを尋ねると、四木は苦々しい顔で口を開いた。
「私たちの組織は、多少彼に関わりを持っていましてね」
それは嘘だ、と臨也は考える。臨也が自分の得意先の情報を入手していないはずがない。その自身の情報網に照らせば、四木が幹部として所属する粟楠会は、平和島静雄との関わりはないはずだ。静雄のようなビッグネームと関わりを持てば、臨也にその情報が入ってこないはずがない。
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。黙ったままの臨也を見て、四木は苦笑した。
「……組織が、というよりも私が個人的に彼に関わっているのですが」
静雄は粟楠に所属しているわけではなく、あくまで一介のバーテンダーとして池袋の西口近くにある小さなバーにつとめているらしい。そんな静雄とどうして四木が関わりをもったかまでは知らないが、四木はちょっとした仕事を静雄に頼んだという。その仕事内容は、とにかく逃げること。
「逃げる?」
それはあまりに意外な依頼だ。池袋の喧嘩人形と悪名高い静雄をわざわざ引きずり出したのだから、仕事もそのネームバリューに応じたものだと思っていた。たとえば、敵対する組織のせん滅だとか。あるいはその組織のトップの暗殺だとか。だが四木は苦笑を深めるばかりだ。
「その手の仕事を承諾するような男ではありませんよ」
繰り返すが、静雄に依頼した仕事内容はあくまで逃げること。まあ、その課程で多少の暴力行為はあるかもしれないが。
そして臨也には、静雄をサポートするように彼に情報を流してほしい、というのだ。
とにかく逃げる、ということは、追ってくる相手がいるということだ。まずそのあたりを聞かなければ話は先に進められない。尋ねると、四木は粟楠会と対立している組織の名前を口にした。公安からの指定のある大きな組織だ。
四木の話によれば、こういうことだ。

その組織は、現在かなり大きな火種を抱えている。それはもう、一度ライターの火でも近づけたものなら、組織そのものを木っ端みじんにしかねないような火種だ。政治団体への不正献金である。政治団体に献金を行うことにより、自分たちの有利に制度ができるよう取りはからってもらうというのは、珍しい手法ではない。だがこの組織に限っては、あまりに深くべったりとその団体と癒着している。これについては臨也も知っている。
臨也が知らなかったのは、粟楠会は独自にその証拠を手に入れていた、ということだった。献金の流れがわかる入金証明書や領収書と、政治家に資金援助の代わりに融通を利かせるよう頼んだ会話を抑えたレコーダーである。これは動かしようのない証拠だった。
「我々は多少、警察と検察にパイプがあります」
四木は言った。
粟楠会はこのパイプを使って、違法献金の捜査を起こすよう働きかけることにした。禁じ手に近い強硬手段だが、それだけ邪魔な組織だと言うことだろう。
「警察が捜査し、検察が告訴すれば、必ず有罪に持ち込めるでしょう」
だが現在はまだ、警察が捜査に動くかどうかもめているような状況だという。裁判が行われるまでにまだかなり時間がかかる。しかし間の悪いことに、相手の組織が、粟楠会が証拠を握っていることを察してしまった。当然、血眼になってその証拠を闇に葬ろうとする。裁判が起こってそんな証拠が出されてしまえば、自分たちの組織は終わりである。
そこまで聞いて、臨也は依頼の内容を飲み込んだ。おそらく相手の組織も、警察と検察にパイプを持っている。その組織の規模を考えれば当然のことだ。裁判が始まっていない今の段階で、重大な証拠を国家機関に預けても、握りつぶされる可能性がある。そして粟楠会にもスパイがいないとも限らない。どこかに保管していたとしても、その場所を爆破でもされてしまえば終わりだ。
だからこそ、原始的ではあるが、それらの情報を持ってひたすら逃げる役回りが必要となったのだ。しかもただの人間ではなく、場合に応じて応戦することができる、強い人間だ。だからこそ平和島静雄を選んだのだろう。
だが臨也には、気になることがあった。平和島静雄にその証拠を持たせてとにかくひっそりと逃がすなら、臨也の役割はあまり重要ではない。必要に応じて粟楠会がサポートすればいいからだ。だが、その枠割りを敢えて外部の臨也に回した。
「平和島静雄は、囮ですね?」
「…………」
四木は無言である。特に表情を変えることもしない。臨也は言葉を続けた。
「最強の男と呼ばれる静雄に証拠を渡したと、なんらかの手段でついうっかり相手の組織に知らせる。そして注意をその男に引きつけさせ、その間に本物のその証拠を、安全な場所に移す。違いますか?」
スイス銀行の貸金庫あたりに預けるのが妥当な線だろうか。だがそれも、無事に預けられなければ意味がない。だからこそ、静雄に陽動してもらい、そちらに注意をひきつけるのだ。そうすると静雄は当然、例の組織にねらわれることになる。そこでその組織の動向などをいち早く探り、静雄に知らせて逃がすのをサポートする人間が必要となる。それが臨也なのだろう。
四木はやはり無言だった。だが口の端をわずかに持ち上げている。皮肉な笑みである。是、ということだろう。
「そのことを、その男は知っているんですか?」
「知っていますよ」
臨也は軽く目を見張った。その答えは意外だった。平和島静雄というのは、実際に見たことはないが、臨也の知る限り直情的で怒りの沸点が低く理性的という言葉の極地のような男だ。自身が囮だと知ってなお協力するとような人間には思えなかった。
「ちょっとした事情がありましてね。静雄は私の言葉には従います」
微妙な言葉の濁し方だった。それ以上は臨也に喋る気はないのだろう。必要ならば、そのあたりについては臨也が自分で探ればいい。
「…分かりました。引き受けますよ」
口元に営業スマイルを浮かべて答えた。もともと粟楠会は臨也にとって大口の得意先である。よほどのことがない限り、四木がもってくる依頼は断りたくはない。平和島静雄という男が臨也とうまくやっていける人間かについては不安はあるが、臨也はたいていの人間関係はうまくこなすし、情報を流す程度なら、常にべったりとくっついていなければいけないわけでもない。
問題はないだろう、という臨也の見通しは、残念なことにとても甘かった。



目の前を、ラウンドテーブルが飛んでいく。比喩ではない。「待てっつってんだろうがよおお!」。そんな怒声も飛んでいる。どちらも静雄が投げたものだった。
テーブルをぶつけられた相手の意識はすでに遠くにあるようだ。白目をむいている。これでは逃げようがないが、額に血の筋を浮かべて明らかに理性を失っている静雄には分からないようだった。
「……ぶつかったらもっとしっかり詫びいれるもんだろ? あ?」
手前、なに寝てやがる、と静雄はすでに意識のない若者の襟首をつかみあげた。
臨也は頬をこわばらせてなんとか皮肉な笑みを浮かべながら、視線を四木に向ける。四木は瞼を伏せて、どこまでも続くような深いため息を吐いていた。

四木が臨也と静雄の顔合わせのために使ったのは、新宿にある若者に人気のバーだった。粟楠会の息のかかったバーである。臨也と静雄が誰にも怪しまれずに立ち入ることができ、かつ安全な場所を用意したのだろう。だがそれが仇になった。
隣の席で盛り上がっていた若者が、酒の入ったグラスを持ったまま立ち上がりふらついて、近くにいた静雄のバーテン服にそのグラスの中身をかけてしまった。しかも若者の対応が悪かった。動きを止めた静雄にへらりと笑って「あ、すんません」と言ったのだ。あまりに軽い謝罪だった。静雄は少しだけ震えたように見えた。震えながら、「幽にもらった服が」とつぶやいたのを臨也は確かに聞いた。そして次の瞬間、テーブルが飛んだのだ。

「…本当に、こんな男で大丈夫なんですか?」
気を失った男の首をつかみあげている静雄を見ながら臨也は尋ねる。客は口々に悲鳴を上げていて、まさに店内は阿鼻叫喚の様相である。軽く頭を抱えていた四木は、もう一つ深く息を吐いてから、口を開いた。「大丈夫ですよ」
どうやら静雄をこの件から外すという選択肢はないらしい。冷静な四木にしてはかなり思い切った決断である。だが続いた彼の言葉に、臨也は体を硬直させた。「あなたもいますしね」
こんな野獣のような男の世話はごめん被る。とは、言えなかった。





結局その騒ぎは、四木が低い声で「静雄。そろそろやめろ」と一喝して収まった。一気に気疲れしたが、今にして思えばなかなか楽しい見物だったとも言える。あの平和島静雄という男は妙に気に食わないが。

「お得意さんがいるっていうのも考え物だね…。無理難題を吹きかけられる」
翌日になって、オフィスにやってきた唯一の部下である波江に、新たな仕事の依頼がきたことを告げるついでに、そんなことを愚痴る。すると波江は、なにを言っているの、とちょっとあきれたような顔をした。
「でもあなた、興味があったんでしょ? 平和島静雄に」
「……何言ってるの?」
「合間を見て、調べてたじゃないの。見えにくい場所にフォルダまで作って」
「…………」
何で知っているのだ、という疑問と、今度からこの部下に見られたくない情報を扱ったフォルダには厳重にロックをかけておこう、という決意が同時に浮かぶ。
「まあ、喧嘩人形とまで呼ばれる男に興味はあったよ。易々とポストを片手で投げ飛ばすなんて人間に可能かってね」
波江は相変わらず、整った顔に笑みの一つも浮かべずに臨也の言葉を聞いている。大して興味もないのだろう。
「……でも昨日実物を見てみて実感したよ。あれは人間の域をとっくに越えてる。見てくれは人間みたいだけど、電信柱を軽くかつぎ上げるようになったらとっくに化け物だろ。俺は人間はみんな愛してるけど、あの男は愛してあげられないなあ」
「平和島静雄も、あなたなんかに愛されない方が幸せでしょうね。……それで、その仕事は受けるのね?」
「仕方ないけれど受けるよ。変に断って大手の得意先をい失いたくはないし」
「そう」
「本当はイヤなんだけどね。あんな化け物には関わりたくはない」
口は動かしながらも臨也はPCを操作して、例の組織の動向を確かめる。そんな臨也の様子を見ながら、嫌々ながらにしては随分楽しそうじゃないの、とは思ったが、賢明な波江は口にはしなかった。



(フォエニケ・ラプソディー)
(2011/11/09)





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